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2010年12月

2010年12月18日 (土)

「いただきます」は “生命を”いただくこと


Nayasai 

このところの東京はさすがに本格的に冬が来たとあって

明け方は霜が降りるまで冷え込むようになった。
朝から冷たい雨が降って、鈍曇りの日中、気温は1ケタ台。
そんな日に近くの畑で撮ったのが上の一枚だ。
野菜の種類には詳しくないので名前は分からないが、
凛としたその青菜は、凍える中でも生命力を漲らせ鉛色の空に葉を広げていた。

生長の具合からすると間もなく土から引き抜かれ、出荷されるのだろう。
そして私たちはこれらの野菜を店頭で買い、食する。

そのとき私たちは、単にその野菜の成分・栄養価を食しているのではなく、
その野菜の“生命(いのち)”を食している。
言いかえれば、他の生命と引き換えに、自分の生命を継続させている。
このことは、生きている間じゅう、ずっと心に留めておきたい真実だ。

私たちは、食前に「いただきます」と言うことを教わった。感謝の心を表すために。

もちろんその感謝は、
食材となる動物や植物を育ててくれた生産者への感謝がある。
そして運んでくれた人・加工してくれた人・売ってくれた人への感謝がある。
また、料理してくれたお母さんか誰かへの感謝がある。
あるいは、食べ物を買うお金を稼いでくれたお父さんか誰かへの感謝もあろう。
しかし、もっとも忘れてならないのは、
生命をくれた動物や植物に対しての感謝である。

中国の田舎に行った知人から聞いた話だが、
彼は滞在先の家庭で晩ご飯の手伝いをすることになった。
家の人から頼まれたのは、裏庭で飼っているニワトリを絞めること。
結局のところ、彼はどうとも手伝うことはできず、
ただただ家のお父さんが事も無げに絞めるのを見るだけだった。
さっきまで粗暴に逃げ回っていたニワトリが、いまは、
くてっと地べたに倒れるだけである。
その口を開けた醜い形相が目に焼き付いて、
その晩は何とも鶏がおいしくなかったそうだ。

私も同じような経験がある。
あるアウトドアのイベント(炭焼き会)をやっていたときのことだ。
協賛者の方から、大きなビニール袋に入れた活けイワナだったかヤマメだったかの
粋な差し入れがあった。全部で30匹ほどいて、
それを串刺しにし、炭火で焼いて皆で食べることになった。

私ともう一人のスタッフが、次々に生きた魚を取り出して竹串に刺していく。
小振りで弾力のある身と、はち切れんばかりに動くエネルギーを掌で感じながら、
口から串を入れる。串が喉元を通り過ぎて、
手応えのある腸(はらわた)に入ろうとするとき、魚は「キュッ」という音をあげる。

時おり、串の入れる角度を誤ると入りが悪くなり、
再び串を喉元に戻して入れ直すのだが、
魚は一度目よりは小さいが二度目の「キュッ」という音をあげる。
それは断末魔の声であるにちがいなかろうが、それは今も耳に焼き付いている。
全部で十何匹を引き受けたが、途中で慣れるというようなことはなく、
1匹1匹に祈りめいた念をかけながら串刺ししていた。
(小魚の殺生でこうなのだから、戦場での人間同士の殺生は想像を絶する)
(と同時に、屠殺を生業としている人のことを思いやる)

アメリカの昔の映画では、食事前にテーブルで祈りを捧げるシーンがよく出てくる。
これは時代を問わず、宗教を問わず、失ってはいけない精神だと思う。

食前に「いただきます」の念を込める、
ご飯茶わんのお米を最後の一粒まできちんと食べる、

これらは生命をくれたコメに対する最低限の感謝の行為なのだ。
もっと言えば、その吸収したエネルギーで「よい仕事」をアウトプットすること、
これこそが最大の感謝である。
コメもみずからの生命が、人間様のよい仕事に変換されれば本望だろう。

だから私も、
今晩食べたブタや大根、ニンジン、昆布などに最大限の感謝をしようと

この原稿を一生懸命書いている。 -合掌-

(続く)


