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2008年5月

2008年5月11日 (日)

自立から自律へ、そして自導「セルフ・リーダーシップ」へ <下>

前回から2回にわたって
・職業人の内的成熟過程「自立→自律→自導」
・自導=「セルフ・リーダーシップ」
について触れています。

前回、リーダーシップには、どうやら
・外(他者)に向けたリーダーシップ<outward leadership>と、
・内(自己)に向けたリーダーシップ<inward leadership>の
2つがありそうだと書きました。
そして、後者を特に「自導:セルフ・リーダーシップ」として考察しています。

◆自分を導くもう1人の自分
セルフ・リーダーシップについては、これまで、
一般的なリーダーシップ(outward leadership)ほどに多くが語られてきた
わけではありませんが、
『7つの習慣』で有名なスティーブン・R・コヴィー氏は
その「第二の習慣」<目的を持って始める>の中で、
“自己リーダーシップ(personal leadership)”として打ち出しています。

セルフ・リーダーシップをとらえる上でミソとなるのは、
「何が」己を導くのかということです。
それはおおいなる目的(夢/志、大義なるもの)であり、
抗し難く湧き起こってくる“内なる声”、“心の叫び”であり、
それを覚知したもう一人の自分でもあります。

セルフ・リーダーシップなる言葉を使わずとも、過去から賢人たちは
そのようなことに言及してきました。

例えば、世阿弥は『花鏡』の中で、 「離見の見」 と言っています。

つまり、演者自身の目線は「我見」 、観客の目線は「離見」
舞いを究めるには、我見・離見を越えて第三点から見晴らす「離見の見」
を持たねばならないという考えです。
「離見の見」とは、現実の自分を冷静に見下ろすもう一人の自分をこしらえ、
それが導き役を果たすという発想であり、
まさにセルフ・リーダーシップに通じるものです。

アーティストの世界はこれが顕著です。
パブロ・ピカソの言葉に、
 「着想は単なる出発点にすぎない・・・
 着想を、それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
 仕事にとりかかるや否や、
 別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ・・・
 描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。

同じく画家、中川一政は自身の著書『腹の虫』でこう書いています。
 「私の中に腹の虫が棲んでいる。
 山椒魚のようなものか海鼠のようなものかわからないが棲んでいる。
 ふだんは私はいるのを忘れている」。

ピカソにしても中川にしても、
描いているのは現実の自分の手と筆であるが、
それを操り、絵の完成に導いているのは、
別の何か、もう一人の自分、あるいは「腹の虫」だというのです。

また、リクルート社の企業メッセージは「Follow Your Heart」。
これもまた、内面から湧き出る心の声に、自分を従わせていきなさいというものです。

いずれにしても、仕事を成す、自分を成すうえで、
セルフ・リーディングの重要性は、各所でさまざまに語られてきました。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ 

◆自立=船・自律=コンパス・自導=地図
さて、今回触れたセルフ・リーダーシップに関わることを私なりに
まとめてみた図が下です。

03008

私は、職業人の内的成熟を3フェーズに分けます。

●1:「自立」フェーズ
まず、自らを職業人として「立たせる」段階です。
知識や技能を習得し、一人立ちして業務を処理できるようになる、
そして、自分の稼ぎで生計を立てられるようになるというのがこのフェーズです。
養うのは「才気」。
能力を「持つ」、生活を「保つ」が基本動詞です。
反意語は「依存」です。

●2:「自律」フェーズ
自分なりの律を持って、自分を「方向づけ」できる段階です。
律とは、倫理・道徳観、信条・哲学、美学・型(スタイル)のようなもので、
仕事に独自判断と個性を与えられるようになるのがこのフェーズです。
養うべきは、物事のright or wrongを判別して、選択できる意志です。
「決める」、「動く」が基本動詞。
反意語は「他律」です。

●3:「自導」フェーズ
自らが描いた目的によって、自らを「導く」ことのできる段階です。
目的とは、「目標像+その意味・意義」のことです。
このフェーズの特徴は、
想いとか、夢/志、使命を覚知したもう1人の自分が自分の内にいて、
それが現実の自分を導くということです。
必要なのは、「勇気」であり、「覚悟」です。
基本動詞は、「描く」「(リスクを負って)踏み出す」「拓く」。
反意語は「受導・漂流・停滞」。

なお、私たちはこの3フェーズを時系列的に成長していく場合と、
同時並行的に深め合う場合と両方あると思います。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ 

