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2010年6月13日 (日)

留め書き〈011〉 ~本閉じて思考のさざ波立てり


Tome011a

上の言葉は、
米国の作曲家アーヴィン・バーリン(Irving Berlin、1888-1989)の名曲

  “The song is ended but the melody lingers on.”
                    (歌終わりて、旋律残れり)

にならって書いたものだ。


  “The book is closed but the thoughts ripple on.”
    (本閉じて、思考のさざ波立てり)

よい書物というものは、閉じた後に判る。
自分の内に思考のさざ波が立ち、アタマの中をざぶんざぶんと反復する。
波はおさまるどころか、どんどん増幅され、いよいよ眠れなくなってしまう。

同じように、力ある言葉も、放たれた後にこそ真価が顕われる。
  “The words are thrown off but the spirit lives on.”
    (言葉放たれて、言霊生き続けり)

また、言葉は種として心に落ちて、そこで思想の大樹として大きくなることもある。
  “The words are put and the meaning grows on.”
    (言葉落ちて、意味育ちゆけり)


よい本、よい言葉を摂取することは人生の楽しみであるとともに重大事である。
そして、みずからも読み手の内に波を起こせる本、種となる言葉を創造したいと願う。



2010年5月14日 (金)

留め書き〈010〉 ~「平安」という状態

Tome010 
    平安とは静止した状態ではない。
    二輪の自転車は前進することで安定する。


若者は、内向き志向で「おこもり消費」。
働き盛りは、疲れから身を守るためにいろいろな「癒し」探し。
リタイヤ組は、悠々自適な「趣味暮らし」。

誰しも、自分の心身、自分の生活に「平安」が必要である。
で、その「平安」って何だろう---?

安全地帯にこもって好きなことに時間を費やすのが平安だろうか?
種々のグッズやサービスで癒されるのが平安だろうか?
残りの人生を気楽に趣味に充てるのが平安だろうか?

もちろんそれらが悪いわけではない。
(私だって、そうするときがたくさんある)
しかしそれらから得られるのは、小さな平安・か弱い平安だろう。

人が、泰然自若と「自分の人生、これでよし」と肚が据えられるのは、
何か大きな目的の下に邁進しているとき、奮闘しているときだ。
苦労や障害は多いが、そこには大きな平安・図太い平安がある。

自転車は止まったとたん不安定になる。
ぐんぐん漕いで前に進んでこそ安定するものだ。
筋肉を使うしんどさと心地よさ、
向かい風を受けるしんどさと心地よさ、
そして景色が変わる面白さ。
力強く前進しようとする自転車の上でこそ、私は平安を感じる。


「毎日が休日というのは、地獄の実際的な定義である」
---誰かがそんな言葉を残していた。

「私は来客の応対ばかりしていると疲れる。仕事をすると元気になる」
---と言ったのはパブロ・ピカソだ。

また精神分析学者のフロイトは長生きするための秘訣をいくつかあげたが、
そのうちのひとつは、
---「朝起きて、やるべき仕事を持っていること」だ。

これらは単に仕事好き人間の言葉ではない。
ここで言っている仕事とは、必ずしも有給の職業・生業を指さない。
使命(文字通り、自分の命を使って行う)的なことがらを指している。

ほんとうの平安は、使命的な挑戦課題を見つけ、動いている最中にある。

そしてその挑戦課題に向かう自分を応援してくれる家族、仲間、同志がいれば、
なおいっそう平安は強まる。

悩みや困りごとがないから平安なのではない。
のんびりラクだから平安なのではない。
夢、志、使命という坂を上ることによって平安なのだ


 

2010年4月29日 (木)

留め書き〈009〉 ~「失敗」について

  Tome009 

    「失敗」というのは、実は一時の仮の姿にすぎない。
    それはあたかも、“蛹(さなぎ)”のようなもので、
    やがて「成功」という蝶に完全変態するかどうか、その手前の状態をいう。

     「失敗」の定義を変えよ。
     失敗とは「一時的後退」である。
     失敗とは「後の成功者に与えられる試験」である。
     失敗とは「成功するに値する者を判別する“ふるい”」である。
     失敗とは「成就の栄光を手にするための前払い金」である。
     失敗とは「飛ぶ前の屈みこみ」である。

   「失敗」には2種類ある。
   「いまだ不確定の失敗」と「確定された失敗」と。
   失敗に対し抵抗を続けるかぎり、その失敗は不確定だ。
   抵抗をやめたとたん、その失敗は確定する。