 

 

2010年12月17日 (金)

NHK-BSは「非読書・超読書・非テレビ・超テレビ」


Yamadakr1 


12月に入り、NHK衛星放送が『BSベスト・オブ・ベスト』をやっている。
面白そうなものがいろいろとあり、録画して少しずつ観ている。
改めてNHKの番組作りの底力を感じるとともに、
BS放送にますます期待を寄せるものである。

民放テレビ局の番組制作力も優れた部分はあるが、
そのほとんどはいまや大人の観るものではなくなった。

雑誌『広告批評』の創刊者である天野祐吉さんが
「NHK-BSは“平熱テレビ”であってほしい」と語っていたが、
確かにその裏返しで、民放はいかにも“高熱”なのだ。
あのテンションの高さ、せわしない画と音、
観る側に考えることをさせない内容、
必ずしも洗練されたとは言えないような表現で消費欲を煽るCMの数々……、
もちろん若い頃はそんな高熱の刺激物を面白がったし、気にかけず受容もできた。
しかし普通に成熟してくる大人にとっては、平熱で観られるものがよくなってくる。
私は年齢とともに民放番組から遠くなる一方だ。
今はテレビを観るうちの、どうだろう、民放率は2~3割くらいだろうか。

実のところ、少子高齢化(と地上デジタル化)はNHKにとって追い風と言っていい。
逆に言えば、民放局はこのままの“ドンチャカ娯楽”路線でいけば、
(メディアとしては依然大きな影響力を持ちつつも)長期に視聴率を失うのは必至だ。
「広告モデル=視聴率至上」できた民放局が、今後どんな変化対応をみせていくのか、
興味をもって注視したいところだ。
(たぶん優秀な人間も多いので、メディアとして何か進化をしていくと思う)

* * * * *

さて、よいNHK-BSの番組の特長は人それぞれに語れるだろうが、私はそれを
「非読書・超読書・非テレビ・超テレビ」という言葉で表したい。

つまり、BS番組はひとつの読書体験と同じくらいの
知的満足と情報吸収をかなえてくれるのだが、
やはり活字読書とは異なるし、活字読書を超えている部分がある。
その非読書であり超読書である部分は、やはり、映像と音があることだが、
よいBS番組というのは、番組というより作品に近いもので、
視聴後の感覚は映画を観終わったときに近い。
その意味で、テレビ的でなく、テレビを超えていると思うのだ。

例えば、私はここ数日、録画しておいた3本の番組を観た。
『輝く女 吉田都』、『強く 強く ~バイオリニスト・神尾真由子 21歳~』
『ロストロポーヴィチ 75歳 最後のドン・キホーテ』―――
いずれも音楽家のヒューマンドキュメンタリーだ。

3つのうち前2つの番組には、くどくどしいナレーションがない。
主人公のインタビュー返答(ところどころに画面外から制作側の質問の声が入る)と、
その他関係者との会話で構成されている。
あとは練習風景やコンサートの映像である。
特段音声のない“間”が幾度となくある。
(しかしそれは意味のある“間”である)

ともかく何か情報を詰め込んで、過度に演出をかけて、矢継ぎ早に展開をして、
というようなサービス満点の(でも考えなくて済むような)番組に慣れた人にしてみれば、
とても冗長なものに感じるかもしれない。
あるいは、「BSは低予算だから編集が手抜きだ」とすら思う人がいるかもしれない。
しかし、観る人が観れば、
これらは相当に吟味のかかった編集物であることが分かるだろう。

主人公はすでにその世界で厳しく闘って実力を示している人であり、
だからその次元にいる人でないかぎり発することのできない言葉とか、
インタビューの質問に対し言葉を探し当てるまでの表情とか、
あるいは、予定調和を壊す突拍子もない返答が出てくるとか、そんな点が面白い。
それはまさに、読書でいう味わい深い文章に引き込まれていく楽しみ、
行間を自分で読み取り補っていく楽しみ、
ページをめくるたびに驚きが出てくるような楽しみ、に通じる。
だから、BS番組は能動的に咀嚼する楽しみがあるという意味で読書に近いのである。
そして挿入される音楽演奏の映像。
これがうまく番組の格を上げる作用をしている。

