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2015年4月12日 (日)

入社3~5年次フォロー研修:「観・マインド醸成」からのアプローチ

◆室伏選手の描いた3段ピラミッド図

あるときテレビの番組で、ハンマー投げの室伏広治選手がボードに絵を描いてインタビューに応じていました。その絵はこんなものでした―――

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彼はアスリートとして必要な鍛錬は3段だと言います。
  一番上が「skill」(技術)
  次に「strength」(強さ)
  一番下にくるのが「fundamental」(基礎)

で、理想形は図の左に書いたようなピラミッド形。ところが右のように「fundamental」が小さい状態では、上の2層をいくら鍛えてもパフォーマンスが上がらないと言う。ヘタをすると、2層の「strength」を強めようとするあまり、ケガをするリスクも高める。

37歳になった自分は「skill」や「strength」の伸びシロは限られてきたかもしれないが、身体をどう使うかといった基本・基礎の部分はまだやりようがいくらでもあるような気がすると。だから、いま自分は最下層にある「fundamental」を見つめ直している。そのために、例えば赤ちゃんをじっと観察して体の動きを研究している、と語っていました。

その成果あってか、この番組の翌年(2012年)に行われたロンドン五輪で、室伏選手は見事銅メダルを獲得。私はこのインタビューを観ながら、道を究める超一級の人物の飽くなき探求心に感心するとともに、熟達は常に基礎の継続鍛錬によって進んでいくことを再認識しました。そして奇遇にも室伏選手の3段図は、私が考える「仕事を成す・キャリアをつくる4要素〈3層+1軸〉」と通底するとも思えました。

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私がとらえる3層とは、
  1層目に、業務をこなす「知識・技能」
  2層目に、成果を出す力である「行動特性」
  3層目に、評価や判断、動機づけの基となる「観・マインド」がくる。

昨今のビジネス現場では、ともかく目の前の業務処理、目に見える短期的な成果への要請が強いために、本人の意識も組織の教育意識も1層・2層に偏っていきます。3層が放置されたままになります。すると、上の室伏図の悪い例のように1層・2層でっかちの状態になってしまいます。仕事成就・キャリア形成においても、やはり、最下層に敷かれる基盤が強くなければ1層・2層は十全に活かされないと私は考えます。本田宗一郎もこう言っています。

「私の哲学は技術そのものより、思想が大切だというところにある。
思想を具現化するための手段として技術があり、
また、よき技術のないところからは、よき思想も生まれえない。
人間の幸福を技術によって具現化するという技術者の使命が私の哲学であり、誇りである」。
―――本田宗一郎(『私の手が語る』グラフ社)

また、北大路魯山人は書についてこう語っています。

「要するに人物が出来ておらなければならぬ。
手習いでなく人物をつくる方が根本問題であって、
これが一番書道の上にも肝要なことであります。
(中略)人物の値打ちだけしか字は書けるものではないのです。
入神の技も、結局、人物以上には決して光彩を放たぬものであると思います」。
―――北大路魯山人(『魯山人著作集(第二巻)』五月書房)



◆全人的な育成が図られてこそヒトは「人財」となる
ピーター・ドラッカーは『現代の経営〈下〉』の「人を雇うこと」という章の中でこう述べています。

「働く人を雇うということは、人を雇うということである。
手だけを雇うことはできない。手の所有者たる人がついて来る」。
「今日の訓練プログラムの多くは人を柔軟にするよりも硬化させている。
理解を与えるのではなく小手先のスキルを教えている」。


昨今、40代社員のキャリアクライシス問題が顕在化しつつあります。40代に向けたキャリア開発研修ができないかというご相談もしばしば受けるようになりました。20代から30代半ばまで、ひたすら現場の業務戦力として手だけ(つまり知識や技術だけ)を磨いてきたものの、やがて旬の技術を必要とする仕事を若手に引き渡すようになり、けれども管理職の道があるかといえばそうでもない。道があったとしても部下を率いることに向いていない。いわゆる非管理職ミドルたちがどう仕事と向き合い、組織の中で自分の存在意義をつくり出せるかという問題です。

40代のキャリア研修がとても難しいことを、私は経験上知っています。働くことに対する観・マインドが硬直化してしまっている人が多いからです。30代でも難しいところがあります。自律的に自分を開くように固まっているならよいのですが、「自分のキャリアをどう開いていけばいいかわからない。会社がきちんとキャリアパスを用意すべき」といった他律的で環境依存の強い観で固まってしまった場合は、もはや単発の研修ではどうすることもできません。

