新社会人に贈る2014 ~仕事は「正解のない問い」に自分なりの答えをつくり出す営み
この春、新しく社会人となり、晴れて職業を持つみなさん、おめでとうございます。これから何十年と続く職業人生の出発にあたり、きょうは大きく2つのことをお伝えしたいと思います。
1)「仕事の内容」は選べないが、「仕事との関わり方」は自分で決められる
2)選択肢をつくり出し、「選べる自分」になっていくことが大事
◆「仕事との関わり方」の発展が自己を拡大・深化させる
みなさんはこの入社を勝ち取るために、それぞれに難しい就職活動を経られたと思います。なぜ就職活動が難しかったか。それは、就職が“正解のない問い”だからでした。高校受験や大学受験なら、正解値はあって、それを解く方法や記憶力を身につければ、おのずと結果は出ました。ところが希望の会社に入れてもらうためには、学力や学歴だけではどうにもならないところがあって、自分の全存在を懸けてアピールして、相手に受け入れてもらわねばならないのでした。「なんで自分が落ちたのだろう? なんであの人が内定をもらえたんだろう?」と、そんな疑問が何度も何度も自分を襲ったことでしょう。就職戦はそういった“正解のない問い”の一つでもあるのですが、これはほんの序の口にすぎません。いよいよ社会の現場で働くとなれば、すべてが“正解のない問い”の連続と言っていいでしょう。ましてやそこに理不尽さやつまらなさが加わることもあります。しかし同時に、働くことを通じて、これまでに経験したこともなかったような深い喜びや充実感を得ることもあります。“正解のない問い”に対する答えづくりは無限のおもしろさがあるのです。
さて、ともかく、みなさんは最初の会社に入った。これは言ってみれば、世の中にあまたある会社の中から「カタログ選び」をし、自分の潜在能力という資金で従業員になる権利を買ったにすぎません。肝心の「仕事をする」ことはいよいよこれから始まります。
みなさんは、新入社員研修が終わるやいなや、どこかの部署に配属され、担当業務が割り振られます。この瞬間から、みなさんには「仕事の内容」と「仕事との関わり方」という2つの問題が発生します。組織から雇われる生き方を選択した、いわばサラリーパーソンにとって、「仕事の内容」は選べません。人事権や業務命令権などによって、あなたのやる「仕事の内容」の大枠は組織が下すことになります。もちろん本人に多少の自由度はあって、仕事の創意工夫や方向感を出すことは自分がやれることですし、異動希望制度を通じて担当業務の変更を要求することもできます。ただ、やはり、あなたの「仕事の内容」の主導権は会社が握っていることを受け入れねばなりません。
しかし一方、これから詳しく述べる「仕事との関わり方」は、まったく本人の意志のもとに自由がきくものです。そして、この「仕事との関わり方」をどう発展させていくかこそ、「仕事の内容」よりも、職業人生にとって大きな影響を与えることになるのです。
私がここで触れたい「仕事との関わり方」には、3つの観点があります。
1つめは「仕事の意識的拡張」
2つめに「仕事への意味付与」
3つめに「仕事のオーナーシップ」
◆「仕事を無事こなす」意識から「仕事をつくり出す」意識へ
まず「仕事の意識的拡張」について。私はおおまかに次のような段階でとらえます。
〈ⅰ〉与えられた仕事を無事にこなす
〈ⅱ〉与えられた仕事の中に改善点を見つけ、生産性を上げる
〈ⅲ〉仕事をつくり出す
〈ⅳ〉事業をつくり出す
〈ⅴ〉雇用をつくり出す
みなさんは、ともかく最初の部署で懸命に仕事のイロハを覚えることに注力します。〈ⅰ〉段階であっぷあっぷの状態が半年や1年は続くでしょう。そこから次第に自分なりに担当業務への改善点が見えてきて、生産性を向上させようとする意識がはたらいてきます。それは自分の仕事に対し、目配り・手配りできる範囲が拡がったのです。これが〈ⅱ〉の段階です。
