新社会人に贈る2011~人は仕事によってつくられる
この4月から社会人となられるみなさんおめでとうございます。厳しい就職戦を乗り越えてひと安心したのも束の間、晴れの門出の直前に未曾有の大震災が起こりました。会社によっては入社式を自粛するところもあります。ほんとうに大変な時期のスタートとなりましたが、こういう時こそ、日本はみなさんの若い息吹を必要としています。きょうは餞(はなむけ)として次の3点をお話ししたいと思います。
1)仕事は「機会(チャンス)」に満ちている
2)大きな生き方・生き様に触れよ
3)50歳になったとき「自分は何によって憶えられたいか」
◆「仕事」とは何か
みなさんは厳しい就職戦を乗り越え、晴れて仕事の舞台を得ることができました。新入社員研修を終えると、配属があり、そこからはいよいよ大切な仕事を任されることになります。そしてその仕事の成果でもって生計を立て、仕事の経験によってさまざまなことを学び成長していくことになります。社会人になるとは、言いかえれば仕事ともに人生を進めていくことでもあるのです。
さて、職場に配属されればすぐに気づくでしょうが、私たちは日ごろ、「仕事」という言葉をよく使います。―――「この伝票処理の仕事を明日までに片付けておいてほしい」、「営業という仕事の難しさはここにある」、「課長の仕事はストレスがたまって大変だ」、「彼が生涯にわたって成し遂げた仕事の数々は人びとの心を打つ」。「そんな仕事はプロの仕事とは言えないよ」、「あの仕事ができるのは日本に10人といないだろう」。
「仕事」という言葉は、意味的に大きな広がりをもっています。仕事は短期・単発的にやるものから、長期・生涯をかけてやるものまで幅広い。また、自分が受け持つ大小さまざまの仕事に対し、動機の持ち具合もいろいろあります。例えば、やらされ感があったりいたしかたなくやったりする仕事もあれば、自分の内面から情熱が湧き上がって自発的に行なう仕事もあります。そうした要素を考えて、仕事の面積的な広がりを示すと次のような図になります。
明日までにやっておいてくれと言われた伝票処理の単発的な仕事は、言ってみれば「業務」であり、業務の中でも「作業」と呼んでいいものです。たいていの場合、伝票処理の作業には高い動機はないので、図の中では左下に置かれることになります。また、一般的に中長期にわたってやり続け、生計を立てるためから、可能性や夢を実現するためまでの幅広い目的を持つ仕事を「職業」と呼びます。
営業の仕事とか、広告制作の仕事、課長の仕事といった場合の仕事は、職業をより具体的に特定するもので、「職種」「職務」「職位」でしょう。「生業・稼業」や「商売」は、その仕事に愛着や哀愁を漂わせた表現で、どちらかというと生活のためにという色合いが濃いものです。
さらに仕事の中でも、内面から湧き上がる情熱と中長期の努力によってなされるものは、「夢/志」や「ライフワーク」「使命」あるいは「道」と呼ばれるものです。そして、その仕事の結果、かたちづくられてくるものを「作品」とか「功績」という。「彼の偉大な仕事に感銘を受けた」という場合がそれです。
◆その仕事は作業ですか? 稼業ですか? 使命ですか?
