2009年7月 1日 (水)

「独立したいのですが」という相談に対し


仕事柄、脱サラ・独立を相談されることがたびたびあります。
しかし、たいていの場合は、さほど本気モードでなかったり、
(私も独立後6年が経ったので)参考に話を聞きたいというレベルが多いものです。

ですが、中には、真剣な人もいます。
そういう場合に、私が贈っている言葉がこれ。

プラハの詩人、リルケ(1875-1926)の『若き詩人への手紙』から:

「自らの内へおはいりなさい。
あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。
それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。

もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、
自分自身に告白して下さい。

・・・(中略)もしこの答えが肯定的であるならば、
もしあなたが力強い単純な一語、「私は書かなければならぬ」をもって、
あの真剣な問いに答えることができるならば、
そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ち立てて下さい」。


---(新潮文庫版『若き詩人への手紙』高安国世訳)


この引用箇所は、
ある青年が、自分も詩人になり、生計を立てていきたいのだが、
その素質がありますかと、リルケのもとに作品を送ってきて相談するくだりです。

リルケは、あなたは自分の詩がいいか私や他にたずねようとする。
そして雑誌の編集部にも作品を送る。そして、送り返され自信をぐらつかせる。
しかし、そんなことはやめなさい。
あなたの目は外に向いている。目を向けるべきは自分の内なのだ。
―――こう、リルケは前置きをし、上の言葉に続けていきます。


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梅雨真っ只中
うっとうしいジメジメ天気も“慈雨”と思えばまたよし


2009年6月21日 (日)

『一徹理視』 ~3年ジョブローテーション再考

Terata01

手元にビジネス雑誌『THE 21』09年6月号(PHP研究所発行)がある。
この中の、キッコーマン・茂木友三郎会長のインタビュー記事が面白かったので紹介します。

茂木会長のコメントを要点だけ抜き出すと、


毎年、新入社員に「いつでも会社を辞められる人間になれ」という言葉を贈る。
いつでも辞められる、どこにいっても働けるぐらいの人材でないと、
社内で思い切ったことができない。
自分の意見もおっかなびっくりでしか言えない、また、
上から睨まれて、クビにされるのが困ると思ってしまう人材に、
会社に長くいてもらってもいいことはない。


要は、“スペシャリティー”をもて、ということ。
スペシャリティーとは、「社内でこの問題はあいつに任せれば安心だ」とか、
「この問題に関してはアイツにはかなわない」というようなレベルではない。
「業界の中で、キッコーマンのアイツはスゴイよ」とか、
「キッコーマンにはあいつがいるからウカウカできないぞ」といった
業界内で名前が轟(とどろ)くようなスペシャリティー


(企業では3年ぐらいでジョブローテーションをさせるのが一般化している。
そんな中でスペシャリティーを磨くのは容易ではないが、との問いに・・・)


これはもうとんでもない話。
一つの仕事を3年しかやらないなんてナンセンス極まりない。
そもそも3年サイクルのローテーションは、エリート官僚のための制度だった。
官僚の中のトップ5%くらいの人間が、そうやっていろいろな仕事をかじって、
全体をみる経験をしていく。
企業に入ってくる多くの大卒者はエリートでもなんでもない。
そんな人材が、短期間でグルグル仕事を変わるなんてことは意味がない。
3年ぐらいではとてもスペシャリティーなんて身につかない。
その世界では、まだまだ下っ端にすぎない。


私の理想論としては、最低でも一つの仕事を10年間やる。それくらいの経験が大事。
30歳までに一つの仕事。
そして40歳までにもう一つの仕事。
その二つの仕事でスペシャリティーになれば、どこへいっても通用する人間になる。


(40歳までに二つの仕事しか知らないのでは世界が狭すぎないか、との問いに・・・)

そんなことはない。
スペシャリストになると、仕事のコツや勘どころがみえてくる。
それはどんな仕事にも応用が利く。
40歳以降は、それまでに培った自分なりの“仕事の仕方”を全部の仕事に応用していけば、
どんなジャンルの仕事もこなせる人間になる。


* * * * *

能力開発・キャリア形成における時間レンジのとらえ方はいろいろあるでしょうが、
私は、3年・5年・7年・10年に重要な区切りがあると感じています。
3年は、その分野の「基本習得」に必要な期間。
5年は、その分野の「深耕」に必要な期間。
7年は、その分野に「根を張るため」に要する期間。
そして10年は、その分野の「プロフェッショナルとして自立・自律するため」に要する期間。