そしてさらに仕事との関わり方が進んでくると、自分がやるべき仕事をつくり出すようになります。所属する部署の課題、担当業務の課題が見えてきて、上司から言われずとも、新たにこういう動きをしよう、こういうアイデアを試みよう、既存にない方法を提案しよう、チームの中での自分の役割を拡げよう、何か目的をもったプロジェクトを立ち上げよう、といった働き方になります。これが〈ⅲ〉の段階です。この段階では、みずからの意志やアイデアを周囲に説明し、賛同者・協力者を得ながら仕事を動かしていくことが求められます。
そこからさらに意識が拡がると、事業を打ち立てるという格段に大きな単位の挑戦に心が動きます。形式的には、会社員の立場に留まって企業内の新規事業開発に携わる場合もあれば、会社をやめて独立起業する場合もあるでしょう。事業をつくり出すともなれば、リスクが格段に大きくなります。この〈ⅳ〉段階で働くには、秀でた知力や体力もさることながら、そのリスクに耐えうる精神力が不可欠です。特に独立起業の場合、失敗すれば、即、自身の生活が危うくなるのでなおさらです。
そして最後に、〈ⅴ〉段階として「雇用をつくり出す」がきます。もし、あなたがこのレベルにまでたどり着き働くとするなら、あなたの仕事意識はもはや自分だけの範囲であろうはずがなく、雇う人とその家族の経済的安定まで抱えねばなりません。その意味で、この段階で働く人というのは尊いものです。
自分が関わる仕事への意識をどこまで拡げていくか。これは各人が自由に設定できるものです。誰に言われるものでもありません、自分が決めるのです。私が企業現場で長年観察するところ、〈ⅱ〉段階止まりの人は多くいます。その中から〈ⅲ〉段階にいく人が何割か出てきます。そして一握りの人が〈ⅳ〉〈ⅴ〉へと上がっていきます。私はみなさんに、20代のうちに自分の仕事を能動的につくり出す〈ⅲ〉段階まで意識を拡張していけ、と申し上げたい。
なぜなら、〈ⅲ〉段階の意識で仕事と関わることで、仕事の深い喜びや持続的な成長が得られたり、それらの喜びを肚で知っている人たちと深いつながりができたりするからです。〈ⅱ〉段階止まりか、それとも〈ⅲ〉段階まで入っていくか、長き職業人生にあってこの差は天地雲泥の開きを生みます。〈ⅱ〉止まりの人には、「仕事は生計を立てるためにやるもので、言われた範囲のことはそこそこ頑張ってみるが、それ以上のことはやりたくない」「仕事におもしろみがないので、そこまで能動的になれない」「仕事以外の生活にエネルギーを使いたい」といったような、ある種の冷めた意識があるようです。
私はここで、「仕事好きになれ」と言いたいわけではありません。「一事が万事(いちじがばんじ)」と言いますが、仕事に冷めている人は、どこか人生にも冷めている人ではないでしょうか。仕事に手を抜く人は、生活でも手を抜いている人です。個人の趣味活動で第一級の楽しみ方をする人は、たとえ仕事が趣味をするための金稼ぎであっても、仕事をやはり第一級のやり方で処理しようとする人です。人がものごとに取り組む姿勢というのは一貫するものです。
また、いまの仕事がつまらないから能動的になれないという考え方に対して私は、〈ⅱ〉段階に留まっているから仕事がつまらないんでしょうと返答したい。〈ⅲ〉段階に上っていったなら、仕事の本当のおもしろさがにじみ出てきます。そしてその状態を続けていけば、おもしろい仕事を選べる自分に転換できるのです。“選べる自分になる”についてはこの後詳しく触れます。
◆仕事にどんな意味を与えられるか
「仕事との関わり方」の2つめの観点は「仕事への意味付与」です。みなさんは、最初に与えられる業務に対し、「これをなぜやるか?」「この業務は世の中の何につながっているか?」といったような意味を見出すことができるでしょうか。たいていは、「ともかく一人前になるためにやるしかない」「給料をもらうためには一生懸命やるだけだ」といったような状況が精一杯だと思います。ところがだんだん業務が一人前にこなせてくるころから、心に多少の余裕ができて、自分のやっている仕事に関し、「なんのため」という意味を考え始めることになるでしょう。
