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2012年5月

2012年5月18日 (金)

「転職」を考えるとき〈4〉~転職は会社への裏切りか

Karuizw 01r
長野県・軽井沢にて



◆「永遠の誓い」か「一時の目的共有」か

   私も転職経験があるのでわかりますが、現職業務の合間に転職活動を行うとき、そして転職先と採用の話がまとまり、いざ上司に「転職をしたいのですが…」と切り出すとき、特別な緊張感に覆われます。どことなく、後ろめたいような。その会社、その職場の上司・同僚に世話になったと感じていればいるほど、「これは裏切りなのだろうか」と思えてきます。それはなぜなのでしょう……?

   人と人、もしくは人と組織との協働関係において、私は次の2つのタイプを考えます。それは───、

     ・「永遠の誓い」関係
     ・「一時(いっとき)の目的共有」関係

   男女の結婚は前者の典型で、自分と学校とは後者の関係に属します(人生のある期間、修学目的を共有するという解釈)。
   転職に何か会社への裏切り行為のようなネガティブなイメージが付きまとっているのは、戦後の高度経済成長期から慣行としてきた終身雇用制の下で、労使間が暗黙のうちに結婚にも似た「永遠の誓い」関係を前提にしてきたからなのでしょう。つまりそこでは、別れは約束破りであり、悪であるという意識が芽生えるわけです。

   ですが、世は平成に入り、会社と働く個人の関係が変わり始めました。会社も終身雇用を言わなくなり、ヒトは流動するものと認識が変わってきました。現在のビジネス社会では、会社とその従業員は、ある期間、事業目的を共有して利益活動をするという関係でとらえる部分が大きくなりました。
ですから、ある目的を終え、次の目的が互いに共有できなくなれば、ヒトがそこを去っていくのはやむかたなしと肯定的な流れになっています。

◆転職後も良好な関係は維持できる
   IBMやアクセンチュア、リクルートといった企業は人財輩出企業として有名で、転職者が多い。そしてその企業OBOGたちは、有形無形、直接間接に自分たちが巣立った会社と関係を持ちながら、業界全体を育てている事実があります。彼らの意識においては、個人と企業の関係は、「永遠の契りを結ぶ男女」関係というよりも、「学生と学び舎(学校)」の関係に近いのでしょう。在学中はその学び舎で一生懸命勉学に励み、いったんは卒業しても母校として懐かしみ、恩義を感じる。そんな感じの関係です。
   日本のプロ野球チームから米大リーグチームに移籍した松井秀喜選手やダルビッシュ有選手は、はたして裏切り者でしょうか。プロサッカーで言えば、中村俊輔選手や香川真司選手は裏切り者でしょうか。能力と意志ある者が、自身の可能性を最大限に開花させるために、働く舞台を変えるということは、会社員の世界も同じです。

   「よい転職」というのは、会社への「裏切り」ではなく、「巣立ち」です。

   転職後も、元の会社や元の上司・仲間たちと良好な関係を維持することは全く可能なことです。私自身もまったくそうしています。
   その会社を出てからも、そこに恩返しできることもたくさんあるでしょう。ですから、自分の目的がはっきりしているのであれば、堂々と自分の夢を語り、そこを巣立ってくればいいんです。転職に罪悪感を抱く必要はないと思います。


Karuizw 02
軽井沢・雲場池

2012年5月14日 (月)

「転職」を考えるとき〈3〉~転職のリスク


Jindai tsutji
神代植物園(東京・調布市)にて



◆No risk, no gain~リスクとチャンスは事の両面

  「この会社もう辞めようかな」「こんな仕事に切りをつけて転職したほうがいいかな」と転職を思い立ったとき、選択肢は4つです。

〈A〉留まる
   ・選択1:現職で「我慢する」
   ・選択2:現職で「奮起する」
〈B〉動く
   ・選択3:社内で「異動する」
   ・選択4:社外へ「転職する」


