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2008年5月11日 (日)

自立から自律へ、そして自導「セルフ・リーダーシップ」へ <上>


◆「自律的」では不十分である!

私が行なっている人財研修事業のコアサービスは、

『キャリアの自律マインド醸成研修』と名づけているものです。

大小いろいろと手を入れて、かれこれ5年間続けてきました。


日々の“働く”にあたって、

「自立」とはどういうことか、

「自律」とはどういうことか、

そして、それらを越えて「合律的」働き方とは何か、等々を、

理屈の理解ではなく、「行(ぎょう)」として腹に落ちるように

研修プログラムを組んできました。


企業の研修分野において、

従業員を「自律的」働き方のできる人財に育てよう、という流れは

現在、誰も否定する人はいません。


これはこれで、その通りだと思います。

だから、私も働き手の自律心を涵養するサービスを今後も続けていきます。


ただ、ここにきて、それでは不十分であることに

私自身、気づき始めています。


企業の研修の現場に立つと(とくに大企業の場合はそうですが)、

5年目以上の社員の中には、

自律心がある程度確立されていて、自律的にちゃんと働ける人が

少なからず見受けられます。


彼らは、自律的に自らの判断基準で状況を判断し、

自分で行動を起こすことができます。

上司に対しても、組織に対しても意見を言うことができるし、

担当仕事の目標設定や納期、品質もきちんと自己管理ができます。

すでに部下を持って、彼らを動かしたり、

そうでなくとも後輩の面倒をみたりするなど、協働意識もあります。


しかし、そんな自律的な彼らであっても、「何かが足りない」・・・

かけがえなく働く一職業人として、確かに「何かが足りない」、

というか「何か満たされていない」ように思える・・・


◆天安門で戦車の前に立つ青年が示すもの

それが何なのかが、ぴーんと来たのは、

『リーダーシップの旅』(野田智義・金井壽宏著)

の中の一節を読んだときでした。

その箇所を抜き出してみると、


・・・・・・・・・

「皆さんはリーダーと聞いて、どんな人をイメージされますか?」

すると、未だ三十代と思しき白人男性が立ち上がって答えた。

「天安門広場で戦車を止めようとして一人で立ちはだかった、

名も知れぬ若い中国人の男性」。

(中略)

あの(天安門の)青年はきっと特別な人間でも、エリートでもないだろう。

自分が戦車を止めることで実現されること、

その何かを見てみたいと思い、

たった一人で足を踏み出したに違いない。

「他の人が見ない何かを見てみたい」という意志をもつあらゆる人の前に、

リーダーシップへの道が開けていることを、

彼の行動は示しているのではないか。

・・・・・・・・・・


著者の一人である野田さんは、

リーダーシップの原点が、

この天安門で戦車の前に立った一青年の姿にあるという。


青年が命を賭してその行動に出たのは、“内なる叫び”に従ってのことである。

それは、自らの内なる叫びによって、自らを導いたといってもいい。

そして、その勇気ある行動は、他の人びとを感化し、

結果的に、他の人びとを導くこととなる。


つまり、リーダーシップとは、

「リード・ザ・セルフ」を起点とし

「リード・ザ・ピープル」、「リード・ザ・ソサイアティ」と変化していく。

こういう段階的成長のうちに、

自己をリードする人は、結果的に他者をリードする人になる。


□ □ □ □ □ □ □ □ □

◆足らないのは“内なる声”によって「自らを導く」力

私が、研修の現場で、自律的に振る舞える人たちに

「何かが足りない」と感じていたのは、

つまるところ「セルフ・リーダーシップ」なのだと強く思いました。


「セルフ・リーダーシップ」とは、

他者を導くリーダーシップではなく、

自分自身を導くリーダーシップのことを言います。


セルフ・リーダーシップをここでは、「自導」という言葉で書き表しましょう。

さて、「自律的」であることと、「自導的」であることは、

多少重なりはあるものの別ものであるように思います。


自律的に働く人は、自分の律(規範やルールあるいはスタイル)を持って、

業務上、さまざまに出くわす出来事に対し、

自分なりに判断し、自分なりに行動をする人です。


一方、自導的に働く人は、

自らの“内なる声”を聞き取ることができ、

働く目的(目標像+その意味・意義)を描き抱いています。

そして、その目的によって、自らを導くように、

働き、キャリアを形成していく人です。


だから、自律的ではあるが、自導的でない人は存在します

つまり、日ごろ大小の業務は巧みにやりこなせるけれども、

中長期の自分をどこへ導いていっていいか分からない人は多い。

また、経営側(他者)から出される理念や方針に対しては

いろいろと批評や意見を加えられても、

自分自身の夢や志なるものをふくよかに語ることのできない人は多い。


譬えて言うなら、

自分という船をしっかり造って(=自立)

羅針盤もきちんと持っているが(=自律)

さて、どこに自分自身を導いていっていいのかが分からない、見えない。

つまり、目的地を描いた地図を持っていないのです(=自導でない)



◆職業人としての内的成熟過程「自立→自律→自導」

私は、職業人としての内的成熟過程を

「自立から自律へ」と2段階で考えていました。

(自律から斜め方向へ「合律」という半ステップも設定しましたが)

しかし、自律のその先に「自導」というもう1段階を加えた方がよさそうです。


なぜなら、十分、自律的な人であっても、

・中長期のキャリアという海原の中で漂流してしまうことがある

・働くことに真の活気がない。身体の奥底から湧き出でる輝きがない

・“うつ”になることだってある

からです。


ですからこのビジネス社会、事業組織にあって、育成すべきは、

自らを立たせ、自らを律することのできる人財であり、かつ、

自らを導くことのできる人財であると確信しています。


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さて補足的に、私なりに整理した図を掲示しておきます。


Pict1

次回は「自立→自律→自導」、「セルフ・リーダーシップ」について

さらに考察を深めたいと思います。



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