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2013年1月19日 (土)

一を投げかけ十を考えさせる哲学絵本


   1月もすでに半ばを過ぎました。プロ野球の選手たちは自主トレーニングを始め、身体づくりを本格化させています。2月からのキャンプに、ダレた身体でいくことはできません。私も研修仕事が少なくなる1~3月は、大事な春キャンプのシーズンです。ここでの仕込みが1年のよしあしを決めるといってもいいでしょう。スポーツ選手にとっての筋力トレーニングが、私にとっては読書。


   私はもはや多読主義ではありません。「選読」「深読」を重んじます。良質のものを選んで、深く読む。この歳になってくるとそうしたやり方がいいのでしょう。ベテランの選手も、若い頃のように量にまかせてがむしゃらにやる段階から、質を考え量を絞り込む段階に進むのと同じです。

   幸いなるかな、ものを考える作業においては、歳とともに「結晶化」能力というものが発達を続けるので、若い頃に得た断片的な知識が、いまになってさまざまに再編成・再構築され、自分の認識世界が広がっていく、それが面白いところです。昔さっぱり読めなかった古典が、ふぅーっと読めるようになる。難しかった書物の書き手の伝えたいことが、行間から鮮明に立ち上がってくるようになる。良書とは、ある意味、読み手の力量に応じていかようにでも「解釈の発見」を与えてくれるものと言っていいかもしれません。

   また、読むことが成熟化してくると、本の内容の理解というより、その本の書き手がどこまでの懐の深さで書いているかもみえてくるようになります。「この著者は、ここをやさしく書いているけれども、この書き方は、実はその奥のことを深く知っていないと書けない書き方である」とわかるようになるのです。そのようにして、成熟化した読み手は、書き手の「人の器」を同時に読み取ります。ですから、書を読むとは、人を読むことでもあります。

   本を通して人を読むことをしはじめると、その著者がどんな動機で本を書きたかったのか、その文章に結実するまでにどんな思いを内面で繰り広げたのか、などを感じ取ることに面白さを見出すようになります。ですから、ほんとうに読書とは、人格との出会い、思想との出会い、熱との出会いになるわけです。

   さて、そんななかで、きょう紹介したいのは、フランスの哲学博士であるオスカー・ブルニフィエの哲学絵本シリーズです。彼の絵本はいくつかが翻訳書として出版されていますが、そのどれもが、グラフィック・アーティストたちとのコラボレーションで制作されたユニークなものとなっています。グラフィックのテイストに関しては、個人の好みもあるでしょうが、哲学的教育書が新しい表現に挑戦するという意味では、すばらしい成果であると思います。ブルニフィエ博士による文面は、彼の内面に湛えるものを鋭く凝縮した一行一行になっていて、「やさしいけどふかい」ものになっています。


Brenif 01
こども哲学 『いっしょにいきるってなに?』
オスカー・ブルニフィエ(文)
フレデリック・ベナグリア(絵)
西宮かおり(訳)
朝日出版社







「ぼくたち、みんな平等?」───

ちがう。運のいい子と
わるい子がいるもん。

そうだね、でも……

運って、自分でそだてるもの?
それとも、空からふってくるもの?

ツキがあっても、にがしちゃう
ってこと、ない?

運のいいやつ!って、思っちゃうのは、
やきもちのせいじゃない?

ほんとに運だけ?
努力や才能は、関係ないの?



Brenif 02
こども哲学 『よいこととわるいことってなに?』
オスカー・ブルニフィエ(文)
クレマン・ドゥヴォー(絵)
西宮かおり(訳)
朝日出版社







「おもったことはなんでも口にすべきだろうか?」───

ううん、だって、ほんとのこと
言ったら、けんかになること
だってあるでしょ。

そうだね、でも……

それがほんとうのことなら、
けんかくらいしてもいいんじゃない?

うそをついたり、だまっていたりしても、
けんかになることだってあるよね?

どうして、ほんとうのこと言われて、
いやな気持ちになったりするんだろう?


Brenif 03
こども哲学 『よいこととわるいことってなに?』
オスカー・ブルニフィエ(文)
クレマン・ドゥヴォー(絵)
西宮かおり(訳)
朝日出版社







「ひとにやさしくしようとおもう?」───

しなきゃ。でないと、
みんなにきらわれちゃう。

そうだね、でも……

きみがだれかにやさしくするのは、
きらわれるのがこわいから?

好きなのに、
やさしくできないことってあるよね?

みんなに好かれなきゃ
いけないのかな?

きらわれないためなら、
なんでもする?



Brenif 04
はじめての哲学 『生きる意味』
オスカー・ブルニフィエ(文)
ジャック・デプレ(イラスト)
藤田尊潮(訳)
世界文化社





生きる意味は
やりたいことをやり
自分にとっていいと思えるところに行くことだ
と考えるひとがいます

他のひとは
生きることは
決まりに従い
責任をもつことだと思っています

生きることは退屈で
なにも変わったことがなく
ひとはいつも同じことばかりしている
と考えるひとがいます

他のひとは
生きることは刺激的で
おどろきにあふれ
ひとはなんでも創り出すことができる
と思っています。

人生とは 仕事をして収入を得て
社会的な地位をもつことだ
と考えるひとがいます

他のひとは
がんばりすぎて ひとは自分の人生を無駄にしている
働くことで 自分の時間を失っている
と思っています

生きる意味は
どんなにばかげたことであっても
自分の夢を実現しようと努力することにある
と考えるひとがいます

他のひとは
生きる意味は 現実をそのまま受け入れ
毎日をあるがままに生きることだと思っています

Brenif 05



   これらブルニフィエ博士の一言一言は、「一を投げかけて、十を考えさせる」問いとして優れたものだと思います。そしてこの本のどこを読んでも、これらの問いに対する答えはありません。「えっ、これだけの本?」と思ってしまう読者は、答え(あるいは答えの出し方)を与えられることにあまりに慣れてしまった人でしょう。しかし、これこそが哲学なのです。

   哲学とは、そもそも「philosophy=智を愛する」の訳語です。「学」の文字が体系的な学問を思わせる部分がありますが、何か根源的なことを考える、そのプロセス自体がphilosophyです。その意味で、この本は立派に哲学本なのです。

   私が掲げる次の出版プロジェクトは、こうした哲学の絵本を大人向きにつくること。仕事・働くことについて、ほんとうに大事なことの「一を投げかけて、十を考えさせる」絵本を構想中です。表現もこれまで世の中になかったものを考え出すつもりです。そのためのたっぷり刺激と滋養を得る2013年の春キャンプ。一日一日の仕込みがやがて大きく実を結ぶことを楽しみにして。






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