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2010年9月30日 (木)

“ありきたり”をありきたりでなくする~柳宗理のケトルから


Ysori f 
今後長い付き合いになりそうな『柳宗理 ステンレスケトル』(つや消し)


我が家ではかれこれ10年以上使ってきた笛吹きケトルがあるのだが、
笛の鳴り具合も悪くなってきたので、いよいよ買い換えることにした。
で、前々から買い換えるならコレ!というものを決めていた。

――― 『柳宗理のケトル』 である。

使い始めてみて、ますますそのよさを実感している。

さて私は、働くうえにおいて、また、よい仕事をするうえにおいて、
「ロールモデル」を持て、「あこがれモデル」を見つけよと、各所で言っている。
模範・理想とすべき人物像、商品・サービスは、
自分と自分の仕事を引き上げてくれる具体的な刺激になるからだ。
で、私が理想とすべき商品のひとつがこの『柳宗理のケトル』である。

ケトル、つまりは“やかん”。
“やかん”などというありきたりな物を---
見るほどに、やっぱり美しいと感じる。
使うほどに、やっぱりいいなと納得できる。
そこまでの完成度に仕上げたのがこの商品なのだ。

奇をてらったデザインにするでもなし、
派手な加工をするのでもなし、
最新のテクノロジーで余分な機能を付けるでもなし、
しかし、基本のこと(沸かしやすい、持ちやすい、注ぎやすい、洗いやすい、安全性)が
見事に深く練られた工業デザイン―――私はここに自分の仕事への模範をみる。

私の仕事は、
「よりよく働くこととは何か」
「仕事を成す・キャリアをつくるとはどういうことか」
「プロフェッショナルであるためにはどうあるべきか」といった
とても基本的で普遍的で、ある種ありきたりな日常のことを扱い、
しかもそれを思索・内省させる教育サービスである。

受ける側からしてみれば、内容は刺激的な新しい知識に満ちておらず、
(自分の意識がさほど高まっていなければ)なんとも地味で退屈である。
受けさせる側(企業側)にしてみても、その教育が
直接的・即効的に業務処理能力の向上につながるわけではないため導入は消極的である。
また、市場には「キャリアデザイン研修」と呼ばれる商品がたくさん出回っていて、
「安かろうそれなりだろう」というものがあったり、
いたずらに理論や科学的ツールを盛り込んで豪華にしたものがあったりと、
商品の出回り数に比べて、ほんとうによいものは少ない。

私はそんな中にあって、『柳宗理のケトル』のように
ありきたりなテーマで、ついありきたりな商品になりがちのものを、そうはさせず、
腹応えのある商品としてズドンと世にぶつけることをしたい。

受けるほどに力を得、
振り返るほどに受けたことの深さを増す―――
そんな「働くとは何か」の教育プログラムをこしらえていきたいと常々思っている。


Ysori igr 
 柳宗理さんの実父は大正・昭和期に民藝運動を興した思想家・柳宗悦です。
 親子二代にわたって「用の美」を追求されているということになります。


 その商品(必ずしも商品とはかぎりませんが)がどれほどの「用の美」を備えているかどうかは、
 その商品がどれほど長く時代を超えて求められ続けるか、が一つの答えになるのではないでしょうか。


 

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