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2012年7月

2012年7月27日 (金)

中学生向けのキャリア教育プログラムを実施


「働くってなんだろう!?」を考える特別授業

『僕らは能力の貯蔵庫だ!』
(広島県福山市立・山野中学校にて)

山野中u4


   7月24日、山野中学校(広島県福山市)で、キャリア教育の特別授業を実施いたしました。きょうはその報告をします。

   今回の特別授業は、同校の柳井晃司校長から一通のメールをいただくことから始まりました。柳井校長は私の著書を何冊か読んでくださっていて、どうにかこの著者を招待して生徒向けの講演・授業のようなものができないか、その思いを真摯に伝えてきてくれました。
   奇遇なことに、私も企業内研修の事業で独立して10年、今後はライフワークとして学童向けのキャリア教育で何かよいものをこしらえて、それを本業の合間に(営利目的ではなく)やっていきたいと考えていた矢先でした。幸い、大人向けに行っているレゴブロックを使ったプログラム『キャリア・ダイナミクス・ゲーム』を学童向けにアレンジすれば、かなりよいものができるとの確信もありました。
   お話をちょうだいしてから2カ月間、中学生の気持ちになってプログラムをつくり変え、今回の実施に至りました。山野中学校は、福山市北部の山間部に位置する学校です。昭和30年代までは200名ほどいた生徒数も、次第に過疎化の波を受け、現在では1~3年生まで合わせて12名となりました。しかしながら少数であるだけに、その分、生徒たちは学年を超えて、学び合い、助け合う空気がとても強いと感じました。
   以下に、特別授業の実施内容をまとめます。

* * * * *

■ 実施日・実施校: 山野中u1
2012年(平成24年)7月24日  
午前10時~(2時間)

広島県福山市立・山野中学校にて
 

■ 授業名:
「働くってなんだろう!?」を考える特別授業
『僕らは能力の貯蔵庫だ!』



■ プログラム概要:
   玩具の「レゴ」ブロックを使って行うキャリア教育プログラムです。
   ゲーム形式で進行していくもので、参加者は作品を何度かこしらえていく過程で、「能力とは何か」「職業に就くとはどういうことか」「自分の生きる道を創造するとはどういうことか」などを体感的に学んでいきます。
   従来、企業従業員・公務員向けに開発・実施されているプログラムを、今回特別に中学生向けにアレンジし行うものです。

■ プログラム内容:
   このゲームは4つの作品づくりステージから成っています。
   チーム(1チーム=2~3名)に分かれ、第1ステージは「小学生時代」という想定で、ブロック15個で「船」を作ります。第2ステージは「中学生時代」の設定で、ブロック35個で「船」を作ります。このとき、ブロックは自分が持つ能力(知識や技能、資質など)の比喩であることを説明します。
   15個で作る船と35個で作る船では、当然出来栄えが目に見えて違ってきます。ブロックが多いほど(つまり能力が幅広く豊かになるほど)表現できることも幅広く豊かになることを受講者は学び取ります。
山野中u2   第3ステージは「高校・大学時代」の想定で、ブロック40個+文房具4点(色画用紙や色マーカー、ハサミ、テープなど)で「船」を作ります。この段階になると格段に個性のある作品に進化してきます。そして、各チームは自分たちの船に物語さえ付加するようになります。「想い」が湧き起こってくるわけです。
   「能力」をさまざまに組み合わせ、かつ、そこに「想い」を乗せながら、何か形あるものを表現していく───それが、「仕事・職業・働くこと」の原形であることを解説していきます。


   そして最後の第4ステージ。これは「高校・大学卒業時」を想定し、「夢」というテーマで作品づくりをしなさいと指示が出ます(今回は時間の都合で、このステージの作品づくりは行いませんでした)。
   「船」という具体的・限定的なテーマから、「夢」という抽象的・自由度の高いテーマに移ることは、就職というイベントが持つ抽象性・自由度に呼応しています。「職を選び取る」とは、そうした抽象性・自由度が自身に振り向けられることを受講者に気づかせるものとなります。このように、このゲームでは作品づくりと、それが現実生活ではどういう意味をもつのかを解説する講義とが交互になされていく仕組みになっています。


■ スライド講義概要:
   レゴでのゲームプログラムを生かすために、そして「働くこと・仕事・職業」とは何かの核となるメッセージを伝えるために、スライドによる講義をゲームの前後に挿入します。そうすることで受講者の理解度(=腑に落ちる度)が高まります。

・まず、「能力」について、その概念を広げるところから始めます。
能力とは、学校で習う科目以外のことも含まれること、そしてもちろん学校の成績のよしあしが能力のあるなしに必ずしも関係しないことを伝えます。

