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2008年5月26日 (月)

これからの大事な人財要件2<賢慮・美徳性>

【信州・蓼科発】

5日間の「信州キャンプ」も最終日。

きょう、八ヶ岳西麓はよく晴れました。これぞ高原の爽快な初夏の気候です。

こういう日は、オープンエアの臨時仕事デスクをこしらえます。

木陰にキャンプ用のテーブルとイスを出し、

ノートPCに向かって原稿を書くもよし、

本を読むもよし、

昼寝をするもよし。

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*ピクニック感覚で外に繰り出し、仕事をする。それもアリです。

おにぎりやお茶、お菓子も持っていけば、けっこう楽しい仕事になりますよ。

近くの公園で一度試してみるのをおススメします。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

さて前回から、私が思うこれからの時代の大事な人財要件3つを紹介しています。

それら3つとは、

1)「コンセプト創造」性

2)「賢慮・美徳」性

3)「自律した強い個」のマインド   です。

今回は、2番目について触れます。


=要件2【賢慮・美徳性】=

人財要件として、そもそも、賢慮とか美徳性などという言葉を持ち込むことに

何か違和感を持つ人もいるでしょう。


しかし私は、あえていま、

1人1人の働き手(一般従業員、管理職層、経営者)

「賢慮・美徳」性を問いたいと思っています。


なぜならひとつには、それをあえて指摘せねばならないほど、

働く上での倫理・道徳が世の中あげて壊れかけている状況があること。

これはネガティブサイドの観点。


もうひとつには、ポジティブサイドの観点として、

結局、よりよく働く、真に優れた仕事を究めるということは

賢慮・美徳を元とする「道」を志向することにつながってくるからです。


ところで、

“暗黙知”や“形式知”を世に広めた

『知識創造企業』、『知識創造の経営』などの著作で知られる

一橋大学の野中郁次郎名誉教授の近著タイトルは、『美徳の経営』です。

教授が経営の核心を“知識”から“美徳”へと

踏み込んでいった点は注目に値します。


その著書によれば、

・経営はすでに「質の時代」に入っている。「量の時代」のピークは過ぎた。

・グローバルに経営の知のあり様が変化している。

 米国式経営や戦略に限界がみえ、そこにはより深い批判的視点が起きている。

企業倫理やCSR、さらには、芸術的なリーダーやデザインへの関心などは

その表れである。

・新たな時代に求められる経営の資質は「美徳」である。

 美徳とは、「共通善」(common good)を志向する卓越性の追求である

この美徳を実践に結びつけるための知が「賢慮」である

 賢慮は論理分析的なノウハウではない。

理想と現実の矛盾を超えて実践するための高質な暗黙知である。


この本は、美徳や賢慮といったものを

主に経営者やリーダーに求める角度で書かれているわけですが、

私はすべての働き手に求めていいものであると思います。

なぜなら、働く上での賢慮・美徳性といったものは、

いきなり身につくものではなく、

職業人になると同時に(もっといえば、生まれたときから)

その涵養が行わなければならないものですし、

また、昨今の企業や官公庁などの不祥事をみても、

それらは一介の社員・職員が倫理観なく起こしたもの、

あるいは、たとえ「悪いとは知りつつ」も、

経営者の暴走や組織の慣行を容認して結果的に加担したものが多いからです。


これからの時代の、真に優れた人財を考えるとき、

業務処理能力が高く、量的な成果をあげることに長けている、

という単線的な評価ではいけないと思います。


その組織・事業にとっての「共通善」とは何か?

顧客との間の「共通善」とは何か?

