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2008年7月22日 (火)

情報少なにして知恵豊か(less information, more wisdom)

07007 ◆情報を取らないという静寂さ
昨日、10日ぶりに東京に戻りました。
この10日間、共同プロジェクトのディスカッションと諸々の仕事片付け、
そして夏の小旅行を加え、
長野県の白馬と山梨県の小淵沢に滞在しました。
東京で猛暑日・熱帯夜が続く中、
私は標高1000mに身を置き、エアコンなしの昼夜がとても快適でした。

私が東京から身を離して、山か島に拠点を設けて仕事をするとき、
快適なのは、自然環境だけではありません。

「情報が極端に少なくなることの快適さ」も忘れてならない要素です。

新聞も読まない、
テレビのニュースも見ない、
メールチェックも朝晩2回、
携帯電話は出ない(というか、かかってもこない)・・・・
これだけで、どれほど生活が快適になることか。

10日ぶりに帰った自宅オフィスの玄関には、
留守中の新聞(朝日と日経の2紙)がどっさり溜まっている。
私は、一切読まず、そのまま縄でくくってゴミ出ししてしまいます。
・・・一種の快感です。

◆情報量が増えて人は幸せになったか?
情報建築家のリチャード・S・ワーマンが著した
『情報選択の時代』(松岡正剛訳)には、次のような書き出しがある。

 毎週発行される一冊の『ニューヨーク・タイムズ』には、
 一七世紀の英国を生きた平均的な人が、
 一生のあいだに出会うよりもたくさんの情報がつまっている。

私たち現代人は、かくも情報を膨大に、しかもたやすく摂取できる時代を生きている。
しかし、私たちは、その情報摂取量によって幸福になれたかといえば、
どうもそうではない。

単に情報を量的に摂取することが無意味であることを、賢人たちはいろいろな言葉で語っています。

 ・「他人の知識で物知りにはなれるが、他人の知恵で賢くなることはできない」
  (モンテーニュ)

 「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけなのだろう」
  (小林秀雄)

 「知識より想像力が大事である」
  (アインシュタイン)

先のワーマンの著書『情報選択の時代』の原題は、
“Information Anxiety”(情報不安症)です。
つまり、情報をいつも十分に摂取していないと不安にかられるという
現代病を表しています。

私もかつてはこの情報欠乏不安症でした。
しかし、状況が変わったのは、1年間の米国留学でした。
シカゴに住んでいるとき、日本の情報は、
ケーブルテレビで見る毎晩の7時のNHKニュース30分のみでした。

それだけの情報でも、生きていくのに全く問題はありません。
むしろ心地よくさえありました。
それ以来、今では、情報を遮断してもなんてことはありません。不安も感じません。
(しかし、情報に無関心でいるということではありません)

情報・知識は何かの目的のための手段です。
その目的を考えるのは、英知や意志、人生観の範疇の問題です。
これは必ずしも、情報摂取量に比例して強くなるものではありません。

私は、この10日間の山滞在で、世間の情報はほとんど摂取しませんでしたが、
生きる方向性を堅固にする出会いや見聞、内省の時間をたくさん得ました。
そういった意味では、とても中味のある10日間でした。

変化の時代であればこそ、
「情報少なにして、知恵豊か」(less information, more wisdom) となる時間
あえて設ける必要があるのだと思います。

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