ドラッカーは別の箇所で、組織がヒトを最大限に活かしていくために真に必要なのは、訓練プログラムではなく、教育プログラムだと言います。すなわち手だけを訓練するのではなく、全人的に教育せよと。「人の成長ないし発展とは、何に対して貢献するかを人が自ら決められるようになることである」と彼が指摘するように、職業人としての在り方を自律的に考えられるのは、若いころから観・マインドがそのように涵養されてこそです。

企業が人を雇い、雇った人の教育に関し、どこまで面倒をみるべきでしょうか。手だけを訓練し、いわば取り替え可能な資源として育てることでよいのでしょうか。それとも、全人的な教育を施し、その人でなければならない価値を生み出す資産として育てるべきでしょうか。前者は「ヒト=資源・人材」のとらえ方、後者は「人=資産・人財」のとらえ方です。それこそまさにその企業の「ジンザイ観」が問われるところです。


◆観・マインドは教育できるか

・「仕事観なんてものは仕事にもまれて修羅場のいくつかをくぐれば自然にできてくるものだ」
・「仕事の哲学は上司が背中で教えるべきこと」
・「そもそも価値観は個人個人で多様なものだから一律に教育すべきものではない。自己啓発にまかせればいい」
・「自律心を教えること自体が自律に反する」
・「そもそも観や働く意識を教えることができるのか。(上から下へ)教えるという形が妥当なのか」


……観・マインド次元の教育には、いろいろな意見があります。それに対して私の考えをいくつかまとめます。

〇観は教えられない。ただ気づきの材料を与えるのみ
一人一人の内面の底に横たわる観・マインドを醸成する研修においては、何かを“教える”というより、何かを“気づかせる”というものになるべきでしょう。私が研修の中で受講の皆さんによく言うのは、講師が短い研修時間の中でせいぜいできることは、“酵母菌を撒く”ことぐらいだということです。つまり、酒や醤油の醸造において、みずから熱を発し、質的変化をしていくのは主原料である米や大豆です。しかし、その醸造変化のためには、“酵母菌”という触媒がなくてはならない。その意味で、講師は酵母菌となるような思考の材料、思索のヒント、行動の刺激を講義やワークの中に収めてプログラム化するのみです。

そのとき受講者によって反応の早い人、遅い人などの違いは出てくるでしょう。いずれにせよ、そうした考える材料を若い時期に与えられたかどうかは、その後の仕事人生において大きな差になります。「あのひと言を聞いておいたから、人生の転機が生まれた」ということは往々にしてあるものです。

〇事業組織においては、共有すべき観があるほど強い
観は人それぞれ多様だから一様に縛ることはよくないというのは、社会全体には言えることですが、こと事業体にあっては、むしろ観を共有できる人が集まって、強い思いの製品・サービスをつくるほうが望ましい姿といえます。共有できる理念・バリュー・文化が土壌としてあって、その上に多様で強力なアイデアが出る。昨今、顧客に強く支持される企業の共通点はそういったところにありはしないでしょうか。

〇上司の背中は語ってくれるか
仕事観は上司の背中から学び取るものである、はそのとおりだと思います。私もサラリーマン時代、上司の言動からさまざまなことを学びました。ですが、そうした背中で語ってくれる上司に巡り会える確率はむしろ低いと言えるかもしれません。私は研修プログラムで「ロールモデル探し」というワークをやりますが、身近の上司をあげる人は実は少数派です。また、仮に上司の考え方が偏向していて影響力が強い場合、それに感化された部下は、ある種、子飼いのような存在になり、派閥形成に荷担することも起こります。観の醸成を上司の背中に任せきりにすることにはリスクがあります。

〇観から湧くエネルギーこそ最強
従業員のほんとうのやる気を引き出そうと思えば、経営者や管理職、組織は、一人一人と観の層で対話せざるをえません。組織側は、まず自らの観を差し示し、それについて従業員も観のレベルで耳を傾け、意見したり、共鳴したりする。そのレベルから起こるエネルギーこそ最強のものです。今期はいいボーナスがもらえたとか、業務がうまくこなせたといったときに起こる喜びよりもはるかに強い力がそこにはうずまいています。個人の観には立ち入れないからというのではなく、観のレベルの話(就労観、事業観、人材観、キャリア観、社会観、理念、コアバリューなど)を真正面からぶつけて、ふだんの職場でも研修の場でも侃々諤々やろうという姿勢こそ大事ではないでしょうか。


