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2009年11月29日 (日)

自分を超えていくところに、新しい自分と出合う

Kanjiro1 
京都・東山馬町「河井寛次郎記念館」にて(1)


私は地方出張の折には、たいてい滞在を伸ばして社会見学をすることにしています。
今回は京都出張でしたが、名刹紅葉観光もそこそこに、かねてから訪ねたかった二人の陶芸家の記念館に足を運びました。

二人の陶芸家とは、河井寛次郎(1890-1966)と近藤悠三(1902-1985)。お二人とも日本の陶芸界に多大な影響を与えた巨星です。

河井の言葉です。
(以下、河井の言葉は『火の誓い』より)

・「焼けてかたまれ 火の願い」
・「もうもうと煙吐いてる 火の祈祷」
・「真白に溶けてる 火の祈念」
・「撫でてかためている 火の手」
・「焚いている人が 燃えている火」
・「祈らない 祈り 仕事は祈り」
・「何ものも清めて返す火の誓い」

これら短い詩文の中に散りばめられた“祈り”だとか “誓い” だとかいう語彙。これらの語彙が河井寛次郎の内から湧出したことは、なにも、河井だけに限定されたこと、陶芸家だけに限定されたことではありません。

私は、たとえサラリーマンであっても、自分の任され仕事と真剣に向き合い、それを自分なりに咀嚼し、天職(あるいは夢・志、使命といったもの)にまで昇華させていけば、誓いや祈りという語彙が、やがて自分の身から湧き出してくるものだと確信しています。

逆に言うと、目の前の仕事を高いレベルで自分のものにし、そこに何らかの悟りをもった人であれば、上の言葉は深い味わいをもって読めることができるでしょう。

私は2年前に刊行した自著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義』の中で
「真剣な仕事は“祈り”に通じる」
「真によい仕事をしたときは、必然的に哲学的・宗教的な経験をしてしまうものだ」
と書きましたが、
こうした河井の言葉は、仕事と「祈り・誓い」の結び付きを明確に示してくれるもので、私にとっては一つの邂逅であり、心強く思ったものです。

河井の言葉を続けます。

・「冬田おこす人 土見て 吾を見ず」

・「見られないものばかりだ―――見る
 されないものばかりだ―――する
 きめられたものはない―――決める」

・「自分で作っている自分
 自分で選んでいる自分」

・「この世は自分をさがしに来たところ
 この世は自分を見に来たところ
 どんな自分が見付かるか自分」

・「新しい自分が見たいのだ―――仕事する」

・「おどろいている自分に
 おどろいている自分」

・「何という大きな眼
 この景色入れている眼」

・「暮らしが仕事 仕事が暮らし」

とまぁ、このような言葉を無尽蔵に弾き出すのが河井の「いのち」です。
たぶん、本人は「いのち」の迸(ほとばし)りの何千分の一、何万分の一しか言葉として
残していないでしょうから、タイムマシンに乗って、直に本人に接触できたとしたら、多分、その烈しい「いのち」に火傷を負わされそうです。

仕事に冷めた人間は、こうした言葉を読んで、「仕事好きのワーカホリックはみんなこんなことを言う」と言い捨てるかもしれません。最後に記した「暮らしが仕事 仕事が暮らし」なんていうのも、昨今のワークライフバランス観点からすれば「バツ」でしょう。しかし、そうした見方でこれらの言葉を皮相的に排除することこそ「仕事」というものを矮小化してとらえる行為にほかなりません。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、二人め、近藤悠三の言葉です。

「ロクロやったら、ロクロが上手になる。上手になると良いロクロができにくい。つまり字をうんと勉強してやり出すと、決まった字になって味がぬけるということがありますねぇ。ロクロでもうんとやり出したら、抹茶茶碗の場合ですけど、ようないし、困ってねぇ。困らんでも、それをぬけてしもうたらいいんですけど・・・。

なんぞ、手でも指でも一本か二本悪くなるか、腕でも片方曲らんようになれば、もっと味わいの深いもんができるかと思うし、しかし腕いためるわけにもゆかんので、夜、まっくらがりで、大分やりましたねえ。そして面白いものできたようやったけど、やっぱし、それはそれだけのものでしたね。

いちばんロクロがようでけた時は調子にのるし、無我夢中になると、いつの間にか茶碗ぐらいでも三十ぐらい板に並んでいて、寸法なんかあてずに作っていても、そろうとるんですな。そしてあっと思ってるうちに三十ぐらいできてるんですな。きちんと同じに揃っているものが―――。

あとから考えたことやけど、私の手の中に土が入ってきて、勝手にできる。つまり土ができにきよる。わしが作るんと違う。そういうようなことがずうっとありましたな。四十から五十ぐらいの時かな。つまり修練ですねえ。そうして、勝手にできたものが名品かというと、そうではない。勝手にできるというところで満足してしまうと職人になってしまいますねえ」。

この一節は、作家の井上靖さんの著書『きれい寂び』の中の「近藤悠三氏のこと」という箇所で紹介されているものです。

私はこの言葉を読んで、彼の、(職人という境地を超えて)芸術家であることの魂というか執念というか剛毅な気骨を感じました。

修練や経験を重ねていって、知識的・技巧的に優れたものをアウトプットできるようになることはビジネスパーソンにとっても重要な成長ですが、しかし、その段階で満足して留まってはいけない。仕事にはその先がまだまだある。個々のビジネスパーソンにとって“その先”とは、どんなものなのか?それを考え、挑戦する意志を持てば、仕事をまっとうするという空間には無限の広がりが出てくる。そうなるとまさに、ヒポクラテスの言った「人生は短く、技芸の道は長い」に通じてきます。

この後の記事でも触れようと思っていますが、私はサラリーパーソンに対し、芸術家、あるいは芸術家という生き方をもっとロールモデルとして取り込むべきだと考えています。

芸術家は、厳しく自分を超えていくところに、つかみたい表現と出合います。あるいは、厳しく自分を超えていくところに、新しい自分と出合います。その働き様・生き様こそ、サラリーパーソンの模範とすべき姿だと思うからです。


Kanjrotei2 
「河井寛次郎記念館」にて(2)

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