NHK-BSでは以前から「映像詩」という表現に挑戦にしているが、
『ロストロポーヴィチ 75歳 最後のドン・キホーテ』はその意欲作でもある。
全編映像詩というわけではなく、前半部分をそのメイキングプロセスの
ドキュメンタリーとして組み立てているところが面白い。
それでいて、情報にも満ちており、一種の教養番組の要素もある。

で、主演が、かのロストロポーヴィチと小澤征爾であるから、
下手な役者を連れて来るよりもリアルな存在感がある。
全体的にみて、画や音のつくり方・つなげ方、そして
制作者側の想いの軸の通し方がどこか映画的であり、また映画的でない。
先ほどBS番組は、番組というより作品っぽいと言ったのはこのあたりのことだ。
BS番組のしっかりとしたものは、長さがたいてい90分とか2時間になる。
しかし私は、いま2時間という時間を使うのであれば、
DVDを借りてきてハリウッド映画を観るよりも、BSの良質な番組を観たいと思う。

* * * * *

さて、最後に仕事に関わる話を。

私はこうした番組を観るたび、「働くこと」はすばらしいなと思う。
ヒューマンドキュメンタリーであれば、もちろんそれはその人を追っているのだが、
実際は、その人の「働き様」を追っていることがほとんどだ。
つまり、その人のすごさは「働くこと・仕事」のすごさによってなのである。
また、『プラネット・アース』のようにネイチャーものであれば、
人は出てこないかもしれないが、あのすばらしい映像を観たとき、
こんな映像を撮る職業とはどんな職業なのだろう、
こんな仕事に没頭できる人生はさぞ幸せな人生だろうと、
やはりその裏にある「働くこと」を考えてしまう。

良質のBS番組は、大人が知的好奇心を満たすだけでなく、
親子で一緒に観てほしいと願うものである。
あるいは学校でも見せてほしいものである。
子供には少し内容が難しいだろうとか、そんなことは気にしなくてよい。
子供のころから大人のレベルの上質ものをどんどん見せてやるべきだ。
そしてさまざまな働き様・生き様があることを親や先生は語りかけてほしい。
それこそが何よりも優れたキャリア教育になるから。



 

2010年12月16日 (木)

Point of No Return 〈不退転の覚悟〉


 まだ人間が地球が球であることを知らなかった大昔、
水平線の向こうに別の陸地があるかどうかを知らなかった大昔、
そんなころに大海原へと漕ぎ出していくのは、相当な勇気が要ったことだろう。
海の果ては巨大な滝になっているとか、
大蛇が大口を開けて海の水を全部飲み込んでいるとか、
そんな言い伝えに人びとは航海を恐れ、また逆に好奇心も湧かせたりもしたのだろう。

例えば、新天地を探すために、20日間分の食糧・燃料を積んで航海に出たときの、
11日めを迎えるときの気持ちはどんなだろう?
つまり、丸10日経つまでは、いつでも引き返そうと思えば引き返すことができる。
(帰路分の食糧と燃料は足りるから)
しかし、覚悟を決めて未知の陸地に針路を取り続けるとき、
11日めを越えた瞬間から後戻りできなくなる。
この11日めを 「Point of No Return (帰還不能点)」 という。

未知に踏み込む恐怖と、未知を見てみたいという冒険心と、
その狭間に「Point of No Return」はある。

私はサラリーマン生活を止めて、独立しようと思ったときに、
自分自身の「Point of No Return」を越えた。
まぁ、大昔の人の航海とは違い、独立に失敗したからといって、
生命まで落とすわけではないので、後戻りできないときの危険度は小さいのだが。
それでも、大なり小なりこの「Point of No Return」なるものを
人生の中で経験しておくかおかないかは、精神に大きな違いを生むと思う。