  世の中、何事においても、大きな成長、多くの収穫を得ようと思えば、なんらかの危険を冒して行動に出なければなりません。つまり「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」、「No risk, no gain.」です。
  確かに長い一生の間には、何もせず安穏と構えていて「棚からボタ餅」ということも何度か起こるでしょうが、この変化の激しい時代、ボタ餅を待っている間に自分がどんどん不利な状況に追い込まれてしまうことのほうが多いかもしれません。
  したがって、現代の生活にあって私たちは常にアタマを働かせて、ここは留まる勇気を持つべきなのか、それとも思い切って動くことを仕掛けるときなのかを都度都度に判断していくことが必要になってきます。


  下図は、「留まる」ときと「動く」ときのチャンスとリスクを表したものです。
  選択1の「現職で我慢する」の場合、いずれ職場環境が変わったり、嫌な上司が変わったりして、状況が多少好転するチャンス(=C1)がある反面、そのままストレスを抱え続け健康を害したり、現状が永遠に変わらないリスク(=R1)があります。

  選択2の「現職で奮起する」は、自分の奮起の結果、新しいキャリア展開が開けるというチャンス(=C2)があると同時に、奮起が徒労に終わり、余計に事態がこじれるというリスク(=R2)を抱えます。

Carr risk


  一方、選択3・4のように、動くことを仕掛ける場合には、もちろんその先に大きなチャンスが開けますが(=C3・C4)、同時にそれ相応のリスクも負わなければなりません(=R3・R4)。いずれにしても、チャンスとリスクは事の両面であり、私たちは、それらを総合的にてんびんにかけて判断しなくてはなりません。

◆認識すべき6つのリスク
  そうした総合的判断をする場合、特に重要となるのはリスク認識のほうです。キャリア形成は自分の生活・人生に直結しているだけに、華々しい大勝ちを狙うよりも、「マイナスを最小限にして前進・改善を得るキャリア」を優先させることが肝心だからです。チャンスの拡大は無条件に受け入れてもいいものですが、リスクの拡大は無防備ではいけません。
  そのために、まず何よりもリスクを充分に意識することです。ここでは、動くにせよ、留まるにせよ、発生するリスクの主なもの6つを挙げておきましょう。

①【経済的リスク】
  一般的に転職はコストがかかるものと認識すべきです。コストとは、まず金銭面以外で転職活動(情報収集や人材紹介会社への登録・面談、そして採用面接など)の労力と時間があります。金銭面では、転職のタイミングによって現職場からボーナスの満額が受け取れない、(以降定年まで働くとしても)勤続年数の短分化によって退職金・年金の積み上がりが小さくなる、転職による住居移転があればその引越し費用が発生する、などがあります。また、転職先が強い成果報酬型の賃金制を敷いている場合、年収が上がると思って転職しても、いざそこで結果が出せなければ年収ダウンしてしまう可能性もある。これらが言ってみれば転職の経済的リスクです。
  一方、今の組織を辞めずに社内異動で変化を試す場合には、この経済的リスクは大幅に小さくなるでしょう。社外転職と社内異動を比べれば、前者の経済的リスクは大きく、後者のリスクは小さいと言えるでしょう。

②【能力適合リスク】
  仕事や職場というのは「聞いていたのと、実際やるのとでは大違い」なことが多いものです。社内異動にしろ、社外転職にしろ、次に任される仕事・職種の内容を聞いて、自分が納得をしてキャリアチェンジに「GO」をかけるわけですが、実際のところ、自分の能力に本当にマッチするかどうかは、その職場に配属されてやってみないとわからないものです。上司や取引先にどんな種類の人間がいるのかも、事前にはなかなか推測ができません。そこにリスクが発生します。積極果敢に職変えをしてみたものの、この仕事は「なんだかちょっと違う」といって空振りに終わるケースも起こりえるのです。
  しかし、だからといって、もし現職の内容に不満を抱えている場合、そこに留まっていることにもリスクがある。自分の能力を眠らせてしまうというリスクであり、働きがいを永遠に得られないリスクです。

