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2013年4月

2013年4月18日 (木)

留め書き〈032〉~静かだが、深く広く響いていく声


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ほんとうに大事なことは静かに語られる。
静かに語られたほんとうに大事なことは、聴く者一人一人の内に深く沁みていく。
そして時空を超え、確かな波となって広がっていく。

静かだが、深く、広く、響いていく声。

私はそんな声を聞き取りたいと思っているし、
発したいと思っている。
そのために“人間の器”をつくる鍛錬が日々ある。



作家・城山三郎さんが座右の銘にしているのが───

  「静かに行く者は 健やかに行く。
  健やかに行く者は 遠くまで行く。」

だそうだ。私もこの言葉にじんとくる。
この言葉を自分なりに展開してみたのが、上の留め書きである。


オペラ歌手のあの力感と美に満ちた歌声はあの躯体(くたい)あってこそ。
“静かだが、深く、広く、響いていく声”を発するには、
それにふさわしい“人間の器”を要する。


自分の器はどうだろう? ……まだまだ精進せねば。


2013年4月17日 (水)

種籾の準備 ~一粒から生まれる力

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 私は「徴農制」という言葉を、丹羽宇一郎(伊藤忠商事元会長、前中国大使)さんが話題にしているときに初めて知りました。調べてみると、徴農制は過去の人類社会のなかでさまざまに試行されているようです。ただ、体制側の思想的な操作がはたらくことが多く、歴史的に成功した例は少ないようです。
 ですが、「徴」という国民を召し出す制度ではなく、「農」の体験を広く人びとがすることはとても大事なことだと思います。

 「農」の営み───それは、いのちを育み、いのちをいただくことです。
 いのちの不思議さを知り、いのちの尊さを知ることです。
 自然を耕すことは、自分を耕すこと。

 みずからがつくり出す現代文明でありながら、皮肉にもその激流にさらわれ、もはや自分たちがどこにむかうのかをコントロールできなくなった私たちにとって、「農」こそが本来の人間らしさを取り戻すための唯一の矯正機能かもしれません。

 さて、私はこの春から地元の有志が主宰する『田んぼの学校』に入学しました。一から稲作を習おうと思っています。その様子をこのブログでも綴っていきたいと思います。

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 6月の田植えを前に、「種籾(たねもみ)」の準備をします。米は、言うまでもなく普段みているあの米粒が種です。「ご飯茶わんに米粒を残しちゃだめよ」とよく母親に言われました。1粒の米を育てるとそこから何粒くらい収穫できるかご存じですか?───調査によると500粒くらい(多いものでは1000粒)だそうです。1粒の米はそれほどの繁殖力を宿しているのです。ですから1粒の米も残せないという気持ちになりますね。

 種籾は当然、生命力の強いものを選別しなくてはなりません。その方法が「塩水選」です。ある濃度の塩水(水200gに対し塩16g)に種籾を浸して、沈んだものがよい種籾となるそうです。つまり、中身が重く詰まったものが生命力もあるということですね。古人の知恵はシンプルです。

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 そうして選別した種籾を水洗いして水に浸ける。すると数日で発芽するそうです。今回の作業はここまで。種から芽を出すことの観察、実に小学校以来です。

 さぁ、この種籾の選別・発芽から、約半年間の「いのちを育み いのちをいただく」ことの旅が始まります。

2013年4月13日 (土)

親とともに学ぶ「子ども向けキャリア教育」

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大野ダンススクールの生徒たちとともにキャリア教育の講習会
2013年4月7日(日) 恵庭市民会館(北海道)にて



 私にとって2回目となる「子どもたちに向けたキャリア教育授業」を、過日、北海道の地で行うことができました。

 前回、広島県福山市立山野中学校で行った様子をこのブログで伝えたところ(→その模様はこのページ)、
記事をご覧になった大野ダンススクール(北海道・恵庭市)代表の大野正幸さんから、「うちの生徒にも是非受けさせたい」というご連絡がありました。大野さんが要望する理由は次の3点でした。

