留め書き〈012〉 ~運・鈍・根
最初に「運・鈍・根」という言葉を聞いたのは20代初めのころだったろうか。
私はこの言葉を何となく好きになれなかった。
何か苦節何十年という演歌歌手が口にする人生訓のようで、
血気盛んで(勘違いに)自信家だった自分には地味過ぎたからだ。
鈍なんて野暮ったい。知性も感性も鋭敏でなくちゃ。
根気、根気って、根気にしがみつくより、方法論を変えたらどう?
・・・と、まぁ、それはそれなりに理屈は通っているのだが、
いま思うと、若気の至りの解釈だったかもしれない。
しかし40も後半になって、ようやくこの「運・鈍・根」の三文字が
味わいのあるものとして咀嚼できるようになった。
私はいま、「運・鈍・根」を「生(活)かされる自分・愚直・信念」として受け留めている。
私は20代、30代、狩猟的に働く舞台を変えた。
会社員として4度の転職、そして海外留学と、環境の変化を能動的に楽しんだ。
仕事への想いは強かったが、信念と呼べるものではなかった。
しかし、40歳で独立して、時を経るごとに信念が出来あがってきた。
そしてそれは職業人としてのアイデンティティーの根っことなった。
教育事業という大地に自分を植え付けることにより、何か安定感を得た。
独立後、確かに市場の変化や顧客の要望に敏感でいようとはする。
しかし、それよりも重要と考えるのは、ある種、鈍感になって、
自分がやるべきだと思うことを愚直に掘り進んでいくことだ。
そして「これが自分の信ずる形だ。どうだ!」と言って、市場・顧客に差し出す。
そうして、「根」に「鈍」に、もがいているとどうだろう……
差し出した仕事に共感いただける方や応援してくれる仲間などができてくる。
下からは押し上げられ、上からは引っ張り上げられ、
何か自分の歩むべき道がすぅーっと開けてくる。
そして、その道の上で「生(活)かされる自分」を自覚する。
それこそがひとつの「運」のはたらきなのだろう。
「生(活)かされる自分」とは、決して受動的な姿ではない。
そこにはむしろ“大きな我”“開いた我”がいる。
もし人生の重大事として「運・鈍・根」を語る人がいれば、その人はきっと、
信念の下に生き、
愚直に何かを求め、
生(活)かされる自分をじゅうぶんに意識している人だと思って間違いない。