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2013年7月

2013年7月27日 (土)

「幸福を感じ取る器」は大きい方がよいか/小さい方がよいか

Q_happiness




きょうは自身の幸福観をめぐる思索実験をやってみましょう。


まず、人はだれしも「幸福を感じ取る器」を内面にもっていると考えます。
その器は、高さ、深さ、広さ、鋭さから成っていて、人それぞれに大きさがあります。
さて、いまSさんとLさんの2人がいます。


Sさんの「幸福を感じ取る器」の大きさは「2」です。
いま、「2」の量の幸福を感じています。

他方、Lさんの「幸福を感じ取る器」の大きさは「10」あり、
いま、「4」の量の幸福を感じています。

……このとき、どちらが、より幸せなのでしょう?
あるいは、あなたはどちらの幸せ充足状態を望みますか?

つまり、器は小さくとも幸福充足度10割のSさんを望むか、
Lさんのように、
幸福をより高く、深く、広く、鋭く感じる大きな器をもつものの、

4割しか満たされない状態を望むか……。




* * *

上のSさんとLさんの違いを、少し卑近な例で紹介しましょう。

たとえばS1さんはごく普通の大学1年生です。食べることにはどちらかというと無頓着で満腹になればそれでいいという育ち盛りの学生です。いま部活が終わり、街の定食屋で牛丼大盛りを平らげました。彼はその料理の味にも量にも十分に満足しています。
他方、L1さんは40代のビジネスパーソンです。国内外の出張も頻繁にこなし、ところどころの有名なレストランで優れた料理をたくさん食べてきました。料理に関しては舌がすごく肥えていて、食の楽しみ方もさまざまに知っています。L1さんはある晩、評判のフレンチレストランに入り、コースディナーを食べました。決して悪くない料理ですが、彼にとっては「イマイチ」のレベルだったようです。さてこのとき、「食べることの幸福」からすると、S1さんとL1さんのどちらがより幸せなのでしょう?

次の卑近な例です。
S2さんとL2さんが一緒に山歩きに出かけました。山のふもとから川や湖を見て回り、5合目まで登ってきてお昼ご飯にしました。山歩き初心者のS2さんは「もうこれで十分山を楽しめた」ということで、午後は早々に山を下りることにしました。
他方、山歩きベテランのL2さんは、「山の魅力はこんなものではない。もっと上に行けばもっと素晴らしい眺めがあるし、登頂すれば爽快な達成感が得られる」ことを知っているので、午後もさらに上を目指しました。予想通り6合目の景色は5合目よりも雄大でした。ところがその後天候が急速に悪化し、7合目くらいで雨に降られ、下山を余儀なくされました。L2さんは登頂できず残念な様子です。さて、「山歩きの幸福」からすると、2人のうちどちらがより幸せなのでしょう?

もう1つ卑近な例をあげましょう。
S3さんとL3さんは、同期入社の10年目社員です。S3さんは能力的には並みで担当業務をこつこつこなします。今期も何とか与えられた個人目標をクリアできたことに「やり切った感」を得ています。
他方、L3さんは能力的に秀でており、新人のころから頭角を現して、いまではマネジャー職に就いています。これまでいくつものプロジェクトに加わり、仕事の面白みや醍醐味、同時に苦労や修羅場も知っています。今期任されたプロジェクトは難題で、チームをまとめきれなかったこともあり、成果も中途半端にしか出ませんでした。疲労感残るなか、「これも成長のためには大事な経験」と自分に言い聞かせています。さて、「仕事の幸福」からすると、どちらがより幸せなのでしょう?

……以上、3つの例から、SさんとLさんの状況の違いのニュアンスを読み取れたでしょうか。では、冒頭の問いについて考えてみてください。また、以下に思索を深める材料を並べておきました。

この問いに対する答えは、ここでは特に書きません。おそらく百人考えれば、百様の答えが出てくるでしょう。あるいは、自分のなかでも答えが1つに収束しない場合も起こります。それはそれでいいのです。その思索を巡らせるプロセスこそが「哲学する」(=フィロソフィー=智を愛する)ことにほかなりません。哲学の目的は、必ずしも明解に答えを出すということにはありません。考える行為をする、考える作業を愛することが哲学の主目的です。





【思索や議論を深めてくれる材料】

□「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」 ───『史記』
 (えんじゃく いずくんぞ こうこく の こころざし を しらん や)
  

  ツバメやスズメのような小さな鳥には、オオトリやクグイのような大きな鳥の志すところは
  理解できない、の意味。




□「満足した豚よりも不満足な人間、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスであるべきだ」。 ───ジョン・スチュアート・ミル(英・哲学者)



□「知足者富」(足るを知る者は富めり)  ───老子



□鋭い者にとって、この世界は憂いに満ちており、
鈍い者にとって、身の周りは唄・酒・恋に満ちている。 ───(出典不明)



サム・クックの歌った『ワンダフル・ワールド』(1960年のヒット曲)を口ずさんでみましょう。
 (YouTubeにかければ出てくると思います)

Don’t know much about history
Don’t know much biology
Don’t know much about a science book
Don’t know much about the French I took
But I do know that I love you
And I know that if you love me too
What a wonderful world this would be
 
Don’t know much about geography
Don’t know much trigonometry
Don’t know much about algebra
Don’t know what s slide rule is for
But I know that one and one is two
And if this one could be with you
What a wonderful world this would be

……(続き略)


───“Wonderful World” by Sam Cooke  


歴史のことなんかよく知らない
生物学なんかよく知らない
科学の本のことなんかよく知らない
履修したフランス語のことだってよく知らない
でも、僕は君を愛していることを知ってるさ
君も僕のことが好きだって知ったなら
どんなに素敵な世界になるだろう
 
