この世界は無数の「仕事」による壮大な織物である
かのアイザック・ニュートンは言った───
「私が人より遠くを眺められたとすれば、それは巨人の肩に乗ったからである」。
つまり、自分より過去に生きた人たちの偉大な知識を土台にしたからこそ、自分の仕事・業績はあったのだと。
「仕事」をひとつ定義するとすれば、「事前(Before)→事後(After)で何らかの価値を創造すること」となるだろうか。そう考えると、仕事にはたとえば、
○ 「A→A±」〈増減〉もあるし、
○ 「A→B」〈変形〉もあるし、
○ 「0→1」〈創出〉のようなものもある。
いずれにせよ、仕事は時間的にみれば「I N P U T→T H R O U G H P U T( T H R U P U Tと略)→OUTPUT」の流れでなされている(図1)。
たとえば、椅子をつくる仕事は、木材が原材料としてINPUT(投入)されると、つくり手の能力や意志・身体といったTHRUPUT(価値創造回路)にかかり、椅子がOUTPUT(産出)されるといった具合に。
それで仕事というものは、一人で閉じてできるものではない。たとえば、職人が椅子をつくるとき、手にする木材は誰かが木を切って運んでくれたものだし、工作機械も誰かが設計し、製造し、販売してくれたものだ。また、職人が学んできたモノづくりの知識は、過去の職人たちからの贈りものである。そして、当然ながら、そうした仕事をするには健康な身体がいる。そのためによく食べる。食べるとはすなわち、動植物の生命を摂取するということだ。だから職人の仕事のINPUTは、実はほかから提供されるさまざまなOUTPUTで成っている。
これは同時に、その職人のOUTPUTが次に誰かのINPUTになるということでもある。その斬新な椅子のデザインはほかの椅子職人のインスピレーションを刺激するかもしれないし、その椅子を購入した人がそこに座ってベストセラー小説を書くかもしれない。そう考えると、仕事というのはずっと連鎖していくイメージが生まれる(図2)。このとき、仕事は経時的変化であるとともに、無数の仕事が空間的な広がりをもって複雑につながり合うことにもなる。
そして、この連鎖のイメージを巨視的に発展させていくとどうなるか。私は次のようなイメージにたどり着く───この世界は、無数の個々が無限様に成す「INPUT→THRUPUT→OUTPUT」の価値創造連鎖による壮大な織物である。それを表現すると図3のようになる。
地球という惑星が特異なのは、1つには、青い水と空気があり生物が存在していること。そしてもう1つは、生物のなかの1種類である人間が、個々それぞれに「仕事」という一糸で価値創造という織りものを日々刻々行っているということである。きょうの私のこのアウトプット記事も、世界を織り成す一糸となり、次の誰かの仕事のインプットになるやもしれない。