5) 仕事の幸福論 Feed

2011年11月24日 (木)

仕事のなかに「祈り」はあるか


Shosoinex
奈良国立博物館


◆正倉院宝物がもつ時空を超える力
今月初旬、奈良出張に合わせ、
折しも開催中の第63回『正倉院展』(奈良国立博物館)を観てきた。
私は平日の夕刻、閉館1時間前に行ったのだが、
それでも大勢の人で、どの展示ブースも黒山の人だかりだった。
(土日は入場待ちで90分ほどの行列だったという)

私は小学校の時から、奈良県へは遠足やら社会見学やらで何度も行ったが、
大人になってからの奈良はほとんど初めてといっていい。
大人になってから観る寺院や仏像、そしてこうした宝物(ほうぶつ)工芸品は
何とも新鮮で、驚きの再発見が絶えない。

展示物を観て感嘆するのは、その生々しさである。
1200余年を超えても、その物自体が発する息が聞こえてきそうな感じだ。
色、紋様、形状、構造、素材の質感、細部に至る技……
それらは現代のデザインと比較しても、まったく古臭くないどころか、啓蒙的ですらある。

天平文化がもつ大陸文化への憧憬と初々しさの残る国風文化との融合具合が Shoso tck03
えも言われぬ表現となって造形され、一品一品、
いま、21世紀に生きる私たちの目の前にある。
古人は何とも素晴らしい贈り物をしてくれたものだと
感謝をする。


さて、
これらの宝物は、なぜ、いまだ私たちを魅了する力をもっているのだろう───?
確かに、1200余年という時間が横たわっていることはある。
そして、ものづくりの卓越さもある。
(制作のための化学知識や技術は7世紀にしてすでに驚くべき水準をもっていた)

しかし、それ以上に私が感じたことは、作り手の「祈り」である。
一点一点の物からは、単に技巧的に美しく見せるという以上に、
人の真剣さや敬虔さ、畏怖の気持ちからしか醸し出てこないような美のオーラがあるのだ。

作り手は、
天皇という天上の存在を想い、
あるいは、仏(ほとけ)という最上の境地を想い、
一筆一筆、一刻一刻、一織一織に祈りを込めて作り、奉献した。

私は、作り手が制作という仕事のなかに無垢な「祈り」を込めたところが、
これらの宝物に時空を超える力を与える見逃してはならない要素だと思う。

◆「ゲームとしての仕事」/「道としての仕事」
さて、ひるがえって、
現代のビジネス社会に働く私たちには、仕事に「祈り」があるだろうか。

「仕事に、イノリ?」───
多くのビジネスパーソンにとってこれは突拍子のない問いかもしれない。

私たちはあまりにゲーム化され、巨大システム化されたビジネスのなかで働いているので、
競争や駆け引きに注力しなければならないし、
効率化や利益の最大化に長けなければならない。
そして、大きな組織・大きななシステムの部分を断片的に任されているので、
個人は、自分がどう組織や社会に貢献しているのか、
お客様とどうつながっているのかが、ますますわかりにくくなっている。
どうも私たちは「祈り」から遠い世界で働いているのだ。

仕事をカテゴリー分けするなら、
ひとつには「ゲームとしての仕事」がある。
ある種のルールと限られた資本の下で得点(お金)を取り合う───
企業もサラリーマン個人も、そんな「ゲームとしての仕事」に労力を注ぐ。
(そうして存続のための利益や給料を得ていく)

他方で、「道としての仕事」がある。
もちろん、私たちは生きるために稼がなくてはならないが、
それを第一の目的とするのではなく、
その道を究めることを最上位の目的に置く───
そうした意識で働いている人たちもまた世の中には少なからずいるのだ。

サラリーマンであっても、ある割合、「道としての仕事」を行うことはできる。
例えば、NHKのテレビ番組『プロジェクトX』はその一例かもしれない。
多少演出仕立ての面はあるだろうが、
彼らは自らの仕事を道として究めようと奮闘した。
あれを他人事と見過ごしてはいけない。
誰にも、目の前の仕事をあのように「プロジェクトX」化させることはできるのだ。

丸ごとの自分を没入できるプロジェクトを得た人は仕事の幸福人である。
仕事の幸福は、道を究めようとする過程にある。
絶え間なく精進するその過程において、
私たちは、自らがつくり出すその時点での最良の作品と対面できる。
道を同じくする師や同志との出会いがある。
そして何よりも、道のはるか先に見え隠れする「大いなる何か」を少しずつ感得し、
そこから大きな力を得ることができる。

