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2011年10月10日 (月)

留め書き〈024〉~悪神のささやき -続-


Tome024 

     「ほぅ、程々の生き方じゃ駄目だってことかい。
     しかし、“もっともっと”っていうお盛んな欲をもった人間が
     成果を一人占めしようとして、世の中の差別と蔑みを生んでるんじゃないのかい。

     いったいぜんたい、おまえさんは
     『2:8』の「2」の人間が、富の8割を押さえている世の中をどう思う?
     我々はいまこそ古人の言葉に耳を傾けるときではないのかね。
     ───“足るを知れ”と」。


* * * * *

正義を行いたいとする欲望は、
いつしか独善を強いる欲望へと変わるときがある。
愛したいという気持ちは、
知らぬ間に憎んでやるという気持ちへ変じる可能性がある。
「お金をもっと稼ぎたい」という欲求が健全に仕事と生活を進める場合もあれば、
それで身を持ち崩す場合もある。

自分に湧いてくる欲望に「善」「悪」のラベルが付いているわけではない。
また、どこまでが「OK」で、
どこを超えると「OKでない」かの線引きがあるわけでもない。

だから、人間の欲望は促進すべきなのか、それとも抑制すべきなのか、
これは簡単に答えを出せる問題ではない。
欲望には、「陽の面」と「陰の面」があって、人間を育てもするし、惑わしもする。
社会を進歩させもするし、混乱させもするのだ。

大事なことは、欲望の底にある心持ちがどうであるかだ。
もし、その欲望が、自分だけに閉じた(つまり小我的)感情で、
他と不調和的な心持ちから起こっているなら、「陰の面」が出てしまうだろう。
こんなときは、他人をかえりみず「欲を貪(むさぼ)る」、
もっと成長できるにもかかわらず「欲を怠(おこた)る」という状態が起こる。

逆に、その欲望が、社会に開いた(つまり大我的)意志で、
他と調和的な心持ちから起こっているなら、「陽の面」が出るだろう。
そのときは、健全に「欲を制する」、
自分の可能性を縦横無尽に伸ばせるよう「欲を開く」という状態になる。

ここでの悪神のささやきにはトリックがある。
悪神は「足るを知る」という玉条をもって、
欲をすべて一絡げにして“程々にせよ”と耳打ちする。
富の偏りをあげて、欲の強さを一緒くたに金欲に結びつける。

私たちが自身に求めるべきは、
欲を押し並べて“程々”にすることではない。
その欲を自己以外に開いていくことだ。
そうすれば自然と大きな智慧が湧いてきて、
貪欲でいいときと、抑制すべきときの見境がきっちりできるようになる。

賢く強く生きるために、私たちは己の欲望の主人になることだ。



→  悪神のささやき〈前編〉を読む

 

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