◆自導は、自立・自律の再構築を促す
航海のアナロジーを用いるとすれば、
自立は「船」=知識・能力を存分につけて自分を性能のいい船にする
自律は「コンパス」=どんな状況でも、自らの判断を下せる羅針盤を持つ
自導は「(目的地を描いた)地図」=自分はどこに向かうかを腹決めする

おそらく、20代は自立と自律が大事になる期間でしょう。
そして、30代に入ると、自律・自導が大事になります。
さらに、30代後半からは、いかに自導を強めるかで
その後のキャリア・人生が決まってくると思います。

30代前半までは、自立・自律がなされていれば、
つまり自分という船がしっかりできていて、羅針盤も持っていれば
会社組織の与えてくれた地図(=「受導」の状態)に従って、
それなりに仕事人生は回っていく。
しかし、それは結局、他人の都合で描かれた地図の上
行ったり来たりさせられているにすぎない。

だから、その人には、真の活気が湧いてこない。働く発露がない
そうこうしているうちに、嫌な目的地に行かされる場合も出てくるし、
組織の用意する地図自体がうやむやになってくる場合も出てくる。
そして、自立もし、自律もしているビジネスパーソンが、
30代後半から漂流、停滞を始めてしまう。
真面目であればあるほど、うつを病んでしまうことにもなる・・・。

だから、自導が大事なわけです。
ひとたび、自分の中に大いなる目的を持てば、
エネルギーが無尽蔵に湧き上がってくる。

そして、その目的地(当初は目的方向・目的イメージでもよい)に合わせて、
船体はこれで大丈夫か、船体を補強する必要があるぞ、とか、
もっと精度のいいコンパスを持ったほうがいいぞ、とか、
自立や自律を補強する意識も生まれてくる。

このポジティブでアクティブな状態がまさに
目的を覚知したもう一人の自分が、現実の自分をリードする状態なわけです。

◆キャリア形成の要は「空想力」だ
キャリアをたくましく拓くためには、
「己を空想(妄想でもいい)すること」が第一です。
その空想が、現実の自分をいかようにでも引っ張り上げてくれるのです。
その空想を実現しようとするとき初めて、
既得の知識・技能の再構築が起こり、
新規の知識・技能の獲得に向けてもりもりと意欲が湧き起こる。

例えば私自身、この人財教育分野の仕事は新参者です。
私のコアスキルは何かと問われれば、
以前は、商品開発、情報の編集といった分野でした。
しかし、7年前、「教育」をライフワークにしようと腹を括った瞬間から、
すべてが変わりました。
過去に培った知識・技能は、教育の角度で再構築され、
不足している知識・技能を新たにどんどん吸収していきました。
新しい目的の下に、新たな自立と自律の編成が自分の中で起こったのです。

そしていま、日々の仕事をするにあたって、
自分の描いた理想とする教育サービス像、理想とする研修事業者像が
自分を導いてくれているという実感です。

こうした自分の実感もあり、
職業人教育において、もっともっと強化すべきは、
業務処理のための知識伝授や技能修得ではなく、
実は、「想いを描く能力」ではないのかと思う昨今です。

最後に、ウォルト・ディズニーの言葉:

 「夢見ることができれば、成し遂げることもできる」――――。

夢を描く人は、自己をリードできる。
しかし、夢を描かない人は、自己をリードできない。
自己をリードできないから、どこにもたどり着けない。
それでは人生が“もったいない”と思う。

自立から自律へ、そして自導「セルフ・リーダーシップ」へ <上>


◆「自律的」では不十分である!

私が行なっている人財研修事業のコアサービスは、

『キャリアの自律マインド醸成研修』と名づけているものです。

大小いろいろと手を入れて、かれこれ5年間続けてきました。


日々の“働く”にあたって、

「自立」とはどういうことか、

「自律」とはどういうことか、

そして、それらを越えて「合律的」働き方とは何か、等々を、

理屈の理解ではなく、「行(ぎょう)」として腹に落ちるように

研修プログラムを組んできました。


企業の研修分野において、

従業員を「自律的」働き方のできる人財に育てよう、という流れは

現在、誰も否定する人はいません。


これはこれで、その通りだと思います。

だから、私も働き手の自律心を涵養するサービスを今後も続けていきます。


ただ、ここにきて、それでは不十分であることに

私自身、気づき始めています。


企業の研修の現場に立つと(とくに大企業の場合はそうですが)、

5年目以上の社員の中には、

自律心がある程度確立されていて、自律的にちゃんと働ける人が

少なからず見受けられます。


彼らは、自律的に自らの判断基準で状況を判断し、

自分で行動を起こすことができます。

上司に対しても、組織に対しても意見を言うことができるし、

担当仕事の目標設定や納期、品質もきちんと自己管理ができます。

すでに部下を持って、彼らを動かしたり、

そうでなくとも後輩の面倒をみたりするなど、協働意識もあります。


しかし、そんな自律的な彼らであっても、「何かが足りない」・・・

かけがえなく働く一職業人として、確かに「何かが足りない」、

というか「何か満たされていない」ように思える・・・


◆天安門で戦車の前に立つ青年が示すもの

それが何なのかが、ぴーんと来たのは、

『リーダーシップの旅』(野田智義・金井壽宏著)