下の図は私が「働く動機の5段階」としてまとめたものです。ここで言う動機が、その仕事をやる意味とほぼ同じと考えてよいでしょう。誰しも「なぜその仕事をやるのか」と問われて、「食うため=お金を得るためだ」というのは当然あります。それは働く理由として最もベースにあるものです。ですが、古くから「人はパンのみに生きるにあらず」と言われるように、人は働くことにそれ以上の意味を見出そうとします。「お金」以降の動機を、私は「承認」「成長」「共感」「使命」ととらえました。
人が持つ働く動機は一つだけではありません。図に示した5つを複合的に持つものです。その複合具合は人さまざまです。最も抱くことが難しいのが5番目の「使命」です。「自分はこの仕事をやるために生まれてきた!」「これをやり遂げることが本望である!」「仕事を通じてこれを世の中に残していきたい!」といったような、仕事に何か強力な意味を与えることができる人は、実はそう多くはいません。試しに、職場で先輩社員や上司にきいてみてください。たぶん口ごもってしまう場合が大半ではないでしょうか。
「仕事にそんな高尚な意味なんて必要ない」と言う人もいます。そして実際、仕事に使命感などを抱かなくとも、仕事をうまく、楽しくやっている人はたくさんいます。ですが、そんなときに私は、ヴィクトール・フランクル(オーストリアの心理学者。第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの強制収容所を生き抜き、そのときの体験を『夜と霧』に著した)が書き残した次の言葉を研修などで紹介しています。
「人間とは意味を求める存在である。意味を探し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、そのとき人間は幸福になる。彼は同時に、その一方で、苦悩に耐える力を持った者になる」。 ───『意味への意志』より
人間はどうしても自分のやっていることに意味を与えたくなる動物です。それは意味からエネルギーを湧かせたいためであるし、意味を満たすことによって自己の存在を太く感じたいからです。そして共通の意味のもとに人とつながりたいからです。「仕事に高尚な意味は不要」と言っている人の中には、実はボランティア活動に汗を流す人も多くいます。この問題の本質は、昨今の事業現場では各人が担当する業務があまりに細分化・専門化され、あまりに数値目標達成が重くのしかかっているために、自分の仕事に意味を与えづらくなっているところにあると私は分析しています。ですから人は決して意味を放棄しているわけではないのです。
また、昨今ではメンタルヘルス(心の健康)の問題が大きくなっています。やはり、自分の仕事に意味を見出している人は、見出していない人よりも、当然ストレスに強くなります。上のフランクルは、実は収容所に送られる直前、長年の研究成果を出版する計画があり、原稿まで書き上げていました。収容所に囚われたフランクルは、あの論文を世に出版するまで死ねるかという執念に近い意味を持ち続けました。だからこそ、あの凄惨な収容所を生き抜く精神エネルギーを得たのだと言います。彼が発した「意味の鉱脈を掘り当てた人間は、同時に苦悩に耐える力を持った者になる」は、そうした含みです。
みなさんはこれから何十年と働いていくにあたって、生命を取られるほどではありませんが、さまざまなストレスにさらされることになるでしょう。そのときに覚えておいてほしいのは、働く心の上で、最大の攻めであり、最大の守りとなるのは、仕事に意味を与えることです。その「意味」とは、先の「5つの動機」図でみたように「お金のために」というだけでなく、他の4つも含めて重層的に与えることが大事です。当面は仕事をこなすことだけに手一杯かもしれません。ですが、時間をかけながら、是非上のほうの段階まで仕事に意味付与ができるよう意識を鋭敏にしてください。
◆その仕事はどれだけ「自分ごとの仕事」ですか?