地理のことなんかよく知らない
三角法なんかよく知らない
代数学のことなんかよく知らない
計算尺を何に使うのかだってよく知らない
でも、「1+1」が2だってことは知ってるさ
そしてその1が君だったなら
どんなに素敵な世界になるだろう
……




□『新・平家物語』(吉川英治);最終章「吉野雛」
平家一族は、保元・平治の乱という争いを経、70年に及ぶ栄枯盛衰の物語に幕を閉じます。吉川英治さんは長編歴史小説『新・平家物語』を締めくくるにあたって、庶民の老夫婦を登場させます。老夫婦は吉野の桜を見に来ており、旅籠でこしらえてもらった弁当をひざの上に広げて、二人、山桜を眺めている───(以下、引用)

自分たちの粟ツブみたいな世帯は、時もあろうに、あの保元、平治という大乱前夜に門出していた。───よくもまあ、踏み殺されもせずに、ここまで来たものと思う。そして夫婦とも、こんなにまでつい生きて来て、このような春の日に会おうとは。
絶対の座と見えた院の高位高官やら、一時の木曾殿やら、平家源氏の名だたる人びとも、みな有明けの小糠星(こぬかぼし)のように、消え果ててしまったのに、無力な一組の夫婦が、かえって、無事でいるなどは、何か、不思議でならない気がする。

「ほら、鶯(うぐいす)が啼いてるよ。あれも迦陵頻伽(かりょうびんが)と聞こえる。極楽とか天国かというのは、こんな日のことだろうな」
「ええ、わたくしたちの今が」
「何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ。これなら人もゆるすし、神のとがめもあるわけではない。そして、たれにも望めることだから」




□『人財教育コンサルタントの職・仕事を思索するブログ』

小哲夜話~“low aimer”の満足か“high aimer”の不満足か





2013年7月22日 (月)

「衣食住+職」足りて、“精神の飢餓感”を起こせるか



過日、『LEADER’S CAMP 2020~未来を変える学び場』(株式会社インテリジェンス主催)を終えました。「セルフ・リーダーシップ~自己をたくましく導くプロフェッショナルになるために」とのテーマで行った2時間半のミニワークショップの模様が、下のウェブページで詳しく紹介されていますのでご覧ください。


Leaderscamp_slides
○→当日の模様はこちらを
使用したスライド(抜粋)もあります。









「Leader’s Camp 2020」のページ



私は普段、企業内研修を主に行っており、顧客企業の外で、こうした参加者を広く公募するオープン型のセミナーはほとんどやりません。ですが今回参加された方々の業界や職種はとても幅広く、いろいろな個人発表を聞くに、私もたくさんの気づきが得られました。

何よりもよかったのが、みなさんの真剣に参加される熱でした。セミナーを終え会場を出るときに、今晩はほんとうに“よい会”だったなと思えました。“よい会”というのは、つまり、参加者の1人1人が真摯に仕事・キャリアを考え、それを共有し合い、啓発し合い、未来への元気を湧かし合う場ができたという意味で、よい会でした。

何年も研修やセミナーをやり重ねてくると、どれだけのものが受講者側に沁みているか、響いているかがわかるものです。その沁み具合や響き具合が、今回は近年ではまれなほど強く感じられました。人は深い内省によって心の奥底から力を得ることがありますが、そのときの静かな高揚感が、会場全体にずしんと満ちたように思います。

帰りの電車の中で私は、なぜ今晩は特にそういう会ができたんだろうと考えを巡らせました。で、得た答え。───それはやはり「飢餓感」の違いなんだろうな、と。

今回の参加者の多くは、人材紹介会社であるインテリジェンスさんとつながっている人たちです。つまりは目下、転職を考えていたり、求職中であったり、自分のキャリアに対し何かしらの手を打たなければと意識が立っている人たちです。実際、セミナーが終わった後、何人も私のところへ個別にキャリアの相談に来られましたが、いずれも転職や起業、再就職、留学に関する内容でした。中には深い悩みの方、強い決断をせねばならない方の相談もありました。また、「うちの会社は中小なので、こういう社員教育はなかなかやってもらえません。きょうはほんとうに来てよかったです」と、そもそも普段から学びの機会に恵まれない方のお礼の言葉もありました。

悩んでいるからこそ、求める気持ちが強くなる。
飢えているからこそ、手にした機会を大事にする。

そんなことをあらためて感じ取った一夜でした。自身の経験から少し加えると、私は31歳のときに、会社に無理やり特例の休職を認めてもらい、私費で米国の大学院に留学をしました。20代に貯めたお金をつぎ込み、日本の大学では学問体系のなかった「情報の視覚化」という分野の研究をしようと決断したのです。日々の業務に忙殺されるなかで、いま一度「学びたい」という渇望があったからでしょう、留学の総費用は約600万円かかりましたが、もったいないとは全然思いませんでした。留学生のなかには、社費留学で金銭的に悠々学ぶ連中もいました。しかし、私は悩み抜いたうえでの留学決行です。そして大量出血の自腹切りです。彼らと比べ、学ぶ必死さが違うのは当然でした。

飢餓感は真剣さを呼び起こします。その観点からながめると、私が普段接している企業内研修の場の雰囲気は、悩みの中から求める気持ちや、学びの機会を大事にする真剣さが必ずしも強くないと感じてしまいます。もちろん意識がかなり高い人もいます。けれど、「全員必須の研修です」といって集められる中には、「業務が忙しいのに研修か」とか、「こんな研修、自分には意味ないよ」と最初から決めつける人がいたり、表面は真面目に受講していても内省をいっこうに深めないまま適当にやり過ごす人も多かったりします。