の中の一節を読んだときでした。

その箇所を抜き出してみると、


・・・・・・・・・

「皆さんはリーダーと聞いて、どんな人をイメージされますか?」

すると、未だ三十代と思しき白人男性が立ち上がって答えた。

「天安門広場で戦車を止めようとして一人で立ちはだかった、

名も知れぬ若い中国人の男性」。

(中略)

あの(天安門の)青年はきっと特別な人間でも、エリートでもないだろう。

自分が戦車を止めることで実現されること、

その何かを見てみたいと思い、

たった一人で足を踏み出したに違いない。

「他の人が見ない何かを見てみたい」という意志をもつあらゆる人の前に、

リーダーシップへの道が開けていることを、

彼の行動は示しているのではないか。

・・・・・・・・・・


著者の一人である野田さんは、

リーダーシップの原点が、

この天安門で戦車の前に立った一青年の姿にあるという。


青年が命を賭してその行動に出たのは、“内なる叫び”に従ってのことである。

それは、自らの内なる叫びによって、自らを導いたといってもいい。

そして、その勇気ある行動は、他の人びとを感化し、

結果的に、他の人びとを導くこととなる。


つまり、リーダーシップとは、

「リード・ザ・セルフ」を起点とし

「リード・ザ・ピープル」、「リード・ザ・ソサイアティ」と変化していく。

こういう段階的成長のうちに、

自己をリードする人は、結果的に他者をリードする人になる。


□ □ □ □ □ □ □ □ □

◆足らないのは“内なる声”によって「自らを導く」力

私が、研修の現場で、自律的に振る舞える人たちに

「何かが足りない」と感じていたのは、

つまるところ「セルフ・リーダーシップ」なのだと強く思いました。


「セルフ・リーダーシップ」とは、

他者を導くリーダーシップではなく、

自分自身を導くリーダーシップのことを言います。


セルフ・リーダーシップをここでは、「自導」という言葉で書き表しましょう。

さて、「自律的」であることと、「自導的」であることは、

多少重なりはあるものの別ものであるように思います。


自律的に働く人は、自分の律(規範やルールあるいはスタイル)を持って、

業務上、さまざまに出くわす出来事に対し、

自分なりに判断し、自分なりに行動をする人です。


一方、自導的に働く人は、

自らの“内なる声”を聞き取ることができ、

働く目的(目標像+その意味・意義)を描き抱いています。

そして、その目的によって、自らを導くように、

働き、キャリアを形成していく人です。


だから、自律的ではあるが、自導的でない人は存在します

つまり、日ごろ大小の業務は巧みにやりこなせるけれども、

中長期の自分をどこへ導いていっていいか分からない人は多い。

また、経営側(他者)から出される理念や方針に対しては

いろいろと批評や意見を加えられても、

自分自身の夢や志なるものをふくよかに語ることのできない人は多い。


譬えて言うなら、

自分という船をしっかり造って(=自立)

羅針盤もきちんと持っているが(=自律)

さて、どこに自分自身を導いていっていいのかが分からない、見えない。

つまり、目的地を描いた地図を持っていないのです(=自導でない)



◆職業人としての内的成熟過程「自立→自律→自導」

私は、職業人としての内的成熟過程を

「自立から自律へ」と2段階で考えていました。

(自律から斜め方向へ「合律」という半ステップも設定しましたが)

しかし、自律のその先に「自導」というもう1段階を加えた方がよさそうです。


なぜなら、十分、自律的な人であっても、

・中長期のキャリアという海原の中で漂流してしまうことがある

・働くことに真の活気がない。身体の奥底から湧き出でる輝きがない

・“うつ”になることだってある

からです。


ですからこのビジネス社会、事業組織にあって、育成すべきは、

自らを立たせ、自らを律することのできる人財であり、かつ、

自らを導くことのできる人財であると確信しています。


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さて補足的に、私なりに整理した図を掲示しておきます。


Pict1

次回は「自立→自律→自導」、「セルフ・リーダーシップ」について

さらに考察を深めたいと思います。



2008年5月 8日 (木)

サラリーマンは“ニブリーマン”になるなかれ!