「仕事との関わり方」の最後の観点は「仕事のオーナーシップ」です。オーナーシップ(ownership)とは、「所有権」の意味です。「仕事のオーナーシップ」とは、平たく言えば、その仕事をどれだけ自分のものとし、責任感や当事者意識を持ってやっているか、そしてその結果として仕事全体に自分の味わいがどれだけ醸し出されるかということです。「えっ? 自分がやっている仕事は、もちろん自分のものであるはず」と、就労経験の浅いみなさんは思うでしょう。ところが、仕事を「自分ごと」としてやっている度合いは人によってかなり違うのです。
例えば、いま企業内での仕事は分業化され、個々に部分部分の仕事が振られてきます。その部分の仕事が合わさって、チームの仕事となり、会社全体の仕事となります。チームの仕事の最終的な責任はチームリーダーが、会社全体の仕事の最終的な責任は社長が負います。そのような中で、個人は与えられた仕事をするわけですが、「自分は言われたことはやっているんだから」と、あとのことは他人任せ・長任せのような意識の人が実は多い。そういう人は、往々にして、粗雑な仕事で後工程の人に迷惑をかけたり、全体の足を引っ張ったりします。あるいは、「全体の成績が上がらないのは上司・組織の問題だから自分には関係ない」「この事業に失敗しても、ま、会社のお金だし、しょうがないか。(自分の給料が出なくなるわけでもなし……)」としてどこか第三者的に傍観する。または批評や愚痴が口をついて出てくる。こうした意識の人は、仕事を「他人ごと」としてやっているのであり、そこには仕事を「自分ごと」として大事にするオーナーシップがないのです。
家を考えてみてもそうでしょう。賃貸物件に住んでいる人は、家の扱いがどこか雑になりますね。それは家が他人の持ち物だからです。ところが自分の家を買った人は、家を大事に使おうとします。そして、住まう家主の性格がより濃く家のたたずまいとして表れます。
私は11年前に会社勤めをやめ、独立起業しました。私にとって、日々の仕事や事業は、まぎれもなく“私のもの”です。自分の一挙手一投足が事業に影響を与えますし、コピー用紙1枚を使えば、確実に自分の稼ぎからその分のお金が減ります。だから私はいま、自分の仕事に対し、責任においても、経済的にも、100%オーナーシップを意識しています。と、言いますか意識せざるをえません。個人事業主として世の中に対峙していますから、一つ一つの仕事を決して「他人ごと」として適当にやり過ごすことはできないからです。
「雇われる生き方」を選択している会社員は、「仕事のオーナーシップ」度合いにかなりの開きが出ます。一般的には、役職が上がっていくほどこの度合いは高まるように見受けられます。ただ、管理職クラスでも会社にぶら下がり意識の強い人はいますし、役員クラスでも、仕事を会社の金を使って行うマネーゲームのような感覚で「他人ごと」としてやっている人もいます。逆に、若い社員でも、自分の役割をチーム全体の中で認識し、前工程・後工程のことを考えて、責任と自覚をもって「自分ごと」として仕事を全うしようとする人がいます。
◆「雇われない生き方」を志向すると日々の仕事景色ががらり変わる
私がこの箇所でみなさんにお伝えしたいことは、もちろん「仕事のオーナーシップ」意識を強めていけ、ということではありますが、もっと言えば、人生で一度は「雇われない生き方」をやってみようという気概を持て、ということです。「雇われない」とは、ここでは、起業する・自営すると考えてください。
