岡本太郎『強く生きる言葉』
私は日ごろ、企業の従業員や公務員に向けて
“一個のプロであるための意識基盤”をつくる研修
(「プロフェッショナルシップ研修」と名づけている)をやっているわけですが、
そこで重要視しているのが
「個として強くなる」というメッセージ、そしてプログラムです。
もちろん企業や官公庁の事業は組織体で行う規模のものが多く、
チームプレー・協働性が大事であることは言うまでもありませんが、
根っこのところの個人が強いか強くないかは
結局、組織パフォーマンスに大きく影響している重大問題です。
日本のサッカーが世界レベルで強くなっていくためには、
組織力や戦略・戦術面での強化だけではもはや限界があることがわかっています。
1対1で強い選手を育成していくことが今後の必須課題であるのと同じように
企業現場、行政組織現場においても
一個の職業人として強いプロフェッショナルを育てていくことが
優れた商品・サービス創出、
ひいては国力にもつながっている問題だと思います。
一個の職業人として仕事とどう向き合うか―――
それを学ぶためには、
独り仕事と格闘している人間の精神性や観を学び取るのが有効です。
私はそんなとき、芸術家の著作を好んで読みます。
きょうはその中のひとつ
岡本太郎『強く生きる言葉』(イースト・プレス刊)とその姉妹本である『壁を破る言葉』を紹介します。
岡本さんは比較的多くの著作を残されていますが、
この本は、そうした著作の中から、特にオーラを放つ言葉を厳選してあるので
岡本太郎の命の激しさを感得するには格好の本だと思います。
* * * * *
「財産が欲しいとか、地位が欲しいとか、
あるいは名誉なんていうものは、ぼくは少しも欲しくはない。
欲しいのはマグマのように噴出するエネルギーだ」。
「いつも自分自身を脱皮し、固定しない。
そういうひとは、つねに青春をたもっている」。
「芸術とトコトンまで対決し、あらゆる傷を負い、猛烈な手負いになって、
しかもふくらみあがってくれば、これこそ芸術だ」。
私にとっての岡本太郎のイメージは、もはや人間というより、
人間の形をとっている“生命力の放出体”というイメージです。
言葉自体からエネルギーが噴出しているので、読み手も感応して同じくエネルギーを湧かせることできる。
元気の萎えたときの岡本節は実に良薬(強壮剤?)といった感じです。
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岡本さんは、コンプレックスや自己嫌悪といった“逃避行為”を極端に嫌った人でした。
たぶんご本人も幼少のころから、そうした感情との葛藤・超克があったんだろうと思います。
・「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ」。
・「ひとつ、いい提案をしようか。音痴同士の会を作って、
そこで、ふんぞりかえって歌うんだよ。
それも、音痴同士がいたわりあって集うんじゃだめ。得意になってさ。
しまいには音痴でないものが、頭をさげて音痴同好会に入れてくれといってくるくらい堂々と歌いあげるんだ」。
・「人間というものは、とかく自分の持っていないものに制約されて、
自分のあるがままのものをおろそかにし、卑下することによって不自由になっている。
自由になれないからといって、自己嫌悪をおこし、積極的になることをやめるような、
弱気なこだわりを捨てさらなければ駄目だ」。
・「ひとが「あらいいわねえ」なんていうのは、
「どうでもいいわね」と言ってるのと同じなんだよ」。
* * * * *
そして、岡本さんは生涯「若さ」を貫いた人でした。
保身・現状満足・老いに徹底抗戦した人でした。
・「自分という人間をその瞬間瞬間にぶつけていく。
そしてしょっちゅう新しく生まれ変わっていく、
エネルギーを燃やせば燃やすほど、ぜんぜん別な世界観が出来てくる」。
・「自分から出た瞬間に、作品はすでに他者。
それはぼくにとって、もはや道ばたの石っころと何もかわらない」。
・・・「芸術家の情熱は何も作品に結晶するばかりではない。
作品の以前と以後。そしてまた創られた自己の作品をのりこえるという意思。
それをひっくるめて創造だ」。
・「熟したものは逆に無抵抗なものだ。
そこへいくと、未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、
自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければならないが、
それだけに闘う力というものを持っている」。
・「むかしの夢によりかかったり、くよくよすることは、
現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない」。
* * * * *
そして最後にこの一言。
・「女性が身を売るというと、そこにはセックスが介在するけど、
男だってこの世の中に生きていくためには、みんな生活のために身を売っているじゃないか。
精神的にも肉体的にもね」。
・・・いや、実にキツイ、岡本さんの一撃ではないですか。
パンを得るために、身も魂も売り払っているサラリーマンが世の中にどれだけ多いか。
内なる心の叫びのままに、それを仕事としている人がどれだけ少ないか---
そういうことですね。
(桜の花と入れ替わりに新葉が日に日に大きくなる)