R薫風心地よい5月のGW最終日、

私はぶらり自転車で近所の味の素スタジアムに行き、

当日券を買ってJリーグの試合観戦をしました。

(FC東京vs名古屋グランパスエイト戦:結果は0-1)


私はサッカー観戦をちょこちょこやりますが、

いつも気になるのが、リザーブ(控え)の選手たちが、

華やかな緑のピッチの脇で、試合中、幾度もダッシュを繰り返しながら

身体を温めて準備している様子です。


彼らに出場機会があるかどうかはまったくわからない。

むしろないことのほうが多い。

出られたとしても、後半残り10分くらいのときかもしれない。

場合によっては、チームがリードしている情勢で、

少しの時間稼ぎのための交代だってある。


しかし、そんなわずかな出場でも、チャンスはチャンス。

リザーブの選手にとっては、死活問題です。


◆サッカーの思い出:補欠選手のはがゆさ

私も小学生のころ、サッカー少年でした。

練習は真面目でしたが、万年補欠で、

ついぞレギュラーのポジションは得られずじまいでした。


いつも出場は、後半30分あたりから。

その交代とて戦略的なものでなく、監督のおはからいによって、

「村山は練習真面目だしな、ちょっと行ってこい」みたいな、そんな感じでした。


モチベーションという言葉は、子供のころは知りませんでしたが、

補欠選手として「やる気」を自分の中に維持するのは

ほんとうに苦しかったという記憶だけ残っています。


「きょうも人情交代だろうなぁ」と思うと、朝起きるのがおっくうになる。

母親が弁当を豪勢に作ってくれればくれるほど申し訳ない気がする。

試合を補欠席でみていて、レギュラー選手の巧さに「やっぱすごいなー」

と劣等感を覚えるのと同時に、

レギュラー選手がヘマをすると「俺なら、ああするのに、コンチクショー」

とアタマに血が上る。

試合後の昼食時、レギュラー選手たちは試合の内容をあれこれ談議して

盛り上がる。その横で、補欠組は、黙々と弁当を食う・・・


だから、私は、ピッチの脇で黙々と身体を温め、

「俺を出せ。俺を使え」と無言のアピールをしている選手たちの気持ちが

少なからずわかります。

しかも、彼らには生活がかかっている。


◆目の前の仕事は「チャンス」に溢れている

さて、話を「働くこと」に移しましょう。


平成のビジネスパーソンたちは、「働くこと」のチャンスに

どれだけの感謝と、それを面白がる心持ちでいるでしょうか?