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・「能力」に含まれるものを簡単に分類し説明します。
  「知識」=知っていること。
  「技術」=身体を使ってできること。
  「資格」=知識や技術があることを試験によって証明するもので、免許のようなもの。中学校をきちんと卒業して学位を取ることも資格のひとつとなる。
  「人とのつながり」=友だちをつくる力。何か事を成そうとしたときに、一緒にやってくる仲間、自分を助けてくれる人、味方になってくれる人、それらを人脈という。
  「強み・得意なこと」=几帳面である、社交的である、人を引っ張っていける、集中力がある、のんきである等、そうした性格的なことも能力の一部である(人材育成の専門用語では「コンピテンシー」に相当)。
  そして、これら能力は、目には見えないが、自分のなかに貯蔵されていく大事な「資産・たからもの」であることを伝える。

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・「お金持ち」と「能力持ち」

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・「ひらがなゲーム」というミニゲームをやります。
Aチーム(教職員)とBチーム(生徒全員)に分かれ、Aチームは3枚のひらがなカードを持ち、Bチームは5枚のひらがなカードを持つ。手持ちのカードを自由に組み替えて、2文字以上の意味ある単語(名詞)をつくるというルール。  「ひらがなゲーム」の結論は……

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・以上の下地となる講義をして、ここからレゴブロックゲームに入ります。
このゲームプログラム(所要約1時間)で、受講者が体感的に学ぶことは、

   1)「能力」が豊かになるほど、「表現」できることも豊かになる
   2)漫然と作品をつくるのではなく、「思い」(=自分なりの物語)を加えていくと
       作品がより個性的に魅力的になるし、自分の意欲も盛り上がってくる
   3)他グループの作品表現を見て刺激を受ける。
       と同時に、自分の作品表現が他グループに刺激を与えることもある。
   4)協働することの難しさ・面白さ


・レゴのゲームプログラムを終えて、
講義は「働くこと・仕事・職業」とは何か、のメインテーマに入っていきます。
「働くこと」について、3つのキーワードで説明します。
それは「能力×想い→表現」

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・「働くこと」の最終出口は「表現」であり、
その「表現されたもの」に対し、人(お客様)が反応してくれる。
反応には「スゴーイ!」や「いいね、それ!」「助かったわぁ」「ありがとう!」などがある。

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・「働くこと」で、みな、生活のためのお金(給料)を得ているが、
それは「働けばお金がもらえる」という解釈ではなく、
こう解釈してみてはどうかと問いかける……

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間近にくる「就職」という大きな時点に立ったとき、
「能力」・「思い」・「表現」について自分がどれだけの準備をできるか、に言及します。
職業選択の自由があることは歓迎すべきことではあるけれど、
自由であることに「負担」を感じることも起きてくるだろうことにも触れておきます。
そして、職選びというのは、親や先生からのアドバイスは受けつつも、
最終的には、「自分一人」で決めるという作業になることも伝えます。

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山野中学校の校訓は「他律から自律へ」ということで、柳井校長からは「自律」について一言触れてくださいとの要望がありましたので、ここで「自律的な人とは」という結びのスライドを入れることにしました。

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・そして補足的に、名言・箴言をいくつか紹介しました。
これら含蓄の深い、けれど抽象的な言葉は、けっして生徒を子ども扱いせず、
しっかりと目と耳に触れさせておくべきです。
名言・箴言は、本人の言葉の咀嚼力を超えて、響いていくときがあるものです。

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■ 事後アンケートの声(生徒):
   ・レゴブロックの製作を通して、能力がたくさんあればあるほど、いいものができあがることがわかりました。これからゴム袋をまんぱいにしていきたいです。また、レゴブロックを作るときに、人と協力することも必要だなと思いました。(中1・男)

   ・レゴブロックでの製作を通じて、大きくなるにつれて能力が増え、思いが大きいほどに豊かな表現ができることがわかりました。今から能力をたくさん身につけて、強い思いを持って、自律的な人間を目指します。また、今まではお金を稼ぐために働く、という考え方だったけど、自分が一生懸命表現すれば、相手が「ありがとう」の気持ちでお金をくれるという考えのほうが正しいことがわかりました。私は、人々に感謝されるような働きをする人間になりたいです。(中3・女)

山野中u5   ・レゴブロックを使って、働くということ、能力ということがよくわかる楽しい授業でした。私はいままで、自分のことを「なんの能力もない人間」と思っていました。実際、何をやっても上手にいかず、自分を責めたりすることがよくありました。でもきょうの授業で、「能力のない人なんていないんだ」と思いました。自信を持って将来の夢へ進んでいきたいです。(中3・女)

