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2010年8月 4日 (水)

部課長の対話力〈1〉~上司の対話が個と組織を強くする

Bukachobk 
きょう版元さんから8月11日発売の新著が届いた。

『個と組織を強くする部課長の対話力』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン、1500円+税)

今回の表紙は装丁デザイナー・中村勝紀さんのこだわりもあり、
銀の特殊紙に黒のシルク印刷をかけるという手の込んだもの。
質感がとてもよい。
今後、書籍販売の主戦場は電子出版に移っていくことは確実だが、
どこまでいってもこうした手触り・目触りのある実物の本というものはなくならない。
書籍とは本来、
「情報の中身(コンテンツ)×デザイン×製本」で完成するパッケージ商品なのだ。


 

◆いま職場に「対話」があるだろうか!?
世の部課長(組織でいわゆるミドルマネジメントにあたる人びと)に対し、次の問いを発したいと思います。

□日本の働く現場では多くが疲れている。
確かにマクロの眼で見ると「経済のグローバル化」や「企業の利益至上主義」
「成果主義」が要因となって労働者を消耗させ、
職場のギスギス化を促進させているように説明がつく。
しかしその前に、ミクロの眼で見て、
部長や課長は職場で1人1人の働き手に語りかけることをしているだろうか?

□「大学新卒入社者は最初の3年で3割が辞める」、
「離職理由の4割が能力適性と配属とのミスマッチであるらしい」といった調査データを眺めて、
「我慢をしなくなった若者を扱うのは難しい時代だな」と静観することは簡単である。
しかし部長や課長は、
ある日突然「会社を辞めたいんですが」と言ってきた社員に、
それまでの日頃、彼(彼女)とどんなコミュニケーションを交わしていたのだろう?

□世の中は戦略ブーム、知識ブーム、変革ブーム、制度ブームである……
しかし、組織を本当に変えるために、
そもそも経営者と働き手、上司と部下の間にどれだけの対話があっただろうか?

□「近頃の若者は○○できない」「最近の新入社員は○○が弱い」といった
イマドキの若者論はいつの時代にも年長世代の口から漏れてくる。
しかし、同時に耳を澄ませば、こんなことも漏れ聞こえてきはしないだろうか?―――
「いまどきの部課長は保身に走っている」「いまどきの上司の背中は貧相だ」
「最近の中間管理職はトップからの命令と数値目標を現場に下すだけの伝書鳩管理職だ。
みずからの言葉で真正面から何かを語ってくれたためしがない」。

□部課長たちは研修やセミナーでコミュニケーション術の習得に熱心である。
しかし、ピーター・ドラッカーはこう言っている。
―――「どのように話すかという問題が意味を持つのは、何を話すかという問題が
解決されてからである」
(『プロフェッショナルの条件』より)と。
そう、術・スキルをうんぬんする前に、
部課長たちは「語るべき何か」をどれほど豊かに内面に湛えているだろうか?

□確かに部課長は日頃の職場で、業務指示や目標徹底など通知すべきことは多く抱えている。
しかしそれら命令や情報とは別に、
「仕事とは何か? よりよく働くこととは何か?」のような誰もが抱く根っこの問いに対して、
どれだけ多くのことを肉声で語っているか、あるいは、語れるだろうか? 
そしてそもそも、部長や課長は一職業人として、
語ることのベースとなる「観」をどれだけ堅固に持っているのだろうか?

* * *

……私もサラリーマンを辞めたときは、ある大きな企業の中間管理職をやっていました。
中間管理職というのは、組織の中で実に雑多な情報が行き交うポジションであり、
またそれらを適切に処理し、部署を動かさなくてはならない役目にあります。
したがって、部課長は日々大量のコミュニケーションを行っています。
書類のやりとり、電話・メールのやりとり、会議での発表や討論、取引契約の交渉、
接客での説明やプレゼンテーション、仕事合間の世間話など。

さて、そこで振り返ってみるとどうでしょう、その中で「対話」という形式を使った
コミュニケーションがどれくらいあるか?―――ほとんどないことに気がつくでしょう。

社内で行われるほとんどは、 「指示・命令系」 もしくは
「議事系(会議・討議)」 のコミュニケーションです。
あと 「渉外系(商談・折衝)」 「雑談系」 があって、
そして稀に 「対話系」 が混じってくるという具合です。
部長・課長が自分の部下に対して、思索や啓発を促す対話を行ったのはいつのことでしょうか? 
一週間前? 半年前? 一年前? それともその類のことはやったことがない? 
もっとも、対話であると思っていたものは、一方的なお説教であったり、
単なるガス抜きの談話であったりする可能性もあります。


◆対話とは「1+1=3」の共創作業である
いま組織内で対話が決定的に欠乏しています。
そして何についての対話が欠乏しているかといえば
「仕事とは何か?」という万人の働き手が持つ大きな問いに対する対話です。

「仕事とは何か?」という問いには、
 働く目的とは何か? 
 企業も個人も結局は利益・給料のために働くのか? 
 どうすれば働きがいが見出せるのか? 
 同じ仕事をやっても労役と感じる人間と朗働と感じる人間と差が出るのはなぜか? 
 仕事の最良の報酬とは何か? 
 会社と個人は主従関係なのか? 
 自律的に働くとは具体的にどういうことか? などさまざまな内容を含みます。

もちろんこうした問いに決まり切った正解値はありません。
変化が激しく、常に数値目標が覆いかぶさるビジネス社会にあって私たちがしなければならないのは、
こうした問いに対し、動機の湧いてくる解釈、状況を切り拓く自律性、
変化に押し流されないための観をつくり出していくことです。
そして、それは対話によってこそ可能になるのです。

