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2009年5月

2009年5月11日 (月)

職業人としての成長:「個として強くなる」

Utree02 

私は、職業人としての成長の一つで、あまり語られないが重要なものとして

「個として強くなる」

ということを常に強調しています。
(最新著
『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』では、
そのテーマをまるごと一章に立てたほど)

福沢諭吉の『学問のすすめ』は、実際、読んでみれば、学問のすすめというより
「独立自尊のすすめ」と言ったほうがいいくらいのもので、
それだけ、日本人という民族は、古来、一個人にしろ、一国家にしろ
「個として立つ」ことを苦手としてきている。

平成のビジネス社会にあって、「個として強くなる」とは具体的にどういうことか―――
それはさまざまに指摘することができるでしょうが、
例えば、私は次のように考える。

(会社名・役職を取り外し)一職業人として、自分が何者であるかを語ることができる
□日々に出くわすさまざまな情報・状況に対し、「自分はこう思う・自分はこうする」と押し出すことができる。
 それにつき他と論議ができる。そして建設的に持論を修正できる。
□どのように振られた仕事であっても、それを「自分の仕事」に変換して、主体的に実行できる
□自身の信念のもとにリスクを背負うことを厭わない
□反骨心や負けじ魂が強い
□我を狭く閉じて突っ張るのではなく、我を突き抜けたところで全体性を感じている
□自身を懸けることのできる大きな仕事テーマをもっている
□一人でいる時間を設け、大事に使っている
□独自性追求の心を失わない
 (そして、同様に独自性を追求している他人に対し、リスペクトできる)
独自であるがゆえの孤独を知っている。そしてそのために、真の友・同志を持つ


さて、このうち、最後の2項目に関わる「独自性・孤独」についてさらに書きます。
私がここで引用したいフレーズはこれです。

Only is not lonely.

「Only is not lonely.」とは、糸井重里さんが主宰するウェブサイト
『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページに掲げられているコピーです。

「オンリー(独自・唯一)であることは、必ずしもロンリー(孤独)ではない」―――
このメッセージには、噛みしめるほどに味わい深いものがあります。
糸井さんはこう書いている。

「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。 (中略)

「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。


―――糸井重里 「ダーリンコラム」(2000-11-06)より


個性のない人びとが群れ合って、尖がった個性や出るクイを批評し、つぶす
ということが組織や社会では往々にして起こる。
しかし同時に、「オンリーな人」たちが、深いところでつながって互いを理解し合い、
協力し合うということもまた起こっている。

逆説的だが、オンリーな存在として一人光を放てば放つほど、
真の友人や同志ネットワークを得ることができる。
独自性を追求する人の孤独は、決して孤立を意味しないのです。

「孤独を知る」ことは、職業人としての成熟とともに深くなる。
自分がどれほどの孤独を知り得ているかは、
「Only is not lonely.」という言葉を、どれだけ味わい深く咀嚼できるかで判定できるでしょう。

能力的な伸長・習熟のみが職業人の成長ではない。
一個のプロフェッショナルとして屹立できるか―――これも見逃してはいけない観点だと思います。


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□「個として強くなる」という成長意識を抱いているだろうか?
□具体的にどうなることが「個として強くなる」ことだろうか?
□自分を貫き、独自性を高めていくことで孤独を感じたことはあるか?
□孤独を突き抜けたところで、同様の孤独を感じ持っているタレントと出会ったことがあるか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□人財育成において「一個の職業人として強くさせる」という観点を持っているか?
□「個として強い」人財を、異端児として問題児扱いしていないだろうか?
□経営者や上司はある種の孤独を感じている人間であるが、
 その次元から、組織内にいる孤独者の琴線に触れるようなメッセージを発しているだろうか?


Utree01_2
平成のビジネスパーソンたちよ、
仕事・キャリアに行き詰ったら、書を持って森に出よう! (長野県諏訪郡原村にて)

2009年5月 7日 (木)

構え・撃て!狙え!