◆入社3年~5年次フォローアップ研修で行うこと
ここからは私が新卒入社3年~5年次社員に向けたフォローアップ研修において、どんな観・マインド醸成プログラムを行っているのか、その内容をいくつかの観点から説明します。

〈1:根源的なテーマを考えさせる〉
観・マインドとはここでは、思考や感情、記憶をつかさどる意識基盤、単純には、ものの見方・とらえ方として考えています。自分が対面するものごとにどんな価値(善悪、美醜、真偽、是非、損得、意味、優先順位など)を与え、どう反応するかを決めるものです。こうした観・マインドは、根源的な問いを考えさせるほど、その醸成度合いや向きがわかります。例えば、研修ではこんなテーマの問いを投げかけます。

  ・「仕事とは何か?」「事業とは何か?」
  ・「仕事・事業の目的は金(給料・利益)を得ることか?」
  ・「成長とは何か?」
  ・「自分は世の中に何の価値を提供する職業人か?」
  ・「自律的な働き方とはどういう状態をいうか?」

観・マインドを強く醸成している人ほど、「仕事とは何々である」「成長とは何々することである」といった定義づけを自分の言葉で豊かに表現できます。そしてなぜそう考えに到ったのかと問われれば、具体的な経験や材料をあげて説明することができます。すなわち、観・マインドは、具体と抽象の両輪によって醸成されるわけです。

入社数年も経てばすでにさまざまな経験を積んでいます。しかし、その経験を抽象化してものごとの本質や原理をとらえられるかどうかは人によってかなりの差が出ます。観・マインドの醸成は多分に抽象化能力の影響を受けるので、こうしたものごとの根っこを考えさせる習慣が必要です。

具体的な体験から本質・原理を抽象化し、観として肚に据えることがなぜ重要なのか?───それは、ものごとを個別具体的にとらえるレベルに留まっていると、永遠に個別具体的に処置することに追われるからです。そのことを次の例で説明しましょう。

下に並べたのは英単語の問題です。それぞれのカッコ内には前置詞が入ります。1つ1つ答えてください。

・a fly[       ]the ceiling
(天井に止まったハエ)
・a crack[       ]the wall
 (壁に入ったひび割れ)
・a village[       ]the border
 (国境沿いの町)
・a ring[       ]one’s little finger
 (小指にはめた指輪)
・a dog[       ]a leash
 (紐につながれた犬)


……さて、どうでしょう。

正解は、すべて「on」です。ところで、私たちは前置詞「on」を「~の上に」と習ってきました。習ってきたというか、暗記してきました。そうした暗記的なやり方で英語と接してきた人は、「天井にさかさまに止まった」とか「壁に入った」とか、「国境沿いの」などの言い表しに思考が発展しないので、それぞれの問題に戸惑ったことでしょう。そうして正解を見て、また1つ1つ、「on」の使い方を丸暗記していくことになる。

これに対し、いま私の手元にある一冊の英和辞典『Eゲイト英和辞典』(ベネッセコーポレーション)の帯には、こんなコピーが記載されています───

「on=『上に』ではない」と。

さっそく、この辞書で「on」を引いてみる。すると、そこに載っていたのは、下のような図でした。


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「on」は本来、縦横・上下を問わず「何かに接触している」ことを示す前置詞だといいます。確かにこの図をイメージとして持っておくと、さまざまに「on」使いの展開がきく。この辞典は、その単語の持つ中核的な意味や機能を「コア」と呼び、それをイラストに書き起こして紙面に多数掲載しています。10個の末梢の意味を覚えるより、1つの「コア・イメージ」を頭に定着させたほうがよいというのが、この辞書づくりのコンセプトなのです。

まさにここで出てきた「コア・イメージ」に基づく学習が、ものごとを抽象化して押さえることにほかなりません。

私たちは、ものごとの抽象度を上げて大本の「一(いち)」を本質・原理として肚に据えれば、以降はそれをいかようにでも具体的に展開応用することができる。逆に言えば、抽象化によって「一」をとらえなければ、いつまでたっても末梢の出来事をその都度まちまちに対応することになります。観・マインドが醸成されていないと、場当たり的・感情的に、情報や環境に振り回され、判断や行動が安定しないのです。こういう働き方では周囲からの信頼も得られませんし、第一、本人が疲れます。