 1点目として、子どもたちにダンスを教えているが、ダンスがうまくなるためには技術指導だけではなく、精神面の指導まで踏み込まなくてはならない。(私が行った)山野中学校の特別授業には、子どもたちが養うべき心の構え方について重要なことが含まれている。
 2点目に、子どもたちにダンスのみならず、生涯において大切な「働くこと」に関する学びを与えたい。そして3点目に、その「働くこと」に関することを親も同時に学んでほしい。

 私は、一人のダンススクール経営者が、ダンス指導を超えて、子どもたちに人間教育を施したいという意識に共感 し、ボランティア活動として喜んでお引き受けすることにしました。

 当日は、まず、大野ダンススクールのスタジオで生徒さんたちによるダンスの披露がありました。いろいろなジャンルのダンスを元気いっぱいに踊ってくれました。特に男女ペアになって踊るダンスなどは、しっかりと大人っぽい雰囲気を出しながら、華麗なステップで動きまわっている姿が印象的でした。日本人は身体表現が苦手とされますが、子どものころから踊りの訓練を受けることは、その後の生活の多方面にいい影響が出るのではないかと感じました。

 ダンスの実演の後は、スクールで炊き出しのカレーライスをみんなで食べ、いざ、講習会場となる恵庭市民会館・視聴覚室へ。ここからスライドを抜粋して内容を紹介します。

* * * * *

 今回のプログラムで肝になるのが3つのワード─── 「能力・思い・表現」。

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 がつくるキャリア教育プログラムの特長は、 「根っこにある概念を押さえる力を育む」 ことです。キャリア教育のアプローチはさまざまに考えられます。子ども向けのほとんどは具体的・体験的なアプローチを採用しています。1つ1つの具体的な仕事を見せ、体験してもらい、それを通じて働くことに関心をもたせるというものです。

 私がとるのはその逆で、観念的・抽象的なアプローチです。私は企業の従業員や公務員に向けてキャリア開発研修を数々行っていますが、大人になってもいっこうに概念化思考、抽象化思考ができず、本質をとらえられない受講者を多くみています。具体的にマニュアル的に指示されなければ動けない働き手が増えていることを目の当たりにするにつけ、多少派手さや分かりやすさはなくなりますが、ものごとの原理原則を考えさせる内容で組み立てたいというのが私の意図です。

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 そして、「能力をたくさん身につけよう」に関しては、レゴブロックを使ったゲームプログラム(約1時間)で理解を深めます。このゲームは企業研修でやっているプログラムを簡素化して子ども向けにアレンジしたものです。

Pht_on01_3  ゲームを簡単に説明すると、最初子どもたちにブロック15個で作品をこしらえてもらいます。次に、ブロックの数を増やして30個で作品づくりしてもらいます。そして最後に文房具(色紙やはさみ、のり、テープ、紙ねんどなど)を4点選ばせて作ってもらいます。子どもたちは、自分の手持ちのブロックや道具が増えると、それによって作ることのできる作品の表現がおどろくほど広がっていくことを体感します。

 そのとき、手に入れたブロックや道具を、自分の能力に置き換えて考えることを促します。「なぜ、能力をたくさん身につけるといいんだろう?」───それに対する答えは、「表現できることが広がるから。表現することがもっと面白くなるから」。それを腹に落として納得することができます。

 そして次に「思いを強くもつこと」の大切さについて。これについては、レゴブロックを使ったゲームの中でも触れるのですが――つまり、自分が3回にわたってこしらえていく作品に何かしら物語を加えていくほど個性の強い、人が注目するものができあがってくるという学び――、さらに言葉を通して考えさせます。
 箴言や名言はまさに生きることの本質をとらえた一文です。それらが含む深遠さを子どもがどこまで汲み取れるかはそれぞれですが、
早くからひとつでも多くの“言葉の宝石”に触れさせることは大人の責務です。その言葉から知恵や力を自分なりに引き出してくる。それこそがまさに抽象的に考える力です。

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 そしてここからが「仕事・働くこと・職業」への展開です。世の中にある商品・サービスは、実は「表現」であること。そしてその表現は「能力」と「思い」の掛け合わせから生まれていることを伝えます。