私も、茂木会長の持論には賛同します。
ジョブローテーション制度により、
言ってみれば「一畑三年」で、次々に異なる部署に動かされるのでは、
基本が身に付きはするものの、深耕や根を張るところまではいかない。
(この深耕や根を張るところでの負荷が、実は、人間を成長させる機会でもある)
ましてや、プロフェッショナルにはいつまでもなりきれない。
仮に、そうした中で、うまく仕事をやりこなしていく人間がいたとしても、
それは、やはり「組織内ジェネラリスト」「組織内エキスパート」の域を出ない。

ですから、20代と30代をかけて
「一畑十年×2ラウンド」 ―――という発想は、傾聴に値します。
組織が骨のあるプロフェッショナルを育てるには、10年レンジでのとらえ方が見直されるべきです。

たしかに、3年ほどでローテーションさせる制度にはメリットも多い。
ですが、最近、人事の方々とこの話をすると、

・ジョブローテーションの制度を謳わないと、新卒募集の人気に悪い影響が出る
・本当にミスマッチ配属なのか、本人の適応力のなさ・短気なのかは判別できないが、
 モチベーションをなくした社員に対してローテーションは一つの刺激剤にはなる
・実際、3年を待たず、職場をかわりたがる社員が増加している


など、ローテーション制度が、本来もっていたポジティブ要因ではなく、
ネガティブ要因によって支持される傾向が強まっているようにも思えます。

* * * * *

私は、仕事上でいろいろなキャリアの姿を研究してきて、
そしてまた、ビジネス雑誌記者時代から幾百もの第一級の仕事人を観察してきて、
あるいは、自分自身が、
メディアの世界で情報編集畑の仕事を10年、
教育畑の仕事を10年やってきて、思い浮かんできた言葉(造語)があります。
それは―――

『一徹理視』
一つを徹すれば、理(ことわり)を視(み)る


つまり、一つのことを徹していけば、
全体に貫通する筋道・法則のようなものが視えてくる、ということです。

そしてこうした道筋・法則のようなものが視えてくると、変化が怖くなくなる。
自分の変えない信念や軸ができているので、
変えるのは技術や適応方法でよい、というように腹が据わるからです。

しかし、一つに徹するという「経験×時間」がなく、環境を頻繁に変える人は、
そもそも変えてはいけない信念・軸が醸成されず、
技術や適応方法を変えることに右往左往し、不安がる日々が延々続く。
(たぶん定年まで、そして定年以降も)

だから私は、働く個人に向けても、そして人事関係者の方々に向けても、
「十年一単位」という仕事期間を、もっと再考すべきだと投げかけたい。

* * * * *

最後に補足してもう1点。
この雑誌のインタビューで、茂木会長は、
リーダーシップを学ぶにはどうすればよいかとの問いに、
「小さい会社を経営してみるのがいちばんです。
企業の責任者というポジションを一度体験してみる。
人と組織はいかにすれば動くかということがよくみえてきます」と答える。

とすると、茂木式・経営プロフェッショナル人財の育て方というのは、
・20代から30代にかけて、「一畑十年」を2つの分野でやらせる
・そして、小さい組織でもよいので経営者の経験をさせる
ということになるでしょうか。

「2つの分野を10年ずつ+経営者経験」―――
単純なようですが、実はこの要素で十分な育成方法・育成思想たりえると思います。

Terata02
3ヶ月後には、立派な実をつけた黄金の稲穂に。
---「寺家ふるさと村」(横浜市青葉区寺家町)にて

2009年6月13日 (土)

私は「理解」を売っています ~情報は理解されてこそ力を生む

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人は、自分自身だけで変わることは難しい。
確かに、自分を変えていく主体はまぎれもなく自分なのですが、
人が変わるには、触媒が要る。

触媒とは、人との出会いであったり、本との出会いであったり。
そんな意味で、きょうは私の人生・キャリアのコースを変えた最大級の触媒の1冊―――

Richard Saul Wurman著『Information Anxiety』 (1989年刊行)
(翻訳本:『情報選択の時代』松岡正剛訳)を取り上げます。


1992年、私はビジネスジャーナリズムの端っくれとして、ビジネス雑誌の記者をしていた。
記者生活丸3年を過ぎ、年齢も30歳。
仕事盛り、生意気盛り、
自分の名刺には「日経:NIKKEI」の文字もあって取材アポは易々と取れ、
向かうところ怖いものなしで、ガンガン取材に出歩き、記事を書いていました。

