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2008年5月

2008年5月 6日 (火)

人財の離職と根付きの問題<1>


◆なぜ若手が簡単に辞めていくか

人事・人財育成担当者の共通の悩みのひとつは、

人財の流動化に伴う若手従業員の離職率の高さ

(=ヒトの根付きの悪さ)問題です。


・「入社1年、2年でいとも簡単に辞めていく」

・「3年で3割離職のほか、中途入社者の定着もよくない」

・「育ち盛りの4年目以降も、なにかソワソワしていて、

  いっこうに根付くような安定感がない」

・「異動希望制度や公募制度も持っているが、

  離職止め効果に一部の効き目しかない」

・「彼らの行動変容・思考変容をもたらすには、

  若手の研修にスキル習得・知識吸収ではない“何か”を

  施さなければならないと思う」・・・等々。


ヒトの離職と根付きの問題は、深く悩ましいものですが、

私が人事担当の方々にセミナーで話していることの要点は下の3つです。


1)すべては“働くマインド”という意識基盤をつくりなおすところから

2)人財はリテンション(保持)からボンディング(絆化)へ

3)安すれば鈍する:野ガモを飼いならすな


これらを以降3回に分けて書きたいと思います。



“働くマインド・観”の醸成がほったらかしの状態

まず私は、個々の働き手がキャリアを形成していく要素を

3つの層に分けて考えます。

(実際は3つに明確に分離できる層ではなく、

虹のように多色がグラデーション的に構成されるようなものですが)


【第1層】知識・技能(スキル):“HAVE”要素

【第2層】行動特性(コンピテンシー)・態度・習慣:“DO”要素

【第3層】マインド・観:“BE”要素


入社3年目や5年目にかけては、誰しも第1層、第2層は育ち盛りです。

仕事の場数を踏み、知識・技能研修を受けつつ伸びていく。


しかし、第3層という働く意識の地盤はなかなか形成されず、

それがぜい弱なまま、時が過ぎるのがおおかたの3年目、5年目でしょう。


たまたま、影響力のある上司の下で働くことができたり、

経営者の強烈で明確な哲学によって直接・間接に感化を受けたり、

自己啓発で自分なりの働く思想的なものを醸成したりして

第3層を形成することのできる人は、世間ではごくマイナーな存在です。


第1層、第2層は、他者からの教育が可能ですが、

第3層は、“自育”が原則です。

しかし、その自育を促してやるのは、組織側・経営側の問題です。


組織側は、とりあえず若手従業員が業務をこなしてくれるように

1層・2層への教育には手を施しますが、

3層に関しては、個人の問題であると放置しがちになります


一方、働く本人たちも、知識やスキルが一人前についてきたこと、

あるいは、ただ多忙に働いていることだけで、

何か仕事のできるプロになったんだという勘違いを起こし、

マインド・観への自問をしようとしない


それでも、1層・2層に関して、自分の棚卸しをし、

現職での仕事成果をそこそこに語ることができれば、

人手不足の昨今、情報をいろいろに集めて、人材紹介会社のドアをたたけば、

年収アップの転職がすんなり状況がある。


今の若い働き手の職選び・キャリア行動を観察してみると、

意志的・思惟的な基盤づくりへの進行がみられず、

功利的・反応的な“気分”によって流動し、

それをますます先鋭化させ(させられ)ている現状が感じられます。

(この傾向は、大人を含め世の中全体がそうなっているのですが)


◆組織と個が価値・目的の共有を図っているか

下図に「働く個」と「雇用組織」の理想状態を描いてみました。

060031p_2


個は、みずからの第3層を自律的に醸成し、

他方、組織は、従業員の第3層の自育を促す形で、

双方の価値・目的を共有化することが理想形となります。


ところが、現状は下のとおり

個々の第3層の醸成がおざなりになったままなので

個と組織の間での価値・目的の共有化がなされず

双方の結びつきは極めて脆弱な状態になっています。

060032p

そして、揺らぐ働き手たちは、

外部の雑多な転職情報の風に吹かれ、

あるいは、現職・現環境への不満や不安に対し辛抱がきかず、

安易に転職カードをきってしまうわけです。



組織内にカッコイイおじさんがいるか

したがって、揺らぐ若年層従業員たちの離職(安易な転職)を減らし、

人財として組織に根付かせるためには、

個々における第3層の醸成が必須です。


060033p



第3層は、自育が原則ですから、

まずもって個々の働き手がそのための行動を起こすことが求められます。

(そのきっかけを与える研修を開発するのが、まさに私の事業でもあります)