社会との間の「共通善」とは何か? ということに照らして、

仕事の目標や目的を考えることができ、日々の業務の営みに卓越性を求める

―――――つまり働く地盤に、賢慮・美徳性を敷いているか、

そんな目線も同時に必要なのではないでしょうか。


ひょっとすると、これからの時代の「人財に優れた組織」というのは、

「ハイ・パフォーマー」(high performer)を

どれだけ抱えているかということよりも、

組織員をあまねく

「バーチュアス・ワーカー」(virtuous worker:徳心ある働き手)として

押し上げ、

「共通善」の元に求心力を保持している組織ではないかと思います。

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2008年5月25日 (日)

これからの大事な人財要件1<コンセプト創造性>


【信州・蓼科発】

初夏の仕事キャンプ4日目。

蓼科地方は昨日の午後から雨。きょうもたっぷり降りました。

観光であれば恨めしい雨なんですが、

私の場合、部屋の中で雨音を聞きながらの執筆仕事もまたいいものです。

新緑も5月の慈雨を受けて、つやつやしています。

そして、仕事合間に露天温泉に浸かりに行く。

仕事は天候にかかわらず順調です。


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*部屋の窓からは緑がまぶしい。今日は奥蓼科温泉に:「渋辰野館」の湯はいいです!

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、本日の話題。

きょうから3回シリーズで、これからの時代の働き手に求められる大事な要素について書いていきます。


組織人事の分野では、「人財要件」(あるいは「人財スペック」)という語がよく使われます。

人財の採用・登用にあたって、どんな要件を満たすことを求めるか、ということです。

この人財要件とは、主に、能力・資質面のことを考えるわけですが、

近年はその分類がどんどん細分化しています。


例えば技術系の職種であれば、どんな種類の技術的技能・資格・知識を、

どのレベルまで有しているか、

管理職であれば、PL/BSは読めるか、

コミュニケーション能力、リーダーシップ能力はどの程度か、

また職能等級を1段階上げるには、どの能力をどの程度まで上げる必要があるか、

など、ともかく人事担当者は細かなマトリックス表をつくって

人財の要件管理を行なうわけです。


これはこれでなくせないものであると思いますが、

ただ、この流れのみで人財をとらえていくと、見失うものがあると私は感じています。


要件を細分化するだけではみえてこないもの

人財を見つめるにあたって、

もっと大きなゆるいくくりで

大元のところの要件を考える必要があるのではないかと思います。


そこで、私が考えるこれからの時代の大事な人財要件を3つ述べます。

これは私が日ごろ企業研修を行なって、

今の働き手(一般従業員、管理職、経営者のすべてを含む)の中で

脆弱化しているなと感じるものでもあります。


その大事な人財要件3つを先に紹介すると

1)「コンセプト創造」性

2)「賢慮・美徳」性

3)「自律した強い個」のマインド


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


要件1【コンセプト創造性】=


◆モノづくりの真面目さだけではダメな時代

この「コンセプト」という語は「概念」という訳語では狭くてしっくりこないので

そのまま英単語を用います。


ともかく、日本人はこの「コンセプト」の創造が下手な民族かもしれません。

乱暴な言い方を許していただければ、

日本人は古来より「モノづくりの民」です。

民族のコンピテンシーは繊細で器用な手先にある。

一方、アングロサクソン人は「コンセプトづくりの民」かもしれません。

新しい概念をつくって、仕組み化する、

そしてその胴元になって自らを潤すことに長けている。


日本人は一生懸命、「優秀なゲームプレイヤー」になろうとするが、

アングロサクソン人は、努めて、

「ゲームプロデューサー/オーナー」になろうとする。


これからの時代は、情報化社会から一歩進んで「コンセプチュアル社会」に移る。

また、「ハード/ソフトづくり」を超えて、

「コンテクスト(文脈)づくり」をうまく成し遂げた者

優位に立つビジネス世界となる。

そんな状況にあって、

個々の働き手に求められる人財要件のひとつは「コンセプト創造性」です。


自分が携わる分野の商品・サービスにおいて

・新しい概念を顧客に提案し

・それをビジネスモデルとして仕組み化し

・その仕組みや枠組みを他との競争の中で常に再構築していくこと


日々の業務で言えば、

・常に「サムシング・ニュー」を仕事に付加すること

 (=同じパターンの繰り返し業務で安穏としない)

・常に未来に仮説を抱き、そこに道筋をつけようと行動する

 (=過去の成功分析、後学問で仕事・事業がわかったような気にならない)

・人が普通考えないような角度でものを考える

・新しいキーワードをつくって人々を引き寄せる

・自分が担当業務の場からいなくなっても、業務が回るような仕組みを考える

・自分のアイデアを他者に発信する習慣を持つ

 (他者からのフィードバックを得たら、その後、修正アイデアを再発信する)

・新しいことを面白がる

などなど、さまざまあるでしょう。


ダニエル・ピンク氏が著した

『ハイ・コンセプト~「新しいこと」を考え出す人の時代』

(大前研一訳、三笠書房、2005年)は、まさにこれらのことを指摘した意欲作でした。


◆「答えのない時代」にどんなヒトが求められるのか?

