留め書き〈013〉~リベンジ根性
素晴らしく生きてみせる!---それが最も痛快なリベンジだ
きょう(2010年8月1日付)の日本経済新聞『私の履歴書』で、
プロ野球元ヤクルト・西武監督の広岡達朗さんの連載第1回目を読んだ。
1954(昭和29年)の巨人軍入団当時、プロの世界は理不尽な徒弟制であり、
選手は一人一人が自分の技術を売り物にする一国一城の主で、他人に関心はないし、
ましてや他人に教えるなんてことはとんでもないという雰囲気が支配的だったこと、
そして新人に対しては、いじめに等しい仕打ちもいろいろあったこと、が回想されている。
そんな中で、広岡さんは、
「結局はたくさんの人の力を借りて、道を切り開いていくことになるが、
『屈辱を受けても、自分はその人より正しい人間であるという信念を持って、
見返すべく努力、勉強していく』というのが、私の人生のテーマの一つになった」
と書いている。また、
「川上(巨人軍の大先輩にあたる川上哲治)さんには、自分でまいた種とはいえ、
引退してからベロビーチキャンプでの取材を拒否されるなど、冷たく扱われた。
だが、それを『それなら巨人を破って日本一になってやる』というエネルギーに
変えて頑張ることができた。
時間がたった今、自分につらく当たった人、球団にはむしろ自分が発奮する手助けを
してくれた、と感謝している。川上さんにも、もちろん何のわだかまりもない」。
さらに、
「初めてコーチになった70年から2年間の広島時代には実に貴重な体験をした。
なかなか伸びなかった選手が根気よい指導で成長してくれたのだ。
正しく教育すれば、必ず人間というものは育つ---。
これが自分の宝物になった」。
* * * * *
この世を生きていく中で、
理不尽や不平等、悪意や冷笑、偏見や無視で自分の行く手を邪魔されることは何度でも起こる。
裏切りや画策、あるいは失恋に遭って、茫然自失となるときもある。
「あいつのせいで俺は報われなかった」とくさってみてもしょうがない。
ましてや、逆ギレして悪さに走るのは愚弱の姿である。
自分を押し上げていくには反骨心が必要だ。
倒れても倒れても起き上がってくる負けじ魂が必要だ。
いまにみていろ!というリベンジ根性が必要だ。
本当に悔しいなら、
本当にあいつらに仕返しをしたいなら、
素晴らしく生きる姿を見せてやることだ。
立派な生き様を見せつけてやることだ。
急ぐことはない。
10年、20年をかけてやればよい。
長い年月が経ち、自分が大きく生まれ変われば変わるほど
彼らへの衝撃は大きくなる。
それこそが、最良の、そして最も痛快なリベンジだ。
イタリア・シエナにて(95年)