その次元になると、不思議と人間は、小我にわずらうことが少なくなってくる。
道のもとに自分を十全にひらきたいと欲するようになる。
他者や社会のために自分の能力を使いたいと願うようになる。
それがつまり「祈り」ということだ。

◆「自己実現」とは何か?
私はここで、何か「シューキョー(宗教)」の勧誘をしているわけではない。
スピリチュアルな体験への案内をするつもりもない。
ただ、人間はそのようにできているということを言いたいだけだ。

小説家にせよ、画家、音楽家にせよ、彼らは、
「何かが自分に降りてきて、書かされた」とか、
「自分は“いたこ”状態だった」というようなことをよく口にする。
そうした無我の没入状態を、
心理学者のミハイ・チセントミハイは「フロー」と名付けたし、
アブラハム・マスローは「至高体験」と呼んだ。

マスローが出たところで、
彼が普及させた言葉───「自己実現」について、ここで触れておこう。
「自己実現」は、何でもかんでも自己中心的に、
「なりたい自分になる」「やりたいことをやりたいように表現する」というものでない。
マスローは、自己実現とは「最善の自己になりゆくこと」だとし、
こう付け加える───


「自己実現の達成は、逆説的に、
自己や自己認識、利己主義の超越を一層可能にする。
(中略)
つまり、自分よりも一段大きい全体の一部として、
自己を没入することを容易にするのである」。

                                                         ―――アブラハム・マスロー『完全なる人間』(誠信書房)


彼は、自己実現、つまり、最善の自己になりゆく先には、

自己を超越した感覚、大きな摂理につながる境地があると言っている。
自己実現とは、悟りのような宗教的体験のなかで行われるのだ。
したがって、彼は自己実現をする人は愛他的で、献身的で、社会的となり、
物事を統合的に包容できると言及している。

このことを2人の芸術家の言葉で補ってみたい。


「実用的な品物に美しさが見られるのは、
背後にかかる法則が働いているためであります。
これを他力の美しさと呼んでもよいでありましょう。
他力というのは人間を超えた力を指すのであります。
自然だとか伝統だとか理法だとか呼ぶものは、
凡(すべ)てかかる大きな他力であります。
かかることへの従順さこそは、かえって美を生む大きな原因となるのであります。
なぜなら他力に任せきる時、新たな自由の中に入るからであります。
これに反し人間の自由を言い張る時、
多くの場合新たな不自由を嘗(な)めるでありましょう。
自力に立つ美術品で本当によい作品が少ないのはこの理由によるためであります」。

                                                                                                               ───柳宗悦『手仕事の日本』(岩波書店)



「少年時代から、自然を観察していることが多かった私は、
この世のすべてを生成と衰退の輪を描いて、永劫に廻ってゆくものとして捉えていた。
その力の目的や意義については何もわからないが、
静止でなく、動きであるために、根源的な力の存在を信じないではいられなかった。
一切の現象を、その力の発現と見る考えは、青年時代を通じて変らなかったようだ。
そのことが、あの失意と悲惨のどん底の時にも、
私を挫折させなかった原因の一つであろう。
(中略)
私は、いま、波の音を聴いている。
それは永劫の響きといってよいものである。
波を動かしているものは何であろうか。
私もまた、その力によって動かされているものに過ぎない。
その力を何と呼ぶべきか私にはわからないが───」。

                                                                                                            ───東山魁夷『風景との対話』(新潮社)


こうした言葉を「シューキョー臭い」「年寄り臭い」と思う人がいるかもしれない。
特に血気盛んな20代、30代は、
「何が他力だ。俺は自力でいく!」とか、
「“生かされる自分”って何か気持ち悪い。自分には自分の意思がある!」、
「摂理? 摂理のために自分は働いているんじゃない」、
といったふうになるかもしれない。私がまさにそうだった。

そう突っ張る人は、突っ張るほどの元気があって大いにけっこうである。
その元気さで、「MYプロジェクトX」なる仕事に没頭するといい。
それが結局、柳や東山の言葉に到達する近道になる。

◆祈りは心の震えの発露である
誰しも、本当に死にものぐるいで仕事に取り組んだとき、
深く意義を感じて職業に献身するとき、
「大いなる何か」につながる感覚、抱かれる感覚は必然的に生じる。
そのとき、「祈り」も湧いてくる。

この「祈り」は、
賽銭を投げて「宝くじが当たりますよーに」(ぱんぱん:柏手)の類の祈りとは違う。
そんなお気楽で都合のいい「おねだりの祈り」ではない。
震える心の奥底から湧き出す「やむにやまれぬ決意の祈り」だ。

