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2009年3月10日 (火)

「天職」とは“境地”である

01010 いよいよ来週から全国の書店に並ぶ新著が印刷製本され、きょう、出版社から出来立ての10冊が届きました。

今では元原稿の執筆・入稿から、レイアウト編集、チェック、校正まですべてDTPでやっているので自分の原稿との向き合いは、PCの画面上のデジタルデータでした。

それが、いまこうして実物(手触り・目触りのある実体)の本になってくると、やはり言い難い嬉しさがあります。

* * * * *

さて、きょうは、その4冊目の著書『いい仕事ができる人の考え方』
の中でも触れた「天職」についての考察を書きたいと思います。

天職とは、私は
「仕事を通して得た最上の境地」ととらえています。


つまり、突き詰めると、天職の「職」は、特定の「職業」ではなく、
「境地」と置き換えてもいいようになるのです。

西村佳哲さんが書かれた『自分の仕事をつくる』(晶文社)という本があります。
これは、著者がものつくり系のデザイナー・職人たちをさまざまに訪ね、
「仕事とは何か」というテーマを追っていく良書ですが、
ここでは興味深いコメントが散見されます。

例えば、東京・富ヶ谷にパン屋「ルヴァン」を開く田中幹夫氏のコメントは:
「パンそのものが目的ではないな、という気持ちが浮かんできた。
・・・パンは手段であって、
気持ちよさだとかやすらぎだとか、平和的なことを売っていく。
売っていくというか、パンを通じていろんなつながりを持ちたいというのが、
基本にあるんだなと思います」。


また、日本在住の人気デザイナー、ヨーガン・レール氏のコメントは:
「自分の職業がなんであるとか、そういうことはあまり気にしません。
私は、モノをつくってるというだけでいいです(笑)」。


これらの人たちは、まさに天職を生きていますが、
彼らの心の次元では、もはやパン焼き職人とか、アパレルデザイナーだとかの
具体的な職業は主たる問題ではなくなっています

いまのこの力強い心の平安を自分にもたらしてくれている職業が、
たまたまパン職人であり、デザイナーであったのだ
という思いにまで昇華されているからです。

つまり、これらの人たちは、仕事を通じてある高みの境地に達したといえる。
この悟りにも似た感覚は、
私がビジネス雑誌記者時代に遭遇した一級の仕事人たちも同じようなことを口にしたのを記憶しています。

◆ふつふつと湧き起こる想いが天職の源
このような天職境地にたどり着くための必須要件は「想い」です。
先の田中氏にしても、レール氏にしても、
彼らは決して、何々という職業の形にこだわってはいないし、
それを始めるにあたって、
いま流行(はやり)の仕事と能力のマッチングがどうだこうだと
何かの診断テストで自己分析したわけでもないでしょう。

ましてや雇用の形態や会社の規模、年収額など気にかけたはずはない。
彼らは内奥からふつふつと湧く「想い」をただ実現しようと生きてきた(いる)だけです。
「想いの実現」が目的であり、職業は手段なのです。
その結果として、天職を感得した。

「想いの実現」を奮闘していった後に“ごほうび”として得られる泰然自若の状態
―――それを天職と私は言いたい。


私たちは職業選択にあって、職業・職種という形や
雇用条件、能力・資質の問題を過度に考えるきらいがあります。

さらに不幸なことは、人気企業ランキングなどのデータをみて、
世間体のよさ、企業ブランドのようなものまで気にかける。
しかし、生涯を通じ最終的に天職を得たいのであれば、最も重要なものは「想い」です。

私が行う研修プログラムの中で最も注力するのは、「想いを描く」という部分です。

受講者一人一人のかけがえのない職業人生にあって、
「何を働く中心テーマ」に据えたいのか、
自分という能力存在を使って「何の価値」を世の中に届けたいのか、
日々の仕事のアウトプットには「どんな想い」を反映させたいのか、
そして自分の送りたい人生は「どんな世界観」なのか等々、
これらを各人がうまく引き出せるように刺激を与える。

これらを肚で語れないかぎり、
会社員はずっと「働かされ」モードから抜け出すことはない。
そして、どんよりと長き職業人生を送ることとなる。
また一部には、働かされることに適当な距離で安住し、会社にぶらさがる人間も出てくる。

「想い」を持たない人は、天職から程遠いばかりでなく、
能動・主体の人生も危ういのです。

では、これ以降の論議は拙著にて。
本でお会いできることを願っています。


*最新著のサマリー(PDF)はこちらからご覧いただけます

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