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2012年2月29日 (水)

概念の工作~「成功」の反対は?「失敗」ではない


私は最近、「概念工作家」という肩書きを付けるようになりました。

英語表記では
「コンセプチュアル・クラフツパーソン(conceptual craftsperson)」と勝手に造語をしています。

私は、子どものころから工作が好きで、
木工やねんど細工、紙工作、電気回路のハンダ付けなど時間を忘れてやっていました。
大人になるにつれ、職人の手仕事に関心が湧いてきて、
「クラフツマンシップ」というような精神性にあこがれも抱くようになりました。
私が最初、メーカーに就職したのもそんな流れでした。

ところが私は、いつごろからか、モノの切り貼り・組み立て・造形よりも、
概念・観念といったコトの切り貼り・組み立て・造形といった表現のほうに
魅力を感じるようになりました。

なぜかというと、仕事に対する動機が変わっていったからです。
最初、メーカーに入り、希望どおり商品開発部門で働いていたときは、
「何か新規性のあるモノをつくって、世の中を驚かせてやろう」のような、
言ってみれば、
「モノを通して新しいスタイルを提案すること」に面白みを感じていたように思います。

ちなみに、“ように思います”という表現になるのは、
働く動機というのは、往々にして、
進行形で動いているときには見えにくいものだからです。

そうして20代の月日は流れ、30代前半くらいに、あるアート作品本に出会いました。
オノ・ヨーコの『グレープフルーツ・ジュース』です。
ページをめくるたび次のような文が並んでいます。

「地球が回る音を聴きなさい。」

「空っぽのバッグを持ちなさい。
丘の頂上に行きなさい。
できるかぎりたくさんの光を
バッグにつめこみなさい。
暗くなったら家に帰りなさい。
あなたの部屋の電球のある場所に
バッグをつるしなさい。」

「想像しなさい。
あなたの身体がうすいティッシューのようになって
急速に
世界中に広がっていくところを。
想像しなさい。
そのティッシューからちぎりとった一片を。
同じサイズのゴムを
切りなさい。
そしてそれを、あなたのベッドの横の
壁につるしなさい。」

「月に匂いを送りなさい。」

「録音しなさい。
石が年をとっていく音を。」

「雲を数えなさい。
雲に名前をつけなさい。」

「ある金額のドルを選びなさい。
そして想像しなさい。
a その金額で買える
すべての物のことを。

想像しなさい。
b その金額で買えない
すべての物のことを。
一枚の紙にそれを書き出しなさい。」

                                           ───(南風椎訳・講談社文庫より)


これは、「インストラクション・アート(指示する芸術)」と呼ばれる分野のアートです。

彼女のこの作品が、ジョン・レノンにおおいにインスパイアを与え、
名曲『イマジン』につながっていくという話は有名です。

ちなみに、この本の最後に示されたインストラクションは、

「この本を燃やしなさい。
読み終えたら。」


……そして、本の末尾にはこんな言葉が付記されています。
「This is the greatest book I've ever burned.  ───John」



さて本題に戻り、私はこの本に触れて、
「ほほー、そうか。人の内にアート作品をこしらえさせるアート作品なんや」───
と、感心しきりでした。

自分の最終創造物は、人の外に創り出すものではなく、人の内に創り出されるもの。
つまり、創造の場は、人の心の内。
さらにその創造の主は、自分が半分、それを受けた人が半分。
そして出来上がった作品は、その人の内側に留まり、
その人のその後に影響を与えていくかもしれない。

消費財というモノ作りが、人の外側に創り出して、
人を外側から影響を与えていくのとはまったく正反対のアプローチです。

「モノを通して新しいスタイルを提案すること」に面白みを感じていた私は、次第に、
「概念や観念というコトを通して人の内側に何かを響かせてみたい」───
そんな気持ちが強くなっていきました。

* * * * *

さて、その後の経緯も話せばいろいろありますが、それは別の機会に書くとして、
きょうの概念工作です。

まず、次の問いです。

Sko 01


「成功」の反意語は、はたして「失敗」でしょうか。
そんなとき、エジソンのこの言葉はとても重要なことを教えてくれます。

     「私は失敗したことがない。うまくいかない1万通りの方法を見つけたのだ」。

失敗は成功までの一つの過程であって、
それによって得た経験知は、成功までの土台になりますから大切な「資産」です。
成功によって得る獲得物も、もちろん「資産」。
だから、成功も失敗も資産側に計上すべきプラス価値のものです。

では、対置するマイナス価値のものは何か?
───それは、「何もしなかったこと」
臆病心か怠慢心から、座してその機会を見送ったことです。


Sko 02


なぜ、私たちは「跳ぶ」(=何か行動で仕掛ける)ことに抵抗があるのでしょうか。
それはリスクが怖いからでしょう。
しかし、跳ぶことにリスクはもちろんありますが、
同時に、跳ばないことにもリスクはあります。



Sko 03


「跳ぶリスク」と「跳ばないリスク」、どちらが大きいでしょう?
そしてどちらが負うに値するリスクでしょう?
私が考えるのは次の図です。



Sko 04



成功にせよ、失敗にせよ、勇気をもって行動を起こせば、

何らかの資産(獲得物、経験知、感動、自信、人とのつながり等)が必ず蓄積される。
そして、その中に必ず次の行動の「種」が見つかる。
そしてもっと「跳ぼう」と思える循環が出来上がってくる。
これが「勇者の上り階段」。

逆に、何もしないことに安住すると、どんどん機会損失は増え、後悔は蓄積され、
さらに臆病癖、怠慢癖が自分に染みつく。
「臆病者の下り階段」が知らずのうちに出来上がる。

「跳ぶリスク」と「跳ばないリスク」。
どちらが大きいか、どちらが負うに値するリスクか、答えは自明です。



……こうした概念の工作を、企業内研修のプログラムに展開し、
受講者のみなさんと一緒に「仕事・働くこととは何か?」について演習や討論をする。
それもまた、私にとって楽しい作業です。





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