「ゲームとしての仕事」が幅をきかせるビジネス社会にあって、
私は、そんな純粋な発露の祈りのもとに仕事に向かえる人が
一人でも多く増えればいいなと願うものです。

最後に、ゲーテ『ゲーテ全集1』(潮出版社)から───


「教えてほしい。いつまでもあなたが若い秘密を」
「何でもないことさ。つねに大いなるものに喜びを感じることだ」。


2011年11月21日 (月)

寝る前の30分間はテレビを消そう

Todaiji 01
奈良公園から東大寺大仏殿の金色の甍(こんじきのいらか)を望む




◆「孤の時間」をつくれ


「我々が一人でいる時というのは、
我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。
或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、
芸術家は創造するために、
文筆家は考えを練るために、
音楽家は作曲するために、
そして聖職者は祈るために一人にならなければならない」。

───アン・モロウ・リンドバーク『海からの贈物』


多くの現代人が無くしているもののひとつに、「孤の時間」があります。

ここで言う「孤の時間」とは、自分一人になって何かを思索する時間です。
(一人になって漫然とダラダラ過ごす時間ではありません)

特に若い人ほど、孤独な時間を怖がるようです。
あるいは、一人でいるのを何か友だちのないカッコ悪いこととしてとらえがちです。
しかし、孤の時間を豊かに持つことは、
友人・知人を多く持つことと同様に、人生にとって大切なことです。

歴史上のあらゆる偉業や名作には、
たとえそれが複数の人間の手で成されたものであっても、根本は、
一人の人間の「孤の時間」の中で芽生え、醸成され、決断された思考や意志が
決定的に必要だったのです。

「孤の時間」を持つために、私は2つのことを勧めています。
1つは、散歩すること。
もう1つは、夜寝る前の30分間はテレビを消して、
古典名著とか偉人伝とか大きな規模の本を読むことです。
週1日でも2日でも、こうしたことを習慣にしてみると、
3ヵ月もすれば自分が何か変わってくるのがわかるでしょう。
そしてそれは5年、10年、20年の時間でみると、
人生コースを変える大きな力になります。

思索といっても、眉をひそめながら何かを考え込むことでなくていいんです。
想いや願い、アイデアを自由に伸び伸びと巡らせることです。
何か答えを見つけようとするのではなく、
自分の思考空間が広がっている、深まっていることを楽しむことです。
そして静寂さを滋養に変える体験をすることです。
こうした祈りにも似た作業、思想の深呼吸をする暇(いとま)をもつことがいまの日本人には必要です。


◆「人とほんとうにつながる」ってことは何だろう


「僕らはたいてい、部屋にいるよりも、
人と交わっているときの方がずっと孤独である」。

                                      ───ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『森の生活』


私たちは誰しも、人とつながりたい、つながりあっていたい、と願う。
だからパーティーへ行く、宴会も出る、集まりにも加わる、
ミクシィもやる、フェイスブックもやる、ツイッターもやる。

けれど、つながりの拡大に比例して
いっこうに気持ちがどっしりしてこないのはなぜでしょう。
それはそのつながりや交わりがほんとうのものでないからかもしれません。

じゃぁ、「ほんとうのつながり」って何だろう───?

それは少し月並みの答えになりますが、
「深いところで強くつながる」こと。

じゃぁ、「深く強くつながる」ためにはどうすればいいのだろう───?

それは「深く強く自分を突き出す」こと。

そのヒントは─── “Only is not lonely.”

「Only is not lonely.」は、
糸井重里さんが主宰するウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページに
掲げられているコピーです。

「オンリー(唯一)であることは、必ずしもロンリー(孤独)ではない」
というメッセージには、味わい深いものがあります。
糸井さんはこう書いています───


「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。 (中略)

「ひとりぼっち」なんだけれど、

それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。

───糸井重里「ダーリンコラム」(2000-11-06)より


個性のない人たちが群れ合って、尖がった個性や出るクイを批評し、
つぶすということが組織や社会では往々にして起こります。

また、孤独を怖がる人たちが、
やはり孤独を同じように怖がる人たちと、不安しのぎの結び付きをすることもあります。

しかし同時に、
「オンリーな人」たちが、深いところでつながって互いを理解し合い、
強く創造し合うということも起こります。
オンリーな存在として一人光を放とうとするとき、
真の友人が不思議と何処からか寄ってきます。
そしてオンリーであることを研ぎ澄まそうと一所懸命にもがいていると、
いつしか同じ志のネットワークのなかに自分がいることに気づきます。
こうしてオンリーは決してロンリーではなくなるのです。