③【人間関係リスク】
  転職をすることは新旧2つの職場で人間関係のリスクを負うことになります。1つは新しい職場でうまく人間関係が構築できるかというリスクと、もう1つは、転職して去っていくことで現職場の人間関係が気まずくなってしまわないかというリスクです。
  また、動くことを仕掛けないで現状に留まることにもリスクは生じます。固定化した人間関係は馴れ合いを生みやすいですし、狭いネットワークに閉じこもりがちになることは自分の成長機会を少なくすることにつながりやすいからです。

④【健康的リスク】
  転職によって仕事の環境を変えることは、心機一転ということもありますが、その準備段階、実行段階においてかなり精神的、肉体的に負担をかけることになります。そうした意味で、転職時は健康を損なうリスクが高まるのが事実です。
  他方、現職の環境がストレスに満ちていて、それでもしばらくは様子見を決め込んだ場合も同様に、健康にリスクが生じるものです。仕事環境への不満や不安、上司との関係悪化などにもかかわらず、現状に留まって次のチャンスを待つことは、相当に精神的、肉体的な負担を強いるでしょう。

⑤【加齢的リスク】
  これは「動く/留まる」「現職に満足している/していない」にかかわらず、誰にも当てはまることですが、年齢が高くなればなるほど、諸々のリスクは大きくなってきます。
  例えば、歳とともに家族に対する責任や社会的責任が増していき、その結果、保守的になり思い切ったことができなくというリスク。能力的な柔軟性や伸びしろが限られてくるために、キャリアの選択肢が硬直化するというリスク。そして当然、体力がピークを過ぎ、こなせる仕事量が減少するというリスクが増大します。一般的に、転職案件は30代半ばからのものがぐっと減るのは、こうしたリスクを採用企業側が認識しているからです。

⑥【精神的リスク】

  このように、転職するにせよ、しないにせよ、リスクはさまざまに生じます。しかし、リスクを恐れる必要はありません。リスクは適切に認識しさえすれば、それを低減できる部分がかなりあります。

  むしろ恐れるべきは、「リスクを恐れて何もできないでいる自分」です。

  これが最後6番目の精神的リスクです。所詮、リスクといっても、平成ニッポンのビジネス社会でのリスクではないですか。命まで取られるわけではありません。
  何よりも大事なことは、日頃の仕事の中で、リスクを凌駕するほどのチャンスを見つけ出すことです。それができれば、「リスクを恐れる自分」など吹き飛ばせるはずです。それで結局、社内異動だろうが社外転職だろうが、それは手段にしかすぎないんだと思うことができ、大胆に行動が起こせます。そういうエネルギーが自分の中に満ちてくれば、「物事はうまくいく、いや、うまくいかせてみせる!」という心持ちになります。それが“意志あるキャリア開拓”の姿というものです。




2012年5月10日 (木)

「転職」を考えるとき〈2〉~現職を「卒業する・去る・逃げる」


   「この会社もう辞めようかな」「こんな仕事に切りをつけて転職したほうがいいかな」と思ったとき、選択肢は4つです。

〈A〉留まる
   ・1:現職場で「我慢する」
   ・2:現職場で「奮起する」
〈B〉動く
   ・3:社内で「異動する」
   ・4:社外へ「転職する」


◆「留まる」のも立派な選択肢
   最も簡単でリスクの少ない選択肢は、現在の環境で我慢し、様子見することです。しばらく我慢すれば、いやな上司も代わるかもしれないし、会社の空気も変わるかもしれない、そもそもほかに行けるところもないし、などといった受身的な対応です。自分のキャリアをどうしたいかという主体的な意志が弱い場合は、ヘタに動かずにいたほうがいいというのは処世術として正しいかもしれません。ただ、仕事が苦役であり、ストレスの蓄積に耐えるばかりの人生でいいのかという大きな自問は残ります。

