アラン『幸福論』
古今東西、数々の名著がきら星のごとくある中、
私がこのブログで推す滋養本として、何からはじめればよいか――――
その答えは簡単に出ました。
これまでの自分の著作や執筆原稿、研修講義の中で
どの本からの引用がもっとも多いだろうと考えてみたのです。
・・・その結果、世に言う「三大『幸福論』」がそうであろうと。
三大とは著者でいう、アラン、ヒルティ、ラッセルです。
今回は、アランの『幸福論』(白井健三郎訳、集英社文庫版)
を取り上げます。
すでにいろいろに手垢のついた言葉になってしまった気がしますが、
アランの記す「幸福」は、
ああ、幸福とはそういうことだったんだなという原点を
シンプルに力強く思い戻させてくれるものです。
彼が言い起こす幸福は、
動的で意志的、包容力があり、普遍性と高邁な精神に満ちています。
例えば、
・「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である」
(#44)
・「幸福だから笑うわけではない。むしろ、
笑うから幸福なのだと言いたい」
(#77)
・「外套ぐらいにしかわたしたちにかかわりのない種類の
幸福がある。遺産を相続するとか、
富くじに当たるとかいう幸福がそうである。
名誉もまたそうだ。
・・・(中略)
古代の賢者は、難破から逃れて、
すっぱだかで陸に上がり、
『わたしは自分の全財産を身につけている』と言った」
(#89)
・「悲観主義は気分に属し、
楽観主義は意志に属する。
・・・(中略)
あらゆる幸福は意志と抑制とによるものである」
(#93)
私がこの本で教わった極めて重要なことは、
「幸福とは、静的な状態ではなく、動的な行いそのものなのだ」
ということです。
アランの言う幸福は、徹底的に行動主義です。
上に挙げた「幸福だから笑うわけではない。むしろ、
笑うから幸福なのだと言いたい」という行動主義的幸福は、
いろいろなことに敷衍(ふえん)して考えることができます。
つまり、
平和などない。だから、平和を成すのだ。
正義などない。だから、正義を行なうのだ。
自由などない。だから、自由を活かすのだ。
愛などない。だから、愛するのだ。
健康などない。だから、健康をつくるのだ。
ある幸せな状態、もしくは、ある好ましい状態があって、
そこに自分が身をうずめて、いい気分でいるというのは、
真の幸福ではない。
むしろ、自身の置かれた状況が苦しくとも、厳しくとも、
何らかの理想に向かっているそのプロセス自体が、
実は本当の幸福である。
その結果として得られたものは、ごほうびに過ぎない。
――――私はアランの助けを借りて、幸福をこう咀嚼したことで、
自分自身、随分、頭がすっきりし、気がラクになりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アランは哲学者ということですが、
この本は、いわゆる哲学書の類ではありません。
幸福論と「論」の字が付いていますが、
原題は、『幸福に関する語録』となっており、
言ってみれば、短いエッセイ集(全部で93話)です。
しかし、最初は取っ付きにくいかもしれません。
彼独自のレトリックがそうさせるのかもしれません。
私は図書館に行って、まず、
アランの『幸福論』についての解説本をいくつか読んでから
この本をじっくり読みました。
そうしたほうが、読み方のツボがわかっていいかもしれません。