残業の日々が続き、ふと帰宅途中に、月明かりの下で触れた街路樹の木肌のやさしさを
どうしようもなく文字にして書きつけたくなったとき、その人は、
宮沢賢治の詩とつながるかもしれません。
そしてそこでは、現代の物質文明をある距離から見つめ、
自然や宇宙からインスピレーションを感じている人たちが結び付きあっています。

周囲に蔓延する「しょうがない」「変わるはずがない」といったあきらめの空気のなかで、
一人立ち上がって事を起こそうと戦うとき、その人は、
マハトマ・ガンジーやキング牧師の生き様とつながるかもしれません。
そしてそこでは、世の中をよりよくしたいという情熱を持ち、
けれども多くの人の内にある保身主義、悲観主義の手ごわさを痛感している人たちが
心を通わせあっています。

大衆的な人気取りの芸術、権威に守られた芸術に抗うように
一人反骨の創造の炎を燃やそうとするとき、その人は、
岡本太郎の言葉とつながるかもしれません。
そしてそこでは、認められようが認められまいが、
自分の叫びを形に表そうとする人たちが勇気を与え合っています。

私たちは、深く強く自分自身を突き出すとき、
同じように深く強く生きた人たちと、時空を超えてピーンと交信ができます。

「あぁ、この人も自分と同じように、いや自分以上に、苦悩したんだ。

そして頑張ってる」───
こうした心の対話ができる関係が、“ほんとうにつながる”状態をつくる。

孤独は孤立を意味しない。
むしろ真の孤独を知った人どうしは、深く強く結ばれる。
そのために、私たちは、孤独にものを考える時間が必要です。

さて今晩、寝る前の30分間、テレビを消してみてはどうですか───。



Kofukuji 01
早朝に興福寺五重塔を歩く

 

 

2010年12月18日 (土)

「いただきます」は “生命を”いただくこと


Nayasai 

このところの東京はさすがに本格的に冬が来たとあって

明け方は霜が降りるまで冷え込むようになった。
朝から冷たい雨が降って、鈍曇りの日中、気温は1ケタ台。
そんな日に近くの畑で撮ったのが上の一枚だ。
野菜の種類には詳しくないので名前は分からないが、
凛としたその青菜は、凍える中でも生命力を漲らせ鉛色の空に葉を広げていた。

生長の具合からすると間もなく土から引き抜かれ、出荷されるのだろう。
そして私たちはこれらの野菜を店頭で買い、食する。

そのとき私たちは、単にその野菜の成分・栄養価を食しているのではなく、
その野菜の“生命(いのち)”を食している。
言いかえれば、他の生命と引き換えに、自分の生命を継続させている。
このことは、生きている間じゅう、ずっと心に留めておきたい真実だ。

私たちは、食前に「いただきます」と言うことを教わった。感謝の心を表すために。

もちろんその感謝は、
食材となる動物や植物を育ててくれた生産者への感謝がある。
そして運んでくれた人・加工してくれた人・売ってくれた人への感謝がある。
また、料理してくれたお母さんか誰かへの感謝がある。
あるいは、食べ物を買うお金を稼いでくれたお父さんか誰かへの感謝もあろう。
しかし、もっとも忘れてならないのは、
生命をくれた動物や植物に対しての感謝である。

中国の田舎に行った知人から聞いた話だが、
彼は滞在先の家庭で晩ご飯の手伝いをすることになった。
家の人から頼まれたのは、裏庭で飼っているニワトリを絞めること。
結局のところ、彼はどうとも手伝うことはできず、
ただただ家のお父さんが事も無げに絞めるのを見るだけだった。
さっきまで粗暴に逃げ回っていたニワトリが、いまは、
くてっと地べたに倒れるだけである。
その口を開けた醜い形相が目に焼き付いて、
その晩は何とも鶏がおいしくなかったそうだ。

私も同じような経験がある。
あるアウトドアのイベント(炭焼き会)をやっていたときのことだ。
協賛者の方から、大きなビニール袋に入れた活けイワナだったかヤマメだったかの
粋な差し入れがあった。全部で30匹ほどいて、
それを串刺しにし、炭火で焼いて皆で食べることになった。

私ともう一人のスタッフが、次々に生きた魚を取り出して竹串に刺していく。
小振りで弾力のある身と、はち切れんばかりに動くエネルギーを掌で感じながら、
口から串を入れる。串が喉元を通り過ぎて、
手応えのある腸(はらわた)に入ろうとするとき、魚は「キュッ」という音をあげる。

