人財育成担当者は「想い・観」をもって研修を選定しているか
独立して11年目を迎えました。私はみずからの事業に対し、量的な拡大・成功を目指すのではなく、あくまで等身大で、ひとつの道を追求していきたい。そんな職人的な生業を志向し、個人事業で相変わらずやっています。
そんな個人事業に、今では、大きな企業もお客様として研修を発注いただくようになりました。「営業はどのようにしているのですか?」とよく訊かれます。ですが実際、営業はやったことがありません。本を出す、雑誌に寄稿する、そしてこのようにブログに書く(そしてその記事をいろいろなウェブサイトで転載していただく)───これが結局、営業といえば営業になっています。
研修や講演の新規の依頼はほとんどメールでいただきます。ご相談の方は、私の著書や記事を読んでくださっており、「この村山というコンサルタントはなかなか面白いことを書いている。ならば少し相談してみるか」というような感じではないでしょうか。
そういった場合、最初に商談に訪れても、先方にどこかすでに共感する下地ができていて、人の教育に関し、話がとてもしっくり絡み合います。
私は書きものを通して、働くことやキャリア、人財育成についての「想い・観」を伝えています。広告的な内容や宣伝色の強い表現はほとんどしません。また、ネット検索に引っ掛かりやすいような流行語・バズワードもあまり用いません。それでも、あえて私の本やネット上の記事を探し当て、それを読んで、少なからずの共感を覚え、問い合わせのメールを入れる。これは言ってみればかなりのフィルターを越えてきている状態です。で、そこまで越えてきていただいた担当者の方もまた、働くことやキャリア、人財育成についての「想い・観」を強くもっています。そして互いの想いが響き合う形になっているんだと思います。
私の売っている研修プログラムがキャリア教育・就労意識醸成の内容のものだけに、この「想い・観」の部分の共鳴はことさら大事ともいえます。
大きな企業になればなるほど、「研修をなぜ、あえて個人事業者に委託するのか? 大手でほかにいいところがあるだろう」といった上司からの質問もあるでしょう。そんなときに、ご担当者はおそらく「この人のこの研修プログラムを社員に受けさせたい」という意思判断で、ある種のリスクを負いながら、組織に承認を取り付けてくれているのだと思います。それは本当に私にとって有難いことだと感じています。
人財育成担当者は、研修選びにおいて、 “目利き”でなければいけないわけですが、その目を利かせる際に重要になってくることは、結局、いかにみずからが人の教育に関し「想い」を持ち、「観(人財観・教育観など)」を醸成しているかです。この点の想いや観が弱いままだと、担当者は本当の意味で研修商品を吟味できないと思いますし、大事な社員に自信をもって研修を提供できないと思います。
昨年、私はある大手総合商社の入社4年目の研修(キャリア開発研修的なもの)を初めてお受けいたしました。2日間研修を4班に分けて実施したのですが、初回の第1班を終えて、受講者の事後評価は驚くほど悪いスコアが出てしまいました。それほど低い評価はこれまでもらったことがなかったので、私は正直、戸惑ってしまいました。
ですが、先方のご担当の方々はむしろ冷静な様子で、「いや、研修内容はこれでいいんです。内容を変える必要はありません」ときっぱり。「うちの社員はクセが強いので、響くところがたぶん特殊なんでしょう。内容の届け方だけの問題だと思いますから」と、その後、いろいろなアイデアを双方で出し合い、やり方を少し変えました。で、その後の班は見違えるほどに高評価に転じたのでした。
私はこのときほど、研修講師と受講者の間にいる人財育成担当者の存在がいかに重要であるかを感じたことはありません。担当者にとって、
○私はこの研修コンテンツ・プログラムをあまたある中から選定した。
○うちの社員の傾向性はどんなで、
○今回の研修を通し、どういうメッセージを受け取ってほしいか。
○そのためにはどういうやり方が有効か。
ということが明快に押さえられている状態において、研修はすばらしいものになります。担当者の「想い・観」が据わっていればいるほど、研修講師はそれに乗せられる形になります。研修講師も社員受講者も、よい意味で、担当者の掌(たなごころ)にある状態は理想ともいえます。
大企業という組織で、人事・人財育成に関わる仕事というのは、ある一時期に任される業務であることも多いのが実情です。ジョブローテーション制度の中で、担当者は移り変わっていきます。そうした中で、人の教育に関し、「想い・観」を据えた“目利き”である担当者がどれだけいるでしょうか。
幸い、個人事業体として職人的にやっている私にお声掛けいただく担当の方々は、ほとんどが「想い・観」の強い人たちです。
ものの売り買いにおいては、どこか双方がにらみ合い、損得上の駆け引きとか、化かし合いがあるものです。ところが、私の携わっている研修サービスにおいては、買う方と売る方のそうしたギトギトした交渉はほとんどありません。サービスの最終ユーザである受講者に対し、講師も担当者も、どんなよい“学びの場”を提供することができるのか。その一点に向けて、「想い・観」でつながる関係のように思います。
私のキャリアの流れの中で、自然のうちにたどりついた人財教育・研修サービスの世界ですが、本当に気持ちのよい有難い世界に来たものだと感じています。今後もよい担当者、よい受講者と出会っていきたいと思います。そのためには自身の発信内容・発信力こそが肝腎なのでしょう。環境という外側からの反応は、すべて自分の内にある「想い・観」に応じて表れるものですから。