いまの日本では、多くの人が、「職業を持つこと=雇われて給料をもらうこと」であるかのように思っています。ですから生計を立てるために、常に「どこかに雇われなければ」と働き口探しに神経をつかいます。しかし、実際は、専門職として独立したり、会社を興したり、自営で商売を始めたり、誰かに雇われずに生きていく道だってさまざまあるのです。私は米国の大学院に留学したとき、卒業後に起業する人が多いのをみて驚きました。「会社員に戻ろうなんてとんでもない。独立するために、こうして大学院に来て自己投資している」という血の気の多い30代がたくさんいます。米国のしぶとさはこういう「個の独立心」にあるんですね。ひるがえって日本は、みなが「雇われたい病」「雇われなければ不安症」に陥っているかのようです。
結果的に自営業開業や起業するかどうかは別にして、少なくとも、「好機あらば独立してやるぞ」という心の仕掛けを保つことで、日々の働く景色はまったく違ったものになります。
例えば、私は会社員最後の5年間、管理職にありました。もともと職人気質の私は、自分で物事をつくり出すことが好きで、組織を管理する仕事は好きになれませんでした。パソコン画面を前に労務管理や財務数値管理、プロジェクトの進捗管理、部下との面談、組織運営のための会議など。ところが、ある時期から独立しようという思いが立ち上がり、そこから意識ががらりと変わりました。「自分の会社をつくるときのために、この管理業務は不可欠のものだ。だからいまのうちに何でも吸収しておこう」となったのです。日々の仕事が、ヒト・モノ・カネの管理業務のノウハウを学ぶ格好の場に変貌した瞬間でした。そのように管理職であるないにかかわらず、「いつか独立しよう」という意志を持つ者は、毎日を漫然と過ごさなくなるのです。業務の一つ一つが深い意味を帯びてくることを実感するでしょう。
それだけでも「雇われない生き方」を志向することには絶大な効果があるのですが、実際に独立してみると、さらに次元の違う深い充実が得られる世界があります。それについてはきょうは割愛しますが、いずれにしても、目の前の仕事を「他人ごと」として処理し、労働力を切り売りして給料に換える生活はどこかさみしい。そこには、仕事を労役と感じている「閉じた自分」がいる。自分の仕事にオーナーシップを感じ、「自分ごと」として、仕事を「自分を開く」機会として持続していく。みなさんにはこれからの職業生活をそう送ってほしいと願うものです。
◆人生とは「“選択”が描く模様」である
冒頭申し上げたように、みなさんは当面、「仕事の内容」を選べるわけではありません。会社から言い渡される「仕事の内容」をただ引き受けてやっていくだけです。が、これまでみてきたように「仕事との関わり方」は自分がどうにでも決められるものです。ここはとても大事なポイントですから、しっかり頭に入れてください。
入社して1年や2年が経つと、「仕事の内容がつまらない」「仕事の内容が自分の能力とミスマッチである」「希望の仕事内容をさせてもらえない」などの不満がそこかしこで出始めます。転職を考える人も増えてきます。確かに人材紹介会社に登録すれば、「第二新卒の採用」ということで、いろいろな求人案件を紹介してもらえるでしょう。そして実際あなたは転職してもいいのです。しかし、そこで手にする自由は「小さな自由」です。私はもっと「大きな自由」を手に入れなさいと言いたい。
「仕事の内容」を選り好みし、すぐに居場所を変えようとする生き方は、早晩、行き詰まります。まずはどっしり腰を下げて、与えられた仕事と真正面から取り組むことです。そして、「自分の仕事をつくり出す」、「仕事に強い意味を与える」、「仕事を自分のものとして責任を持ち、自分の味わいを醸し出す」ことに専念すべきです。そうした「仕事との関わり方」において、自分らしさを強めていけば、おのずと成果が出、周囲からの信頼を得ることになるでしょう。すると、目の前には予想もしなかった選択肢がいろいろと見えてくるはずです。そのときの選択肢こそ、一段レベルの上がった、自分を確実に発展に導くものであり、そこに「大きな自由」が開けます。
人生は選択の連続です。そのとき人それぞれに「選択する力」の差があります。私はその「選択する力」を次の3つでとらえています。