「後戻りできない選択を採る」には、世の中にいろいろな表現がある。

●「背水の陣」;
広辞苑によれば、―――[史記淮陰侯伝](漢の韓信が趙を攻めた時、
わざと川を背にして陣取り、味方に決死の覚悟をさせ、大いに敵を破った故事から)
一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。
失敗すれば再起はできないことを覚悟して全力を尽くして事に当たること。

●「to burn one's boats/to burn one’s bridges」;
英語でのイディオムはこんな感じになる。
これは、引き返すための乗り物をなくすという意味で「自分の船を焼く」、
もしくは退路を断つために「橋を焼き払う」といったことだろう。

●「ルビコン川を渡る」;
政敵ポンペイウスの手に落ちたローマを奪還するために、
いったん野に下ったユリウス・カエサルは自軍を率いてルビコン川の岸に立った。
当時、兵軍を伴ってルビコン川を渡ることは法律で禁じられていた。
国禁を犯して川を渡ることは、カエサルの不退転の覚悟を表していた。

人生、調子のいいときは、
イケイケドンドンで前進のための橋をつくることが簡単なときがある。
しかし、真の勇気は、後戻りできないよう後ろの橋を壊すことにある。
「つくる」より「壊す」ほうが、ある意味、難しいのだ。


Pnr kansas 
You Tubeを探っていたら、懐かしいジャケットに出くわした。
高校生のときにプログレッシブ・ロックというジャンルが流行していて
そのときによく聴いていたKansas『Point of No Return』。

2010年12月15日 (水)

ライフワークとは「醸造する仕事」である


Daikucd 

2010年も師走半ば、街のあちこちでは目からクリスマスのイルミネーション、
耳からはベートーヴェンの『第九』の季節になった。
私もこのころは仕事をしながらBGMとして第九を繰り返し流している。
(だからそれにつられて、文章も気宇壮大になる)
さて、きょうはその『第九』の話から始めたい。


◆ライフワークとは「醸造する」仕事である

第九の合唱曲『歓びの歌』は、ドイツの大詩人フリードリヒ・シラーの詩を元にしている。
シラーが『歓喜に寄せて』と題した詩を書き起こしたのは1785年。
若き23歳のベートーヴェンは1793年にその詩に出会い、そこに曲をつけようと思いつく。
当時すでに音楽家として頭角を現し始めていたベートーヴェンであったが、
やはり巨人シラーの詩には、まだ自分自身の器が追い付いていないと思ったのだろうか、
それに曲をつけられず、年月が過ぎていった。

……『ベートーヴェン交響曲第9番』初演は1824年。
つまり着想から完成までに30年以上の熟成期間を要しているのである。
ベートーヴェンは30年間、常にそのことを頭の中に持っていて、
シラーの詩のレベルにまで自分を高めていこうと闘っていたのだと思う。
『英雄』を書き、『運命』を書き、『田園』を書き、やがて耳も悪くなり、
世間ではピークを過ぎたと口々に言われ、そんな中、
ベートーヴェンは満を持して、自身最後の交響曲として『歓喜に寄せて』に旋律を与えた。

私は、こうした生涯を懸けた仕事に感銘を受けると同時に、
自分にとってはそれが何かを問うている。
何十年とかけてまで乗り越えていきたいと思える仕事テーマを持った人は、
幸せな働き人である。
それは苦闘ともいえるが、それこそ真の仕事の喜びでもあるはずだ。

一角の仕事人であれば
「時間×忍耐×創造性」によってのみ成し得る仕事に取り組むべきである。

昨今の仕事現場では、スピーディーに効率的に仕事をこなすことが
スマートでカッコイイらしいが、
「即席×効率でない仕事」「熟成・醸造の仕事」は、それ以上にカッコイイ。
スピーディーに効率的につくられたワインやチーズがおいしいだろうか。
少なくともその類を私は食べたいとは思わないし、それをつくる側にもなりたくない。


◆ライフワークとは「何によって憶えられたいか」ということ
ビジネス現場で、私たちは日々せわしなく働いている。
1年タームの目標管理は、半年ごととなり、四半期ごととなり、
そして週ごとの報告があり、毎朝のミーティングがあり……。
気がつけば、この会社に入って3年、5年、10年か、となる。
私は30代半ばを過ぎたあたりから、
次に紹介するピーター・ドラッカーと内村鑑三の言葉を、
毎年、年初にダイヤリー手帳の1ページめに書くことを勧めている。

