職業人としての成長:「個として強くなる」
私は、職業人としての成長の一つで、あまり語られないが重要なものとして
「個として強くなる」
ということを常に強調しています。
(最新著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』では、
そのテーマをまるごと一章に立てたほど)
福沢諭吉の『学問のすすめ』は、実際、読んでみれば、学問のすすめというより
「独立自尊のすすめ」と言ったほうがいいくらいのもので、
それだけ、日本人という民族は、古来、一個人にしろ、一国家にしろ
「個として立つ」ことを苦手としてきている。
平成のビジネス社会にあって、「個として強くなる」とは具体的にどういうことか―――
それはさまざまに指摘することができるでしょうが、
例えば、私は次のように考える。
□ (会社名・役職を取り外し)一職業人として、自分が何者であるかを語ることができる
□日々に出くわすさまざまな情報・状況に対し、「自分はこう思う・自分はこうする」と押し出すことができる。
それにつき他と論議ができる。そして建設的に持論を修正できる。
□どのように振られた仕事であっても、それを「自分の仕事」に変換して、主体的に実行できる
□自身の信念のもとにリスクを背負うことを厭わない
□反骨心や負けじ魂が強い
□我を狭く閉じて突っ張るのではなく、我を突き抜けたところで全体性を感じている
□自身を懸けることのできる大きな仕事テーマをもっている
□一人でいる時間を設け、大事に使っている
□独自性追求の心を失わない
(そして、同様に独自性を追求している他人に対し、リスペクトできる)
□独自であるがゆえの孤独を知っている。そしてそのために、真の友・同志を持つ
さて、このうち、最後の2項目に関わる「独自性・孤独」についてさらに書きます。
私がここで引用したいフレーズはこれです。
Only is not lonely.
「Only is not lonely.」とは、糸井重里さんが主宰するウェブサイト
『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページに掲げられているコピーです。
「オンリー(独自・唯一)であることは、必ずしもロンリー(孤独)ではない」―――
このメッセージには、噛みしめるほどに味わい深いものがあります。
糸井さんはこう書いている。
「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。 (中略)
「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。
―――糸井重里 「ダーリンコラム」(2000-11-06)より
個性のない人びとが群れ合って、尖がった個性や出るクイを批評し、つぶす
ということが組織や社会では往々にして起こる。
しかし同時に、「オンリーな人」たちが、深いところでつながって互いを理解し合い、
協力し合うということもまた起こっている。
逆説的だが、オンリーな存在として一人光を放てば放つほど、
真の友人や同志ネットワークを得ることができる。
独自性を追求する人の孤独は、決して孤立を意味しないのです。
「孤独を知る」ことは、職業人としての成熟とともに深くなる。
自分がどれほどの孤独を知り得ているかは、
「Only is not lonely.」という言葉を、どれだけ味わい深く咀嚼できるかで判定できるでしょう。
能力的な伸長・習熟のみが職業人の成長ではない。
一個のプロフェッショナルとして屹立できるか―――これも見逃してはいけない観点だと思います。
【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□「個として強くなる」という成長意識を抱いているだろうか?
□具体的にどうなることが「個として強くなる」ことだろうか?
□自分を貫き、独自性を高めていくことで孤独を感じたことはあるか?
□孤独を突き抜けたところで、同様の孤独を感じ持っているタレントと出会ったことがあるか?
【経営者・上司・人事の方々への問い】
□人財育成において「一個の職業人として強くさせる」という観点を持っているか?
□「個として強い」人財を、異端児として問題児扱いしていないだろうか?
□経営者や上司はある種の孤独を感じている人間であるが、
その次元から、組織内にいる孤独者の琴線に触れるようなメッセージを発しているだろうか?
平成のビジネスパーソンたちよ、
仕事・キャリアに行き詰ったら、書を持って森に出よう! (長野県諏訪郡原村にて)