ピンク氏は、

「これからは、創意や共感、

そして総括的展望を持つことによって社会が築かれる時代、

すなわち『コンセプトの時代』になる。

・・・・・・

『ハイ・コンセプト』とは、パターンやチャンスを見出す能力、

芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、

人を納得させる話のできる能力、

一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力

などだ。

・・・・

個人、家族、組織を問わず、

仕事上の成功においてもプライベートの充足においても、

まったく『新しい全体思考』が必要とされている」

と書いています。


この本の訳者である大前研一氏は、まえがきで次のように補足しています。

「要するに、これからは創造性があり、反復性がないこと、

つまりイノベーションとか、クリエイティブ、プロデュース、

といったキーワードに代表される能力が必要になっていくということである。

・・・・

『答えのない時代』のいま、世の中に出たら、知識を持っているよりも

多くの人の意見を聞いて自分の考えをまとめる能力、

あるいは壁にぶつかったら、

それを突破するアイデアと勇気を持った人のほうが貴重なのであると。


パソコンOS、インターネット、ネット通販、検索エンジン、Web2.0・・・

アメリカの国力は、こうした新しいコンセプトを次々に生み出し、

それを具現化し続けるところで維持されています。


一方、生真面目なモノづくりのみをコンピテンシーとする我が国は、

すでに黄色信号です。

(国レベルだけの話ではなく、個々の会社、個々の働き手においても)


日本民族は概して、コンセプト創造を得意としません。

しかし、まったくその能力がないかといわれれば、否です。


◆ニッポン人だって、すごいコンセプトを生み出してきた

商品先物取引というコンセプトは、大阪のコメ市場が世界の発端であるいいます。

千利休は類稀なるコンセプト創造者でした。

茶道というコンセプトを打ちたて、今日に続く美の様式を打ち立てました。


いわずもがな、ソニーは「音楽を持ち歩く」というコンセプトを

「ウォークマン」というハードに具現化させ、

現代人のライフスタイルをつくりました。

(ただ、その後、アップルにお株を奪われてしまっていますが・・・

それも、その後のコンセプト展開を怠けたということでしょうか)


また、任天堂の「Wii」の成功は、

家庭用ゲーム機のコンセプトを再構築したことにあります。

(かつての「ファミコン」は借り物のコンセプトの上の製品でした)


日本は、もはや「優れたモノづくり力」×「追従・模倣力」で

やっていく国ではなくなっている。

これからは、「優れたモノづくり力」×「コンセプト創造力」でやっていくしかない。

しかし、それが掛け合わさったとき、ものすごい力が出せると思います。


さて、次回は、冒頭にあげた3つの人財要件のうち、

残りの2つ、「賢慮・美徳」「自律した強い個」について書くことにします。

02003b
*滞在宿の大きな窓のところの

一角を仕事テーブルとして使わ

せていただく

なお、信州キャンプの模様は間近に特集記事としてアップの予定です。

2008年3月30日 (日)

やせた知力・ふくらみのある知力

◆“on”は「~の上に」ではない!

「知る力」は、

働く上で、そしてまた、生きていく上で、基本中の基本となる能力です。

これをおざなりにはできません。

私は、「知る力」には“ふくらみ”が重要だと思っています。

言い換えれば、

やせた知力では、やせた仕事しかできない。

逆に、ふくらみのある知力を持てば、ふくらみのある仕事ができる。

そう考えています。

では、知る力の“ふくらみ”とは、どういうことでしょうか?