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 仕事の原形ともいうべき「能力×思い→表現」をさまざまに当てはめて考えさせます。

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 そして商品・サービスという「表現」を“お客さま”と呼ばれる人たちが、さまざまに吟味し評価しているという構図。

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 さらに、「表現」に対するお礼として、お金が生じてくる構図。

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 最後に、やがて自分にやってくる就職。そのとき、自分に問われることが何かを伝えます。
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  このプログラムはおおよそ中学2年生以上を想定してつくっています。やはりある程度、概念化してものを考える力が備わっていないと伝わらない内容になっているからです。今回は受講生のなかに小学生も混じりましたが、彼らのレベルでは、レゴブロックの箇所で、ブロックの数が多ければ表現できる幅が広がるという内容までは理解していたように感じました。ただ、どこまで伝わったか伝わらなかったは外見では簡単に把握できないもので、その学習体験が、その子どものその後の人生のなかで、どう効いてくるかは予測不能です。ともかく、ひとつの種を植えつけておくことが大事なんだろうと思います。

Pht_on02  今回の講習会で有意義だったと思うもう1つの点は、親御さんたちも参観されたということです。親にとって、「働くとは何か・職業選択とは何か」を子どもと対話することは難題です。そんなときに今回のプログラムが一つのヒントになってくれれば嬉しいですし、また、親御さんらも職業をもって働く身ですから、みずからの能力とは何か、思いは何か、表現は何かを自問し、これからの自身の働き方によい影響があれば、さらに意義も増すというものです。

 いずれにせよ、こういう学びの機会を設けた大野さんに敬意を表します。ダンススクールの経営において、受講料(月謝)の分だけダンスを指導していればよしということではなく、持ち出しの費用と手間をかけて、広く子どもたちに、たくましく生きる力を育むための場を提供したいという意志と行動はすばらしいものがあります。

 教育は社会全体でやるべきものです。親や学校とて、教えることに万能ではありません
いろいろな大人が、いろいろな得意分野で子どもたちに良質の学びの場・学びの材料を与える。社会の未来は、そうした私たち大人の取り組みによって決まります。

2013年4月 5日 (金)

社内に「働くことの思索の場」を恒常的につくる


 いまでは日本人もよく口にする英単語─── 「ワンダフル(wonderful)」。

 

 “wonder”は「あれ何だろう・不思議だ・知りたい・驚き」という心の働きを表わし、“ful”はそれが満ちた状態。そう、この世の中は不思議さに溢れ、知りたいと思うことに満ちています。そして人間の好奇心、解明能力もまた無限です。

 
 私は今年初めから、本居宣長の国学、柳田国男の民俗学、白川静の漢字学、南方熊楠の博物学、梅原猛の日本学などにかかわる本をあらためて眺めています。一個人の探究心が(必ずしも大学などの権威的研究機関に依らない形で)独特の知的世界を創造することをみるにつけ、まさに知の巨人たちの生涯を懸けた仕事に「ワンダフル!」と称賛を送りたい気持ちです。

 
 私も創業まる10年を経て、「働くこと・仕事・キャリア」にかかわる教育コンテンツがある程度溜まってきました。もちろん、「働くことは何か?」という大きな問いに対し、いまだ“wonder”は尽きることがありません。ただ同時に、これまでに考えてきた範囲でそれを体系的に整理することはとても有意義なことです。先の知の巨人たちに比べればささやかな知的創造世界ですが、これも自己訓練のひとつとして課しています。

 
 ───それでまとめたのが『働くこと原論』です。
    
(→ここをクリックいただければ、PDFファイルで一覧いただけます

 
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 現状、次の5つのジャンルに分け、全体で39のユニットで構成しています。


  1)仕事・キャリア 
Work and Career
  
2)知識・能力  Knowledge and Ability
  
3)マインド・価値観   Mind and Values
  4)個人と組織・人とのつながり 
         
Individual and Organization / Human Relations
  5)仕事の幸福論   
Happiness in Working Life