   ・今の成績では高校に入れるかどうか不安なじょうたいです。ちょっとあきらめようという気持ちはあったけど、今日の話を聞いて、お金持ちになれるかどうかは分からないけれど、能力(才能)はのばせるということを知ったので、あと二年あるので、卒業するまでにしっかり勉強をして能力を上げつつ、能力を見つけていきたいです。(中2・男)

   ・1つのものに何か加えるだけで、見る人の気持ちも変わることをレゴブロックのゲームで分かりました。(中2・女)

   ・将来、働くためには、その時になってはとうぜんに遅いし、たいへん困ると思った。能力はいくらでも持てるんだから、いろいろなことをやって、どんどん身につけていきたいです。(中3・男)


■ 事後アンケートの声(教職員):
   ・生徒の表情を見て、楽しみながら学習していたと感じました。きっと今日の学習は生徒たちの一生にわたっていきていくと思います。私自身、どれだけカード(ブロック)を持っているか、反省させられました。あわせて、世界中の人のカードをうまく、平和に組み合わせていく手段はないものか、と考えさせられました。

   ・レゴを使っての作品づくりが段階を踏んでいくことで、成長するということがよくわかる内容でした。能力がたくさんあるほうが「楽しい」という表現がよかったと思いました。

   ・レゴブロックを通して、能力は自分のなかに貯蔵されていく資産だということが具体的につかめたと思います。(教職員)

   ・レゴブロックを使って、年齢や経験が増えるごとに、表現の可能性・理解も伸びていくということを体験的に実感することができたと思います。「能力」と「思い」を組み合わせて「表現」する活動が働くことである、一生懸命表現することでお金を受け取ることができる、という言葉は素直に希望を持って、生徒の心に落ちたと思います。

   ・レゴブロックを使用することにより、生徒はゲーム感覚で能力を増すと船の完成度(表現力)が高まることを理解できた。


■柳井校長からいただいたお礼メッセージ(抜粋):

   このたびは、遠路より本校にて、キャリア教育特別授業の講義およびレゴブロックによる体感型学習を実施していただき心よりお礼申し上げます。

   先生が授業で示された「能力×思い⇒表現」は学校におけるキャリア教育において、大変重要な視点だと捉えています。特に「能力のゴム風船」の考え方は働くベースになるものだと感じた次第です。
   また、教職員にとっても今の仕事を捉え直し、問い直すきっかけになった時間だと思っています。
最後になりましたが、生徒をはじめ教職員一同、先生との出会いに感謝申し上げます。またお会いできることを楽しみしています。今後とも「働く意味の翻訳人」として先生のますますのご活躍を祈念しまして、お礼のことばとさせていただきます。
 

平成24年7月24日
福山市立山野中学校
校長 柳井晃司



■今回私が感じたこと・思ったこと:

1〈中学生にほんもののメッセージを〉

   私はかつて勤めたベネッセコーポレーションで、大学生向けの就職支援プロジェクトに携わったことがあります。私はいわゆるシューカツ(就職活動)のための「受かるテクニック伝授」のサービスはしたくなかったので、顧客ターゲットを1年生・2年生とし、「働くとは何か・職業を選択するとはどういうことか」の根本から考えさせるサービスを考え出そうとしました。その部署では結局1年間ほどいろいろ実験をしたのですが、私が見出した結論は、キャリア教育をやるにはもっと早い段階からやる必要がある。それは直感的にですが、小学校高学年か中学校あたりではないかと思いました。
   それから月日は流れ、今回、このような形で念願の中学生対象にキャリア関連の授業ができ、そして内容をぶつけてみて、そのときの直感は正しかったのではないかと自信を得ることができました。

   なぜ、高校生や大学生になると、本来のキャリア教育が施しにくくなるのか。それは、学年が上がるにしたがって、文系や理系といった枠組み・レールによって自分を限定していき、やがて、業界を選びにいき、具体的な会社を選びにいく意識ができ上がるからです。そしてもっぱら「どうやって志望会社に入るか」という観点にしか興味を示さなくなるからです。
   その点、中学生までは、能力・資質の方向性がよい意味で定められておらず、また“無垢”な心持ちが保持されていて、「働くと何か」という根っこの問いに対し、白紙のカンバスに自分なりの概念の絵を描くことができます。