確かにそれは研修事業者側の能力不足があって、つまらない研修を提供しているという理由があります。そしてまた、向上意欲の萎えた人たちをどうにか学ばせるのも、研修事業者の腕の見せどころでもあります。しかしながら、「衣食住+職」がひとまず安定した人たちの根っこのところの「飢餓感」や「求める心」をどう呼び覚ましていくのか、これは一研修事業者だけではいかんともしがたい難題です。

テレビ番組などでよく、貧しい国の村の子どもたちが、ボロボロの教科書と鉛筆を持ちながら目をキラキラとさせながら勉強している映像を観ます。私たち日本人はもはやあの純粋な“学ぶことの喜び”から遠いところにいます。

「腹の飢え」がなくなった私たちが、それに代わって、もっと学びたいという「心の飢え」、何かもっと大きな価値を成就したいという「心の渇き」を内面に起こし続けることができるのか。これは、個人にとっても、組織・社会にとってもほんとうに大きな課題です。日本の再生ということで、アベノミクスがさまざまに議論されています。アベノミクスはあくまで外側からの施策です。真に日本が強くなるためには、国民一人一人の内的な成長意欲、つまり、単に生きるだけでなく、よりよく生きることを志向して「心の飢え・心の渇き」を自分のなかに湧き起こせるかどうかが決定的に重要です。歴史を振り返っても、国や文化・文明を興隆させてきた根本は、人びとのなかに湧き起こるエートス(精神的気風)でした。

いまさらながら故スティーブ・ジョブズ氏の言霊が私たちに覆いかぶさってきます。

───“Stay hungry, stay foolish.” (飢えていよ・一途な馬鹿でいよ)




* * * * * *

【発展思索】
4つの「飢え・渇き」


「渇欲・飢え」を巡る思索を私なりに整理したのが下の図です。

人間は貧しい状態から豊かな状態を目指す性質をもっています。つまり、「足りないから満たしたい」という欲求です。もし自分が貧しい社会に生活しているとすれば、2つの欲求が生まれてくるでしょう。1つには、「腹の飢え」からくる“生きたい/生きなければ”という切迫した欲求です。この欲求は、食べ物や衣服、住居などが手に入れば解消されるという意味で物質的な次元のものです。そしてもう1つは、「心の飢え」からくる“人間らしくありたい”という精神的な欲求です。この欲求は個人の尊厳や誇りに属するもので、具体的には、学校教育が受けられる、法律によって人権がきちんと守られることで解消されていきます。


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そしてある程度「衣食住」が満たされる社会になってくると、また別の2つの欲求が生まれてきます。「腹の飢え」は「富への憧れ」に変わり、もっと多く食べたい、もっとよいものを食べたい、もっと美しく食べたい、になってきます。この欲求は食べることに限らず、もっとお金を持ちたい、物を持ちたい、名誉を持ちたいなど、所有全般に広がっていきます。一方、精神的な欲求としては、自己の可能性を最大限に開発したい、もっと大きな価値の実現に自分を使いたいという「心の渇き」が出てきます。


◆モノが豊富な社会にあって容易に起こらない「心の渇き」
さて、現代の日本に生きる私たちにとって、2つの対照的な課題があるように思います。1つは、放っておいても強く湧き起こってくる「富への憧れ」をどう制御していくか。もう1つは、なかなか起きてこない「心の渇き」をどう呼び覚ましていくか。

「富への憧れ」はそれ自体悪いものではありません。個人ががんばって働こうとする意欲の源泉はここに大部分がありますし、資本主義経済を回す基本的な動機もここにあります。ですが、金・物にかかわる“もっともっと”という欲は強力です。1人1人の人間がそれを際限なく追い求めたら、このかけがえのない地球環境が早晩もたなくなるでしょう。

東洋の叡智は、その欲を賢く制御せよということで、「知足」(=足るを知る)の思想を提唱しました。どこまでの欲はよしとし、どこ以上の欲は控えるか、その線引きはあくまで1人1人の人間の自律に任せられるのが「知足」の教え。単に100%欲を禁じ、欲を断ずるよりも難しいことですが、人間や社会がほんとうに成熟化するとは、これができることなのだと思います。

そしてもう一方の「心の渇き」問題。米国の心理学者アブラハム・マズローはこれを「自己実現欲求」と名づけ、「欲求5段階説」の最後5番目にあげているものです。それだけにここに自分なりの答えを見出していくことは難しい、しかし生涯を懸けて取り組むに値する問題です。


◆「欠乏を満たす」問題VS「存在意義をつくり出す」問題
「腹の飢え」にせよ「心の飢え」「富への憧れ」にせよ、それは欠乏充足の問題です。つまり、自分に不足しているものが何であるかがわかっていて、それを供給してやれば解決がみえるという問題です。しかし「心の渇き」のみは、いわば存在意義の問題です。自分が腹の底から納得できる“生きる意味・自分の役割・使命観”がじゅうぶんにわかっていない、つかみきれないという渇きです。そしてその答えはどこかにあるのではない。他人から買えるものでもない。自分で創出しないかぎり、永遠に自分を満たすことはない、そういう次元の異なった問題なのです。

こうした自分の存在意義をめぐる渇きは、ただちに生命をおびやかすものではありません。ゆえに「衣食住+職」がとりあえず満たされ、ましてや多量の業務に忙殺される日々を送っていると、ついつい「心の渇き」に意識を向けることがおっくうになるものです。むしろ仕事疲れが増してくるほど、お金で交換できる非日常気分のレジャーや豪華なモノで癒しを得たいと思う。そしてもっとお金が欲しいとなる。で、もっとストレスフルに働いて稼ごうとする……。それは「富への憧れ」がもつ悪い回路に取り込まれた姿です。「富への憧れ」が知らずのうちに「富への執着」や「富を減らすことへの恐怖」に変質し、自分を別の意味で苦しめる。そこからはますます「心の渇き」が遠くなります。