・「選択肢を判断する力」
・「選択肢をつくる力」
・「選択を(事後的に)正解にする力」
1番目は、眼前にある選択肢のうちどれが最良のものかを分析・判断する力。2番目に、自分が選べる選択肢をつくり出す、増やす、呼び寄せる力。3番目に、自分が選んだ道をその後の努力で「これが正しかった!」と思える状況をつくる力。
ここでみなさんに強調したいのは2番目の力です。目の前の仕事にどんと向き合い、それとの関わり方を深めることが、巡り巡って選択肢を増やすことにつながります。「仕事の内容」を選り好みするだけの「選びにいく自分」は、じり貧になります。ですから、「いま・ここの仕事」をしっかりとやりきり、何かしらの結果を出す習慣をつけることです。日々その繰り返しです。でも、あるとき気づけば、「選べる自分」になっているはずです。そこで初めて、「仕事の内容」も選べるようになるのです。30代後半以降、会社の中で自分のやりたいことを伸び伸びとやっている人は、20代から30代前半にかけて、そうやって「仕事との関わり方」を深め、自分が求める選択肢を呼び寄せてきた人なのです。
◆どんな環境の中にも“正解はつくり出せる”
入社したてのころの「こんな仕事がしてみたい」という思いは大切にしてもいいものですが、その仕事は実は「ほんとうにやりたい仕事」「ほんとうの自分が成すべき仕事」ではないかもしれません。表面的なところをみて、あこがれているだけのことも多いからです。3年、5年、10年と働いて、選択肢を呼び寄せながら自分を発展させていく。その過程で見えてくる「やりたい仕事」がほんとうの仕事だと言えます。だから20代は希望の仕事ができないことで焦らなくていいのです。私自身も、いまでこそ教育の仕事をしていますが、30代半ばまで、まさか自分が教育の道で食っている、ましてやそれを天職と感じているなどとは夢にも思いませんでした。
米・コロンビア大学で哲学の教鞭を執るジョシュア・ハルバースタムは、『仕事と幸福そして人生について』の中でこう書いています。
「私たちは仕事によって、望むものを手に入れるのではなく、
仕事をしていくなかで、何を望むべきかを学んでいく」。
働くこと・仕事は、“正解のない問い”に対する自分なりの答えづくりだと冒頭に申し上げました。あらかじめの“正解がない”ということは、どんな環境の中にも“正解はつくり出せる”ことでもあります。正解とは、仕事をうまく効率的にやることに留まりません。その仕事に自分という存在の味わいを醸し出すこと。その仕事に没頭できる意味を付与すること。そして最後に「ああ、人生いろいろあったけど、結局自分はこの仕事と巡り会うことが必然だったのだ」と振り返られること。これが自分なりの正解をつくり出す戦いに勝利した証です。
ともあれ長く遠い職業人生が始まりました。当面は仕事に振り回されるばかりで大変かもしれません。しかし仕事は、学びの機会であり、成長の機会であり、人とつながる機会であり、社会に貢献できる機会でもあります。それらの機会を、給料をもらいながら体験できるのですからこんないいことはありません。どのみち、仕事は「しんどい」ものです。が、そこを「しんどいけど面白い」「厳しいけど充実している」に持って行けるかが大事です。そのために、きょうお話ししたことが役に立てば幸いです。
では、みなさんのご活躍を期待しています。いつかどこかでお会いしましょう!
【過去のシリーズ記事】 * * * * *
〇新社会人に贈る2015 ~働くという「鐘」「山」はとてつもなく大きい
〇新社会人に贈る2014 ~仕事は「正解のない問い」に自分なりの答えをつくり出す営み
〇新社会人に贈る2013 ~自分の物語を編んでいこう
〇新社会人に贈る2012 ~キャリアは航海である
〇新社会人に贈る2011~人は仕事によってつくられる
〇新社会人に贈る2010 ~力強い仕事人生を歩むために