   今回、私がもっとも気にかけていたことは、中学生の抽象的学習能力がどれほどあるかでした。レゴの作品づくりゲーム自体は、必ず盛り上がる内容になっています。それはレゴという玩具がもっている創造性引き出し力によるものです。問題は、そのゲームでやったことから、現実生活に置き換えて、「働くこと」を理解させるところの橋渡しです。レゴのブロックや使える数の変動などはすべて、現実生活の「比喩」になっています。その比喩の解凍・展開を中学生がうまくできて、ハラに落とすことができるか───結果的には、事後アンケートを見てもわかるとおり、予想以上に自分たちなりに咀嚼できているようでした。

   驚くべきは、上の欄には挙げませんでしたが、次のような感想を書いてくれた生徒もいました。───「私は(第3ステージの)大学生は一つのことからもう一つ視点を広げて自分の能力を生かして作品をつくっているんだとわかりました〈中1・女〉」

   このゲームの第3ステージは、レゴブロックに加えて文房具が使える段階になります。そしてまた、船だけを一生懸命作るのではなく、文房具で海や波をこしらえて「景色の中に浮かぶ船」を作るというステージに変わります(そう変えるよう発想するのは、ほかでもなく受講者本人たちなのですが)。そのステージの転換点を上の1年生の彼女はしっかりと気づいていたのです!

山野中u3   このステージの転換点は、企業の従業員向け研修では当然触れることですが、私は中学生向けだからということで、あまり余分なことも言及しないほうがいいだろうと思って、この点は言わずじまいにしていました。ところが、こういう感想がしっかりときたのです。

   中学生は大人が思う以上に、抽象的に考える能力が養われており、またほんもので直球のメッセージをきちんと受け止める心が備わっています(いると見るべきです)。中学生受けしないということで、抽象を避け、目先の変わった具体事例ばかりを見せてばかりいたら、それこそ概念・観念を抽象的にとらえる能力が退化してしまいます。私たちは、ほんもののメッセージを真正面からしっかりと投げることが重要だと思います。



2〈さらなるプログラム開発〉

   私は今回、働くとは何かを考えるキーワードとして、「能力」・「思い」・「表現」の3つで整理をしました。今回はレゴを使った授業で約2時間、主には「能力」を豊かに蓄えることの重要性を説きました。
   「働くこと」を十全にとらえていくためには、あと「思い」の重要性や、「表現」の多様性についても、それなりのボリュームを割いてしっかりプログラムづくりすることが必要だと感じました。そうした意味で、今回のプログラムは、全3部あるうちの第1部と自分のなかではとらえています。これを機に、中学生に向けた第2部、第3部のプログラム開発にも力を注ぎたいと思っています。

   ちなみに第2部の「思い」をテーマにしたプログラムは、「~のために・~したい」という自分のなかの動機・意欲を内省するものになるでしょう。

   「~したい」という気持ちの側面だけで、職業選択を誘導していくことはある意味簡単なことです。しかし、私は「~したい」ということはベースにあるべきだけれども、それだけでは不十分だと感じています。そこに「~のために」という“理由・意志”が伴わなければ、ほんとうに強い次元からの「思い」が湧いてこないからです。私は仕事柄、さまざまな人のキャリア姿を観察していますが、単に「好きを仕事にする=~したい」だけで、職業を選んだ人たちの付和雷同ぶりを目撃してきました。「~したい」という感情レベルのものは、いとも簡単に、「~が嫌になった・飽きた」に変わるからです。
   「~のために」という理念・信条に根ざした意志が加わることによって、その意欲は堅固なものになります。私はその「~のために」ということを内省できるワークを中学生向けにこしらえたいと思っています。


   また、第3部の「表現」に関するプログラムのキーワードは「ロールモデル探し」です。「あこがれ」は強力な力を持っています。あこがれの仕事をしている人を見つめさせ、仕事とは「表現活動」であり、そこにはさまざまな個性・価値観があることに気づかせていきます。そして、人間が行う仕事世界の面白さを感じてもらう内容です。また、そのあこがれの表現の土台には必ず「能力」や「思い」というものがあり、そこを探ることで、第1部、第2部との相乗効果も生まれます。
   こうしたプログラムを本業の合間にこしらえ、中学校の現場で実施できる機会をちょうだいしながら、プロジェクトを発展させていく予定です。


3〈人は思いによって引き寄せ合う〉

   今回授業を行った広島県福山市は、私にとって、それまで何の縁(ゆかり)もない土地でした。ところが、柳井校長の一通のメールからほんとうにうれしい結び付きと交流ができました。

   現代は、思いや志を持つ者にとってはとてもよい時代です。メディアの発達により、みずからの思いを発信すれば、それに響いてくれる人びととのつながりができやすい環境にあるからです。もちろん、ネット上には悲観や冷笑、嫉妬、批評のための批評の声が渦巻いており、そこから“負の連帯”のようなものもできあがります。しかし、その一方で、この世界には、楽観や正義、夢、志に満ちた建設のための意志の声も泉のごとく湧いています。そして、そこからは“正の連帯”が起こりえます。