   一方、そこに留まって現在の環境を主体的に変えるという勇敢で賢明な選択肢もあります。昔から「石の上にも3年」とありますが、これは実に処世の術を言い当てた言葉です。1つの仕事、1つの組織に丸3年かかわっていると、いろいろなものがみえてきますし、身についてきます。不思議なことに、丸2年と丸3年の差は大きいものです。2年ではみえなかったものが、3年いると忽然とみえてくるものが多いのは、過去から大勢の人が経験するところです。

U-tsk 01


◆転職の前に「展職」を試みよ
   私は、企業の研修などで「転職というワイルドカードを切る前に、どれだけ“展職”を試みていますか」と、受講者に質問を投げかけています。
   「展」とは、展(の)ばす、展(の)べるなどと訓読みし、広げる、広がるといった意味です。つまり「展職」とは、いま自分が行なっている職・仕事の可能性を広げ、進化・発展させていくことをいいます。
   いま目の前にある仕事が、つまらないものだと思えばいつまでたってもつまらないもののままです。自分の能力とミスマッチ(不適合)だと思えば、いつまでもミスマッチのままです。しかし、どんな仕事にも進化・発展の余地はあるはずだと思ってやれば、どこまでも進化・発展する可能性があり、面白さが発掘できます。また、自分自身も仕事や環境に馴染むように変えていける可能性は十分にあります。

   演劇の世界に、次のような言い方があります。
   ───「小さな役はない。小さな役者がいるだけだ」。

   こんな会社、こんな仕事と思っても、そこで、留まる勇気を出し、与えられた環境の中で最大限その仕事を大きく引き伸ばす挑戦をすることは、立派な選択肢です。そこで何らかの結果を出してから、次の舞台を考えても遅くはないのです。むしろ、そこで結果を出してからのほうが、かえってよい職業人生をつくる経路となることがあるのも事実です。
   ネット販売会社Amazon.co.jpの立ち上げ期に本のバイヤーとして活躍された土井英司さんは、著書『「伝説の社員」になれ!』で、まさにその点を忠告してくれています。───

「転職は、今いる会社で実績を積み、
『伝説』をつくってからでも遅くはありません。
いや、実績を積んだときはじめて、転職するもしないも自由な身になれるのです」。


   「こんな会社でくすぶっていては人生の時間がもったいない。早く転職しなければ」と焦る気持ちはわかります。人材紹介業の発達している時代ですから、登録して面接をすれば、何がしかの会社に移れるかもしれません。しかし、そのときの自由は、実は“小さな自由”です。
   現職でしっかりと実績をつくる。望ましくは伝説の1つくらいつくる。自分をそういう状態にすれば、会社から「今度、新規のプロジェクトを任せたいんだが」と昇進の機会が得られるかもしれませんし、他社から引き抜きのオファーだってあるかもしれません。そこまでいかなくても、明快な結果を出すまで自分を成長させたのであれば、転職するにしてもその候補は広がってきますし、実際、面接の際には、その実績が強力なアピール材料となり、合格を勝ち取れる確率は相当高まるはずです。あるいは、先の土井さんのように、世間が騒ぐような伝説をつくってしまうと、独立起業という選択肢も見えてきます。つまり、現職環境から粘り強く結果を出すことで、もっと幅広い選択肢が手に入るようになってくる。さらに言えば、選択肢が向こうから寄ってくる。これが“大きな自由”です。

   ですから、もしあなたが、いまの会社で転職しようかどうしようかウジウジしている状態であれば、あと1年なら1年、2年なら2年と期間を区切り、「伝説をつくるぞ!」と目標を決めてがむしゃらにやることです。それができたとき、いまよりはるかに豊富な選択肢を手に入れることができているにちがいありません。
   「ここで結果を出せない者は、他に移っても結果を出せない」ととらえ、自分を厳しく立たせることです。

