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2008年8月29日 (金)

意味に生きる


◆アフガンの悲しい事件

きょうのトップニュースでは胸が絞めつけられる事件を報じている。
アフガニスタンで農業指導のボランティアを行なっている日本人青年が
武装ゲリラに射殺されたという・・・・。

テレビ報道では、彼のこれまでの活動を伝えていましたが、
かれこれ5年間にわたり、現地の人びとと一緒になって、
砂漠の土地に水を引き、種を植え、収穫を分かち合い、
農業指導にあたっていたといいます。

居心地のいい日本で気楽に仕事をする自分には
どう背伸びしても真似のできないことを彼は我が仕事としてやっていた。
ただただ、感服し敬うのみです。
(そして、ご冥福をお祈りします)

また、テレビの前に出てきた父親は、
「息子はよくやった。家族として誇りに思う」、
「現地の人々に感謝する。息子をここまで成長させてくれたのは現地の人々だから」
―――ああ、すごい父子なんだなと思いました。

* * * * * * * * * *

◆意味を探し当てたとき人間は幸福になる
「人間とは意味を求める存在である」――――
こう言ったのは、第二次世界大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、
そこを奇跡的に生き延びたウィーンの精神科医ヴィクトール・フランクルです。

フランクルが凄惨極まる収容所を生き延びた様子は
著名な作品『夜と霧』で詳細に述べられていますが、
彼自身、なぜ生還できたかといえば、
生きなければならないという強い意味を持ち続けていたからです。

彼は収容所に強制連行されたとき、
間近に本として発表する予定だった研究論文の草稿を隠し持っていました。
しかし、収容所でそれを没収され、失くされてしまう。
彼には、なんとしてでも生き延びて、その研究成果をもう一度書き起こし、
世に残したいという一念があった。

彼はその後の著書『意味への意志』の中で、
 ・「(人間は)どうすることもできない絶望的な状況においてもなお
  意味を見るのであります」、
 ・「未来において充たすべき意味へと方向づけられていた捕虜こそ、
  最も容易に生き延びることができたのです」と言います。

また、彼は幸福について次のように説明する。
 ・「意味を探し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、
  そのとき人間は幸福になる。しかし、彼は同時に、その一方で、
  苦悩に耐える力を持った者になる」、
 ・「人間が実際に欲しているのは幸福であることの“根拠”を持つことなのです。
  そして、人間がいったんその根拠を持てば、おのずから幸福感は生じてくるのです。
  人間が幸福感を直接に目指せば目指すほど、彼は幸福でありうる根拠を見失い、
  幸福感そのものは崩壊するのです」。
 ・「幸福は追求され得ない。それは結果として生じるものでなければならない」。


◆幸福な職業人とは?

私はフランクルの著書を何冊か読んで、
「人間は意味のために生きる動物」であることを強く認識しました。
このことはつまり、
大きな意味を感じる仕事に就いた人は、幸福な職業人であるということです。

冒頭のニュースの件に戻りますが、
巷には、「何もそんな治安の悪いアフガンであえて働かなくても」
といった声があるでしょう。

しかし、あの青年には、そこに自分だけの抗し難い意味を感じていた。
そして、家族もまた本人の感じている意味を理解し、送り出していた。
彼の生涯は残念至極な形で閉じられてしまったけれど、
生前の彼は、自分の最上とする意味に生きた大幸福な職業人だったと思います。

・・・・・
立派な生き様・働き様をみせてくれてありがとう。
合掌

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