Sakuragi

きょうも拙著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』から
1キーワードを紹介します。

* * * * * * * * *

「構え・狙え・撃て!」 ―――ではない。

「構え・撃て!狙え!」 ―――である。

米国の人気経営コンサルタント、トム・ピーターズは、
「Ready-Fire-Aim」ドクトリンを提唱しています。
つまり、ともかく「撃て!」と。撃った後に狙えばいいのだと。

彼はこうも言います。

---「ころべ、まえに、はやく」。


私は自身が行う「プロフェッショナルシップ研修」
(=一個のプロであるための基盤意識醸成プログラム)において、
「働く目的をつかむ・働きがいの創造」のパートで、このピーターズの考え方を紹介しています。

つまり、「構え」(=基盤能力・基盤意識をある程度つくっ)たら、
ともかく「撃て!」(=自分試しをせよ・行動で仕掛けてみよ)ということ。
そして結果・反応をみて、修正をかける。そして再度「撃て!」。
そうする繰り返しの中で、
働く目的という「狙う的」が、次第に確実に見えてくる
―――ということです。

いまのサラリーマン諸氏(私の大事な研修のお客様であるのですが)をみていると、
みずからの人生・キャリアについて、
事業計画のように事前計画を練り、諸分析をやり、効率的に資源を投入し、
最大の効果をあげなければならないように考えている人がとても多い。
困ったことに、人事関係者までもが、
そういうことが「自律的キャリア形成」なのだと思い込んでいる。

だから、キャリアデザイン研修といえば、
手の込んだ自己分析をやらせて、
「10年後のあなたはどうありたいか?」のキャリア設計表を書かせる。
そして、それで何かいい研修をやったような気になる。

その点、私は、 “人生・キャリア「行き当たりばっ旅」論者” です。

「プランド・ハプンスタンス理論」(Planned Happenstance Theory)提唱者の
ジョン・クランボルツ教授(米スタンフォード大学)が言うように:

「キャリアは予測できるものだという迷信に苦しむ人は少なくありません。
“唯一無二の正しい仕事”を見つけなくてはならないと考え、
それをあらかじめ知る術があるはずだと考えるから、
先が見えないことへの不安にうちのめされてしまうのです」。

                                    ―――『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)

どれだけていねいに5年後・10年後のキャリア設計図を練ってみたところで、
どれだけ精緻な自己の性格診断をしたところで、
どれだけ希望どおりの会社に入ったところで、
その後、はたして自分の望みの仕事に出合い、満足のいく職業人生を送れるかどうか、
それはまったくわからないのです。

人生とは奥深きかな、
初速度と打ち出し角度の数値さえ与えれば、
着地場所と着地時間が確実に算出できる物理運動とは違うからです。

仮に、万が一、すべてのことが想定どおりにいったとして、
「そんな想定の範囲内」の人生などどこが面白か、です。

私はキャリア設計すること、自己分析することが無意味だと言っているのではありません。
ときに結果が予測できない未知の世界に身を投じ、
揺らぎながら、もがきながら状況をつくり出していく、
そうしたたくましさこそ、
机上の設計や自己分析よりもはるかに大事だといいたいのです。

小賢しく効率的に振舞おうとするから、かえって不安になって縮こまる。
まずはいいから「撃ってみろ!」。
そうすれば「狙う的」は行動の後に見えてくる!―――
従業員・部下にこう勇気づけるのが、経営者・上司の真の助言というものです。

人生・キャリアの選択に“あらかじめの正解値”などない
その後の奮闘でそれを「正解」にできるかどうか
―――それがあなたの人生力・キャリア力です。


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□5年後・10年後の姿が思い描けないことを「悪いこと・情けないこと」だと感じてしまっていないか?
□おぼろげながらでも「想い」を抱き、行動で仕掛けているか?
□過去3年間を振り返ってみて、未知の中から自分の道筋ができてきたなと思えるか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□自己分析やキャリア設計をやらせることがキャリア形成支援だと思っていないだろうか?
□行動で仕掛けることを奨励しているだろうか?
□みずからが積極的に未知に飛び込み、状況をつくりだすことを背中で示しているだろうか?