対話とは、双方が真摯に心を開き、
意見や観を交換し、「1+1=3」という新しい次元にたどり着こうとする共創作業です。
その意味で、漫然と話を交わす会話とは異なります。

対話とは、上司は経験から獲得した「1」を差し出し、
部下は未熟ではあるが熱のある「1」を差し出し、
そこから「3」を生み出す意欲的なチャレンジです。

組織はいくら立派な戦略を立てても、その戦略意義を対話を通して
一人一人の働き手に咀嚼させないかぎり、その戦略は有効に実行されません。
そればかりか逆に、ますます現場を疲弊させることを招きます。
また、組織がいくら立派な理念を標榜したとしても、
その理念を対話を通して一人一人の働き手に共感してもらわなければ、
単なるお題目に終わってしまうでしょう。
さらに、組織はとても立派な制度改革をやりますが、
その導入目的を対話を通して一人一人の働き手に納得してもらわなければ、
「仏作って魂入れず」となり制度だけが空回りします。

◆なぜ部課長は対話を起こさないのか
そうした対話の重要性は経営者も管理職もたぶん感じていることでしょう。
しかし、現場の部課長たちは「仕事・働くこと」といった重い直球のテーマについて、
どことなく対話を避けている、もっと厳しく言えば逃げてはいないでしょうか。
それはなぜでしょう。

○「そんなテーマの対話などよそよそしくてできない・気恥ずかしい」
……上司というものは、業務の指示・命令なら部下の心理にズカズカと強気で
入り込んでいくのに、こうしたことになるととたんに引っ込み思案になってしまう。
それは都合のいい臆病ではありませんか。
確かに最初は照れくさい部分があるでしょう。
しかし、働くことを上司と部下が真正面から論議することは当然のことといった雰囲気で
勇気をもって始めてください。
対話が習慣・文化となれば、もはやよそよそしいものでなくなるのです。

○「忙しくて時間がない」
……部下との対話は彼らの動機付けであり、育成であり、組織の文化づくりであり、
活性化であり、これらは中間管理職としての業務そのものです。
業務そのものが忙しくてできませんというのはどういうことでしょうか。

○「対話するエネルギーが湧かない」
……世の部課長が疲れていることは知っています。
対話には相当のエネルギーが要るのでこれ以上しんどいことをやりたくないのは当然でしょう。
ですが考えてみてください。対話のない冷めた組織を率いていくのと、
対話によって活性化した組織を率いていくのと、
結果的にどちらが使うエネルギーの量と質が自分にとってよいものなのかを。

○「どう対話していいか方法がわからない」
……おそらく方法がわからないのではなく、語るべき何かを持っていないのでしょう。

○「何を語っていいかがわからない」
……おそらくご自身の内に
仕事・働くことに関する確固とした観や哲学が打ち立てられていないのでしょう。

○「堅苦しい対話ではなく、酒の席でいつも気持ちを聞いてやってるので大丈夫」
……飲みュニケーションはときに有効です。
が、酒の力を借りなければ本音が言い合えない組織は問題ですし、
部下のすべてが酒席を好むわけではありません。

○「コーチングを勉強して、それをうまくやれればと思っている」
……コーチングはときに大事な技術です。
しかし、「答えは君の中にある」という投げかけに頼って逃げようとしていませんか? 
コーチングは部下の持つ「1」を掘り起こしてあげる手伝いです。
対話は「1+1=3」の共創作業です。
コミュニケーションの種類が違います。
上司が自分の「1」をぶつけられなくてどうするんです。
上司がぶつけないかぎり、「3」は生み出されないのです。

○「経営者が魅力的な戦略もビジョンも出さないから、対話の材料がない」
……経営者がダメだからと理由づけしているあなたの下には、
たぶん「うちの部長・課長がダメだから」とやる気を起こさない部下が何人もいることでしょう。

部課長たちがこうして部下との対話を逡巡している間に、
職場のギスギス化はどんどん進んでいます。
「仕事・働くこととは何か?」という根っこにある大きな問いを上司も部下も放置すればするほど、
職場は「所詮、カネ稼ぎのための辛抱場所」という殺伐とした空気が濃くなっていきます。
ギスギス化の要因を成果主義の導入や経済のグローバル化による利益主義と
片付けることは簡単です。
しかしマクロからああだこうだ言うだけでは事態は改善に向かいません。
ミクロ、つまり一人一人に語りかけることからのアプローチが絶対的に必要なのです。

◆部課長の対話する力――それは組織にとって重大な分岐点である
企業を強くする源は何でしょうか? 
技術力、資本力、事業理念、経営者の指導力、組織風土、優秀な人財を集めること……
それはさまざまに考えることができますが、
私は「部課長の対話力」を無視してはならないと思っています。

企業を強くするものを源まで突き詰めていくと、
「働くことは厳しいけど奥が深い。もっと働くことにチャレンジしよう」という
個々の働き手のアクティブな就労意識と、
「この事業を通し社会で求められる存在になる」という組織の理念意志が相互に絡み合う状態です。
この個と組織の有機的反応を促進するのが、ほかならぬ「対話」です。

部課長がよき対話を起こしている組織は、
仕事の厳しさを個人の成長と組織の発展に変えていくことができます。
逆に対話をなくした組織は、個がどんどん心に余裕を失くし、
自分のことで精一杯になります。結果、組織は砂漠化し弱体化します。
その分岐点に存在するのは間違いなく部課長なのです。

「仕事とは何か?」を部下と真正面から対話すること―――
部課長はこれを腫れものに触るような感じで避けるのではなく、
勇気をもって仕掛けねばなりません。
個と組織を強くするための「部課長の対話力」―――このテーマにつき
以降数回にわたって考察していきます。


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