過酷なプロスポーツ選手ほどではありませんが、

ビジネス現場での1つ1つの業務や仕事、プロジェクトは

ある意味、勝負事であり、

ストレスやプレッシャーと戦いながら、

より高いパフォーマンスや結果を出していかねばならない有給の任務です。


仕事は、実にさまざまなチャンス(機会)を私たちに与えてくれます。

つまり仕事は、

・自分の可能性を開いてくれる成長機会であり、

・さまざまな人と出会える触発機会であり、

・何か事を成し遂げることによって味わう感動機会であり、

・学校では教われないことを身につける学習機会であり、

・ひょっとしたら自分も有名になれる名声機会であり、

・あわよくば一攫千金を手にすることもある財成機会でもある。

◆「チャンス」への感覚が鈍くなるサラリーマン

私は17年間のサラリーマン生活をやめて、5年前に独立しました。

独立後、劇的に意識が変わるのが「お金」と「チャンス」への向き合い方です。


会社で宮仕えをしている身であれば、給料は安定的に支払われますし、

仕事は何かしら自動的に振られてきます。

したがって、サラリーマンにどっぷり浸かっていると、

どうしてもカネとチャンスに対して意識が鈍化しがちになります。


その点、自営業で、独り世の中に対峙すると、

いやがうえにもカネとチャンスに対して意識が先鋭化してきます。


よいチャンスの獲得は必然的にカネを呼んできますから、

特にチャンスは決定的に重要だと認識するようになります。


サッカーの話を再度すれば、

日本代表としてピッチに立てるのは11人だけです。

欧州リーグでプレーする実力選手ですら代表に選ばれない場合もありますし、

代表に選ばれたとしても試合に出られない場合も多々あります。


残り数分で交代という出場でもかなり幸運と思わなくてはなりません。

実力があっても、仕事ができない、仕事舞台にすら立てないというのが

厳しいプロスポーツの世界です。


ですから、チャンスを得たことに自然と感謝の念が湧き、

過酷なプレッシャー下でも「楽しんでやろう」とするのが、

真のプロフェッショナリズムの心情だと思います。


深い次元の仕事の「楽しみ」「喜び」とは、

感謝や自負心、使命感から生まれます。


◆小さな仕事はない。仕事を小さくしている人間がいるだけ

さて、会社員のみなさんの目の前には日々、大小さまざまに

会社側から仕事が振られてきます。

些細な雑務、ヤボ用、単純作業、外回り、いやな上司からの無理難題・・・

どれだけその仕事がつまらなくても、会社員は幸せな類です。


なぜなら、

すくなくとも、ピッチの上に立って、それが行なえるという状況なのですから。

ある意味、労せずして、レギュラーポジションを確保している身です。


小さな役はない。

小さな役者がいるだけだ。


とは、演劇の世界の言葉ですが、

そのつまらない仕事を活かすも殺すも、結局は自分次第です。


与えられた仕事に対し、

それをチャンスだと認識しなおし、

どれだけ深い次元で「楽しむ」ことができるか――――


仕事を深く「楽しむ」ことができれば、おのずと

・いい成長

・いい出会い

・いい感動

・いい学び

・いい評判

・いい収入

「ごほうび」として待ち受けていることでしょう。


同じ会社員でも、チャンスに鈍い「ニブリーマン」となるか、

それともチャンスに感謝してそれを深く楽しむことができる

「ビジネス・プロフェッショナル」となるか・・・

すべては自分の心持ちひとつ。



2008年5月 7日 (水)

人財の離職と根付きの問題<3> 安すれば鈍する


3回連続で触れている「ヒトの離職と根付きの問題」ですが、

きょうはその最終回、3番目について書きます。


1)すべては“働くマインド”という意識基盤をつくりなおすところから

2)人財はリテンション(保持)からボンディング(絆化)へ

3)安すれば鈍する:野ガモを飼いならすな


* * * * * * * *

さて、冒頭、話が脱線しますが、写真の話をさせてください。

私は雑誌の編集に長く携わったこともあって、写真には関心があります。

写真集もさまざまに観ます。

私が先般、米国のアマゾンで購入したのは、

犬のラブラドールレトリーバーの写真集です。


その写真集は、ペットとしてかわいい、甘~い犬の写真集ではありません。

「猟犬・ラブラドールレトリーバー」の姿を撮った

凛々しくもたくましい写真集です。


その写真集は、北米の大自然の山中で猟師に同伴するレトリーバー犬を

写しています。

レトリーバー犬とは、その名のとおり、

猟師が射止めた野鳥をすぐさま探し出し、

猟師のもとへくわえて持ってくる(retrieve)ことを習性づけされて

配合された犬種です。

猟師が遠くの空に銃を構え、一羽の鴨に狙いを定める、

そして、その銃口が火花を散らそうとする瞬間、

その脇で、じっと銃の向く空の先を見つめるレトリーバーの姿は

とても美しいものです。

眼光は集中して鋭く、2つの耳は前方に向け大きく尖り、

銃声が鳴り響くその刹那に全速で走り出せるよう全身の筋肉は

エネルギーに満ちている。


そして、鴨の落ちた草むらの中に突進していく姿、

池の中に躊躇なく飛び込むその躍動的な姿。

そして、射落とされた鴨を探し当て、猟師のもとに、口を血で汚しながら

くわえて戻ってくるその勝ち誇った顔・・・。


私は、この写真集を観て、

レトリーバー犬本来が持つ美しさを知りました。

やはり、生き物は、本性を輝かせている姿こそ見応えがあるものだと。


その点、過剰に愛玩的に飼われているレトリーバーたちの

目の死んでいること、身体のだれていること、

本性がくすんでいることといったら・・・

(まぁ、それはイヌ本人はいかんともしがたく、飼い主・飼い方によるものですが)