   私が今回、広島県の山間部の全校生徒数12名の中学校に出会えたのも、校長先生と私とが「思い」でぴんとつながり、小さくではありますが“正の連帯”が起こったことによります。
   「働くということについて健やかな考え方を涵養したい」───中学校訪問中、このテーマにつき校長先生、教頭先生らとの対話は尽きることがありませんでした。日本の教育現場には問題が山積ですが、こういう先生方が現場で苦悶し、奮闘しておられることの具体的事実を知ったことだけでも私にとっては大きな気づきであり、ひとつの安堵でした。

   子どもたちの教育・しつけは、学校と家庭に任せておけばよいものではなく、社会全体で取りかかっていかねばならない問題です。ビジネス界にはそれこそ多くの「知と術」が蓄積されています。それをもっと公共のために、「共通善」のために、組織も個人も使うべきだと思います。

   最近では「プロボノ」(=プロフェッショナルが職能をボランティアに生かす活動)という動きも出てきています。NHKテレビの番組で『課外授業ようこそ先輩』というのがあります。各界で活躍するスポーツ選手やアーティスト、タレントたちが、なつかしい母校に戻って、子どもたちに個性的な授業を行うというものです。登場する人たちが毎回、自分の才能世界での発想をフルに生かしながら、とても面白い内容をやります。私自身もこれを機に、非営利活動としての学童向けキャリア教育を強く押し進めていきたいと決意できたプロジェクトでした。


■最後に:
   小・中・高校生に向けたキャリア教育の必要性は、着実に広がりをみせているように思います。子どもたちの就労観を健全に育むことは、産業の興隆ひいては国力の足腰に関わってくる部分です。そして何よりも、1人1人の個人が、よりよく生きていくための精神的土台になる部分です。
   文部科学省や経済産業省はそれぞれに方向性を出してキャリア教育の牽引役を果たそうとしていますし、民間企業やNPOが独自のプログラムで事業化を図ろうとしています。『13歳のハローワーク』(村上龍著)もしっかりとしたロングセラーになりつつあります。世の中には、多様なサービスがあってこそ、よい発展が起こります。その意味で、私も独自の観点からのプログラムづくりに取り組んでいきたいと考えます。

  本記事をご覧になってご関心を持たれた個人、組織の担当者がいらっしゃいましたら、遠慮なく下記にご意見・ご感想をお寄せ下さい。


本記事に関するご意見・ご感想は
info@careerportrait.jp





■付録:(山野中学校に事前に送ったメッセージ)

山野中学校のみなさんへ

私はスポーツを観るのが大好きです。アメリカのメジャーリーグではイチロー選手やダルビッシュ選手が頑張っています。サッカーの香川真司選手はいよいよイギリスのマンチェスター・ユナイテッドに移籍します。彼らの仕事・職業は、野球やサッカーをし、美しい技術を披露して、ゲームに勝つことです。彼らは、世の中に数多くある職業のなかから、プロスポーツ選手という道を選びました。

見渡してみれば、私たちの身の周りには、いろいろな人のいろいろな仕事があります。たとえば、みなさんがいま履いている靴。その靴は、だれかがデザインし、だれかが工場で製造し、だれかが店で売ってくれた靴です。それはつまり、靴のデザイナーという仕事、靴の製造組立員という仕事、靴の販売員という仕事があるということです。

また、みなさんがレストランに行ってハンバーグステーキを注文したとしましょう。そこで出てくるハンバーグステーキは、それこそ数えきれない人の仕事を経て、あなたの前のお皿の上にやってきました。世の中の誰かが、その牛を育てるという仕事をしました。そして、その牛肉をオーストラリアから日本へ運ぶことを仕事にする誰かがいました。成田空港の税関では、誰かがそれを検査する仕事を請け負っています。さらには、その検査が済んだ牛肉をレストランに売る仕事の人がいました。そしてレストランの厨房では誰かがステーキを調理する仕事をしています。ステーキはいよいよ、ウェイター・ウェイトレスという仕事をする人によってあなたのもとに運ばれました。これで終わりではありません。食後、レストランで会計をしますが、そのレストランでは経理を仕事にする人がいて、きちんと店が回っていくようにお金をやりくりしています。そして、経理の人は、翌日、その売上金を銀行に持っていきます。銀行には、また多くのお金を数えることを仕事にする人が働いています。

