「“正しい選択をした”人が幸せになる」のではない。
「その選択を事後の努力によって“正しいものにした”人が幸せになれる」のだと言いたい。
私たち一人一人は、常に分岐点にいて、
各々の人生・キャリアは、数限りない選択の連続でつくられていく。
そのとき、
それら無数の選択は、厳密に言えば、選択された時点では、
正しいとも、正しくないとも、どちらでもない。
もちろん、より正しいと思うことを事前に選択するのではあるが、
本当の勝負はその後から始まる。
将来のある時点で振り返ってみて、
「あぁ、あのときの選択は決して間違っていなかった」と思えるように、
事後的に状況をつくっていく---それこそが要なのだ。
選択は「点」であるが、
その後の状況創造は「線・面・立体」である。
仮に「点」の打ちどころを間違えたとしても、
「線・面・立体」で修正していくことは十分可能だ。
さらに言えば、
日頃の「線・面・立体」をきちんとつくっていけば、
その先に訪れる次の選択(=点)は、かなり精度の高いところに打つことができる。
意志と努力の人は、そうやって自らの選択の正しさを強め、
中長期に自らを「想い」の方向に着実に進めていく。
南フランスにて(99年)
真剣な願いは「叫び」になる。
真剣な望みは「祈り」になる。
真剣な想いは「誓い」になる。
そして、大きな夢や志は、ときに「怒り」によって成し遂げられた。
願望や想いは、それが真剣であればあるほど、
大きければ大きいほど、
開いていれば開いているほど、
叫びや祈り、誓いといったものに変容していく。
逆に、自分の内から湧いてくるものが、叫び・祈り・誓いになってくれば、
それは本物だ。すでに容易に砕けるものではなくなっている。
また、願望は怒りにも変じる。
それは感情的な怒りというより、理性の怒りだ。
例えばガンジーやキング牧師といった人たちがあれらのことを成し遂げた底流には、
静かで透明でとてつもなく大きな怒りがあったのではないか。
それはあからさまに自分に向けられる抵抗や妨害、嫉妬、誤解、無視などへの怒り。
どこからともなく現れてきて漂う無気力や冷笑、あきらめ、恐怖、保身主義などへの怒りだ。
この怒りは正義の裏返しでもある。
仏像にも「忿怒(ふんぬ)の形相」をしたものを多く見かける。
あれは悪鬼を追い払い、
弱い衆生の心を叱咤激励するための慈悲の次元から発せられる怒りの相だ。
本当に真剣に事の成就のために闘おうとすれば、ときに怒らねばならない。
岡本太郎は「怒り」についてこう書いている。
「眼にふれ、手にさわる、すべてに猛烈に働きかけ、体当たりする。
ひろく、積極的な人間像を自分自身につかむために。
純粋な衝動である。
そんな情熱が激しく噴出するとき、それは憤りの相を呈する。
だから、私は怒る。また、大いに怒らねばならないと思っているのだ。
私は今日、憤るという純粋さを失い、怒るべきときに怒らないことによって、
すくみ合い、妥協し、堕落している一般的なずるさと倦怠が腹立たしい。
世の中が怒りを失っていることに、憤りを感じるのだ。
ところで、私は怒りといったが、早のみこみしてもらいたくない。
同じ怒りといってもさまざまな質、広さ、その段階があるからだ。
たいていの場合は、日常のウップンだ。
足をふまれたとか、あいつ変なことを言いやがったとか、目つきがわるいなど
……たわいない。
そして自分の小ささや弱みにふれられたときなど、インにこもる。
だがそういう個人の、腹の虫の問題ではない。
人間として、人間に対する憤り。
もっと壮烈で、ひろくて、純粋なヤツを私はけしかけるのだ」。
---『眼 美しく怒れ』より
素晴らしく生きてみせる!---それが最も痛快なリベンジだ
きょう(2010年8月1日付)の日本経済新聞『私の履歴書』で、
プロ野球元ヤクルト・西武監督の広岡達朗さんの連載第1回目を読んだ。
1954(昭和29年)の巨人軍入団当時、プロの世界は理不尽な徒弟制であり、
選手は一人一人が自分の技術を売り物にする一国一城の主で、他人に関心はないし、
ましてや他人に教えるなんてことはとんでもないという雰囲気が支配的だったこと、
そして新人に対しては、いじめに等しい仕打ちもいろいろあったこと、が回想されている。
そんな中で、広岡さんは、
「結局はたくさんの人の力を借りて、道を切り開いていくことになるが、
『屈辱を受けても、自分はその人より正しい人間であるという信念を持って、
見返すべく努力、勉強していく』というのが、私の人生のテーマの一つになった」
と書いている。また、
「川上(巨人軍の大先輩にあたる川上哲治)さんには、自分でまいた種とはいえ、
引退してからベロビーチキャンプでの取材を拒否されるなど、冷たく扱われた。
だが、それを『それなら巨人を破って日本一になってやる』というエネルギーに
変えて頑張ることができた。
時間がたった今、自分につらく当たった人、球団にはむしろ自分が発奮する手助けを
してくれた、と感謝している。川上さんにも、もちろん何のわだかまりもない」。
さらに、
「初めてコーチになった70年から2年間の広島時代には実に貴重な体験をした。
なかなか伸びなかった選手が根気よい指導で成長してくれたのだ。
正しく教育すれば、必ず人間というものは育つ---。
これが自分の宝物になった」。
* * * * *
この世を生きていく中で、
理不尽や不平等、悪意や冷笑、偏見や無視で自分の行く手を邪魔されることは何度でも起こる。
裏切りや画策、あるいは失恋に遭って、茫然自失となるときもある。
「あいつのせいで俺は報われなかった」とくさってみてもしょうがない。
ましてや、逆ギレして悪さに走るのは愚弱の姿である。
自分を押し上げていくには反骨心が必要だ。
倒れても倒れても起き上がってくる負けじ魂が必要だ。
いまにみていろ!というリベンジ根性が必要だ。
本当に悔しいなら、
本当にあいつらに仕返しをしたいなら、
素晴らしく生きる姿を見せてやることだ。
立派な生き様を見せつけてやることだ。
急ぐことはない。
10年、20年をかけてやればよい。
長い年月が経ち、自分が大きく生まれ変われば変わるほど
彼らへの衝撃は大きくなる。
それこそが、最良の、そして最も痛快なリベンジだ。
イタリア・シエナにて(95年)
最初に「運・鈍・根」という言葉を聞いたのは20代初めのころだったろうか。
私はこの言葉を何となく好きになれなかった。
何か苦節何十年という演歌歌手が口にする人生訓のようで、
血気盛んで(勘違いに)自信家だった自分には地味過ぎたからだ。