* * * * * * * *


◆組織にポジティブに根付くヒト・ネガティブに根付くヒト

さて、本題に入ります。


組織におけるヒトを考える場合、

離職(流動)も問題ですが、その根付き(定着)も問題です。

離職については前回、前々回で触れていますので、

今回は、根付きについて触れます。


私たちは、組織の中のヒトの根付き方に2種類あることを知っています。


一つには、組織に安住し、成長を止め、保身で根を張ってしまうヒト

もう一つには、組織の価値・ワークスタイルの体現者して

どっしりと根を下ろすヒト


前者はネガティブな根付き、後者はポジティブな根付きです。


ヒトを中長期レンジで雇用保持するという人事方針は、

それ自体望ましいものではあります。

ヒトは雇用され続けるという生活の基礎部分が安定・安心してこそ、

心を落ち着かせ、忠誠心をもって力を出すことができます。

しかし、それは同時に、いつしか安穏・安住を生じさせ、

怠惰・保身を生むことにもつながりかねません。


つまり、“安”(安らか)という状態は、

ヒトをその後、善悪両面どちらにも導く可能性をもっています。

しかし、私は、これまでいろいろな組織とその働き手に接してきましたが、

経験上、どちらかというと、

“安すれば、鈍する”という現象をより多くみてきました。


もっと正確に言えば、“安のみ”の状態では、ヒトは、

鈍になり、惰になり、滞になる、といったネガティブな方向に

堕しやすい事実があるのです。


◆安穏・安住を排するための競争原理・・・その結果は

“安のみ”では、ヒトがダレてしまう・・・

したがって、中長期に“悪い根付き”をしてしまう。


そのために、組織は何が必要だったか。

―――――そう、「競争原理」の導入が必要だったわけです。


競争という刺激、緊張感、そしてある種のリスクは、

確かにヒトがダレることを防止するものです

したがって、

「安+競」の環境では、ヒトは“よい根付き”をするように思えます。


しかし、昨今の成果主義はうまく機能していない。

それは、なぜか?