2009年5月 5日 (火)

血肉になる読書法:私の場合

Dokusyo1

世間では5月の連休真っ只中。

私は自営業なので、あえて人が混む日に出かけずとも
オフシーズンや平日を選んで、仕事の調整をして出かければいいと思っています。
1月末の沖縄や、5月連休後の信州の山などは、
静かな海や山に身を置けるので、とても気分よく仕事ができる。旅費も安い。
だからそういうとき、私はまとまった仕事を持って、東京を離れます。

ですから、私のGWは毎年、近所の公園でピクニックランチと読書と決め込んでいる。
(天気が良ければ毎日でも)
私にとって公園は、自分のオフィスの延長スペースだと思っていて、
そこにキャンプ用のテーブルとイスを出し、
本を読んだり企画書を書くことを普通にやっています。

5月のこのころの風は、木陰にいるとほんとうに心地よく、
持参したワインとチーズとパンと読書がはずむ。
(もちろんアイデアもはずむ!)

さて、きょうは読書法の話です。

先日、とあるところで話をした際、
私の読書法について聞かせてほしいと手が挙がったので、手短に紹介しました。
そのときの内容を整理して書きます。

私が紹介する読書法は、テーマとしては「血肉になる読書法」についてです。
(速読法とか多読法とかいったものではなく)

読んだ本の内容を、いかに自分の思考の養分・思想の血肉としていくか―――
それについて私は3段階の作業が必要だと考えます。

■作業1:「読む」
まず、「読む」こと。
これは当然の行為ですが、必ず、自分が気づきを得た箇所、重要だと思える箇所には
マーカーを引くなり、付箋を貼るなりしてチェックをして読んでいく。

■作業2:「書き留める」
読み終わり、自分がチェックした箇所を
メモ帳に書き留めるか、パソコンに文字入力して保存する。

ちなみに私は、マーカーを引いた箇所を3つの重要度レベルに分け、
・レベル高:メモ帳に書き留め+パソコンに入力(私はエクセルに放り込んでいる)
・レベル中:パソコンに入力
・レベル低:マーカー引きのまま

■作業3:「引用する」
仕事の企画書であれ、プライベートのブログであれ、自分の表現する文章において、
自分の考えを補強したり、読み手により深い理解を促したりするために
過去の作業2で書き留めた中から一文を引用する―――これが決定的に重要です。

読んだ本を自分の血肉とするためには、
読むだけでは不十分で、重要個所を書き留めなければなりません。
でも、書き留めただけでは、まだ不十分です。
それを自分の書く文章の中で引用して初めて血肉になります。

例えば、私は今度の本(『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』)の中で
哲学者アンリ・ベルグソンの

“生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある”
                                                                         ―――『創造的進化』より

を引用しました。
この一文を引用することで、私は、

1) この一文の深意をつかもうと、その前後を再度しっかり読む
2) この一文を強く記憶する(単に書き留めるよりも)
3) 自分の(未熟な)思考レベルをベルグソンのレベルに少しでも近づけることができる
4) そしてこの一文は、以降、私の思想の血肉となる


Dokusyo2 このように引用という作業には、多くの思考鍛錬効果があるのです。

ですから私は、思考力を鍛えたいのであれば、多読ではなく、一冊の深読を強く勧めます
深読は、引用する作業によってなされます。
言い換えると、単なるインプットだけの読書は浅いレベルにとどまり、
アウトプットとして用いて深いレベルのものが獲得できるということです。

また、深読(シンドク)とは、次のシンドクにもつながっている。
・身読:身をもって読む
・心読:心で読む



本を読み、
重要個所を書き留め、
引用する。


この作業は、ピーター・ドラッカーの言う「知識労働者」であれば、
すべての人が習慣化すべきことがらです。
陸上競技選手でいう日々のランニングであり、
野球選手でいうバットの素振りです。


Dokusyo3
読みっぱなしにせず、重要個所を「書き留める」習慣をつける。
思考深い人というのは、概して「メモ魔」です!

