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2008年7月 4日 (金)

金儲けは目的か手段か・・・それとも?

◆「血のために生きています!」・・・?
例えば、これをお読みいただいているあなたが、いま、自分の会社を経営して
何人かの従業員を雇用していると想像してみてください。

そのとき、従業員に「なぜ君は働いているのか?」と質問し、
返ってきた答えが「生活のために働いています」だったら、
経営者(社長)のあなたは、さぞ、がっかりするのではないでしょうか。

では、次に、「あなたの会社の目的は何ですか?」と問うたとき、
どうお答えになるでしょうか?

・・・「そりゃ決まってるよ、会社は事業体だもの、利益の追求だよ。
会社を存続させ、従業員を雇用していくためには金儲けが根本でしょ」

お答えになる場合が多いのではないでしょうか。

ですが、これもどこかしら残念な答えのように思えます。

カネ(金)は、経済の世界では血液のようなものです。
人間の体は、血液が常に流れてこそ生命を維持でき、さまざまな活動が可能になります。
血の流れが止まれば、当然、人体は死を迎える。
それと同じように、経済活動の血液であるカネの流れは、
個人生活、あるいは事業体存続の生命線を握っている。

しかし、だからといって、私たち人間・事業体は血のために生きるのでしょうか?
「サラサラの血をつくるために、日夜がんばって生きています」
なんていう人がいたら、やはり、その生き方はどこかヘンです。

人間の生き方として大事なのは、結局その身体を使って何を成したかです。
血は、肉体を維持するための“条件”であって、“目的”とはならない。

◆利益は「条件」である
ここにきて、ピーター・ドラッカーの次の言葉はいやまして光彩を放ちます。

 「事業体とは何かを問われると、
 たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。
 たいていの経済学者も同じように答える。
 この答えは間違いだけではない。的外れである」
 「利益が重要でないということではない。
 利益は企業や事業の目的ではなく、条件である」。

                    ・・・『現代の経営』より

ドラッカーは、企業や事業の真の目的は社会貢献であると他で述べています。
その真の目的を成すための基本「条件」として利益が必要だと、
そう言及しているのです。

利益追求(金儲け)をどう考えるか。
松下幸之助や渋沢栄一は、何と言ったでしょうか。

 「本質的には利益というものは、
 企業の使命達成に対する報酬としてこれをみなくてはならない」。

                ・・・『実践経営哲学』(松下幸之助)より

 「徳は本なり、財は末なり」。
 「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」。

                         ・・・『論語と算盤』(渋沢栄一)より

◆利益は「報酬」である
松下幸之助は、ご存知のように、独自の『水道哲学』を強く抱いていました。
松下にとって事業の主目的は、
豊かな物資を通して人びとの暮らしを幸福にさせることであり、
副次的な目的としては、雇用を創出し、
税金を納める(=社会を強く安定させる)ということでした。

そして、そうした目的(松下は“使命”と言っていますが)を果たした結果、
残ったものが利益であり、それを事業者・経営者は報酬としていただく
という考え方でした。

また、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、
財は末に来るもの、あるいは糟粕のようなものであると言いました。
仁義道徳に基づいた目的や、その過程における努力こそが最も大事であって、
その結果もたらされる財には固執するな、
無頓着なくらいでよろしいというのが、渋沢の思想です。

実際、渋沢は、彼自身、一大財閥を成せるほどの大活躍をしましたが、
亡くなるときは、必要分のわずかな財産しか残していませんでした。


利益追求・金儲けを、個人も事業体もどのように位置づけるかは自由です。
目的にもなりえるし、手段にもなりえる。
また、条件、あるいは成果・報酬・恵みにもなりえます。
おそらくはそれらの要素の混ぜ合わせかもしれません。
要は、どこに比重をおくかでしょう。

・「この会社で働く目的は、担当業務を通して、●●を実現させることだ」
・「自分の夢である●●をかなえるために、この会社は良質の体験機会を与えてくれている」
・「この会社の事業理念に共感して入社した。実際、その理念は仕事を通じて、顧客・社会に届けられている実感がある。給料は安いが、ここで働けてよかったと思う」
・・・こうした声を発せられる働き手は幸せな従業員ですし、
同時に彼らを雇っている会社も幸せです。

カネだけでつながる個人と会社はどこかしら不安定で不健全だと思います。
「いかに働くか」は、「いかに目的を持つか」に尽きると言っても過言ではありません。

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