ここで、訓話としてよく使われる『3人のレンガ積み』を紹介しましょう。
―――中世ヨーロッパのとある町。建設現場で働く3人の男がいた。そこを通りかかったある人が、彼らに「何をしているのか」と尋ねた。すると1番めの男は「レンガを積んでいる」と言った。次に2番めの男は「カネを稼いているのさ」と答えた。最後に3番めの男が答えて言うに、「町の大聖堂をつくっているんだ!」と。
1番めの男は、永遠に仕事を「作業」として単調に繰り返す生き方です。2番めの男は、仕事を「稼業」としてとらえる。彼の頭の中にあるのは常に「もっと割りのいい仕事はないか」でしょう。そして3番めの男は、仕事を「使命」として感じてやっています。彼の働く意識は、大聖堂建設のため町のためという大目的に向いていて、その答えた一言に快活な精神の様子が表れています。
日々月々やっていく仕事を、単なる繰り返しの「作業」ととらえるのか、給料をもらうためだけの「稼業」ととらえるのか、それとも、夢や志といったものにつなげていくのか―――各人のこの意識の違いは目には見えませんが、5年、10年、20年経つと、はっきりと人生模様そして人間性として外見に表れる形で差がついてきます。コワイものですよ。
どうかみなさんは、みずからの仕事を大きな目的・意義につなげる意識を持ち続けてください。そうすれば仕事というのは、生活の糧を稼ぐ「収入機会」であるばかりでなく、自分の可能性を開いてくれる「成長機会」となり、何かを成し遂げることによって味わう「感動機会」となり、さまざまな人と出会える「触発機会」となり、学校では教われないことを身につける「学習機会」となり、社会の役に立てる「貢献機会」となり、あわよくば一攫千金を手にすることもある「財成機会」となります。
仕事は、実に機会(チャンス)に溢れているのです。このような機会の固まりを、お金(給料)をもらいながら得られるのですから、会社とはなんとも有難い場所ではありませんか。
社会人の先輩の一部には、仕事がつまらなくなると「仕事は仕事、趣味は趣味」と割り切り、「趣味で人生楽しめばいいや」という人がいます。しかしこれは少し残念な姿勢です。趣味を楽しむことが悪いというのではありません(私も自分の趣味を大いに楽しんでいます)。仕事という大切な機会を十全に生かそうとしない姿勢が残念なのです。
作家の村上龍さんは著書『無趣味のすすめ』でこう言っています―――
「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。
みなさんはもう社会人になった。これ以降、あなたを職業人としてしつけ、鍛えてくれるのは親でも学校の先生でもありません。それは仕事です。仕事が、あるいは仕事に関わる上司や仲間やお客様が、あなたを成長させてくれるのです。どれだけ成長できるかは、どれだけ仕事に強く当たっていくかで決まります。是非、こぢんまりとまとまることなく、仕事にぶつかっていってください。「仕事とは人格の陶冶である」と心得てください。
◆生き方・働き方は人からしか学べない ~大きな生き方に触れよう
突然ですが、ひとつ質問をします―――「あなたの尊敬する人は誰ですか?」。
さて、みなさんは誰をあげたでしょうか。日本人の場合、この質問に対する答えは決まっています。答えの第1位は、ダントツで「両親(父・母)」です。これは近年変わりがありません。ちなみに、1位に遠く離された格好で、「先生」とか「兄弟」とか「イチロー」などが続きます。
「なんだ、親子関係がギスギスしているような風潮で、安心できる結果じゃないか」と、一部の大人たちはうれしがっています。しかし私はその逆です。多くの子ども・若者が判を押したように「尊敬する人は両親」と答えるのは、あまり感心しませんし、その流れは変わった方がいいとさえ思っています。
私は何も親を尊敬するな、と言っているのではありません。もし、これが「あなたが一番感謝したい人は誰ですか?」―――「両親です」であるならば、これはもう諸手を挙げて感心したい。親というものは、尊敬の対象というより、感謝の対象のほうがより自然な感じがするのは私だけでしょうか。
少し厳しい言い方になりますが、いまの日本の子どもや若者はあまりに多くの人を見ていませんし、多くの人の生き方に触れていません。ですから、尊敬する人は?という問いに対して、頭が回らず誰も彼もが「両親」と紋切りに答えてしまうのではないでしょうか。「一番に尊敬できるのは両親です」と答えておけば、周りから感心されるばかりなので、とりあえず無難にそう答えておくか、というような心理もはたらいているかもしれません。
私が大学生や若年社員向けの講義や研修で言うことは「今一度、野口英世やヘレンケラーやガンジーなどの自伝や物語を読んでみなさい」です。もちろん、ここで言う野口英世やヘレンケラーなどは象徴的な人物をあげているだけで、古今東西、第一級の人物、スケールの大きな生き方をした人間、その世界の開拓者・変革者なら誰でもいいわけです。
そうした偉人たちについて、小学校の学級文庫(マンガか何かで書かれた本)で読んだ時は、その人の生涯のあらすじを追うのに精いっぱいだったと思います。ですが、ある程度大人になってから、活字の本で改めて読んでみると、そこには新しい発見、啓発、刺激、思索の素がたくさん詰まっているはずです。
それら偉人たちの生き方・生き様に触れると、まず、自分の人生や思考がいかにちっぽけであるかに気がつきます。同時に、自分の恵まれた日常環境に有難さの念がわく。そして、「こんな生ぬるい自分じゃいけないぞ」というエネルギーが起こってくる。
私は仕事柄、「どうすれば自分のやりたいことが見つかりますか?」「夢や志を持つにはどうすればよいですか?」といった質問をよく受けます。私の返答はこうです―――「大きな生き方をしている人に一人でも多く触れてください」。ここで言う「触れる」とは、直接的な出会いもそうですが、読書を通しての出会いも含みます。図書館などに行けば、私たちは時空を超えて、さまざまな人と出会うことができます。