2009年5月 2日 (土)

「会社の目的」「個人の目的」:2つの円を重ねる

Kw80 きょう、最新著『ぶれない「仕事観」をつくるキーワード80』の著者献本分10冊が届いた。この連休明けには、書店に並び始めると思います。
3月刊行の『いい仕事ができる人の考え方』も、まだ多くの書店様に平積みしていただいているので、自著の2冊が同時に並ぶことになります。

私自身も、都内のいろいろな書店に様子を見に行くわけですが、
自分の子供2人を成人に育て上げ、世間に送り出した感じで、
どうか1人でも多くの読者に見てもらえればと祈る気持ちを込めて、平積みしてある自分の本を整えてきます。

さて、その最新著の中からきょうも1キーワード。
――― 「会社の目的・個人の目的」。

会社には会社の事業目的がある。
そして、個人には個人の働く目的がある。
この両者の目的の重なり具合によって、次の三つの関係性が生まれる。

2tunoen ■タイプ1:【健全な重なり関係】
会社と個人の間には、何かしらの共有できる目的観があり、
両者は協調しながら関係性を維持・発展させていく。

こうした関係の下では、ヒトは「活かし・活かされ」といった空気ができあがる。
会社は働き手を「人財」として扱い、働き手は会社を「働く舞台」としてみる。
さらにここに、強い理念を掲げた魅力ある経営者が求心力となれば、
その組織はとても強いものになる。

■タイプ2:【不健全な従属関係】
会社の目的に個人が飲み込まれ(この場合、たいてい個人はみずからの目的を明確に持っていない)、
個人が会社に従属し、いいように使われてしまう関係となる。

個人が他に雇われる力のない弱者である場合、
会社は雇うことを半ば権力として暴君として振る舞う。

■タイプ3:【不健全な分離関係】
会社と個人はまったく別々の目的観を持っていて、両者の重なる部分がない。
会社はとりあえず労働力確保のために雇い、
個人はとりあえず給料を稼ぐためにそこで働くといった冷めた関係となる。


長き職業人生を送っていくにあたり、望むべきは、当然、一番目の関係性です。
つまり会社側の目的と個人側の目的と、二つの円が多少なりとも重なり合うこと。
この重なりは、賃金労働というカネの重なりではなく、
価値とか理念とかそういった意味的な重なりを言います。

ピーター・ドラッカーはこう言う。
「組織において成果をあげるには、
自らの価値観が組織の価値観になじまなければならない。同じである必要はない。
だが、共存できなければならない。さもなければ心楽しまず、成果もあがらない」。

―――『仕事の哲学』より

会社と個々の働き手の間で意味的な共有がなされ、
魅力的な経営者が求心力を創造している組織の典型を、
私は本田宗一郎の次のような言葉の中に見出します。

「“惚れて通えば千里も一里”という諺がある。それくらい時間を超越し、
自分の好きなものに打ち込めるようになったら、こんな楽しい人生はないんじゃないかな。
そうなるには、一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。
石は石でいいんですよ。ダイヤはダイヤでいいんです。
そして監督者は部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。

そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。
企業という船にさ 
宝である人間を乗せてさ
舵を取るもの 櫓を漕ぐもの 
順風満帆 大海原を 和気あいあいと
一つ目的に向かう こんな愉快な航海はないと思うよ」。

―――『本田宗一郎・私の履歴書~夢を力に』“得手に帆を上げ”より


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□組織の事業目的と、自らの働く目的は、どのように重なるのだろうか?
 ・目指すべきことが同じ方向?
 ・顧客・社会へ届けようとしている価値が同じようなもの?
 ・組織の拡大は、自分の成長につながっている?   などなど
□自らの働く目的があいまいで、組織の目的に従属させられていないだろうか?
□両者の円は重なる部分がなく、「(食うために)しょうがない感」で働いているのだろうか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□組織の事業目的と、個々の働き手が持つ目的とを、重ね合わせをするような対話をしているだろうか?
□組織の目的遂行のために、働き手を蹂躙していないだろうか?
□2つの円が重ならないまま、放置していないだろうか?

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