時おり、串の入れる角度を誤ると入りが悪くなり、
再び串を喉元に戻して入れ直すのだが、
魚は一度目よりは小さいが二度目の「キュッ」という音をあげる。
それは断末魔の声であるにちがいなかろうが、それは今も耳に焼き付いている。
全部で十何匹を引き受けたが、途中で慣れるというようなことはなく、
1匹1匹に祈りめいた念をかけながら串刺ししていた。
(小魚の殺生でこうなのだから、戦場での人間同士の殺生は想像を絶する)
(と同時に、屠殺を生業としている人のことを思いやる)

アメリカの昔の映画では、食事前にテーブルで祈りを捧げるシーンがよく出てくる。
これは時代を問わず、宗教を問わず、失ってはいけない精神だと思う。

食前に「いただきます」の念を込める、
ご飯茶わんのお米を最後の一粒まできちんと食べる、

これらは生命をくれたコメに対する最低限の感謝の行為なのだ。
もっと言えば、その吸収したエネルギーで「よい仕事」をアウトプットすること、
これこそが最大の感謝である。
コメもみずからの生命が、人間様のよい仕事に変換されれば本望だろう。

だから私も、
今晩食べたブタや大根、ニンジン、昆布などに最大限の感謝をしようと

この原稿を一生懸命書いている。 -合掌-

(続く)


 

 

2010年12月 3日 (金)

闇を知った者は光に祈りを捧げる


Kblumi02 

12月2日、『神戸ルミナリエ』が今年も始まった。
折しも私は兵庫県に出張中で、その初日の点灯に出くわすことになった。

神戸ルミナリエは、
1995年、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、
都市の復興・再生への夢と希望を託す祭典として始まった。
その後、市民からの寄付金によって継続開催されているという。
神戸ルミナリエは、商業イベントというより、祈りのイベントなのだ。

その晩、テレビのニュースでは、来場したご婦人が
「あのとき神戸じゅうがまっくらになったでしょ、
このような明かりを見るとすばらしいと思いますね」と、
そんなようなことを言われていた。

このご婦人と私は、この晩、同じイルミネーションを見たわけだが、
両者の見たものはまったく違ったものだったろう。
私はたまたま観光気分で見ただけだが、ご婦人は祈りのなかで見たのだ。

Kblumi01 

* * * * *

ちなみに、こうしたとき、私はいつも思う―――
私のように「わぁ~、きれい」と能天気に見て無垢に喜ぶのと、
ご婦人のように、苦しい体験があるがゆえに、より多くより深くが見えてしまうのと、
果たしてどちらが幸福なのか? ―――ということを。

「そりゃ、多くを経験して多くを感じ取れるほうが幸せに決まってる」

―――たいていの人はそう答えるだろう。そう考えることは簡単だ。

しかし、実際は、人は苦労を避けたいものだし、
自分が苦境に陥っていれば、
苦労なしの人間が能天気に屈託なく笑っているのをうらやましがったりもする。
しなくていい苦労であればそれなしに素直に幸福になりたい、
他人に薄っぺらと言われてもいいから自分なりの幸福感に浸かっていたい、
それが人間の本音ではないか。
それにこの世のすべての不幸を経験してからでないと
真の幸福は味わえないのであれば、
いったいぜんたい、どこまでの苦労を背負えばいいというのか……。
また、あまりに重い苦しみを経験してしまうと、
今度は幸福を感受する能力が失われてしまうという危険性も出てくる。


……いずれにせよ、幸福は、歓喜の上積みによっても得られるし、

自身のもぐり込み(=苦労を経験すること)によっても得られる、
と、まぁ、そんないろいろなことを再度考えさせられた神戸の一夜だった。


*関連記事:
小哲夜話~“low aimer”の満足か“high aimer”の不満足か


 

 

2010年10月17日 (日)

「自信」について ~自らの“何を”信じることか


Kitaro sst01 
私は東京・調布に住んで15年め。
今年、『ゲゲゲの女房』効果で市はたいへん盛り上がりました。
調布駅前の天神通り商店街(通称:鬼太郎ロード)にて



さて、きょうは、「自信」という言葉を見つめなおしてみたい。

「あなたには自信がありますか?」と言ったとき、その自信とはどんな含みだろうか。

つまり、「自信」とは読んで字のごとく「自らを信じる」ことなのだが、
自らの“何を”信じることなのだろうか。

◆2種類の自信
今日では、何か目標や課題に対しそれをうまく処理する能力が自分にある、
そして具体的な(量的)成果をあげられると強く思っている―――
そんな意味で使われる場合がほとんどだ。
つまり、「自らの〈能力と具体的成果〉を信じる」ことを自信と言っている。

しかし、自信とはそれだけだろうか?
自信という言葉はもっと大事なものを含んでいないだろうか?