その理由は、今回のこの文脈で整理すると、

一つに、成果の判断基準が単純に定量化された数値になりがちだったこと。

一つに、そこでの競争は、限られた原資(パイ)の中での

ゼロサムの奪い合いであったこと。

一つに、「敗者は去れ」のごとき雰囲気によって、「安」の部分が脅かされたこと。

一つに、その成果主義導入の意図や目的が労使で共有されなかったこと


つまりは、質の悪い競争、大いなる目的のない競争によって、

ヒトが“よく根付く”どころか、

ヒトが疲弊して、心が離散していくという真逆の結果を生んでしまったわけです。



◆経営者の自覚・働く個の自覚

文章が長くならないうちに、私の結論から申し上げましょう。


ヒトを“よく根付かせる”ためには、

「安+競+覚」の3要件を満たすことです


まず、「安」(=働き手に安心と信頼を与える雇用方針・システム)をベースとして、

適切・適度な「競」を敷く。

この場合の「競う」とは、個々に対し、

定量的な比較相対の競争を強いる評価処遇“制度”ではなく、

「競創・共創」ともいうべき組織“文化”をいいます


つまり、個々が相互に刺激し合いながら創造性を組織全体で

膨らませていくという「競い合い・つくり出しあう風土」です。


そしてその「競」を適切・適度に活性化するために、「覚」が要る。

「覚」とは、自覚、すなわち「自らを覚る」ことです。


経営・組織側は、事業上の哲学・意志を明確に自覚し、

メッセージを発しなくてはなりません。


他方、個々の働き手は、その哲学・意志・メッセージに対し、

自分の価値観や想いとどうすり合わせ、

共有していくかを自覚せねばなりません。


結局、ヒトが悪い根付きをしたり、逆に離散したりするのは、

“安”のみ、“競”のみで、

“覚”が欠落しているがゆえの結果であるように思います。


公務員のすべてを非難するわけではありませんが、

公務員という職種は、本来的に、組織に保身的・依存的に

悪く根付いてしまう傾向性をはらんでいます。


なぜなら、絶対的な“安”(国からの雇用保障)に守られ、

職場には“競”もなければ、

「良心に基づく公僕」であるといった“覚”も希薄化しているからです。


また、その逆の振り子として、

ヒトを動かすのに競争原理を持ち込んだ民間企業もさえません。


私は、いくつかの企業で、成果主義導入における

精巧な評価処遇システムをみてきました。

それらシステムは、実に、綿密に設計されています。

ジョブの分解のしかたと係数処理の方法、評価ポイントの区分けとレベル毎の記述、

原資の配分表、考課者の留意項目、等々。


しかし、こうした制度を「設計屋さん」にいくら精密に組んでもらったところで、

所詮、それを用いる労と使の双方で、

「なんのため」という“覚”がなければ、

「立派な箱をつくって、魂入らず」です。

“競”をあおるだけの制度は機能しないことの証となりました。


簡潔にまとめると、

“安”のみでは、ヒトは“鈍”する。

“競”だけでは、ヒトは“耗”する。

しかし、根底に“覚”があれば、ヒトは“鋭”となり、“活”する。

そして、ヒトはその組織によく根付く。  ・・・・ということでしょうか。


* * * * * * * *


IBM社の教訓:野ガモを飼いならすな

最後に、IBMの伝説的な経営者であるトーマス・ワトソン・Jr.の言葉を紹介しましょう。

彼はIBMに必要な人財について、よく「野ガモ」の寓話を用いました。

この寓話は、デンマークの哲学者キルケゴールが説く教訓です。


「ジーランドの海岸に、毎年秋、

南に渡る野ガモの巨大な群れを見るのが好きな男がいた。

その男は親切心から、近くの池で野ガモたちに餌をやるようになった。

しばらくすると、一部のカモは南へ渡るのが面倒になり、

男の与える餌を食べてデンマークで冬を越した。


やがて、残ったカモはますます飛ばなくなった。

野ガモの群れが戻ってきたときには、輪になって歓迎したが、

すぐに餌場の池に引き返した。

3、4年も経つと怠けて太ってしまい、

気づいたときにはまったく飛べなくなっていた。


キルケゴールの説く教訓は、

野ガモを飼いならすことはできるが、

飼いならされたカモを野生に戻すことは決してできないというものである。

飼いならされたカモはもうどこへも行くことはない、

という教訓を付け加えてもいいだろう。


私たちは、どんなビジネスにも野ガモが必要なことを確信している。

そのためにIBMでは、野ガモを飼いならさないようにしている」。


*以上、『IBMを世界的企業にしたワトソンJr.の言葉』朝尾直太訳

(英治出版)より



人財の離職と根付きの問題<2> 保持から絆化へ


前回から引き続いて、ヒトの離職と根付きの問題に触れます。

この問題で、組織の人事に関わる方々へのメッセージは下の3つでした。


1)すべては“働くマインド”という意識基盤をつくりなおすところから

2)人財はリテンション(保持)からボンディング(絆化)へ

3)安すれば鈍する:野ガモを飼いならすな


今回は2番目の項目についてです。


◆広がる「リテンション」のニュアンス
ところで、

人事の分野で「リテンション」という言葉はすでに一般化されてきました。

と、同時に、意味が拡大化されてきているようにも思えます。


リテンションとは、本来、

保持したい特定の人財、例えば、ハイパフォーマーや

競合他社に引き抜かれてはまずい高度な専門知識人など、

といったターゲットを設定し、

彼らに物理的報酬なり心理的報酬なりを用意して、

その流出を防ぐ施策をいいます。


ところが、現在では、

そのリテンションの対象が全社員まで広がり、

ともかく「うちは離職率が高いな。人の採用にも高いコストが

かかってるんだ、何とかせい!」などと、

社長や役員から発破がかかって、


「はてさて、社員の引き留めに何か手を打たねば

(自分の職責が問われるゾ・・・)」といった現場担当者から

にじみ出る雰囲気も感じられます。


いずれにしても、リテンションという言葉は、

限定的人財の留保施策から

従業員を広く辞めさせない諸施策へと含みを拡大しつつあります。


◆3年で3割は今に始まったことではない

で、後者の部類に属すると思われる、例の「3年で3割が離職」問題ですが、

私はまず、その統計数値自体に

オドオドする必要はないのではないかと思っています。


「3年で3割が離職」は、周知のとおり

厚生労働省の『平成17年版 労働経済の分析』の中で詳しく指摘されています。


それをみると、大卒の採用者について、

入社後3年目までに辞めていく数値は、

10年前でもやはり30%弱あったわけです。

ここ数年、急に離職率が高まったということではありません。


しかも、同分析書の中の他の部分で紹介されているとおり、

そうした若年層労働者の転職動機として、

「もっと収入を増やしたい」は少なからずの回答率(25%程度:第2位の回答)

に上っていますし、

また、働く目的については、

「自分の能力をためす生き方」が減少する一方、

「楽しい生活をしたい」が大幅に増え(37%程度)、

第1位の回答となっています。


これらの回答をする人たちをひっくるめて、

功利的だとか、快楽的だとかの決めつけはできませんが、

そういう時代特性、ジェネレーション特性があるのだということを含めて考慮すると、

3割が辞めていくという数値は、驚くべき値ではなく、

自然現象として起こってしまう率なのかもしれません。


ましてや、転職紹介ビジネスは高度化し、情報流通量も格段に増えました。

しかも、人手不足が深刻化している社会情勢です。

当面、3年目の離職率3割台継続は必至でしょう。

(人によっては、早晩40%を超えるという分析予想もあります)