このように、みなさんの周りには実に多くのモノやサービスがありますが、よくよく観察すると、そこにはたくさんの仕事・職業がかかわっています。みなさんも、近い将来、何らかの仕事に就いて、親から独立して生きていくことになります。

来週24日の特別授業は、そんな「仕事・職業・働くこと」についての2時間授業をやります。授業といっても、半分は「レゴブロック」で作品を作って遊びます。でも、その授業が終わったときには、「仕事ってそういうものなのか」「働くってそういうことなのか」ということが、少しだけわかるようになっていると思います。

では、来週お会いしましょう。私もみなさんと一緒に過ごせることをすごく楽しみにしています。

 

東京より
キャリア・ポートレートコンサルティング
村山昇

 

* * * * * * * * *
【関連記事】
中学生向けキャリア教育~すべての働く人には“思い”がある〈山野中:第2回〉
中学生向けキャリア教育 ~世の中は“表現”にあふれている〈山野中:第3回〉
親とともに学ぶ「子ども向けキャリア教育」


【新規プロジェクト】
●中学生に読んでほしい
生きることの根っこをかんがえるウェブ絵本プロジェクト
『ふだんの哲学』を開始しました!



2012年7月26日 (木)

町を遺すという生き方~倉敷にて



Kurashiki iraka
鶴形山から望む倉敷美観地区の甍(いらか)の波
奥に見えるエンタシス柱の建物が大原美術館
 

* * * * * *

広島県への出張に合わせ、倉敷(岡山県)に延泊をして、大人の遠足をしてきました。

大原孫三郎・大原総一郎は、
クラレという企業と、美術館と、そしてこの町を遺しました。
町を遺すなどというのは、なんとも素晴らしい仕業であると思います。

 ただ、忘れてならないのは、
ハードとしての町が今もって時代の風化に耐え、いまだ人を引き付けているのは、
彼らの精神性が風化に耐えうるものだったということなのでしょう。
 
あと、倉敷といえば大原美術館は有名ですが、この一角には「倉敷民藝館」もあります。
「民藝」という運動を推し進めた柳宗悦と
美を通しての人間・社会の興隆を目指した大原孫三郎と、
志が人を引き付け合ったということですね。


倉敷1


倉敷2

倉敷3

倉敷4

倉敷5

倉敷6

倉敷7

倉敷8

倉敷9

倉敷10

倉敷11

倉敷12


倉敷の一角のこの風情ある町並みが、
多くの志ある方々によって、
いつまでも時代の風化と俗化に負けないで息づいていくことを願いつつ。





2012年7月15日 (日)

「図解」から「図観」へ ~概念を「マンダラ化」する


THINK2012smr

ビジネス雑誌『THINK!』(東洋経済新報社)の最新号が発売になりました。ここで1年間連載してきた
「曖昧さ思考トレーニング」もいよいよ最終回。
今回は、抽象度を上げて本質をつかむことの最終作業である「マンダラ化」について書きました。
その一部を紹介します。






* * * * * * *


◆図解表現としての「マンダラ」
   「図解」という思考手法・表現手法が、ビジネス現場では、ひとつの重要なリテラシーとして認識されるようになってきた。
   私は1994年、当時、出版社で雑誌の編集に携わっていたが、「これからは、紙の上に文字と写真を載せて記事にしていればいい時代ではなくなる。モニターの画面上で情報を摂取するのが主流になるときに、どういった形の情報の表現が必要になってくるのか。受け手がもっと直観的に、インパクトをもって、内容を理解するための新しい表現として何が開発されるべきか」といった問題意識をもって、米国に留学をした。
   私は米国のグラフィックデザイン界で進む「情報の視覚化」の分野に身を置き、先進的な情報地図やダイヤグラム、モデル図などを研究した。
   さて、図解的表現の分布を整理すると下図のようになるだろうか。

Risk df 00


   「地図・情報マップ」の世界はいまやどんどんその濃密化が進んでいる。カー・ナビゲーションシステムの画面にはより多くの情報が埋め込まれるようになっているし、「グーグル」などの地図にも店の情報やら広告情報が集積されている。「ダイヤグラムやチャート」といった主に数量・時経変化を表す図もますます進化していて、そのデザインのよしあしはプレゼンテーションの印象を左右する大事な要素になっている。
   また、物事の原理となる構造や仕組みを表す「モデル図」は、CG(コンピュター・グラフィックス)の発展でますます複雑化する傾向にある。テレビ番組などを観ていても、たとえば、宇宙の構成や人体のメカニズムなどが動的なモデル図で描かれ、視聴者はとても容易に理解ができる。