    「失敗」に関する箴言は多々あるが、
    それらをどれだけ深く読めるかは、
    自身がどれだけ深い失敗からリベンジしたかによる。

* * * * *

私が「失敗」という言葉を聞くたびに思い出すのが、
以前勤めていたベネッセコーポレーション、福武總一郎会長の次の口グセである。

「私には“失敗”という概念がない。なぜなら成功するまでやるから」---。

当時は私も生意気盛りの30代。
大企業ばかりを転職で渡って、さしたる失敗経験・リベンジ経験もないままだったので
(いくつも修羅場をくぐったさと思っていたのは実は小さな自分だった)
この言葉をついぞ深く味わうことができずじまいでいた。
ところが、独立して7年経ち、ようやく沁み入ってくるようになった。
(箴言というのは往々にしてこういうものだ。
箴言的なものは普遍的なことを言っているので、誰しも「そんなの当たり前」と思う。
しかし、箴言を受けて問題なのは、
アタマの理解ではなく、どれだけ身で読めるか、心で読めるかという沁み入りの強さなのだ)

もちろんすべてのことは成功させるつもりでやっているのだが、
ものごとはそう簡単に都合のいいように転がらない。
しかし、失敗という洗礼を浴び、
そこからのし上がっていく強さを身につけることで、
実はそのプロセスにおいてすでに勝ちを得ている。
負けに屈しないというのもひとつの勝利の姿なのだ。


   
より多くのことを
   より深く気づくためには
   簡単に成功してしまわないほうがいい。
   でないと、安ピカになってしまう。

   
ラクな「勝ち」は、ときに次に大きな「負け」を呼びこんでしまう。
   辛い「負け」は、次の輝かしい「勝ち」への燃焼油になる。


結局のところ、失敗も成功も外界の現象にすぎない。
それは天気が雨になり、晴れになることと同じだ。

大事なことは、
「想い」を抱きながら、一歩ずつ、一つずつ、行動を重ねていくこと。
勝っておごらず、負けてくさらず。
結果は天命だが、
最終的にはやはり結果も手に入れる---そうありたい。そうしてみせる。

希望と気概できょうも一歩前へ。

Akazan 

 
 

2010年4月12日 (月)

留め書き〈008〉 ~発酵と腐敗

Amesak02 


Tome008 

        微生物が食物を変化させる。
        人はそこに二つの呼び名を与えた

               ---「発酵」と「腐敗」と。


視点の置き場所によって、物事は善にもなれば、悪にもなる。

さしずめ、きょうの雨は
桜見客からすれば、いまいましい「花散らしの雨」。
春の木々からすれば、若葉を育むやさしい「慈雨」。


Amesk01 
(カメラのファインダーを覗きこみながら、
 花は盛りに 月は隈なきをのみ見るものかは…と思い出され)




2010年4月 4日 (日)

留め書き〈007〉 ~成長せねばという強迫感

Saku yaki

Tome007 

       成長は目的ではない。
       何かに没頭して、それをやりきったとき、
       結果としてそうなってしまうものだ。


4月は進入学の季節ということもあって、誰しも心新たな気持ちになる。

で、真面目な性格の人ほど
「今期からはもっと成長しなければ」と思う。
上司も上司で「もっと成長しろ」と発破をかける。
親は親で「いつまでも子供でいるんじゃない」と口にする。
周囲の同期をみると、何かどんどん成長しているようにも感じる。

すると、ますます「成長、成長、成長しなくては……」と自縛がかかる。

そんなとき、
「なぜ成長しなければいけないのか」とか、
「どう成長すればいいのか」とか、
あるいは
「成長しなければ、このまま置いていかれるんじゃないか」とか
---そんなことを考えてもはじまらない。


「どんな仕事に没頭すれば、成長せずにいられないか」という発想で構えるべきなのだ。


成長は目の前に掲げる目的ではない。
何かに没頭したとき、
何かを乗り越えたとき、
何かをくぐりぬけたとき、
何かをまっとうしたときに、
結果的に、自分の内で「成長」という変化が起こってしまう。

だから、必要なことは、
没頭できる仕事をつくりだすこと。
目線より高めのハードルを自主的に設定すること。
目の前の困難を避けるのではなく、その先の光を信じてしぶとく抵抗すること。
中途半端に放置していることを完成形にすること。



Wakaba




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