具体的な体験をたくさん積めば自然に観が養われるというのは誤りです。抽象化させて「一」をつかませる思考態度を身につけさせないかぎり、いつまでもモグラたたき状態で事に当たることになります。

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〈2:比喩(メタファー)で考えさせる〉
「働くこととは何か」「仕事をつくりだすこととは何か」「キャリアをひらくとはどんなことか」……こうした曖昧模糊とした問いに対して、「あ、そうか、そういうことだったのか!」と腹にすとんと落ちてくる答えをみずから得るためには、比喩による思考材料を与えることが有効です。

例えば、「自立」と「自律」の違いを、あなたの会社の社員はどう理解しているでしょうか?(一般的にはそもそも、両者を一緒くたにとらえているほうが多いですが)

私は、これを「航海」という比喩で説明しています。すなわち、「キャリア・人生は航海」であって、

  ●「自立」とは;航海に耐えうる「船」を造ること
  ●「自律」とは;ぶれない「羅針盤」を持つこと
  ●「自導」とは;地図に描いた目的地に船を進めること

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こうした比喩を使うことで、受講者の理解はすとんと進みます。さらに私は、レゴブロックの創作ゲームを加えています。創作に使うブロックや文具の数を増やしたり減らしたりして進んでいき、最終的に受講者が次のことをキャリア観として肚に落とせるように意図するものです。

●「自立」を高めるとは、能力の手駒を増やして船を大きく堅固にすること
●「自律」を高めるとは、創作物に自分なりの視点、コンセプトを付与すること
●「自導」を高めるとは、自分の作品群に世界観を打ち立てること


そしてこのゲームプログラムでつかんだ比喩による本質を、次は現実の仕事・キャリアにどうつなげ、明日から行動をしていくかに誘っていきます。


3〈古今東西の名言・箴言を紹介する〉
1番目の箇所でも触れたとおり「大本の一」を肚に据えることは、長き職業人生にあってとても大事なことです。世の中にはその「大本の一」を言い得た言葉があります。私は研修コンテンツの中に、古今東西の偉人、哲人、達人が遺した名言・箴言をふんだんに盛り込みます。

それらは哲学の言葉です。昨今のビジネスパーソンに決定的に欠乏しているもの、それは哲学の心です。科学の心によって、分析したり戦略を立てたりすることは大事ですが、それと同時に、その科学の心をつかだどる哲学の心も磨かねばなりません。

「よき仕事」をつくるものは、最終的に「よき哲学」です。
「強きプロフェッショナル」をつくるものは、「強き哲学」です。

「心が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる」。


―――これは、星稜高校野球部の部室に張ってある指導書きです(ヒンズー教の言葉と言われる)。米国メジャーリーグで活躍したゴジラこと松井秀喜さんは、野球人として第一級のプロフェッショナルに成長しましたが、その過程には、高校の野球部監督であった山下智茂氏から受けたこの言葉の影響が大きくあったといいます(松井秀喜著『不動心』より)。

いまの職場に知識や技能を教える人はいても、哲学を与えてくれる人は少ないものです。かく言う私も講師として独自の哲学を与えることはできないかもしれません。しかし、古今東西の哲人たちの「強く深き」言葉を紹介することはできます。受講者の一人一人が、具体的にどの言葉に響くかはわかりません。ただ、ひとつでも多くの言葉を耳に入れておいてあげたいと思っています。あるときに聞いたたったひとつの哲学的な言葉が、人間を根本から変え、生涯にわたって彼(女)を支えることは珍しくありません。

*    * * * *

入社3年~5年次におけるフォローアップ研修をどんな内容でやるかを考えるとき、さまざまなことが考えられるでしょう。私はこのときこそ、同期入社が集って、働くことの根っこを考え合い、観・マインドを醸成する場にすることがよいと思っています。

いずれにしても、ビジネス社会のスピードが増し、複雑化するにつれ、働く人びとの手(=技術)やアタマ(=知識)は大きくなっています。けれども、心や肚はおざなりになっています。そのことが、働く人びとの漂流感や不安感、倦怠感、あるいは、不正や不祥事などモラルハザードの問題として陰を落としているようにも思えます。また、深い次元でのやる気・動機が起きてこないという問題にも通じています。

「働くこと」についての観・マインドの醸成教育は、業務課題に対する即効的な効果を生むものではありません。しかし、個々の仕事・キャリアにおいて、そして組織全体の強さにおいて、根本的な効果を及ぼすものです。



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