   このように図解的表現は、それぞれの分野で進化を遂げているのだが、私はさらにここでもうひとつの分野を考えたいと思っている。───それは、「マンダラ」だ。

   「曼荼羅(まんだら)」とは、広辞苑の説明では、「諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩および神々を網羅して描いた図」とある。歴史の教科書や博物館、寺院などで一度は目にしたことがあるかもしれない。具体的にどんな絵図だったかは、ネット検索で「曼荼羅」と入力すればさまざま出てくるのでそれを見ていただくとして、要は、曼荼羅は、ある観念世界を1枚の平面に抽象的に表したものである。
   曼荼羅は物事を図で可視化するという意味で、図解的表現の1つと言っていいだろう。そして構造や仕組みを表しているので、その中でも「モデル図」のようなものだ。が、曼荼羅はモデル図に比べ、より抽象度を高くし、より重層的にメッセージを加えていく濃密さを持っている。また、必ずしも明解さを追求するのではなく、「にじみ」や「ぼかし」といった受け手に解釈をさせる暗示的な部分を残す特徴がある。
   そういった意味で、「構造を明らかにするモデル図」に対し、「世界観を提示する曼荼羅」となるだろうか。そんな曼荼羅を、私は抽象化思考の表現法の1つとして、「マンダラ」と表記して転用したいと考えている。
   本記事で「マンダラ」とは、「概念あるいは概念を捉える世界観を一幅の絵図に収めたもの」と定義する。よいマンダラの要件として、私が挙げるのは次のようなものだ。

・概念がよく定義化されたり、モデル化されたり、比喩化されたりしている
・その概念が持つ世界(意味的な空間)をよく表している
・その世界観は客観的であってもよいし、主観的であってもよい
・その絵図の表現には意味のにじみやぼかしがあってよい
(示唆的・暗示的なものでよい)
・目で考えさせる絵図である
・そして目から肚に落ちていく説得力がある
・絵図を通して本質を“観る”という意味で、図解的というより「図観的」である


◆「リスクとは何か」について考え表現せよ
   そうした図解表現としての「マンダラ」を理解するために、演習を通し、段階を踏んで「マンダラ」に迫っていこう。さて、演習テーマは、

        「リスクとは何か」について考え図で表現せよ。

   「リスク(risk)」は広い概念で多義的である。しかも外来語である。しかし、日本のビジネス現場では、すでに日本語並みに定着している。もちろん、英単語の“risk”は「危険(性)」という意味であるが、この演習はそういった字義的な説明を求めるものではない。

あなたの事業、あなたのキャリア・働き方にとって、
「リスク」(あるいはリスクを取ること)はどんな概念か?
それを考え、考えたことを表現しなさい。


───というものだ。まず、「リスク」を自分の言葉で定義してみよう。定義をするためには、いろいろな角度からその概念を見つめ、抽象度を上げて本質を引き抜いてくることが求められる。

   図2の列挙は、私が行っているワークショップで出てきた具体的な定義の一例だ。このように「リスク」という概念は、人により多義的である。

   個人で書き出したカードを一枚のボードに貼り出して、グループやクラス全体で共有すると、いろいろな気づきや創発が起こる。抽象的な思考は、数式の解を求める作業ではないので、唯一の正解値はない。どの答えにもその人なりの真実が含まれている。

Risk df 01


   次に各自から出たこれらの定義を参考にして、グループでさらに洗練させた定義を1つこしらえる。ここでは先ほどの故人でやった定義より一歩も二歩も本質に近づく表現が出てくる。たとえば、A班、B班の定義はこのようになった。


〈A班〉
「リスク(危機)とは、危険(danger)と機会(chance)の両面を持つコインである」。

〈B班〉
「リスクとは、挑戦に伴う影である。挑戦をしない場合にも、同じくリスクという影が伴う」。


───なるほど、両案ともひじょうに本質的な視点が入ってきたように思う。A班の定義は、リスクが一般的に危険性だけを考えるのに対し、実は機会の面を合わせ持つという両面性を捉えた。そしてまた「コイン」というメタファー(比喩)を用いている。これは誰もが誘惑される価値を持つことを含意するものだ。
   B班の定義もリスクが持つ両面性を捉えている。挑戦することのリスクと、挑戦を避けることのリスクである。また、「影」という語彙も効いている。つまり、リスクは挑戦という本体の大きさに比例して変わることを言い得ている。

