人はほんとうに「よい仕事」をやりきったとき、
自然と何か哲学的・宗教的な経験をしてしまうものである。
「天職」とは、“天から授けられる仕事”ということのほかに
“天とつながることのできた仕事”という解釈もできる。
「天職」とは、具体的な職業・職種を言うのではない。
「ああ、この仕事でほんとうによかったな」と心底思えたときが
天職を得たときである。天職とはひとつの「境地」である。
世の中にはまさに天から授かったような仕事を嬉々としてやっている人がいます。
私たちはそうした天職を得た人を半ばうらやましげに見つめます。
そこには、天職はある意味、運命的・受動的な授かりものという認識があるからでしょう。
しかし私は、天職をもっと主体的・能動的なものとして考えたい。
ほんとうに苦労をして、失敗をして、人から軽んじられたり無視されたり、
でも、その分野の高みや深みを真剣に追究して仕事をやりきったとき
(そして人から「ありがとう」とでも言われればなおさら)
人は何か “大いなるもの” とつながる感覚を得ます。
私はそうした感覚が得られた仕事であれば、
それを大いに「天職」と呼ぼうではないか、という考えです。
天職はどこからか降ってくるものではなく、
意志(想いとか執念とか、そんなようなもの)を持ってじっとその道を継続していけば、
おのずとつかめるものだと思っています。
沖縄本島・本部町にある「cafe ハコニワ」にて。
平日の午後3時、同じ太陽が照っている地表面なのに、
東京都心の喧騒と、ここのおっとりした静けさと、この違いがなんとも妙な感じで。
夢とは「胸躍らせる楽しい覚悟」。
しかしこのときの“楽しい”は
必ずしも“楽(ラク)”を意味しない。
夢の定義は人それぞれだろうと思うが、私の定義はこうだ。
ちなみに、志を定義するとすれば、
---「志とは、肚の底から湧き上がるやむにやまれぬ覚悟」。
夢も志も「覚悟」だと思う。
人の生き方で何が美しいかと問われれば、
「覚悟ある生き方だ」と私は答えたい。
覚悟を貫き、覚悟を成就することは、決して「楽(ラク)」ではない。
むしろ苦難や忍耐続きだ。
でも、「楽しい」。
そのとき肚の奥底で感じられる楽しいは、
使命感とかやりがいとか、泰然自若といった類のものだ。
それが人を美しくするのだと思う。