広辞苑(第六版)によれば、自信とは、
「自分の能力や価値を確信すること。自分の正しさを信じて疑わない心」―――とある。
そう、能力を信じる以外に、
自分の「価値」を信じる、自分の「正しさ」を信じるのも自信なのだ。

だから、たとえ自分の能力に確信がなくとも、
具体的成果が出るか出ないか分からないにしても、
自分に(自分のやっていることに)質的価値を見出し、
意味や正しさを強く感じているのであれば

「自信がある」と言い切っていいのである。

自信を2つの種類に分けるとすれば、

1: 「能力・成果への自信」 =自らの〈能力と具体的成果〉を信じる
2: やっていることへの自信」 =自ら行っていることの〈価値・意味〉を信じる

となるだろうか。
前者は「達成・優劣志向」であるし、後者は「意義・役割志向」である。



◆水木しげるさんの自信は何だったか?

私は2番目の自信を強く持ち続け、結果的に大成した人物として
『ゲゲゲの女房』で再び時の人となった漫画家・水木しげるさんをイメージする。

水木さんは終戦後、兵役から戻り絵を描く商売で身を立てようとするのだが、
売れない時代が何年も続き、夫婦は赤貧の日々だった。
水木さんには売れる漫画を描くという(いわばマーケティング)能力への自信は
まったくなかった。

しかし、自分の描いている作品への価値や意味に関しては揺るぎない自信があった。
ゲゲゲの女房こと武良布枝さんは、どん底の貧乏で明日のことは見えなかったが
水木さんのその自信にずいぶん励まされもし、安心感も得たという。

自分に果たして能力があるのか、それで成功できるのか、などを
いちいち深刻にとらえず、

自らのやっていることを信じ、肚を据えてひたむきに仕事と向き合う。
そしてつくり出したものを世間に「これでどうだ!」とぶつけることをやり続ける。
自らが信じる価値や意味の中からエネルギーを湧かせる―――
これも間違いなくひとつの自信の姿である。

Kitaro sst02 

『ゲゲゲの女房』の佳境は何と言っても、長く続く不遇の日々のなか、
大手出版社の編集者がひょっこりと事務所に現れ、
以降、水木さんがとんとん拍子に出世していく箇所だ。
原著『ゲゲゲの女房』では第4章にあたり、
見出しは「来るべきときが来た!」となっている。

著者の布枝さんによれば、
夫(水木しげる)の信念と積み重ねた努力が報われないはずがない、
報われる準備をしてきて、いま、それがこういう形で報われたのだ、ということだ。
水木さんは、1番目の「能力・成果への自信」というより、
2番目の「やっていることへの自信」を捨てなかったことによって
大輪の花を咲かせた事例である。

さらに言えば、2番目の自信を貫き懸命に仕事をやった結果、
ついには1番目の自信も獲得した、そんな事例だ。

昨今のビジネス現場では、何事も能力と具体的(量的)成果が問われる。
そのために、「自分には十分な能力がないのではないか」とか、
「他より優れた成果を出すことができるだろうか」といった不安に取り囲まれ
縮こまってしまう。

そして結果が伴わないと「自分は有能ではない」といたずらに自分を追い込んでしまう。

そうした現状にあって、私が言いたいのは、仕事をする本人も、
そして上司や組織も、能力や成果に対しての自信をとやかく問い過ぎるな、
その自信を問うよりも、もうひとつの自信、つまり、
「自分がやっていることの価値・意味への自信」をもっと掘り起こせ、ということだ。

Kitaro sst03 

私個人の話をすると、
私は独立して8年目を迎え、これまで6冊の著書を刊行させてもらっている。
私は当初から事業をうまくやる能力や本を書く能力に自信があったわけではない。
ましてやヒット商品やベストセラー本を当てる確信もなかった。
しかし、自分のやろうとする事業や自分の書く本の意義に関しては
依怙地なまでに譲れない軸を持って、自らを信じてやってきたつもりである。

「やっていることへの自信」は、何よりも“粘り”を生む。
能力の不足や見込みの甘さによって事業の苦労は絶えないが、
自分が価値を見出している仕事であるから、粘れるのだ。
粘れるとは、多少の失敗にもくじけない、踏ん張りどころで知恵がわく、
楽観的でいられる、そんなようなことだ。

そしてもがいているうちに、本当に必要な能力もついてくる、成果も出はじめる。
まさに水木さんと同様、2番目の自信がベースにあれば、
1番目の自信は時間と労力の積み重ねのうちについてくるものであることを実感している。