◆リスクの両面性:「危険と機会」「資産と損失」
   さて、ワークショップでは、次に自グループで練り上げた定義を「モデル図」として表現する作業に移る。A班が仕上げたものが図2のAだ。
   これはこれで定義文を忠実に図化し、リスクの両面性を簡潔に表現してはいる。しかし、もう一歩踏み込んだ発展がほしい。たとえば、図1で数多く挙げられた定義のなかに、「リスクとは、人の気持ちによって大きさが変化する障害物である」や「リスクは、評価する者の心理によって伸縮するものである」といった視点がある。こうした要素を構造的に表現できればモデル図はもっとよくなる。

Risk df 02


   ちなみに、私が考えるAの改良図を図2の右に示した。危険と機会は両面でありながら、同時に、両者の度合いは相互に呼応して大きくなったり小さくなったりするという関係性まで示すことができた。「No risk, no chance」とか「High risk, high chance」などの表記を加えることで、いっそう分かりやすくなったとい思う。


   次にB班が作成したモデル図を見てみよう。図3のBがそれだ。「挑戦する」と「挑戦しない」が上下に分けられ、それぞれにリスクを表す影が付けられている。
   さて、ここからもっと思考を発展させ、よりふくらみのあるモデル図にしてみたい。この図の特徴は、横に1本の線を引き、挑戦すること(=ポジティブな態度)と、挑戦しないこと(=ネガティブな態度)を対照的に描いているところだ。そこで、そのポジティブとネガティブに着目して、関連する何かを図に加えると、より説明力が増す。
   では抽象度を上げて自問してみよう───「挑戦というポジティブな態度をとると、何が生じるだろう?」。逆に「挑戦しないというネガティブな態度をとると、何が生じるだろう?」。……挑戦の後には、成果物、経験知、感動・自信、人とのつながりといったものが手に入る。これらは自分にとって資産とも言うべきものだ。逆に、挑戦しなければこれらのものを得る機会を失う。

Risk df 03


   つまり、次のようなことが見えてくる───「挑戦にはリスクがある。しかし、このリスクを乗り越えたところには、資産獲得が期待できる」「挑戦しないことにもリスクがある。このリスクは機会損失につながっている」。
    しかし、ここで一つの疑問が出てくる。挑戦する場合、成功もあるが失敗もある。失敗はネガティブなことではないのか。だから、挑戦することの半分は、ネガティブゾーンとして図を描かねばならないのではないか、ということだ。これはとてもよい自問である。
    失敗は一見、成功の反意語でネガティブな意味に捉えられる。しかし、発明王エジソンはこう言っている───「私は失敗したことがない。うまくいかない1万通りの方法を見つけたのだ」と。つまり、失敗は1つの経験知であり、成功への立派な過程であるということだ。となれば、失敗もまた資産側に計上すべきものである。この考え方に立てば、成功の反意語は、「挑戦しないこと」となる。
    それで、思考をあれこれ巡らせた結果が、図3の【B-発展】になる。ちなみに、「挑戦する」の右上に「種」とあるのは、成功するにせよ、失敗するにせよ、挑戦という行動の中には、次の挑戦の種が宿されることを表現したかった。

◆「マンダラ化」とは図観=図によって物事を観る作業である
   さて、この「種」によって、どんどん挑戦が重ねられるという経時的な目線を入れると、図がさらに展開を始め、「リスク」という概念についての一つの世界絵、つまり「マンダラ」ができあがってくる。それが図4だ。

Risk df 04



   1回目の挑戦(チャレンジⅠ)を終えて、2回目の挑戦(チャレンジⅡ)にいくとどうなるか。挑戦した人間は「獲得資産Ⅰ」を得るし、挑戦しなかった人間は「後悔Ⅰ」が残る。チャレンジⅢ、Ⅳ、Ⅴと進むにつれ、それぞれ獲得資産がⅢ、Ⅳ、Ⅴと積み上がっていき、後悔Ⅲ、Ⅳ、Ⅴと膨らんでいく。前者は言ってみれば、「勇者の上り階段」であり、後者は「臆病者の下り階段」である。このような図を私は「マンダラ」と呼んでいる。

   1つの概念の定義化からマンダラ化まで思考作業を深めてくると、その概念についての理解がとてもふくよかなものになる。そして自分なりの解釈を絵図として把握することができる。マンダラはある部分、主観的な切り口によって描かれるので、たいてい作品としての個性が出る。しかし、マンダラを通して捉えようとするのは、あくまで普遍的な本質である。それはまさに「図によって観ること」(=図観)である。
   情報を図化する世界は、地図やダイヤグラム・チャートのように具体的なデータや数量を簡潔に表す方向があるのと同時に、モデル図や「マンダラ」のように概念を抽象化していってそれを一幅の絵図に収める方向がある。前者は「一見してのわかりやすさ」を求め、後者は「豊かな理解」を求めるものとなる。









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