そんな折、ワーマンのこの著作に出会った。
ワーマンは、自身を“Information Architect”(情報建築家)として名乗っている。
それが第一に新鮮でした。

紙面にはこんな単語があった―――
“INFORMATION EXPLOSION” (情報爆発)
“INFORMATION ANXIETY” (情報不安症)
“UNDERSTANDING BUSINESS” (理解ビジネス)

そして、こんな一節―――

「毎週発行される1冊の『ニューヨーク・タイムズ』には、
17世紀の英国を生きた平均的な人が、
一生のあいだに出会うよりもたくさんの情報がつまっている」。


「私がフィラデルフィアに住んでいた子供のころ、父はこう教えてくれた。
エンサイクロペディア・ブリタニカの内容を暗記する必要はない。
そこに書かれている内容を見つけだす方法を身につければいいんだ」。


「私が、1エーカーは4万3560平方フィートだ、と言ったとしよう。
これは事実として正しい。
しかし、1エーカーがどのくらいのものかは伝わらない。
これに対して、1エーカーとは、エンドゾーンを除いた
アメリカンフットボールのフィールドと同じくらいの広さだ、と言ったとしよう。
これなら、正確さという点では劣るが、聞き手に理解させることには成功している」。



Etchartさらに極めつけは、紙面で紹介されている一つの図。
イェール大学のエドワード・タフテ教授が描いた『ナポレオンの行進』というチャートです。
(→現在、このサイトで詳細図が見ることができる


このチャートには次のような説明が付けられている。
「上の線図は、歴史と地理的な要素が混じっためずらしい地図だ。
これはナポレオンの軍隊のモスクワ遠征の往路とフランスへの帰路を示したものである。
グレーの部分はモスクワへの道筋、黒は帰路を表す。
線の厚みは旅の間の各地における軍隊の人数を示す。
ここには人員の消耗度がはっきりと表れている。
いちばん下には気温が記録されており、帰路の冬の気候が実際にどんなに苛酷だったかがうかがえる」。


このチャートを最初に見たとき、私は息をのんで固まってしまったことを覚えている。
ナポレオンのモスクワ遠征が、無謀で過酷な出来事であったことは知っていたが、
その状況を、どんな文章より、また、どんな写真より、この図は鮮明に表している。
表しているというより、私たちに具体的な“理解”を与える。
(写真が与えるのは、“印象”であって、“理解”ではない)

* * * * *

私はこの本を読んでからというもの、「情報」というものに非常にセンシティブになりました。
出版社で雑誌の編集という情報ビジネスに携わっていながら、
実は、「情報」のことを深く考えずにやっていたことを自覚した。

当時は、ともかく、面白いネタを刈り取ってきて、文章に書き起こし、
写真を添えれば、それなりに読まれる記事になり、雑誌になったのです。
「情報商品は鮮度と切り口さ」と、幼稚な哲学で悦に入っていたのかもしれません。

情報の本義は、「情報の受け手に力を与えることだ」とワーマンは言う。
力を与えるためには、その情報が“理解”されなければならない。

情報量が爆発する(増大する、ではない!)時代にあって、
情報をつくり出す人間はごまんといるが、
情報を理解させようとする人間は、一気に少なくなる。

これから自分が採るべき方向は、情報を“理解させる仕事”や
情報をつくり出すのは猫も杓子もやれる時代になる。
けど、情報を理解させることは誰もがやれる仕事ではない」―――
自分の針路が変わった一瞬でした。

93年-94年は、まさに、ワーマンの言った情報爆発が現実として感じられた。
パソコンでは、Macintosh が「ClassicⅡ」から、
「LCシリーズ」「Centrisシリーズ」、そして「Quadraシリーズ」として展開され、
ハードディスク容量も目まぐるしく増加していく。
そして94年には、ブラウザの『Netscape Navigator』がリリースされ、
現在のように、ワールドワイドウェブから、無尽蔵ともいえる情報が
机上のPC画面に投影される状況になった。
まさに、一般人の誰もが、情報のつくり手となって、それをネットに放てる時代、
結果、情報量が爆発する時代に突入した。