◆自信の4象限

自信を持つことにおいて最良の状態は、
「能力・成果への自信」と「やっていることへの自信」の両方を持つことだが、
どうすればそういう境地に至れるのか―――それを図で考えてみたい。

次の図は、本記事で説明した2つの自信を分類軸に用い、4象限に分けた図である。
それぞれの象限を次のように呼ぶことにしよう。

Jisinz 01 


 〈達人〉 =「能力・成果への自信:強い」×「やっていることへの自信:強い」
 〈腕利き〉 =「能力・成果への自信:強い」×「やっていることへの自信:弱い」
 〈使命感の人〉 =「能力・成果への自信:弱い」×「やっていることへの自信:強い」
 〈縮こまり〉 =「能力・成果への自信:弱い」×「やっていることへの自信:弱い」


理想の境地〈達人〉に至るには2つのルートがある。

ひとつめに、
まず自信のベースを「能力・成果への自信」に置き(=「腕利き」となり)、
そこから自分のやっていることへの価値や意味を見出していって〈達人〉に至る
―――これがルートSである。

ふたつめに、
まず自信のベースを「やっていることへの自信」に置き(=「使命感の人」となり)、
そこから能力や成果への自信をつけていって〈達人〉に至る―――これがルートBだ。
もちろん一個の人間の内で起こることはとても複雑なので、実際のところ、
人はルートSとBを混合させながら動いていくわけであるが、ここでは単純化して考える。

Jisinz 02 


◆2つの坂
次にこの4象限を斜めから俯瞰したのが下の図である。
この図は、〈達人〉の境地が最も高いところに位置しており、
そこへの道のりは、2つの坂を上っていかねばならないことを示している。

Jisinz 03 

ひとつの坂は「能力・成果への自信」をつけるための傾斜で、すなわち、
習得する・熟達する・安定して成果を出すという技能的な鍛錬をいう。
もうひとつの坂は「やっていることへの自信」をつけるための傾斜で、すなわち、
やりがい・意義・使命感を見出すという意志的な希求をいう。

〈達人〉に至るルートSとルートB、この2つはどちらがよいわるいというものではない。
人それぞれにいろいろあっていい。

さきほど水木しげるさんや私個人の例で示したのはルートBのほうだ。
Bの場合、〈使命感の人〉になるまでのルートB1という坂を上ってしまえば、
そこからもうひとつの坂(ルートB2)を上るのは必然性があるので努力がしやすい。
なぜなら上で説明したように、「やっていることへの自信」がある人は、
それを世の中に知ってもらおう、広げようとする“粘り”が出て、
技能的な習熟に自然と懸命になれるからである。
その点で、〈使命感の人〉は比較的〈達人〉に近いといえる。

一方、〈腕利き〉は〈達人〉から遠くなる場合がある。
というのは、〈腕利き〉は、ルートS1という坂を上って
能力・成果に対する自信をつけていくのだが、自分の腕前が上がってくると、
技能や知識そのものが面白くなってきたり、
成果をあげることで経済面で裕福になったり、

成功者として満足を得たりして、その状態に留まってしまうことが起こるからだ。
ルートS2という坂は、価値や意味を見つけるというあいまいな作業である。
技能を磨く、成果を出すといったような具体的なものではない。
だから〈腕利き〉の状態にある人たちは、少なからずが〈達人〉を目指さなくなる。

私は仕事上、多くの人のキャリアを観察しているが、
〈腕利き〉に留まった人ほど、燃え尽き症候予備群であったり、
人事異動によってその後のパフォーマンスがぱたりとさえなくなったり、
リタイヤ後の人生に漂流観を感じたりする場合が多いようだ。
また、〈腕利き〉の中でも、
仕事をひとつの求道だとみる人、職人気質の人、何か大きな病気にかかった人などは
ルートS2の坂をしっかり上っていくように思う。

加えて言っておけば、〈使命感の人〉にも陥りやすい穴はある。
自分のやっていることに大きな意味を感じる、とそれだけで自己満足になってしまい、
技能的な努力をおざなりにしてしまうことや、
自分のやっていることは正しく社会的意義があるのだから、
世の中は当然認めてくれるはずだという期待がわき、
成果を意図的に出そうとするのではなく、成果を半ば受け身で待つという姿勢になりやすい。
いずれもルートB2を上らなくなるという穴だ。

こんなとき、〈使命感の人〉に対するアドバイスは、
「正義は勝つ」のではなく、「正義は勝ってこそ証明される」を意識させることである。


◆「長けた仕事」と「強い仕事」

〈腕利き〉は、自らの専門技術や知識を活かして「長けた仕事」をする。
〈使命感の人〉は、自らの強い価値信念のもとに「強い仕事」をする。
前者の「長けた仕事」においては、
目標の達成度や事がうまくできたかどうかの優劣が問われ、競争が働く者を刺激する。
後者の「強い仕事」においては、
成すべきことの意味や自分の役割が問われ、共感が働く者を刺激する。