私は「心の渇き」を感じればこそ、こうした記事を書いています。お金にもならない記事を何日もかけて、数行書いては進み、数行削除しては書き直ししながらブログにアップしています。例えば今回はこのように人生における渇欲・飢えとは何かという大きな問いを立てていますが、これに対する絶対の正解はありません。自分の解釈を書きながら掘り下げていくだけの作業です。しかしこの思索を巡らせ、文章を編んでいる過程が“豊かな時間”であり、“豊かな自分をつくる作業”であると思っています。

ある人は言うかもしれません───「そんな小難しく人生を考えるな。リゾート地のホテルで、恋人や家族を伴い、美味しい料理を食べながらのんびり過ごすことだって豊かな時間だ。そこで鋭気を養って、休み明けからまた働けばいいのさ」と。私はそうした考えや行動を否定しません。私も実際そうしています(私は山登りに温泉にビールですけど)。しかし、それでは根本的な豊かさを得ることにはつながらないと思うのです。


◆堅固な豊かさ・もろい豊かさ
私が問いたいのは、その豊かさの堅固さです。お金で交換できる癒しや興奮、優越は、消費的であり、もろさを免れません。どんな金持ちであっても、王様であっても、幸せ家族であっても、モノで担保される安心に依っているかぎり、つねに「こんな幸福がいつまで続くんだろう。これを失うときが怖い」という気持ちにさいなまれるでしょう。その点、「心の渇き」に対する答えを見つけ出そうとする作業は、結果的に答えが見つかっても見つからなくても、それ自体、創出的であり、堅固な豊かさです。そうした堅固な豊かさを得ればこそ、ときどきに楽しむリゾート地での非日常イベントが、よりいっそう自分を蘇らせるものになるのだと思います。

「人間とは意味を求める存在である」と言ったのは、ユダヤ人精神科医ビクトール・フランクルです。彼は第二次世界大戦下、独ナチス軍に捕まりアウシュヴィッツ強制収容所に送り込まれました。そのとき書物にして出版するつもりでいた原稿が軍に没収され捨てられてしまいます。フランクルは収容所のなかで、自身の存在意義を見出します。ここを何としても生き延びてもう一度原稿を書きなおそうと。その生きる意味こそが、自分にあの凄惨極まる収容所で耐え抜く力を与えたのだと語ります。そんなフランクルであればこそ、次の彼の言葉は深く重い内容を含んでいます。

───「人間が幸福を追い求めれば追い求めるほど、ますます彼は幸福を追い払ってしまうのです。このことを理解するには、人間は結局のところ幸福を目標にしているのだという先入観を克服しさせすればよいのです。つまり、人間が実際に欲しているのは幸福であることの根拠を持つことなのです。……幸福は追求され得ない。それは結果として生じる」。 (『意味への意志』より)



幸福への根拠を持つために、いろいろと考え、行動し、もがく。そのプロセス自体が、実は後から振り返ってみてわかる幸福なのだ、これがフランクルの叫んだ主張です。私もほんとうにそう思います。だからこそ、「心の渇き」に真正面から向き合うことは生涯を懸けてやるに値する奮闘なのです。


◆大きな生き方は「大きな生き方をする人」からしか学べない
「心の渇き」が大事なことはわかる。けれども飢餓のない平穏で多忙な生活のなかでそれをどう起こせばよいのか───そんな質問もしばしば受けます。

例えば私自身は、「ロールモデル」(模範的存在)に多く触れるようにしています。強く、大きく、深く、高く生きている人と、自分とのギャップを感じることです。例えば、野口英世は自らの命を犠牲にしながら細菌研究に明け暮れた。マハトマ・ガンジーは強靭な意志の「NO」を貫き民衆を率いていった。岡本太郎は強烈に自己を爆発させ、他に媚びることをいっさいせず、そのエネルギーを作品に変えていった。そうした生きざまに刺激を受けることで、じゃぁ自分は何に生きるんだ、いまの生き方は生ぬるくないか、自分の能力を使って世の中に何の価値をぶつけていくんだ、とそんな心理モードになってきます。それが実に「心の渇き」が起こった状態ではないかと思うのです。

サラリーマンの間では、夢とか志という言葉が死語になりつつあります。仕事量とスピードが増す日々の業務現場。目標数値を達成せねばならないというストレス。不機嫌な職場での人間関係。多くのサラリーマンはともかく疲れていて、「心の渇き」とか「大きな生き方」「夢・志」とか言う前に、日々の自分をどう継続していくかだけで目一杯な状況があります……。「しかし、だからこそ!」と私は声高に主張したいのです。だからこそ、心の渇きを起こし、大きな動機を耕さなければ、ほんとうに健やかで朗らかな仕事人生は送っていけない、と。

最後に、フランクルの言葉をもうひとつ。

───「人間にとってまず第一に必要なものは平衡あるいは生物学でいう“ホメオスタシス”、つまり緊張のない状態であるという仮定は、精神衛生上の誤った、危険な考え方だと思います。人間が本当に必要としているものは緊張のない状態ではなく、彼にふさわしい目標のために努力し苦闘することなのです。彼が必要としているのは、是が非でも緊張を解除するということではなく、彼によって充足されることを待っている可能的意味の呼びかけなのです」。 (『意味による癒し』より)




2013年7月19日 (金)