 「私が十三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。
 教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。
 誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。
 『今答えられるとは思わない。でも、五十歳になっても答えられなければ、
 人生を無駄にしたことになるよ』」。

                  ---(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』より)


 「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、

 このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も残さずには死んでしまいたくない、
 との希望が起こってくる。何を置いて逝こう、金か、事業か、思想か。
 誰にも遺すことのできる最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯であると思います」。

                                      ---(内村鑑三『後世への最大遺物』より)



◆ライフワークとは「無尽蔵に湧出するオイルの燃焼」である
ドラッカーと内村は奇しくも人生50年目を重要な時点ととらえた。
しかし、使命に目覚めた人間の力は想像を超える。
50を超えてもまだまだ生涯を賭した仕事をやるリスタートは可能なのだ。

もともと商人であった伊能忠敬が、測量技術・天文観測の勉学を始めたのは51歳である。
そして全国の測量の旅に出たのが56歳。以降、死ぬ間際の72歳まで測量を続けた。
彼の正確な計測は、『大日本沿海輿地全図』として結実する。
おそらく伊能忠敬の腹の底からは止処もなくオイルが湧き出してきて
それが赫赫と燃え盛っていたに違いない。

ライフワークに没入することは、仕事中毒とはまったく別のものである。
仕事中毒は病的な摩耗だ。虚脱がずるずると後を引いて人生を暗くする。
しかしライフワークは、健全な献身活動であって、
後から後から、エネルギーが湧いてくるのである。
ライフワークに勤しむ人は、日に日に新しい感覚でいられる。
そしてライフワークに心身を投げ出す人は、たいてい「ピンピンコロリ」である。

……ライフワークは確かにスバラシイ、しかし自分はサラリーマンの身で
目の前には組織から命ぜられた仕事が山積している。
そんなものを探し出す頭も体も余裕がない。―――たいていの会社人間はこういうだろう。
そんな人のために、フェルディナン・シュヴァルという男を次に紹介しよう。


◆ライフワークとは「~馬鹿」と呼ばれること
フェルディナン・シュヴァルは、フランス南部の片田舎村オートリーヴで
1867年から29年間、この地域の郵便配達員をした男である。
彼の仕事は、来る日も来る日も、16km離れた郵便局まで徒歩で行き、
村の住人宛ての郵便物を受け取って、配達をすることだった。

毎日、往復32kmを歩き続けたその13年目、その小さな出来事は起こった。
彼は、ソロバン玉が重なったような奇妙な形をした石につまずいたのだ。
彼はなぜかその石に取りつかれた。
そして、その日以降、配達の途中で変わった石に目をつけ、
仕事が終わると石を拾いにいき、自宅の庭先に積み上げるという行為を続ける。

彼は結局、33年間、ひたすら石を積み続け、
独特の形をした建造物(宮殿)をこしらえて、この世を去った。
彼には建築の知識はまったくなかったが、
配達物の中に時おり交じってくる絵葉書などに印刷されたさまざまな建築物を見て、
見よう見まねで造ったのだ。
――――今日、これは「シュヴァルの理想宮」と呼ばれ、観光スポットにもなっている。
(参考文献:岡谷公二著『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』)

私は、この話を知ったとき、「塵も積もれば山となる」という言葉を超えて、
シュヴァルの「愚直力」に大きな感銘を受けた。
そんなものは単なるパラノイア(偏執病)男の仕業さ、というような分析もあるようだが、
たとえそうだったとしても、没頭できるライフワークを見つけたシュヴァルは
間違いなく幸福者だったと思う。
冷めた他人がどうこう評価する問題ではない。