「長けた仕事/競争」も「強い仕事/共感」もどちらも大事であるが、
昨今の事業現場では、「長けた仕事/競争」への偏りが大きいことが問題だ。
いったい今のあなたの職場に、
自分の仕事に関し、自分自身への意義、組織への意義、社会への意義を見出しながら、
こうあるべきという信念を軸に自律的な「強い仕事」をしている働き手が
どれくらいいるだろうか。

それと同時に、上司や組織は、そうした意義を引き出すために、
どれだけ個々の働き手たちと共感の対話をしているだろうか。
(これについては拙著『個と組織を強くする部課長の対話力』で詳しく書いた)

“skillful”な(スキルがフル=技能が詰まった)人財ばかりを求め育てるのではなく、
“thoughtful”な(思慮に満ちた)人財を増やしていくことにもっと上司と組織は
意識を払うべきである。

そのためにはまず、上司と組織が、自組織にとっての2番目の自信、
すなわち、自らの組織がやっていることの価値・意味を信じることが不可欠だ。
そしてそれを言語化して、部下や社員に表明できなくてはならない。
企業が単に利益創出マシンになっているところからはこの自信は生じないだろう。


◆負けたら終わりではない。やめたら終わりだ
個人においても組織においても、自信をもつことは精神的な基盤をもつことに等しい。
逆に、自信をなくすことは基盤をなくすことでもある。
自信には2つあるが、では、
1番目の「能力・成果への自信」と2番目の「やっていることへの自信」と
どちらが最下層の基盤なのだろう?―――私は後者だと思っている。

先日、知人のベンチャー会社経営者と会ったとき、
会社存続が危ういことを打ち明けられた。

事業整理もし、人員整理もし、ぎりぎりのところで踏ん張ろうとするのだが、
それでも見通しは厳しい。

いっそ会社をたたんでリセットしてしまい、
一人身軽に再出発するほうがはるかにラクだという。

有能なコンサルタントであった彼の自信はもはやズタズタに切り裂かれた。
経営能力の不足、経営者としての未熟さ……自分を責めても責めきれないのだが、
そうこうしている間にも、次の資金繰りのタイムリミットもくる。

「やはり会社をたたむかな」……。
そこで会ったとき、彼は最後にそうつぶやいていた。

2週間ほど経ち、再び彼から連絡があった―――会社をたたまずに頑張りたいと。

彼の内では、「能力・成果への自信」は完全に砕かれていたが、
「自分がやろうとしていることへの自信」は消えていなかったのだ。
確かに彼は、会社を軌道に乗せるというビジネスの勝負にはいったん負けた。
しかし、負けたからといってそこで終わりではない。
自分がやりたい・やるべきだと信ずるものを持ち続けることをやめたら、
そこが本当の終わりなのだ。

彼は起業当初の志をまだ捨てていない。最下層の基盤は彼の内で死守された。

自信とは不思議なもので、特に2番目の自信は、

苦境や不遇の状態に身を沈めているときにこそ強化される場合がある。
なぜなら、2番目の自信は「意志的な希求」という坂を上ることによって得られるもので、
まさに人は、苦しい状況にあればあるほど
価値や意味といったものを真剣に求めようとするからだ。
自らの信ずるものは、苦難によって篩(ふるい)にかけられると言ってもよい。


たぶん、水木しげるさんも赤貧の下積み時代に、
自ら信ずるところの想いを地固めし、自らの存在意義を確かめながら、
20年30年分のアイデアを溜め込んでいたに違いない。
そうした自信を基盤にした人は、突然のブレイクでヒットしたとしても、
中身が詰まっているので、その後、泡沫のように消えていかないのが常だ。
たまたま要領よくスマートに物事が処理できて、早くから成功してしまい、
その能力に自信過剰になった人間が、

その後、逆に人生を持ち崩すことがあるのとは対照的である。

「能力・成果への自信」と「やっていることへの自信」、
この両方を自分の内に強く持って、〈達人〉の境地で働くこと---
これはすべての働き手にとって大きなテーマである。


Kitaro sst04 
水木しげるさんの作品・キャラクターが長生きするのは 
「能力に長ける」と同時に、「自らの仕事に対する信念がまっとうで強い」からではないでしょうか。

Kitaro sst05 
「長けた仕事」×「強い仕事」をするために、私たちには2つの自信が必要になる。


 

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