留め書き〈033〉~「深み」と「高み」

Tome033_2


「深み」は、独り負荷に耐えているときにつくられる。

「高み」は、なにか事を成し遂げたときに感じられる。





私はメーカー時代に商品開発を担当していたこともあって、
アイデア手帳を何冊か身の周りに置いている。
当初は思いついたアイデアを書き殴っていたのだが、
いつのころからか(たぶん独立して精神的なプレッシャーの質が変わったころから)、
アイデアより、その時々の心境や想い、決意、悲しみ、喜びの断片を書くことが多くなった。

それをたまに読み返すと、
ああ、ここは結果が出ずに自分が下のほうにもぐっている時期だなという箇所もあれば、
難しい仕事をやりきり、すがすがしさに満ちている箇所もある。

総じて、
「深み」は忍耐強い思索とともに形成され、
「高み」は果敢な行動とともに感得されるように思う。


「紺碧の母なる海の深み」
「雪渓を抱く雄々しき峰の高み」を合わせ持つ人間は、大きい。




2013年7月16日 (火)

中学生向けキャリア教育~すべての働く人には“思い”がある


Asahi0710 特別授業の模様が朝日新聞(7月10日付・地方面)で紹介されました



「働くって何だろう!?」を考える特別授業〈第2回〉
~仕事を“能力×思い→表現”で分解してみる

Photo

昨年7月、福山市立山野中学校(広島県)で行った「働くって何だろう?」を考える特別授業、その続編である第2回目を、過日実施することができました。

ちなみに、昨年の第1回授業の模様はこちらのページで紹介しています。
中学生向けのキャリア教育プログラムを実施


* * * * *

■ 実施日・実施校:
 2013年(平成25年)7月9日  
 10:50am~12:40pm
 広島県福山市立・山野中学校にて
 

■ 授業名:
 「働くって何だろう!?」を考える特別授業〈第2回〉
  ~仕事を“能力×思い→表現”で分解してみる


■ プログラム概要:
 『“働くって何だろう!?”を考える特別授業』は、山野中学校の柳井晃司校長から要請を受け開発を始めたもので、全体として3部構成を想定しています。昨年、その第1部を実施しました。本年が第2部です(第3部は来年実施予定)。

 プログラム全体の核になる概念メッセージは───

  「仕事(働くこと・職業)とは、
  『能力』と『思い』を組み合わせて『表現』する活動である」。
  簡単に表記すると、「仕事=能力×思い→表現」となります。

 第1部は特に「能力」というものの理解に重点を置き、レゴブロックを使ったゲームで学んでもらいました。今回の第2部は「思い」に重点を置いたプログラムです。次回第3部は、「表現」にフォーカスすることを予定しています。

 今回第2部の肝は、『仕事分解シート』演習にあります。教材として『朝日中学生ウィークリー』の「ジョブなう」という記事を使います。

Asahicwk

 「ジョブなう」の連載はすでに130回を超えていて、毎回さまざまな職業が紹介されます。この記事のよいところは、実際の人物を取材し、その人を通じて職業を見せていく点です。職業内容やその職業に就くための要件はもちろんのこと、その人の生い立ちやその職に就いた背景なども記事に織り込んであります。
 今回、この記事を過去8カ月分(約30本)用意し、生徒たちに興味をもった職業(記事)を選んでもらいます。それで生徒たちは『仕事分解シート』を手に、仕事を「能力・思い・表現」の3要素に分解してとらえる作業を行います。


■ スライド講義(抜粋):

まず、基本概念となる「仕事=能力×思い→表現」の説明から入ります。

「能力」とは何か、「思い」とは何か、「表現」とは何か、については、
昨年の第1回授業で説明しているのですが、復習を兼ねてスライドを見せます。

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実際の仕事の例をあげて、「能力×思い→表現」をイメージしやすくします。

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仕事の理解でさらに大事なことは、表現したもの(=商品・サービス)が人に買ってもらわなければならないことを知ることです。人に役立ち、必要とされ、支持され、購買されてはじめて報酬(ここでは特に金銭的報酬を指しますが)が生み出されることを頭のなかに入れなければなりません。

子どもはよく親の手伝いをすると小遣いがもらえることを体験しています。このとき大人が留意すべきは、子どもに対し、小遣い(=金銭的報酬)は、何か我慢して労働したときの対価であるという認識に偏らせてはいけないということです。「自分は我慢して働いたのだからお金をもらって当然」と考えるのはあくまで一面であり、利己の視点です。「自分の表現したものが人の益になり、世の中に貢献した。そのとき人や世の中が、お礼の気持ちとして代金を払ってくれる。それがつまり売上になり、給料になる」という、利他からの視点でとらえることを伝えねばなりません。

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さて、ここまでの下地の理解をつくっておき、『仕事分解シート』演習に入ります。
新聞記事を熟読し、自分が選んだ仕事を「能力・思い・表現」に分解してとらえ、皆の前で発表します。今回、新聞記事と『仕事分解シート』は1週間ほど前に配ってあり、生徒はかなりの程度予習をしてきてくれました。

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「能力」や「思い」の箇所は、ヒントワード集を与えて、語彙が出やすいように刺激づけします。

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書き込みを終えたら、1人1人が発表用シートをスクリーンに投影して、その仕事につき「3要素の分解」によって説明をしました。

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R (写真提供:山野中学校)


以下、授業のまとめに入ります。


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■プログラム開発の意図・背景:

 学童向けキャリア教育のアプローチはさまざまに考えられます。現状そのほとんどは具体的・体験的なアプローチを採用しています。1つ1つの具体的な仕事を見せ、体験させ、それを通じて働くことに関心をもたせるというものです。職業体験、あるいは職業の疑似体験をさせるテーマパークなどは、いろいろに広がっていくことが望まれるものですが、その手のプログラムは子どもに強烈な刺激を与える半面、フィーバー(熱)も冷めやすいものです。また、体験した職業を「技術的に自分ができそうかどうか」「カッコイイかどうか」「仕事内容が自分にとって単純かどうか」など表面的な材料で切り取ってしまう可能性もあります。

