知識が増えて、人は賢くなったか?
毎週発行される1冊の『ニューヨーク・タイムズ』には、
17世紀の英国を生きた平均的な人が、
一生のあいだに出会うよりもたくさんの
情報がつまっている。
―――――――リチャード・S・ワーマン『情報選択の時代』より
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いまの社会では、「情報増加」というよりも、
「情報爆発」といったほうがいいくらいに、
その生産量・発信量が秒単位で溢れ出しています。
インターネットに接続して検索をかければ、
パソコンの画面からは、今や無尽蔵ともいえるほどに情報が入手できます。
また、交通手段の発達や余暇の発達によって、
日常の生活空間とは異なるさまざまな場所へ行って、
多くのものを見聞し、体験できる世の中になりました。
現代人の見聞知や体験知は、
わずか数十年前の人間と比べてもはるかに多くなっています。
ですが、1人の人間が知り得る情報が増せば増すほど、
人間は賢くなるのでしょうか?
日々の仕事の質が上がるのでしょうか?
豊かな発想が湧きやすくなり、より優れた商品・サービスが生まれるのでしょうか?
また一方、情報とともに、技術・道具も止め処もない進歩を遂げています。
私がかつてビジネス雑誌の記者だったころ、
米国の有名なグラフィックデザイナーにインタビューで質問したことがあります。
廉価で高度なスペックを持ったパソコンが普及し、
今や誰でもイラストや写真などを自由に画像処理できる時代が来た。
こうした技術は、人びとの創造性を増したか?――――との私の問いに、彼は、
「いや、ヘタな絵が増えただけだ」、と。
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情報量の増加や技術の進歩が、
必ずしも人間の創造性や賢さを比例して増すものではないことは、
さまざまに語られています。
小林秀雄は、
人は“知る”ことのみをして、“考える”ことをしなくなったといいます。
「考へるとは、物に対する単に知的な働きではなく、
物と親身に交はる事だ。
物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、
さういふ経験をいふ。
・・・物しりは、まるで考へるといふ事をしてゐない」と。
同様に、モンテーニュは、
「他人の知識で物知りにはなれるが、
他人の知恵で賢くなることはできない」と本質を突いた言葉で射す。
この「知識・能力」のカテゴリーでは、
「知ること」や「できること(=能力)」をいろいろな角度から見つめなおし、
目の前の職・仕事を切り拓いていくこととどのような関係にあるのかを
考えていきたいと思います。