◆「動く」場合の底にある動機は何か
   とはいえ、「キャリアが行き詰ってどうしようも手がない」、「こことは違う場所に明らかに大きなチャンスがある」、「現職場には抜き差しならない重大な問題がある」などのときは、やはり、その場から動くという選択肢が現実味を帯びます。
   もし、現在の雇用組織の内に、他に移ることのできる適切な場所があれば、そこに「異動」するのがリスクの低いやり方になるでしょう。同じ組織内であれば、転属に伴うわずらわしい手続きや費用的なロスもないでしょうし、組織文化や仕事のやり方といった環境面での変動も少なくてすみます。一般的に、複数の事業を持つ大企業ほど、組織内には多様な職場や職種転換機会があり、その意味で恵まれた環境にあるといえます。

   そして現在の雇用組織内に適切な異動場所や機会がないという場合、いよいよ組織外へ「転職」という選択になります。

   転職の動機は人さまざまに生じます。第1に、現職に対する不満からくる動機です。仕事の内容と自分の能力がマッチしていない、給料が少ない、労働環境が悪すぎて身体を壊しそう、上司との人間関係で強いストレスを感じている、会社に将来性が持てない、今の仕事には成長期待が持てないなどです。これらは言ってみれば、〈不満・不遇〉動機です。この場合の転職は、現職から「逃げる」といった色合いが出ます。

   また第2として、上昇志向による転職動機があります。つまり、現職環境に強い不満があるわけではないが、もっと自分の能力を高めたり、活躍舞台を広げられたりする先が他に見つかった場合、そこを出たいという欲求です。そこには何らかの建設的な目的が存在します。これはつまり、〈向上・挑戦〉動機といえるでしょう。このときの転職は、現職を「卒業する」といった色合いになります。

   さらに第3として、家族の介護のためにUターンをしなければならなくなった、出産・育児を迎えることになり、労働時間の少ない仕事に変えざるをえなくなったなど、自分の意志にかかわらずやむをえない事情が生じた場合の動機もあります。これらは、〈非意志〉動機といっていいかもしれません。このときの転職は、現職を「去る」色合いです。

U-tsk 02


◆転職は劇薬である。副作用も大きい
   転職が1番目の〈不満・不遇〉動機のとき、特に注意が必要です。現職場の不満・不遇解消のために転職することは、それ自体もっともな動機ですし、実際、多くの人が転職によってそれらネガティブな状況を解消する例もあります。
   しかし、転職という選択を安易な逃げの意識で使うと、デメリットが生じてくることを留意しなくてはなりません。つまり、忍耐強さがなくなり逃避グセがついて、2度、3度と同じような転職を繰り返す可能性が高まってくる。そうなれば、社会が自分を安定性のある人材として評価しなくなるといったデメリットです。それに第一、逃げのみの意識の人は、転職の面接のときにそれが表に出てしまい、強いアピールができません。

   したがって、仮にあなたが〈不満・不遇〉のネガティブ要因で転職を考えているなら、同時に自分のなかで、向上や挑戦といったポジティブな理由を見つけることが大事です。転職は、ある意味、「劇薬(あるいは外科手術)による治療」というべき手段であって、即効性がある反面、副作用も強い。劇薬にしても手術にしても、身体がある程度健康でない場合には使えないのと同じように、そもそもの自分の意識がしっかりとしていなければ、結局、転職に振り回される結果になるからです。

   さて、本記事では、転職をなにかコワイものとして書いたきらいがありますが、転職は「ハイリスク・ハイリターン」なだけです。リスクをきちんと制御すれば、リターンも大きいのです。私自身を振り返ってみても、数度の転職によって自分の人生は、文句なしに広がり高まったように思います。
先ほど転職は劇薬だと言いましたが、血の気があり余り、志が明快な人にとっては、むしろ転職は滋養強壮剤となって、さらに活動を増進させるものになりえます。

   「転職したほうがいいのかな」と思っている人への私からのアドバイスは、
   「留まる」もよし。「動く」もよし。
   ───未来に向かって拓く心があれば、どちらの方向にも正解はある(つくれる)!