 そこで私がとるのは、抽象的・観念的なアプローチです。本プログラムが試みるのは、「働くことの根っこにある本質を押さえる力を育むこと」です。「仕事=能力×思い→表現」というひな型にそって、千や万もある職業を考えさせるのもその意図のもとだからです。たとえば、第1回では「なぜ能力(知識や技術)をたくさんもつことが大事なんだろう?」という問いを立てます。そこをレゴブロックでゲームをしながら、根本の考えを見つけるよう促していきました。

Photo_2  また第2回は、『朝日中学生ウィークリー』の記事を教材にして、職業を技術的要件で理解するだけでなく、その職業に就いている人間の気持ちになって、「その人はその仕事を通して、どう世の中に役立っていこうとしているのか」を想像させる訓練をしました。その意図は、「すべての働く人には“思い”があるという価値認識の力を養うこと」にあります。働くことを深く理解するには、そうした多面・多義的な咀嚼(そしゃく)が不可欠だからです。


 私は企業の従業員や公務員に向けてキャリア開発研修を数々行っています。大学生に向けてもたびたび講義を行います。そこで感じることは多々あるのですが、ここでは次の2点に触れます。

 1点目として、雇用側・被雇用側の双方で、職業が「技術的能力と金銭的報酬の交換である」という考えがますます支配的になっていることです。そのために仕事現場において、雇用側は働き手の技術・知識による成果をもっぱら評価し(つまり企業は全人的にヒトを求めるのではなく、即戦力としての手や頭を欲する)、他方、働き手側は報酬の多寡をもっぱら考える状況が強まっています。就職(転職)においても、求職者はますます、自らの技術・知識をいかに企業の欲するものにマッチングさせていくかという競争になっています。いずれにしても、そこでは働く「思い」(=仕事観、仕事の意義、理念、信条、夢・志、使命観)といったものが脇に放置されています。

 確かに就職面接の際には、雇用側も働き手側も「志望動機=なぜそこで働きたいのか」なるものを問い、答えます。しかし、そこでやりとりされる動機の多くは、入社するための方便としていかにその志望先の組織に興味関心があるかに終始していて、必ずしも「なぜ自分は働くのか?」という根本の問いへの答えにはなっていません。
 実際、企業研修で、3年、5年、10年と働いてきた社員たちに、「なぜ自分は働くのか・なぜいまのこの仕事なのか」という直球の問いに、多くの受講者は明快に答えることができないのです。「生計を立てるためには働かねばならないから」と書くのが大半です。この答えは決して間違ってはいませんが、「人はパンのみに生きる存在か?」という問題に対し、真正面から考えるのを避けているように思えます。


 とはいえ私が観察するに、「思い」が強力で堅固な人も少なからずいます。そういった人は、「思い」が先行していって、そこで必要になる能力を後付けでどんどん習得していく、また、その「思い」に共感してくれる人たちを巻き込んで事を成し遂げていく、そんな姿で自身の道を拓いています。

 私が考えるたくましいキャリア形成というのは、技術や知識を雇用側に神経質にマッチングさせていくものではなく、「思い」がぐいぐいとキャリアをドライブ(駆動)させていき、それに引きずられる格好で能力と人(同志・支援者・共感者)が付いていくものです。ですから今回、子どもたちが職業をとらえるときに重要視させたかったのが、この「思い」という観点だったのです。

 2点目に、私は企業内研修の現場で、大人になっても依然、概念化思考、抽象化思考が苦手で、ものごとの本質がとらえられない、本質に向おうとしない受講者を多くみています。具体的にマニュアル的に指示されなければ動けない働き手が増えていることはこのことと無関係ではありません。なおかつ日本人は情に流されやすい性質(たち)です。こうした2つの要素が掛け合わさると、日々起こってくる末端の出来事に感情レベルで反応するしかない、結果的に疲れる生き方になります。
 結局、仕事においても、その配属された部署が好きか嫌いか、任された担当業務に対し気分が乗るか乗らないか、上司とは気が合うか合わないか、といった都度都度の感情で右往左往する状況になりがちです。モチベーション(動機)が表層の感情から起こっているので、仕事に向かう姿勢が安定しないのです。そして何か成功マニュアル・処世術の類のものに頼ろうとしてしまう。

 しっかりと自分を持っている人は、配属された部署の役割は何か、自分が任された業務の肝は何か、職場の人間関係づくりで大事なことは何か、といった本質的なことをつかもうとします。そしてそのつかみとった本質を軸にして、自分をどう生かしていけばよいか、与えられた環境をどう活用していくか、といった意識で働こうとします。モチベーションの源泉が本質的な奥のところに置かれているので、強く安定しています。

 「自律的な人財」ということがよく言われますが、まさに自分がつかみとった本質を軸(=律)にして、ぶれない判断をして能動的に振る舞えるのが自律的ということです。自律の「律」とは、規範やルールということです。自分の内に規範やルールを設けるためには、正しいとは何か、善いとは何か、美しいとは何か、といった本質的な価値を抽象していく能力が欠かせません。だからこそ、抽象化思考は訓練されなければならないのです。
 感情的に行動するのは悪いことではありません。本質の次元から意志を湧かせ、その上で感情豊かに振る舞うのであれば、それこそ鬼に金棒です。

 以上、企業の研修現場で感じ取る2点から、今回の中学生向けキャリア教育プログラムづくりがあります。本業の合間を縫って行っているボランティア活動ですが、子ども対象にプログラムをこしらえることは、まさに「教えること・学ぶこと」の本質により深く迫っていかねばならない作業で、私自身、それが本業にもたいへんよい効果を及ぼしていると感じています。