そうやって多様な人物、多様な生き方を摂取し続けていると、具体的に「ああ、こんな生き方をしてみたいな」という模範(専門用語では「ロールモデル」と言います)に必ず出会えます。そして、その方向に行動を起こし、もがいていけば、だんだん道が見えてきます。そして自分と同じ方向に動いている人たちが周りに寄ってきて、彼らからもまた刺激を受けます。そうしてますます方向性と理想像がはっきりしてくる―――これが私の主張する「自分のやりたいこと・なりたいもの」が見えてくるプロセスです。
私個人が書物で出会ったロールモデルはそれこそ挙げればきりがないのですが、そのひとつに、大学のときに読んだ『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)の中の坂本龍馬があります。私はこの龍馬の姿を見て、2つのことを意志として強く持ちました。1つは、狭い視界の中で生きない。世界が見える位置に自分を投げ出すこと。もう1つは、どうせやる仕事なら、自分の一挙手一投足が世の中に何か響くような仕事をやる。このときの意志が、自分としては、その後の米国留学、メディア会社(出版社でのビジネスジャーナリスト)への就職につながっていきました。
冷めた人間の声として、小説の中の坂本龍馬などは、過剰に演出されたキャラクターであり、それを真に受けて尊敬する、模範にするなどは滑稽だ、というものがあるかもしれません。しかし、どの部分が演出であり、どこまでが架空であるかは本質的な問題ではない。そのモデルによって、自分が感化を受け、意志を持ち、自分の人生のコースがよりよい方向へ変われば、それは自分にとって「勝ち」なのです。他人がどうこう言おうが、自分は重大な出会いをしたのだ!―――ただそれだけです。
ともかく最初のローギアを入れるところが、一番難しい。しかし方法論としては極めて単純で、「第一級の人物の本を読もう!」なのです。「何を、どう生きたか」というサンプルを多く見た人は、自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てる。だから是非とも人との出会いには敏感に貪欲になってほしいと思います。
◆50歳になったとき「自分は何によって憶えられたいか」
いざ仕事を始めてみればわかりますが、本当にビジネス現場の時間はせわしなく流れていきます。日々の業務をこなすことに追われていると、1年、3年、5年、10年があっという間に消えてしまうものです。そんななかで、私が重要だと思うのは、漫然と日々を過ごさないということです。そのためにお勧めしたいのが「30年の計」を立てることです。
ピーター・ドラッカーの次の言葉を紹介しましょう―――
「私が一三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。
教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。
誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。
『今答えられるとは思わない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、
人生を無駄にしたことになるよ』」。
(『プロフェッショナルの条件』より)
これはズシンとくるエピソードです。漫然と生きることを自省させてくれる問いかけです。これと同様のことを内村鑑三も言っています―――
「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、
この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、
これらに私が何も残さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。
何を置いて逝こう、金か、事業か、思想か。
誰にも遺すことのできる最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯であると思います」。
(『後世への最大遺物』より)
強く優れた組織は、必ずと言っていいほど、長期の理念やビジョンの下に進んでいます。個人のキャリア・人生についても同じことが言えます。「50歳までに何か自分の存在意義を残したい」というのはある種の理念であり、ビジョンです。こうした長期の想いを描いた人とそうでない人の差は、1年1年の単位でははっきり見えないかもしれませんが、10年、20年、30年の単位ではきちんと表れてきます。
変化の激しい時代ですから、20代、30代、40代は実にいろいろなことが起こるでしょう。成功もあれば失敗もある、順風も吹けば逆風も吹く、漂流や停滞する時期が幾度となく訪れる。若いころは悩みや迷いがつきものです。しかし、「50歳の時点で納得したキャリア・人生を送っているかどうかが本当の勝負だ」と腹を据えていれば、短期の波風など楽観的に見つめられるようになります。ですからどうか、長期のどっしりとした想いをもって仕事に向かってください。
少子高齢化や人口動態の変化を受けて、メディアは「縮むニッポン」というフレーズを使いはじめました。考えてみれば、大人がこうした悲観を含んだ表現を使うことは、これからを担って立つみなさんには失礼な話であると思います。みなさんはどうかこうした悲観の言葉に飲み込まれないでいただきたい。どうか「縮んでたまるか」という気概をもって、だらしのない大人たちを目覚めさせてください。
では、みなさんが50歳になったときにまたお会いしましょう。そこで「自分が憶えられる何か」が見つかっていますように(祈)。
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