ボイジャー社は『エキスパンドブック』を発刊し、PC画面で読む電子書籍が普通になった。
(私は、ビートルズの『A Hard Days Night』を買って何度も観た)

また、アラン・ケイほか著『マルチメディア』(浜野保樹訳、岩波書店)というタイトルの本も出され、
今では、「なんだ、マルチメディアか」ですが、
当時は、言葉も新しかったし、予見に富み、時代の熱を帯びた内容で
これにも多くの刺激を受けました。

* * * * *

そして私は、94-95年と「情報の視覚化」を研究テーマに、米国に留学した。
留学先に選んだのは、
ドイツの機能主義的デザイン運動「バウハウス」の教育思想の流れを汲む
シカゴのイリノイ工科大学院「インスティチュート・オブ・デザイン」。

私がやっていたのは、例えば、
日経朝刊の一面記事を1枚の図に表すとどうなるか。
あるいは、
あいまいなコンセプトを、どう具体的な理解イメージに置き換えることができるか。

例えば、フランスの哲学者ベルグソンの言葉に、
「生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある」(『創造的進化』より)
がありますが、これを私なりに図化したのが下です。

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私は、この本との出会いで、
「情報のつくり屋」から、
「情報の理解促し人」へと、
キャリアのコースを変えた。


今では、さらに考えを進化させ、分野を絞り込んで
「働くとは何か?の理解促し人」→「働くとは何か?の翻訳人」を
自身の職業の定義としている。

あなたは「何を売ってるのですか?」と問われれば、
「私は“理解”を売っています」と答えるだろうし、
願わくば、その理解を通して、
働くことへの「力を与えたい」、「光を与えたい」と勝手に思っている。


【関連リンク】
○リチャード・ソール・ワーマンのサイト
http://www.wurman.com/
○ワーマンの仕事のひとつ『Understanding Healthcare』
http://www.understandinghealthcare.com/toc.php4
○エドワード・タフテのサイト
http://www.edwardtufte.com/tufte/index
○情報デザイナーとして活躍する一人、ナイジェル・ホームズのサイト
http://www.nigelholmes.com/

2009年6月10日 (水)

『電通鬼十則』など

■電通の<鬼十則>

一、仕事ハ自ラ「創ル」可キデ、与エラレル可キデナイ。
二、仕事トハ先手先手ト「働キ掛ケ」テ行クコトデ、受身デヤルモノデハナイ。
三、「大キナ仕事」ト取リ組メ、小サナ仕事ハ己ヲ小サクスル。
四、「難シイ仕事」ヲ狙エ、ソシテ之ヲ成シ遂ゲル所ニ進歩ガアル。
五、取リ組ンダラ「放スナ」、殺サレテモ放スナ、目的完遂マデハ。
六、周囲ヲ「引キ摺リ廻セ」、引キ摺ルノト引キ摺ラレルノデハ、
     永イ間ニ天地ノヒラキガ出来ル。
七、「計画」ヲ持テ、長期ノ計画ヲ持ッテ居レバ、忍耐ト工夫ト、
    ソシテ正シイ努力デ希望ガ生マレル。
八、「自信」ヲ持テ、自信ガナイカラ君ノ仕事ニハ、迫力モ粘リモ、
     ソシテ厚ミスラガナイ。
九、頭ハ常ニ「全廻転」、八方ニ気ヲ配ッテ一分ノ隙モアッテハナラヌ、
     サービストハソノヨウナモノダ。
十、「摩擦ヲ怖レルナ」摩擦ハ進歩ノ母、積極ノ肥料ダ、
    デナイト君ハ卑屈未練ニナル。


上記は、広告代理店・電通の第四代社長だった吉田秀雄が、
昭和26年、社員にあてた訓示です。
イメージが華やかな広告業界にあって、
このように頑固そうで古風な訓示は意外な感じもしますが、
ここに書かれていることは当時の電通社員のみならず、
すべてのビジネスパーソンに有効だと思います。


私もサラリーマン時代、何人も部下を持っていました。
この『鬼十則』をプリントして部下に配り、その反応をみることで、
伸びる人財と伸びない人材を知ってしまうことができたものです。