■「NIE」(教育に新聞を)について:
 「NIE(エヌ・アイ・イー)」とは“Newspaper in Education”の略で、学校などで新聞を教材として活用することを言います。1930年代にアメリカで始まったそうです。国内でも日本新聞協会が96年から本格的に展開を始めました。
 今回の特別授業では『朝日中学生ウィークリー』を教材として使用しました。たまたま山野中学校が県内のNIE指定校だったこともあって、朝日新聞の甲斐俊作福山支局長が当日取材に来てくださり、翌日の朝刊に記事掲載いただきました(ブログ冒頭の記事写真)。

 今回のプログラム開発にあたり、生徒たちに仕事を3つの要素(=能力・思い・表現)で分解してとらえさせることは決めていました。で、その分解対象となる仕事(職業)をどう選ばせようか、そこをずっと思案していました。当初、『13歳のハローワーク』(村上龍著)を使うアイデアを思いつきました。同書は世の中にあまたある職業をカタログ的に網羅した内容です。そのなかから、自分が興味をもった仕事を選んでもらうわけです。
 ところが、やはりカタログ本であるために、1つ1つの職業の説明記述が無表情というか、淡々として実際に働く姿が想像しにくいものになっています。特に今回のプログラムは、職業のなかから「思い」というものを引き出してほしいという意図があります。したがって、実際の人間が仕事を物語るという情報のほうが教材として望ましいと考えました。そこで新聞やテレビのインタビュー記事やドキュメンタリー番組を探るうち、『朝日中学生ウィークリー』の「ジョブなう」に遭遇したのです。

Photo_3  「ジョブなう」は記事群としては職業カタログ的でありながら、1本1本の記事は具体的な人物の働く姿が詳しく描かれ、肉声がちりばめられていますので、子どもたちにも共感をもって読んでもらえると感じました。結果的に、生徒たちは記事を何度も読み込みながらその人の気持ちになって、情報不足のところは想像をはたらかせながら、「能力・思い・表現」の3要素に分解して職業をとらえることができたように思います。


 また、これを機に山野中学校では、数カ月分の「ジョブなう」紙面を廊下の壁に貼り出し、他の職業も読むように促しています。「世の中には実にいろいろな職業がある」ということを子どもたちに知らしめていくことは大事なことですし、1つの職業紹介記事との出合いが人生進路を変えてしまうこともありえますので、こういった取り組みは意義のあることだと思います。


【参考】NIEのウェブサイトはこちら



■事後アンケートの声(生徒):


○「私は『能力×思い→表現』の『思い』の話のとき、人は何かをするとき必ず思いを持っているという先生の言葉が心に残りました。何かを考えいろんなことを思うから、仕事が出来るんだと思うし、なりたいと思う職業が見つかるんだと分かりました。自分でも発表してみると、今まで知らなかった仕事への思いが沢山分かりました。もっと仕事について考え、自分に合った職業を見つけたいと思いました」。 (1年生・女)


○「やりたい仕事は簡単にできるのかなと思っていたけど、その仕事につくまででもけっこう大変なんだということがわかりました。能力などを紙に書くのが少し楽しかった」。 (3年生・男)

○「『ジョブなう』の中で私は図書館司書を選んで、将来の夢に近そうな仕事だなと思った。その仕事を能力・思い・表現に分けてみると、自分に足りないことは何なのか、どういう気持ちで(その人は仕事に)励んでいるのかが分かった」。 (3年生・女)

○「仕事をするのは大変だと思うけど、いろいろな商品を作っている会社は、使ってもらう人に対していろいろな気持ちを持っていることがわかった」。 (1年生・男)

○「『ジョブなう』の記事から能力・思い・表現に分けるのは難しいところもあったけど、記事をしっかり読んで書くことができました。書くことによって自分がどんな事を努力すればよいのかも分かりました」。 (2年生・女)

○「僕は『救急医』を書いたけれど、本当は看護師か薬剤師になりたいです。今日書いた「能力×思い→表現」の「能力」には、チームワークや持続力などを書きました。その中で僕は、病気や薬に関する知識や、観察力、記憶力が足りないと分かりました。なので、学校で習う最低限の知識を身に付け、観察力、記憶力を鍛えたいです」。 (3年生・男)




■事後アンケートの声(教職員):


○「具体的な人のお話、人生をもとに組み立ててあるので、非常にわかりやすかった。新聞に連載されたものがもとなので、授業に使うにも使いやすい。Eテレの『あしたをつかめ』も視覚的に訴えるところは大きいが、クラスで使うには『ジョブなう』のほうが向いている」。

○「仕事とは自己の生き方の思い、社会に対しての思いを表現・発揮することでもあるという視点がすばらしい。考えてみれば当たり前のことでもあるが、自分がこうありたいという視点とともに、他者に対してどうありたいのかがクローズアップされた取組となっていると思う」。

○「生徒一人一人が『仕事分解シート』をもとに発表したことは、これもまた“自らの表現”であり、“思いの発”であり、仕事さがしに向けて、自ら歩むことへの意思表示であったと思います」。

○「それぞれの生徒が、興味のある仕事について調べたり、書いたり、発表したりするということで、意欲を持って考えることができていたと思います。将来生徒が社会に出て、思いを持って仕事する人が増えてくるといいなと思うのですが、学校でできることはどんなことでしょうか」。





■山野中学校・柳井晃司校長からいただいたお礼の手紙:
(ご本人に承諾を得て掲載しました)