しかし、個の意識醸成のみでは不十分です。


組織側は、働く自律マインドの醸成を個々に促すよう

経営者や現場のマネジャーたちは、

肉声で「働くことの意義・思想・哲学・ビジョン」を語らねばなりません。


また、中高年社員たちがカッコよく働いているロールモデルが

社内のそこかしこに存在せねばなりません。

「年次が上がって、ああいうサラリーマンにはなりたくないよな」

と思われる人ばかりの組織に、

誰が永く勤めたいと思うでしょうか。

転職市場で自分が売れるうちに、どこかほかへ移ってしまおうとするのは

無理のない話です。


また、人財配置や異動の制度、処遇制度、育成システムなど、

制度・施策面の充実は言うに及びません。


そして忘れてはならないのは、

この組織は、働く1人1人とともに、

価値と目的をきちんと共有化していきたいという「姿勢」を示すことです。


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ヒトを根付かせ、人財として成長させていくには、

これら4つの要件に手を打ち、循環させてこそと感じます


すなわち、「個の意識」が変われば、その「組織文化」は変わる。

そして、その組織文化は、新しい「制度や施策」を生み出す。

そして、その制度・施策は、「個の意識」をさらに変えていく。

同時にその間、個と組織は、価値や目的の共有化を進め、深めていく。


ヒトが浮気性にどんどん流動していく、

そのやっかいな問題を解決するには、即効性のある妙策はなく、

実に地味で、中期的・継続的な手配りがあるのみではないでしょうか。



<補足>ヒトをないがしろにする組織の構図


最後に補足です。


世の中には、ヒトを大事にしない組織も多いようで、

下の図のような構造になっている企業も少なからず存在します。


060035p



つまり、

その組織の主目線は、売上・利益にあり、

その数値越しに、株主と顧客がいます。


そして、個々の働き手のマインド醸成などには関心を示すことなく、

働き手の能力のみを、売上・利益創出のための部品か何かととらえる。

そして個々の働き手の目線は、目先の成果目標に向かされる

・・・そんな組織です。


多少、いじわるな見方ですが、

実際このような構図になってしまっている組織は多いものです。


さて、次回は、

「人財はリテンション(保持)からボンディング(絆化)へ」

について書きます。



2008年5月 1日 (木)

組織文化と組織風土の違い


さて、前回、このカテゴリーでは、

自律的働き方、他律的働き方、そして第三の「合律的」働き方

について書きました。

きょうは、その発展形で、組織文化/風土について考えてみたいと思います。



「赤福」よ、おまえもか!

昨年、2007年の1年を表す言葉は「偽」。

メディアのニュースでは、

心無い企業・団体・組織による偽装が次々明らかになりました。


中でも、三重県出身の私にとって、赤福の一件は実にショックでした。

新興の成金ブランドならいざ知らず、

信頼しきっていた伝統の老舗ブランドなだけに。。。


しかし、考えてみるに、

老舗で、業界地位がゆるぎなく、

オーナー家の強い支配経営であればあるほど、

こういった問題が起きやすくもあります。


つまり、

オーナー家の歴代経営者は、

自らの律が支配的かつ成功的な状況が永く続くことで

いつしか自律の悪い面である「我律」(=俺様ルール)の上に

あぐらをかいてしまいます。

「我律」はいつも、結果的に自己中心的な逸脱・暴走を招きます。


また、その下で働く従業員たちは、

何かおかしい、世間感覚とズレていると感じつつも

いつしか他律的に陥り、経営トップのやり方に従順になっていきます。

(おそらく、途中で勇敢に意見する人もあったかもしれませんが、

やむなく去っていったのだと思います)


