« 神谷美恵子『生きがいについて』 | メイン | 本田宗一郎『夢を力に~私の履歴書』 »

2008年6月16日 (月)

組織人か・仕事人か

日本の場合、職業人の多くは、
組織(企業や諸団体)に雇われるサラリーパーソンです。
その場合、その働き人は、組織人と仕事人の2つの側面をもつことになります。

組織人と仕事人という考え方に関しては、
『仕事人の時代』の著者である同志社大学の太田肇教授が簡潔に示してくれています。

すなわち、組織人の価値観・目的は
「組織に対して一体化し、組織から与えられる報酬(誘因)を目的とする」
他方、仕事人の価値観・目的は、
「組織よりも仕事に対して一体化し、仕事をとおして自分の目的を追求する」と。

で、私が、私なりに
組織人と仕事人の対比を整理した図は例えば下のようなものです。

04003a

04003b

◆働く忠誠心はどこにあるか
さて、私たちは、仕事人の典型をプロスポーツ選手にみます。
野球にせよ、サッカーにせよ、
なぜ、国内リーグのトップ選手たちが、世話になったチームを出て、海外に渡っていくのか。

それは、彼らの働く忠誠心・情熱が、
組織にあるのではなく、仕事にあるからでしょう。
彼らは「組織に生きる」のではなく、「仕事に生きる」からと言い換えてもいい。

彼らにとっての仕事上の目的は、野球なり、サッカーなりを極めること、
その世界のトップレベルで勝負事に挑むことであって、
組織はそのための手段やプロセスとなる。

一方、実力アップして、他球団に移りたいと申し出た選手に対して、
球団側も潔く真摯にビジネスライクに対応する意識が求められるでしょう。

なぜなら、こうした「個」の仕事人を束ねる形でのビジネスにおいて、
組織は、もはや「タレントオープン×インフラ型」としての機能存在であるからです。

映画製作しかり、保険商品の外交セールスしかり、
有能なタレントの集合離散で事業成果を出していく世界では、
人財の流入も「是」、人財の流出もまた「是」として
組織はいかに魅力的な企画(プロジェクト)とインフラを提示できるかに
専念しなくてはなりません。

とはいえ、そこを巣立った仕事人たちも、おそらく、長い目でみれば
いつか何かの形で組織に恩返しをしてくれると思います。
それが、新しい時代の仕事人と組織の関係性だと思います。

*********

◆「組織人×依存心」の掛け合わせが不幸を呼ぶ
さて、ひるがえって、日本の働き手で圧倒的多数の
「カイシャイン・サラリーパーソン」はどうでしょうか。

言うまでもなく、戦後の日本は、
組織が「終身雇用によるヒトの抱え込み×ヒラルキー型」を強力に実行し、
その中で労働者が忠誠心を組織に捧げて、
与えられるがままの仕事を真面目にこなしてきました。
労使を挙げて、コテコテの組織人が大量に生産された時代でした。

私は、組織人の意識自体、悪だというつもりはありません。
私自身、現在は個人で独立して事業を行なっていますが、
会社勤めのサラリーマンとして働いた17年間の蓄積があればこその独立です。

会社が過去から蓄えたノウハウを伝授してもらい、
会社の信頼度で仕事を広げ、人脈をつくり、
会社のお金で研修もさまざまに受けました。
組織人であることのメリットを感じながら、それを最大限活かしていく意識は、
むしろ奨励されるべきことだと思います。

問題なのは、組織人的な意識が、依存心と結びついた場合です。

組織のぬるま湯に浸かって、自分を磨くこともせず雇用され続けてきた“組織依存人”は、
バブル後の景気低迷時に大変な苦難に遭いました。 
この様子をみて学ぶべきは、
もし自分が「雇われる生き方」を生涯、選ぶのであれば
組織人としての意識と、仕事人としての意識のさじ加減を自分で司り、
依存心を排して、自律的に働く覚悟を決めることです。

**********

◆「出世」とは何か?
ところで、『出世』とはどういうことでしょうか?
よく、高業績を上げて、部長に出世したとか、社長に出世したなどといいますが、
社内の昇進の閉鎖的な話で、どうも矮小化した使い方の感じがします。

電通の元プロデューサーとして有名な藤岡和賀夫さんは
『オフィスプレーヤーへの道』の中の「“出世”の正体」という章で、
面白い表現をされています。

 「自分の会社以外の世界からも尊敬される、愛される、
 それは間違いなく『世に出る』ことであり、『出世』なのです。
 そこで肝心なことは、『世に出る』と言ったときの『世』は、
 自分の勤めている会社ではないということです。
  (中略)
 自分の選んだ会社を“寄留地”として、
 そこを足場として初めて『世に出る』のです。
  (中略)
 “寄留地”を仕事の足場として、ビジネスマンという仕事のやりかたで、
 もっともっと広い社会と関わっていくということが『世に出る』ということなのです」。

◆組織ローカルな人はつまらない
日本は、まだまだ、“組織ローカル”な世界観で働いている人が多い。

先日、韓国のあるIT会社のマネジャーから面白い話を聞きました。
その会社では、マネジャークラス以上の人間は、
少なくとも年に1回、業界のカンファレンスやビジネスエキスポなどで
講演やセミナーをしなければいけない、というルールです。
(実行できなければ、降格対象となるそうです)

社内の管理業務だけに閉じこもっているな、
社外に開いて、「この分野に○○社あり」「この分野に“誰々”あり」とアピールしてこい、
というもので、これは、いわば、
「組織内“仕事自律人”」をつくりだす姿勢として関心が持てます。

ところで、
私は、“組織ローカル”でしかも“テング(天狗)”になった担当者と商談をするときが、
一番、面白くない商談です。
そんなときは、法外な見積もりを出して、
「ご縁がありませんでしたね」と破談でもいっこうに構いません。

ですが、組織の枠を越え、発注側と受注側の垣根を越え、
一職業人対一職業人が、共感を持ち合って
この商品・サービスは、「確かに新しい価値を生み出しそうだ」と合意できるとき、
もうどんな契約条件でも「やりましょう!やらせてください!」となります。
私は、そうした“ビジネス・コスモポリタン”的な人たちと仕事を一緒にやることが好きです。
(*コスモポリタンとは、「世界市民」の意)

そしてまた、私自身も、ビジネス・コスモポリタンであるべく、
世界の同業者、世界の同世代には負けないぞという“競争”意識と、
そうしたビジネス・コスモポリタンたちと“共創”していきたいという意識でいます。

過去の記事を一覧する

Related Site

Link