  もう1つ。
  ───普段の「展職」が基本。ときに「転職」という手段。
  そして結果として「天職」がみえてくる。




2012年5月 6日 (日)

「転職」を考えるとき〈1〉~栄転と流転の分岐点は


Azumino fr


永い間の風雪を耐え、不動にその場所で根を張る大樹は堅美である。

風を友とし、自在に猟場を変え、たくましく空を舞う大鷹は流美である。
また、
一箇所によどむ水は腐る。
綿毛をつけたタンポポの種は、いつ根づくともわからないまま辺りを漂う。

その仕事・職場に留まるのか、それとも動くのか、
どちらの選択肢にも正解・不正解はある。“ある”というより、
みずからの意志とその後の行動によって、正解にも不正解にも“しうる”。



私自身、会社員として4回転職をしました。
そして仕事柄、いまも多くの人のキャリアの姿を観察しています。
読者の方から、「一度、転職についてまとめてほしい」との要望もありましたので、
本ブログでは、以降数回にわたって「転職」をテーマに記事を連ねます。



◆最初の仕事はくじ引きである
  私はかつて勤めた出版社で、デザイン雑誌の編集をやっていたころがあります。中でも、伝統工芸家や職人さんの取材はとても面白かったものです。
  取材時に私が毎回、目を引かれたのは、彼らの手と道具です。長年の間、力と根気を入れて使った手や指は、道具に沿うように曲がってしまいます。また、道具も、彼らの指の形に合うようにすり減って変形してしまいます。時が経つにつれ、互いが一体感を得るように馴染みあった手と道具は、それだけで味わい深い誌面用の絵(写真)になります。

  真新しい道具が手に馴染まず、なにか違和感がありながらも、使い込んでいくうちに手に馴染んでいく、もしくは手が道具に馴染んでいくという関係は、職と自分との関係にも当てはまります。

  つまり、自分が出合う雇用組織・職・仕事で、即座に自分に100%フィットするものなどありえない。仕事内容が期待と違っていた、人間関係が予想以上に難しい、自分の能力とのマッチング具合がよくないなど、どこかしらに違和感は生じるものです。
  ただ、そうしたときに、職業人としての自分がやらねばならない対応は、自分の行動傾向をその職・仕事に合うように少し変えてやる、もしくは自分の能力を継ぎ足したり、改善したりすることです。また、それと同時に、職・仕事環境を自分向きに変えてやる、さらには些細な違和感を乗り越えられるよう雇用組織との間で大きな目的を共有するということも必要です。

  ピーター・ドラッカーもこう言っています。───

 

「最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事につく確率は高くない。
得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年を要する」。

                                                                                   ───『仕事の哲学』より



◆キャリアとは「くじ引き後の状況創造」
  私は職業人の最も重要な能力の一つは、「状況対応力/状況創造力」だと思っています。ドラッカーの言うとおり、最初の仕事はくじ引きなんだから、「はずれ」が出ることもあると楽観的に構える。でもそのはずれは、自分の状況対応、状況創造によって人為的に「当たり」に変えることができる。

  すなわちキャリア形成とは、職業選択というくじ引き後の職と自分の馴染み化(状況創造)のプロセスが大部分なのです。ここの意識はしっかりと持ったほうがいいでしょう。そしてこの馴染み化をうまくやれるかどうかは、各人の意志の強弱と自律性の有無によって決まります。
  意志とは、自分はこうなりたいという気持ちの方向性です。また、自律性とは、自分の価値・信条に基づいて物事を判断し、行動できることです。

  強い意志を持ち、努めて自律的であろうとする人は、多少の職場の違和感、不満、不足、不遇をその場で乗り越えていける。
  他方、意志を持つことをせず、自律的になることがしんどそうで逃げる人は、違和感、不満、不足、不遇を嫌って、すぐに居場所を変える。そして漂流回路に陥るリスクを自ら大きくする。