真に強い組織、優れた組織というのは、

組織のトップも個々の構成員も、

自律と他律を超えて、「合律」という第三の行き方を志向する組織であると

前回の記事で書きました。


その文脈で赤福の一件をとらえるならば、

株式会社赤福という事業組織において

オーナー家の経営者は、

自分の律をゆがんだ形で押し進め、

社会の律(=他律)との間で“合律”を図らなかった。


また、関連する従業員も

いつしか事なかれ的に他律に流れてしまい、

製造者としての自らの良識や知恵(=自律)に照らし合わせて、

経営層との間で“合律”という創造的な行動をとらなくなっていた。


そうした状況が、次第に硬直した組織風土となり、

赤福という閉鎖的な空間の中で、

経営者や従業員に一種の重力となって作用していた。

そして問題は、世間ににじみ出た。

――――そのように私はみます。


こうした状況は、赤福に限ったことではなく、最近問題となった

石屋製菓(「白い恋人」の製造元)にしても、ミートホープ社にしても

同じような構図が見出せると思います。



文化は「手で耕すこと」・風土は「勝手に漂うもの」

確かに、赤福という商品自体には、300年の歴史や文化があります。

しかし、だからといって、

自動的に株式会社「赤福」という事業組織に、

それに釣り合う“組織文化”があるのでしょうか? 

――――そうとは限りません。


なぜなら今回のような一件は、

組織文化が引き起こしたのではなく、

組織風土が引き起こした、いわば風土病の一種だからです。


「組織文化」と「組織風土」はよく似通った意味で使われますが、

本記事のここからは、

これら両者の違いについて、私なりの解釈を書きたいと思います。


まず、両者の違いを図にまとめてみました。


03005

文化と風土の違いは、実は英語表記で考えると明確です。

文化は“culture”、「手で耕す」という意味です。

風土は“climate”、これは「天候」の意味です。


つまり、文化は、耕すという意志的・肉体的な努力が必要なのに対し、

風土は、人間の努力のあるなしに関わらず、

何かしらそこに漂い覆うものです。


また、文化は意志的であるがゆえに、

その中核には理念・哲学といった価値が必要で

(たいていは組織の中心者が強く設定します)、

個々の構成員はそれに対し、

共感・共振をもって積極的に受け入れようとする。

その結果、組織全体は、熱を帯び、動的に

ある種の方向性とスタイルを持って、外界の変化に対応しながら成長を志向する。


そこには、組織の中心者と個々の構成員が、

自律と他律をわきまえ、

合律という第三の行き方をつくり出していこうとする動きが

当然のごとく起こっている。

組織が持つこうした志向性・志向様式・帯熱を、

私は「組織文化」と考えます。



他方、「組織風土」は、成り行きで形成されてしまうものです。

風土の形成には、組織の中核となる理念や哲学めいたものは必要ありません。

風土は、多分に雰囲気的で散漫としたものです。

その際、風土それ自体は、善でも悪でもない。


ただ、もし、その組織に“有利なご都合・既得権益”のようなものがある場合、

組織の中心者は、それを「我律」として張り、

構成員たちは消極的「他律」として、

それを受け入れる(決して共感・共振はしていない)ときがあります。


こうした空気が組織を硬直的に覆って、

一種の重力として組織員の行動に歪みを生じさせ、習慣化したとき、

それは「風土病」となる。


私が、赤福の一件を、風土病と言ったのはこうした考えによるからです。



◆風土から文化への昇華ステップ

風土と文化は、きっちり明確に分けることはできませんし、

実際の企業は、風土面と文化面を混合して持っていることが

現実の姿であろうと思います。


しかし、私も仕事でさまざまな事業組織をみてきましたが、

独自に明瞭で強い組織文化を持っているところは数少ない気がします。


組織文化を形成するためには、

1)基軸となる価値(理念/哲学)を据える

2)その価値に対して、個と全が共振して、熱を帯びる

3)その価値を具現化した志向性・志向様式を共有する


これら3つのステップがざっくり必要になりますが、

1番目はどこの組織でも簡単にできます。

(組織が掲げる理念・ビジョン・バリューの表明はホームページに溢れています)

要は、2番目以降がうまく動き出すかです。


そのための第一歩は、

組織のトップ、および、個々の構成員が、

自律と他律を超えて、

合律的な創造解をつくり出そうとする意識から始まります。


赤福の名の由来は、「真心を意味する赤心慶福」だと聞きました。

経営者は我律を見直し、

そして関連した従業員は他律を排し、

何がお客様にとって「赤心慶福」であるのかという合律の目線から

謙虚な出直しを期待したいところです。




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