「~馬鹿」として活き活きと生きること、
これができるかどうかは好奇心と意志の問題だ。

サラリーマンで忙しくしているから難しいという問題ではない。


◆ライフワークとは「恩返し」
男子フィギュアスケートの高橋大輔選手は、
今年のハンクーバー冬季五輪で銅メダルを獲得した後、将来のことについて
―――「スケートアカデミーみたいなものを作ってみたい。
僕はコーディネーターで、スピン、ジャンプとかそれぞれを教える専門家をそろえて……」
と語っていた。
結局、今期も現役続行ということでこの計画はしばらく置くことになりそうだが、
彼は将来必ずやると思う。

また同じように、2年前、
プロ野球の読売巨人軍、米大リーグ・パイレーツで活躍した桑田真澄選手も
引退表明時のコメントは次のようなものだった。
―――「(選手として)燃え尽きた。ここまでよく頑張ってこられたな、という感じ。
思い残すことはない。小さい頃から野球にはいっぱい幸せをもらった。
何かの形で恩返しできたらと思う」。
その後、彼は野球指導者として精力的に動いていると聞く。

人は誰しも若い頃は自分のこと、自分の生活で精一杯で、
自分を最大化させることにエネルギーを集中する。
しかし、人は自らの仕事をよく成熟化させてくると、
他者のことを気にかけ、他者の才能を最大化することにエネルギーを使いたい
と思うようになる。

働く動機の成熟化の先には「教える・育む」という行為がある。
教える・育むとは、「内発的動機×利他的動機」の最たるものだ。

高橋選手や桑田選手も、ひとつのキャリアステージを戦い抜け、
その先に見えてきたものが「次代の才能を育む」という仕事であるのだろう。
GE(ゼネラル・エレクトリック)のCEOとして名高いジャック・ウェルチも
自分に残された最後の仕事は人財教育だとして、
企業内大学の教壇に自らが頻繁に立っていた。
プロ野球の監督を長きにわたってやられてこられた野村克也さんも
「人を残すのが一番大事な仕事」と語っている。

また、女優のオードリー・ヘップバーンのように
晩年をユニセフの親善大使として働き、
貧困国・内戦国の遺児を訪ね回るという形の「育む」もあるし、
大原孝四郎・孫三郎・総一郎の三代親子のように、
倉敷という文化の町を「育む」という形のライフワークもある。

いずれにせよ、こうした「内発×利他」の次元に動機のベースを置く仕事は、
ライフワークたるにふさわしい。
こうした人々に限らず、一般の私たち一人一人も例外ではない。
それぞれの仕事の道を自分なりに進んでいき、その分野の奥深さを知り、
いろいろな人に助けてもらったことへの感謝の念が湧いてきたなら、
今度はその恩返しとして、
その経験知や仕事の喜びを後進世代に教えることに時間と労力を使う
―――それは立派なライフワークになりうるのだ。


◆ライフワークとは「働く・遊ぶを超えて面白いもの」
娯楽は英語で「pastime」。その語のとおり「時間を過ごす(パスする)」という意味だ。
労働史の中で娯楽というものが生まれてきた背景は、産業革命以降、
工場の生産ラインで働く労働者たちが、その単一的な作業から心身を回復させるために
気晴らしの時間を過ごす必要があったことである。
いわば労役の裏返しとして「pastime」はあった。

現代でもその構図は変わっていない。
目の前の仕事を労役と感じている人ほど、娯楽が必要になる。
そしてカラダが疲れていればいるほど、
その娯楽は受動的に楽しませてくれる時間つぶしのものになる。
「やれやれ、せめてリタイヤ後は趣味でも見つけて穏やかに暮らしたい」
そう願う人はたくさんいるだろう。

しかし、「毎日が休日というのは、一つの地獄の定義である」と誰かが言ったように、
毎日をpastimeしている暮らしは、耐えられないばかりか、
やがてその人間をおかしくしてしまうだろう。
運動をしない肉体がだらけきってしまい、予期せぬ障害・病状を生むのと同じように。
心理学者のフロイトだったと記憶するが、健康に長生きする秘訣の1つに
「朝起きたとき、さぁやるぞという仕事があること」をあげていた。

作家の村上龍さんは『無趣味のすすめ』で次のように書いている。

 「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、
 人生を揺るがすような出会いも発見もない。
 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。
 真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、
 常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。 