キャリア・ポートレートコンサルティング

代表 村山昇様

 謹啓 仲夏の候 ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 過日の特別授業に際しましては、ご多用のなか遠路、本校までお越しいただき心より感謝申し上げます。また、昨年度に引き続き、「働くって何だろう?」を考えるをテーマに特別授業を実施していただき、厚くお礼申し上げます。

 今回、「能力×思い→表現」で仕事分解していくなかで、生徒たちは仕事について、じっくり考えていきました。インプットとして「ジョブなう」の記事を読み、アウトプットとしてワークシート(仕事分解シート)の発表を行う。このプロセスは生徒たちに将来就きたい仕事をフォーカスする作業になったと感じています。また、今回の村山先生の特別授業は私たち教職員にとっても「自らの仕事」を考える機会となりました。教師として「仕事に対する思い」を生徒にたちに語った担任。この仕事に就いた思いや仕事のやりがいを問いなおした教職員。生徒たちは将来の仕事を考え、教職員は今の仕事をみつめなおすことのできた特別授業でした。生徒及び教職員のアンケートを同封しています。ご参照いただければ幸いに存じます。

 最後に今回、特に感じたことを記することにします。出会いは学びの場であることと、継続することで学びが深まることです。村山昇先生との出会い、そして二度目の特別授業。またお会いできることを楽しみにしています。今後も「仕事って何だろう?」について仕事観を描き出していく先生の益々のご活躍を祈念いたしまして、お礼の言葉とさせていただきます。

敬白
 

平成25年7月12日
福山市立山野中学校
校長 柳井晃司






■補足:生徒たちへの事前メッセージ:

山野中学校のみなさんへ

 今年4月から3年生・2年生になったみなさん、こんにちは。去年の夏、レゴブロックを使った特別授業をやらせていただいたキャリア・ポートレートコンサルティングの村山です。そして今年から入学された1年生のみなさん、はじめまして。間もなくお会いできるのを楽しみにしています。

 さて、今年も『働くって何だろう?を考える特別授業=第2回=』をやることになりました! 今回も一風変わった練習をしながら、みなさんといっしょに「仕事・職業」について考えていきたいと思います。

 ところで、みなさんは「将来どんな夢をもっていますか?」ときかれたら、次のAさんとBさんのどちらに近いでしょう……


■Aさん:
「ぼくの夢はなんといっても科学者になること! 宇宙ステーションの開発にかかわる仕事をしたい。そのためにアメリカの大学に行って博士号をとるのが目標」。


■Bさん:
「私はとくに夢のような立派なことは思い描けないなぁ。けれど文章を書くのが好きだし、きれいな絵にも興味がある。だから、なにか本や雑誌をつくったりする仕事ができればいいかなと思う」。



 Aさんは明確な将来像をもっています。そしてその大きな夢に向かって突き進んでいく強い気持ちがあるようです。他方、Bさんは明確な夢は描けていません。向かうべき目標があいまいなために、将来に向かう気持ちもどことなくあいまいです。
 それで私はここでみなさんに、「全員がAさんのように明確な夢をもちなさい」と言うつもりはありません。安心してください(笑顔)。確かにAさんのようにはっきりとした夢をもてればそれにこしたことはありません。ですが、中学生や高校生くらいになると、だんだん自分のことや世の中のことがみえてきて、夢や志のようなものがもてなくなってくるのも事実です。
 ですから私はBさんのような答えでもいっこうにかまわないと思っています。正直、私も中学生のころは自分の夢というものをもてずにいました(しかし、いまはもっていますよ!)。

 Aさんのように将来の夢を語れる人にとっても、またBさんのように夢が具体的に語れない人にとっても、ひとつ大事なことがあります。───それは、人がその仕事をしている“思い”に関心をもつ、ということです。
 たとえば、町で消防士さんを見たとき、「なぜあの人は危険な消防士という仕事を選んだのだろう?」と考えてみる。あるいは、スーパーマーケットに行って、店員さんが「野菜が安いよ、安いよー」と大声をあげて一生懸命に売っているのを見かける。そのとき、「あの人はなぜ、ああいうふうに仕事に一生懸命になれるのだろう?」と考えてみる。働いている人たちには、それぞれに働く理由があるものです。そしてまた、仕事を通して世の中に届けたい何かをもっているものです。それが“仕事に対する思い”です。

 これからのみなさんは、ぜひ、大人たちの“仕事に対する思い”に気を留めてください。そして機会を見つけてその大人たちに「なぜその仕事を選んだのですか?」「その仕事はどこが面白いですか?」「その仕事のやりがいはなんですか?」と質問してみてください。身近なところでお父さんやお母さん、親戚の人、学校の先生にきいてみるのもいいでしょう。
 実際、大人たちにきいてみると、「家族を養うために給料をもらわなきゃならないからね」とか、「お客さんからありがとうの笑顔をもらえることがうれしい」、「この仕事を通して社会に役立っていることが誇りに思える」「仕事は厳しいけど、自分がどんどん成長できるのが面白い」などさまざま出てきます。

 そうした“仕事に対する思い”をいろいろ考え、人にもきいていくうちに、自分のなかで働くこと・仕事についての興味がどんどん強くなっていきます。そんな心構えをずっと続けていくと、自分が将来何になりたいのかが必ず見えてきます。思いをもてば、それにかかわる知識や技術を身につけようとする意欲も高まってきますし、知恵もわいてきます。つらくても粘れる自分ができてきます。思いを持った人は強くなれるのです。

 そんなところから、今回の『働くって何だろう?を考える特別授業=第2回=』は、“仕事に対する思い”を考える練習をします。ぜひお楽しみに! では、7月9日にお会いしましょう。


平成25年6月
東京より
キャリア・ポートレートコンサルティング 村山昇





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