結局、人が伸びるかどうかは、
もっている能力の種類だとか、レベルだとか、適性うんぬんの問題ではなく、
「感度と気骨」の問題だと、私は確信しています。


感度とは、
人の態度・言葉に響く素直さ、
創造の引き金の敏感さ、
チャンスを見出そうとする意欲、
風の中に次の季節の香を嗅ぎ取る感覚、など。


気骨とは、
個として立つ精神、
己の信ずるところを積み上げる持続力、
表現を絞り出そうとする執念、
逆境をはねのける楽観主義、など。


「感度と気骨」のある人間であれば、この十則に奮い立たないわけがないのです。

* * * * *

『鬼十則』より少し柔らかめのものも紹介しましょう。
私が同様に部下に配っていたものがこれです。


Tom Peters著『The Pursuit of WOW !』の中で紹介されている13カ条です。
New England SecuritiesのCEOが社内に提示したフィロソフィー・ステートメントであると説明されています。


1. Take risks. Don't play it safe.
2. Make mistakes. Don't try to avoid them.
3. Take initiative. Don't wait for instructions.
4. Spend energy on solutions, not on emotions.
5. Shoot for total quality. Don't shave standards.
6. Break things. Welcome destruction. It's the first step in the creative process.
7. Focus on opportunities, not problems.
8. Experiment.
9. Take personal responsibility for fixing things.
  Don't blame others for what you don't like.
10. Try easier, not harder.
11. Stay calm!
12. Smile!
13. Have fun!


1. リスクを負え。安全にやろうと思うな。
2. どんどん間違っていい。間違いを避けようとするな。
3. イニシアチブを取れ。指示を待つな。
4. “解決”にエネルギーを注げ。“感情(対立・論争)”にエネルギーを使うのでなく。
5.  既存の決めごとを細々いじっているより、全体の質向上を狙え。
6. 枠を打ち破れ。壊せ―――それこそが創造の第一歩。
7. “機会”に焦点を合わせよ。“問題”にではなく。
8. ともかく「試せ」!
9. それをやり遂げることに責任を持つ。気に食わないやつの悪口を言っているヒマなどない。
10. 気楽に構えてやろう。深刻にやるのではなく。
11. 静かに集中!
12. そして「笑顔」!
13. 楽しもう!

* * * * *

政治の世界はもちろん、ビジネスの世界でも、昨今は、“statesman”がいなくなりました。
私がここで使う“statesman”とは、広く
「良識・賢慮に基づいた優れた言葉を発する人」を意味しています。

(ちなみにstatesmanは尊敬の意味を込めた「政治家」、
そこらへんにいるのはpolitician「政治屋」)

私はビジネス雑誌記者時代から、経営者の言葉に注意を払ってみてきました。
会社案内やHPでの挨拶、カンファレンスでの発言、入社式での訓示、社内報でのコメントなど。

そこには、どれもこれも、「企業を取り巻く経済環境は厳しさを増し・・・」とか、
「変化の時代に生き残りをかけ、選択と集中を・・・」とか、
「独自の付加価値によって利益の最大化を図ることが・・・」とか、
「グローバルな視野に立った変革を全社一丸となって・・・」とか、
まぁ、そこにはいかにもサラリーマン社長として梯子を上がってきた方々のスマートな言葉が並ぶ。

言語はスマートだが、心のスイッチに何か点火させるものがない。
受け手に響く肉声ではないのです。

その点、吉田秀雄社長の
「取リ組ンダラ放スナ、殺サレテモ放スナ」とか、
「周囲ヲ引キ摺リ廻セ」などというのは、鬼気迫るほどの肉声です。

New England SecuritiesのCEOが言った
12. Smile!
13. Have fun!
なんていうのも、単純だけれども、すごくイカした肉声です。

彼らは、優れて“statesman”だったと思います。

2009年6月 6日 (土)

『エピソードで読む松下幸之助』

Photo 地方への出張の際、いつも電車の中で読める本を持参しますが、たいてい私は手軽サイズの新書にしています。きょうの一冊は、先日の出張で読んだ新書です。

『エピソードで読む松下幸之助』
PHP総合研究所 編著

松下幸之助の著書はたくさんありますが、
これは自身が書いた本ではなく、
第三者によって編纂された幸之助にまつわるエピソード集です。

当時の幸之助と、彼を取り巻く周辺の人びととのやりとりやら、ハプニングやらを通して
経営者・松下幸之助、人間・松下幸之助の像がだーっと音を立てて眼前に現われてきます。