そのときに、私がいつもいいなと思う図はこれです。

02002e_4 

これは、『Eゲイト英和辞典』

(ベネッセコーポレーション発行:慶應義塾大学・田中茂範教授監修)で

前置詞「on」を引いたときに出てくる図です。

私たちは学校で、onを「~の上に」という意味で暗記してきましたが、

この辞書はそうではないといっています。

もし、onを「~の上に」で暗記してしまうと、

the fly on the ceiling(天井に止まったハエ)”とか、

a crack on the wall(壁に入ったひび割れ)”、

a village on the border(国境沿いの町)”などの言い表しに

頭が回らなくなる。

そして、都度都度、また1つ1つ単語を丸暗記するハメに陥る。

その点この辞書は、

onは、タテ・ヨコ・上下を問わず「何かに接触している」ことを示す

単語であると(イメージを見せて)言っています。

確かに、そういうonが持つ大本のイメージを頭に染み込ませておけば、

その単語を使う場合の広がりが自然とできる。

これが、知ることの“ふくらみ”というものです。

◆大本の原理原則をイメージで持て

大本の「イチ」をイメージで保持し、

それを「十」にも、「百」にも発展応用させていく―――――

こういった“ふくらみのある知力”を養っている人は、

仕事や人生において、予期せぬ場面に出くわしたとしても

状況に対応し、状況をつくりだす思考ができる人です。

他方、

末梢の知識・事柄を丸暗記することだけに忙しい“やせた知力”の人は、

知識外・想定外の状況に対面したときの応用がきかない

この「知る力」のふくらみについて、

私なりにまとめたコンセプト図が下です。

002002_2

私が事業として行なっている職業人向けの教育プログラムにおいても、

知識の切り売り伝授はやめておこう、

大本の原理原則をイメージとして、腹に落としてもらおうという想いです。

そうするために、

いろいろな原理原則概念をイメージ化することに精を出しています。

このブログでも、いろいろな図を掲示していきます。

2008年3月15日 (土)

知識が増えて、人は賢くなったか?

  毎週発行される1冊の『ニューヨーク・タイムズ』には、

  17世紀の英国を生きた平均的な人が、

  一生のあいだに出会うよりもたくさんの

  情報がつまっている。

    ―――――――リチャード・S・ワーマン『情報選択の時代』より

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

いまの社会では、「情報増加」というよりも、

「情報爆発」といったほうがいいくらいに、

その生産量・発信量が秒単位で溢れ出しています。

インターネットに接続して検索をかければ、

パソコンの画面からは、今や無尽蔵ともいえるほどに情報が入手できます。

また、交通手段の発達や余暇の発達によって、

日常の生活空間とは異なるさまざまな場所へ行って、

多くのものを見聞し、体験できる世の中になりました。

現代人の見聞知や体験知は、

わずか数十年前の人間と比べてもはるかに多くなっています。

ですが、1人の人間が知り得る情報が増せば増すほど、

人間は賢くなるのでしょうか?

日々の仕事の質が上がるのでしょうか?

豊かな発想が湧きやすくなり、より優れた商品・サービスが生まれるのでしょうか?

また一方、情報とともに、技術・道具も止め処もない進歩を遂げています。

私がかつてビジネス雑誌の記者だったころ、

米国の有名なグラフィックデザイナーにインタビューで質問したことがあります。

廉価で高度なスペックを持ったパソコンが普及し、

今や誰でもイラストや写真などを自由に画像処理できる時代が来た。

こうした技術は、人びとの創造性を増したか?――――との私の問いに、彼は、

「いや、ヘタな絵が増えただけだ」、と。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

情報量の増加や技術の進歩が、

必ずしも人間の創造性や賢さを比例して増すものではないことは、

さまざまに語られています。

小林秀雄は、

人は“知る”ことのみをして、“考える”ことをしなくなったといいます。

「考へるとは、物に対する単に知的な働きではなく、

物と親身に交はる事だ。

物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、

さういふ経験をいふ。

・・・物しりは、まるで考へるといふ事をしてゐない」と。

同様に、モンテーニュは、

「他人の知識で物知りにはなれるが、

他人の知恵で賢くなることはできない」と本質を突いた言葉で射す。

この「知識・能力」のカテゴリーでは、

「知ること」や「できること(=能力)」をいろいろな角度から見つめなおし、

目の前の職・仕事を切り拓いていくこととどのような関係にあるのかを

考えていきたいと思います。

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