「W/Lバランス」の人・「W/Lブレンド」な人
【沖縄・石垣島発】
「仕事の春キャンプ」で石垣島入りしてから2日め。
あいにく、きのう、きょうと鈍曇りの天気が続きます。
せっかく名勝・川平湾がすぐそこに望めるのに、
あのキラキラ透き通る青い海は、まだおあずけ状態。
東京からのメールで「こちらは晴天」と聞くと、なぜか悔しい気持ちです。
ですが、朝夕の散歩やら、
昼間の海辺での読書・企画構想作業やらは楽しいものです。
気を晴らすために、昼食後、観光スポットに足を運んで、
カメラでスナップを何枚か撮るのもアタマが活性化していいです。
さて、こうしたリゾート地に来ての仕事キャンプは、
私にとって、もちろん真剣な「仕事」であり、
また、観光要素をもった「遊び」でもあります。
そして、自炊を行いながら滞在する「生活」でもあります。
(家具・食器・寝具付きのウイークリーマンションはこの点で便利です)
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◆ゆるゆる・だらだらの「仕事/生活」境界線
私は、東京にいる普段もそんな感じです。
自宅の一室をオフィスにしていることもあって、
仕事と生活と遊びの境界線はとてもあいまいです。
仕事机のPCの前で企画作りに集中していたかと思えば、
その後はソファでごろごろしたり、
図書館に行って仕事をしてみたり、
(でも、仕事に直接関係のない本で半日を費やしたり)
また、天気がよければ多摩川にひょいと散歩に出たり。。。
外見からの行動は、ばらばらですが、
私の頭の中は、四六時中、仕事のことを考えています。
仕事というか、ライフワークといったほうがいいかもしれません。
私のライフワークは、
「働くとは何か?」「よりよく働くとはどういうことか?」を
万人が腹でわかるための教育プログラムをこしらえることです。
私は、常に手帳を傍に持ち歩いていますが、
(寝るときも枕元に)
アイデアメモは、休暇中であろうと、仕事中であろうと、
散歩中であろうと、入浴中であろうと、就寝中であろうと、
電車の移動中であろうと、
それらに関係なく書き留めていきます。
そうした次々と湧いてくるラフアイデア、着想・構想、
およびそれらを深掘りする作業で
実はアタマは常に「仕事」をしています。
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◆「仕事バカ」ではない「仕事好き」
・・・・これは、いわゆる「仕事バカ」な状態なのでしょうか?
あるいは「仕事中毒症」「仕事依存症」なのでしょうか?
いや、私にとって、もちろん非日常の場所での時間はおおいに楽しいものです。
家族との時間も楽しんでいます。
仕事の犠牲として、何かを切り捨てている現実はありません。
私生活も楽しい、仕事も楽しい。
(苦労や心配事は絶えませんが)
私生活・人生の活動の中で、仕事を想い、
仕事の活動の中で、私生活・人生を想う。
私にとって、「仕事」と「私生活・人生」は、2分法で分割し、
「ON/OFF」でとらえられるものでないと感じています。
東洋哲学の概念で当てはめれば「空」(くう)です。
つまり、私にとって、仕事と私生活・人生は、空の状態で渾然一体化していて、
たまたま今のこの活動や思考は、仕事のことが顕在化している状態だとか、
私生活のことが潜伏化している状態だというふうなとらえ方です。
両者の間に明確な境界線も引けませんし、引く必要もありません。
だから、“現在の私”にとって、
「ワーク/ライフバランス」といった概念は、
少し遠い感覚のものになります。
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◆悩み深き「組織人格と個人人格の乖離」問題
ただ、「ワーク/ライフバランス」という概念は、
現代のビジネス社会にあって、とても重要で必要なものではあります。
私も“過去の私”においては、本当に、この「ワーク/ライフバランス」が
必要なサラリーマン時代がありました。
組織の中で、自由に権限を持って多少なりとも楽しく働いていた
サラリーマン時代でしたが、
やはり、年次が経つにつれ、
自分の想うところと組織の命令・任務とは乖離するところが大きくなり、
違和感を抱きながら、「仕事に働かされていた」日々でした。
物理的に休日も仕事にとられることが多かったものです。
ましてや、管理職となり、
組織側の考えることに異論を持ちながらも、
部下には組織側の意思決定を正当化して伝え、実行させなければならないとなると
もう、精神がキリキリしてきます。
まさに、バーナードが触れた経営者の苦渋の重荷は、
組織人格と個人人格の乖離(『新訳・経営者の役割』に詳しい)である
ことがよくわかりました。
こうなると、仕事と私生活・人生を「分離」して考えることが必要になり、
両者のバランスを保たねば、カラダとアタマが続かなくなってくる。
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◆生活と仕事を「ブレンドする妙」
しかし、現在の私は、はれて個人事業主の道を選び、
みずからの想いを具体的にサービス化して、
直接、世の中に問う働き様となりました。
私の行なう事業は、
私個人の仕事観・人生観による価値や意志の表明そのものであります。
組織の中で働かなくなった今、
組織人格と個人人格の間で葛藤することもありません。
私の考えに制限を与えるのは、顧客の要望のみです。
もはや私にとっては、仕事と私生活・人生は、無境界に「融合」して、
両者をいかに掛け合わせて、
納得する仕事、満足する生活・人生をつむぎ出していくかという
「ワーク/ライフブレンド」な状態になっています。
この記事の表題とした
「ワーク/ライフバランス」と「ワーク/ライフブレンド」は
必ずしも適切な対比でないかもしれませんが、
2つの考え方を図化したものが下です。
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◆「仕事に“遊ぶ”人は幸福である」
「ワーク/ライフバランス」の人と
「ワーク/ライフブレンド」な人の境界線はどこにあるかといえば、
つまりは、
仕事に働かされるのか、
仕事を創造するのか、です。
または、仕事に使われるのか、
仕事を使って、もっと大きな何かを成そうとしているのか、でしょう。
そして、さらには、その仕事に対し、
全人的に健全的に没頭できるか、できないか、です。
たとえ組織の中で、能動・快活的に働いている場合にも、
やはり先に述べた組織人格と個人人格の乖離の問題は少なからず起きるもので、
最終的には全人的かつ健全的な没頭は難しくなります。
その点で、
「ワーク/ライフブレンド」という状態は、
個人単位に近い形で働いている人のほうが
よりなりやすいのではないでしょうか。
「仕事に“働く”人は不幸であり、
仕事に“遊ぶ”人は幸福である」・・・
詳細の出所は忘れましたが、かの美食家にして芸術家の北大路魯山人が
こんなようなことを言っていたと記憶しています。
『遊ぶように働く』とは、私の独立後のモットーでもあります。
もちろん、“遊ぶ”とは、
消費的な遊興ということではなく、
自らの事業に真剣に夢中になり、
自分の想った価値を世の中にぶつけて、その反応を楽しむ、
そしてライバル他社とは競争ではなく、競創と共創を楽しむ、
そして最終的に、お客様から「払ってもいいよ」というお金をいただく、
という遊びです。
1日や1年のうちに、休みたいときに休み、仕事をやりたいときに仕事をやる。
そうしたワーク/ライフが無境界にクロスオーバーする働き様、生き様を
私は志向しています。(誰もがやれるスタイルではありませんが)
なお、私はここで
「W/Lバランス」と「W/Lブレンド」の双方を比較しましたが、
どちらが良い・悪いという問題ではありません。