エピソード集という、いわば間接照明による松下幸之助の描写は、
ことのほか立体的に像を浮かび上がらせるもので、
これまで自分の中にあった幸之助像が、少し変化した分もあり、
強まった分もあり、ともかく、面白く一気に読める内容テンコ盛りでした。

気に入ったエピソードをいくつか紹介してみると、

◆金沢出張所の開設:
昭和の初め、金沢に出張所を開設するにあたり、幸之助は誰を責任者にするか考えた。
頭に浮かんだのは入社2年ほど経った二十歳を過ぎたばかりの店員であった。
幸之助は本人を呼んで伝えた。
「金沢へ行って、どこか適当なところを借りて店開きしてほしい。
資金は一応三百円用意した。これを持ってすぐ行ってくれたまえ」。

突然の社命に若い店員は驚いた。
「そんな大役が務まるでしょうか。
二十歳を過ぎたばかりで何の経験もありませんし・・・」

「必ずできるよ。考えてもみてみい、
あの戦国時代の加藤清正や福島正則などの武将は、みな十代から大いに働いている。
若くして自分の城を持ち、家来を率いて、民を治めている。
明治維新の志士にしても、みな若い人ばかりやないか。
大丈夫や、きっとできるよ」。


◆伸びる余地はなんぼでもあるよ:
昭和8年ごろのこと、幸之助が博多の九州支社を訪ねた。
支店長は、ナショナルランプのシェアの優位状況を得々と説明したのだが、
そのとき、つい口がすべって、今後の売上げを伸ばすのは非常に苦労だと付け加えた。

聞き終わった幸之助はこう言った。
「きみ、ご苦労さんやな。しかし、昨夜わしが別府駅に着いて改札を出たら、
各旅館の番頭さんがたくさん出迎えに出ていた。
みんな、それぞれの旅館名の入ったロウソクの提灯(ちょうちん)を持っている。
あのロウソクを電池ランプに替えたら、たいした数になるで」。


◆もう一杯おかわりを:
昭和40年代の初め、松下電器では業務用炊飯器の試作品を完成させた。
技術者たちは、試作品で炊いたご飯を幕の内弁当に詰め、重役会に臨んだ。
重役たちの反応はいまひとつ盛り上がらない。

しかし、そんな中、一人だけおかわりをした人がいた。
「この炊飯器のご飯、おいしいな。もう一杯おかわりを」 ―――
普段は食の細い松下幸之助、その人だった。

◆経営者の孤独:
戦後まもなくの話。社員の中に非常に気性が激しく、喧嘩早い者がいた。
その社員は、ある日仕事のことで大喧嘩をし、自分のむしゃくしゃする気持ちを
幸之助にきいてもらわねばすまなくなって、その日の夜遅くに幸之助の所に押しかけた。
彼は、胸にたまっていたうっぷんやら不満やらをあらいざらいぶちまけ、
話しているうちにぽろぽろ泣けてきた。

幸之助は、それをじっと聞いていて、言った。
「きみは幸せやなぁ。それだけ面白うないことがあっても、
こうやって愚痴をこぼす相手があるんやから。
ぼくにはだれもそんな人おらへん。きみは幸せやで」。



―――これらを美談すぎるととらえる向きもあるでしょうが、
それにしても、時代を超えて人の心に触れてくるエッセンスがここにはあります。
この本は経営学というより、人間学の本なのでしょう。
いずれにせよ、
松下幸之助とともに時代を築いてきた社員たちは幸せな働き手だったと思います。

世の中には、リーダーシップとは何か?を学問的に論じる研究がたくさんありますし、
リーダーシップ養成の研修サービスもいっぱいあります。
(私もそれに関わる人間です)
そして、たくさんの人たちがこれらを学習します。

ですが、いくらリーダーシップの要件定義、能力定義などを分析し、頭に入れたところで、
「この炊飯器のご飯、おいしいな。もう一杯おかわりを」―――
の一言が自然体で出ないかぎりにおいては、真に人はついてこないのでしょう。
(権威の上で、あるいは給料をもらう範囲ではついてきますが)

リーダーシップの核心の一つは、
「この人に何が何でもついていこう」と思わせる“人たらし”的な人間的魅力なんだな
ということを再認識させられた一冊でした。

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