しかし、背景・要因はともあれ、人財が流動化するということは、

新しく人財を採りなおすという新陳代謝のチャンスの面もあります。

第二新卒の転職市場が活況を帯びているのもそのためです。

だから「3年で3割が・・・」という数値だけをみて、

それを問題視するのはあまり意味がないと思います。


加えて、ヒトが辞めないで、組織に長く根付くことが全面的にいいことなのか、

これも両面の議論があります。

詳しくは、次回触れますが、同じ根付くにしても、

よき人財が根付くのは歓迎ですが、

どこにも行きようのない市場価値の低い人材が、

保身・依存心で根付くことは歓迎できません。


そう考えると、ヒトのフローの問題へのアプローチとして、

「離職率が高いのでそれを下げよ=辞めていこうとする人間をリテンションせよ」

という茫漠としたテーゼではなく、


「いかにして、採るべきは採り、育てるべきは育て、

離すべきは離し、留めるべきは留め、出すべきは出すか」という

明確な意志を伴ったテーゼへと変換する必要があります

◆心的引力によってヒトを留める

その際、その組織には“明確な意志”の基軸となるものが要ります。


・・・・それは経営者を発信源とする理念・哲学であり、

それが浸透した結果の組織文化です。


株式会社をはじめとする事業営利組織は、荒波をゆく船に譬えられます。

乗船人員のキャパシティは有限ですから、

誰を乗せるかは重要問題です。

そして誰を降ろすのかも、同様に重要問題です。


乗船の適格要件の最もベースに置くべきは、その組織が持つ理念や文化を

理解し、納得し、共感・共振できるかどうかではないでしょうか。


ヒトを物理的報酬や心理的報酬で、囲い込む・引き留めるのは、

決して怠ることのできない方策ではありますが、

それらは本来、対症療法的な二の次の策です

与える報酬の切れ目が縁の切れ目となることも往々にしてあります。

根本の策は、共感・共振といった“心的引力”(=絆)によって、

留まってもらうことでしょう。


ここで私が用いる「絆」とは、

働く個と組織の間に生まれる信頼や尊敬、安心、互恵、恩義といった

心持ちの相互形成をいいます。


働き手側からの平易な言葉で表現すれば、

・「私を活かしてくれる会社(だから有り難い)」

・「私をこうやって育ててくれる環境(って、ほかにそんなにない気がする)」

・「仕事の要求は厳しいが、きちんとそれをわかってくれている会社」

・「会社の目指すところに共感が持てるし、

  それを仕事としてやれるのは誇り・楽しみである」

・「この経営者の下でやれるなら本望」

・「人生のある期間を共にする“場”として、この会社なら納得できる」・・・・


このような絆に裏打ちされたヒトは、よい根付きをする人財になるはずです。

また、仮に、転職その他で組織を離れることになっても、

その後、そのヒトは、やはり直接・間接的にその組織に貢献しようとするはずです。



◆人財輩出企業は自らの人的宇宙を形成する

絆化ができずに従業員が辞めていくことを人材「流出」といいます。

絆化ができている従業員が辞めていくことを人財「輩出」といいます。


IBMやリクルート、アクセンチュアなどは人財輩出企業として有名ですが、

それら企業にとって

ヒトが辞めていくということ自体は大きな問題ではなさそうです。


ヒトを人財として気前よく世の中に輩出する企業には、

また多くのヒトが入ってくる

という逆説的な循環がそこにはあるからです。


また、そこを“巣立った”人財たちは、ネットワークを組み、

“実家”あるいは“母校”的な存在の元の組織を中心に、

“ヒューマン・コスモス”(人的宇宙)を形成します


そしてそのヒューマン・コスモスは、元の組織、

そして業界を動かす大きな力となっていくでしょう。


ヒトの離職や定着の問題をとらえるとき、

ヒトを囲いや縄(=報酬や制限)によって、

地べた(=組織内)で保持する(=リテンション)という発想枠を

一段大きくしてはどうでしょうか。


つまり、個と組織の間で絆化(=ボンディング)がなされることによって、

個々の人財は、みずからの発露によって、

その組織の心的引力圏内に自然と留まる


あるヒトは地べた(組織内)に留まり、

またあるヒトは地べたから離れ、別空間(組織外)で留まるかもしれない。


そして彼ら人財たちは互いに人的宇宙を形成し、

その組織を有形無形に助けるという発想枠です。


私がイメージする「ヒトの観点から優れた会社」というのは、

やたら塀や柵で囲ってヒトを居付かせている様子ではなく、

ある恒星を中心として個性ある惑星があまた周回し、

ふくよかな宇宙空間を形成している姿です。


ヒトが離れていく数、根付く数への対症療法ではなく、

ヒトの離れ方、根付き方に深慮を配り、

根本の体質改善を図ることだと思います。


次回は、ヒトの離職と根付きの問題の3番目

「安すれば鈍する:野ガモを飼いならすな」についてです。



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