私は趣味を否定するわけではない。私もいろいろ趣味を楽しむほうだ。
しかし、快活で健やかな人生の基本はやはり「よく働き・よく遊ぶ」である。
そして、ライフワークは(私自身それを見出しているのでよくわかるのだが)、
働くよりも面白く、遊ぶよりも面白いものなのだ。
ライフワークとは、働くと遊ぶを超えたところで統合された夢中活動と言ってもいい。
真剣にやる「道楽」かもしれない。


◆ライフワークとの出合いはすでに始まっている
ライフワークはひとつの「天職」だと言ってもよい。
天職は漫然と働いていて、ある時、偶然に出合えるものではない。
それを欲する意志のもとに動いていると、
いつか知らずのうちにその門を通り過ぎていて、気がついたときには
「ああ、これが天職だったのか」と認識するものにちがいない。

だから少なくとも、天職・ライフワークを見出そうとすれば、
それを欲するところから始まる。
その欲するスタートは、20代だろうが30代だろうが、50代だろうが、
早すぎることもないし、遅すぎることもない。

欲する意識を持ってアンテナを立てておけば、
ある日、何かヘンテコな石につまずいて、
それが大きなものにつながっていくようなことが起きる。

  



2010年12月 4日 (土)

意志の結晶としての「鉄人28号」


T28go 01 

神戸への出張に合わせて、是非見ておきたかったのが「鉄人28号」。
JR新長田駅を降りて若松公園に向かうとそれはあった。
報道写真で見ていたとおり、その巨大モニュメントの完成度は実際なかなかのもので、
あぁ、これなら町の自慢として、想いの結合体として十分なものだなと感じた。
KOBE鉄人PROJECT」のウェブサイトを見ても、
運営NPOはじめ地域住民、行政のきちんとした熱意が伝わってくる。

そもそも情報を少し付記しておくと、このモニュメントは、
「鉄人28号」の原作者で地元出身の漫画家である故・横山光輝氏にちなみ、
阪神大震災後の復興・商店街活性化のシンボルとして2009年9月に製作された。
町では「鉄人28号」のほか、やはり横山氏の人気作である「三国志」をテーマにした
町起こしイベントも積極的に展開している。

私の住んでいるのは東京・調布市(漫画家・水木しげるさん在住)で、
調布もまさに今年は「ゲゲゲの女房」効果で、
駅前の「鬼太郎ロード」が一種の観光地として賑わった。
(鬼太郎ロードにもいくつかキャラクターのオブジェが飾られている)

長田も調布も漫画キャラの力を借りて町を盛り上げているわけだが、
我が調布は長田に大きくかなわないなぁと思う。
調布の場合は、どことなく水木人気・鬼太郎人気に授かろうという感じがある。
一方、長田の場合は、商店街・地域住民の意志の形として
能動的に鉄人28号・三国志に表したという感じだ。
「NPO法人KOBE鉄人PROJECT」を発足させ、強いエネルギーで運営もされている。

T28go 03 

町起こし・町づくりの手法として、こうした漫画キャラを使う、
あるいは“ゆるキャラ”のようなものを新規にこしらえるというものが
すでにそこかしこで行われているが、
有名先生作のキャラクターの御威光を当てにしたり、
行政側が一方的にキャラクター制作をやって現場に落とすだけでは、
キャラがヒットしました/ヒットしませんでした、
キャラが人気が出ました/飽きられました、のような繰り返しになると思う。

やはり地域住民からの想いのエネルギーがあり、その結晶として
それがたまたまキャラクターであるのか、あるいは別の何かであるのかといった
強い流れを起こさないかぎり成功と継続はないだろう。
その意味で、新しい挑戦を展開する長田に敬意を表したいし、注目していたい。

T28go 02 
T28go 04 
高さ18mの「鉄人28号」モニュメント。
プロジェクト協賛企業のひとつである金属加工会社の製作による。
ものづくりの町を表明する意味でもメッセージ性がある。
一時的な展示ではなく、寄付金や協賛活動によって恒久展示を行うという。

 

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