  人の「変わる/変わらない」を簡単な図にしてみました。

Change4s


  人生において、ときに自分が「変わる」ことも大事ですし、「変わらない」ことも大事です。ですが、その行動が、強い意志・自律に根ざしているのか、弱い意志・他律で何となくなのか、これは重大問題です。さきほどの図を少し作り変えてみましょう。

Change4s2


あなたは「猟場を変える大鷹」でしょうか、「不動の大樹」でしょうか。
それとも、「タンポポの種」、「よどむ水」でしょうか。

◆その転職が「栄転」になるか「流転」になるか
  私は転職を否定しません。長いキャリアの途上で状況創造を行っていくときに、働く環境を変えることがよいと思われる状況は起こってきます。
  その転職が、はたして「栄転」チャンスとなるのか、それとも、「流転」リスクになるのか───それを判別する簡単なチェックシートを用意しました。

  次の表の6つの質問において自分の状況や思いに近いほうを選んでください。
  左側に多くチェックが多く付いた場合は、栄転する転職、つまりポジティブな展開になりやすいでしょう(=P型転職)。逆に、右側に多くチェックが付いた場合は、流転する転職、つまりネガティブな展開になりやすい状況です(=N型転職)。



Change4s3


  P(栄転)型とN(流転)型の違いは、結局のところ、自分を強く持っているか、未来像を強く持っているか、動機がどこにあるか、の違いです。質問ごとの解説は次のとおりです。

■【Q1】
転職の動機が未来にあるのか、それとも現状の不安にあるのか。P型転職を実現する多くの人たちは、強い未来志向であるがために、現状に物足りなくなって、もう一段高みのキャリア舞台を求めて転職という選択肢を取る。他方、N型転職に陥ってしまう人は、なんとなく現状がうまくいかない、現状から逃避したいという思いから転職に走ってしまうことが多い。

■【Q2】
自律のワークスタイルか他律のワークスタイルか。P型の特徴は、仕事のさまざまな部分に、自分を織り込んでいく意志・習慣の強さである。組織・他人の流儀にどっぷり浸っているだけの人は、キャリアも他力本願になりやすい。

■【Q3】
キャリアや人生のあこがれ像(ロールモデル)を抱いて、自分もそうなりたいというエネルギーを内面からふつふつと湧かせているかどうか。

■【Q4】
負けん気の強さがあるかどうか。

■【Q5】
自分の未来像、像ではなくとも方向性を具体的に言葉に表現できるかどうか。

■【Q6】
自分の仕事結果とそれを生み出したプロセスをきちんと語れるかどうか。P型転職を実現する人は、大なり小なり「マイ・プロジェクトX」となるべき物語をいくつか持っている。そして転職活動時には、それを自己PR材料にもうまく利用して、良い採用案件を勝ち取っていく。N型の人は、自分の仕事結果に対する執着心が薄く、そのために「なんとなく仕事」のあいまいな就労姿勢で日々をやり過ごす。だから、転職も「なんとなく転職」の気分で行う。

■【Q7】
自分の内に革新的な意識が高まれば高まるほど、相対的に周囲の人間が保守的にみえてくる。ときに、この意識は独りよがりのこともあるが、エネルギーとしては強いもので、転職による環境の変化を乗り越えていくには大事なエネルギーになりうる。他方、職場の雰囲気や人間に対し、革新的か保守的かに無頓着な人は、おそらくその職場に留まったほうがよい人である。



  転職(=変化を仕掛ける)にせよ、現職に留まる(=変化を仕掛けない)にせよ、その選択肢は、その時点では正解でも不正解でもありません。その後、自分がその選択肢をどう「人生の正解」にもっていくかです。

  そして最後にもう一つ加えるなら、転職は、
  「どんな会社に」「どう入るか」、「いくら年収をアップさせるか」の問題ではありません。
  「どう働きたいか」、「どう生きるか」という再決心の問題です。


Azumino fr2
長野県・安曇野にて



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