 
* * * * *

 
 さて、きょうはさらに昨年から導入が多くなっている新しいタイプの研修プログラムを紹介します。それは私が「連続講座型」と呼んでいる企業内研修・セミナーです。お客様企業の要望に沿って、上の『働くこと原論』の中からコンテンツを選び出し、それを自在に組み合わせて構成するプログラムです。たとえば、次の図のようなものです。

 
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 これは次のようなお客様の声に応えて生まれたものでした。
 


・社員の働く意識を日常的に活性化させたい。
・部署や年齢を越え、「仕事・キャリア」についてあらためて考え
 討論する場を設けたい。
・日ごろの業務に忙殺される中で、いったん立ち止まって仕事の根本を見つめなおす、
 自分を見つめなおす機会を与えたい。
・「グローバル人材」育成が急務だが、言語(英語)能力にも増して大事なことは、
 普遍的な考え方で「働くこと」の哲学をもつこと。
 そのために仕事にまつわる基礎概念をきちんと築かせる教育が必要ではないか。
・1日研修や2日研修のような単発的な形ではなく、
 期間継続的に行われる形態はないか。
 また節目研修のようにある年次社員を一斉に集めてやる形ではなく、
 興味をもった社員たちが「学びの座・思索の場」として寄ってくる形はないか……

 
 この連続講座型のプログラムは、「半日(3時間半)×3回」や「2時間×6回」など柔軟的に構成し実施します。実施間隔も週ごとや隔週ごと、月ごとなどさまざまに対応します。
 また、こうした連続ものにすることで、ある受講期間が生まれます。1日研修や2日間研修ですと、時間的には講師と受講生、受講生同士の接触は点になります。ところが全体で2~3カ月の長さになれば、1つの学習目的下にさまざまな交流ができます。例えば、メールマガジンやメーリングリストといったツールでコミュニケーションを図れば、より効果的な学習体験が可能になります。またそこにトップからのメッセージも流すこともできます。こうすることで、学びの場が時間的にも空間的にも厚みを増すわけです。

 
 いずれにせよ、社内のどこかに恒常的に「働くこと・仕事・キャリア」を考える場が設けられていて、そこで学んだ人たちが社内のあちこちで、思索・共有したことを語りかけていく。そして上司も真正面から仕事観のレベルで対話ができる。また経営層もそうした学びの場にメッセージを送り続ける。こうした日常的な取り組みが組織の風土や文化に影響を与え、「うちの会社は普段から働くことに対し意識の高い会社なんだ」と社員1人1人が感じはじめる。
 私はこうした働くことに対しての思索や哲学の習慣が、静かだけれどもしっかりと底流に流れる会社が、ほんとうに成熟した会社なのだと思います。その流れの上に、組織としての技術力があり、資金力があり、信用があり、ということになれば、それはもう鬼に金棒です。

2013年4月 4日 (木)

人財育成担当者は「想い・観」をもって研修を選定しているか

 独立して11年目を迎えました。私はみずからの事業に対し、量的な拡大・成功を目指すのではなく、あくまで等身大で、ひとつの道を追求していきたい。そんな職人的な生業を志向し、個人事業で相変わらずやっています。

 そんな個人事業に、今では、大きな企業もお客様として研修を発注いただくようになりました。「営業はどのようにしているのですか?」とよく訊かれます。ですが実際、営業はやったことがありません。本を出す、雑誌に寄稿する、そしてこのようにブログに書く(そしてその記事をいろいろなウェブサイトで転載していただく)───これが結局、営業といえば営業になっています。
 研修や講演の新規の依頼はほとんどメールでいただきます。ご相談の方は、私の著書や記事を読んでくださっており、「この村山というコンサルタントはなかなか面白いことを書いている。ならば少し相談してみるか」というような感じではないでしょうか。


 そういった場合、最初に商談に訪れても、先方にどこかすでに共感する下地ができていて、人の教育に関し、話がとてもしっくり絡み合います。
 私は書きものを通して、働くことやキャリア、人財育成についての「想い・観」を伝えています。広告的な内容や宣伝色の強い表現はほとんどしません。また、ネット検索に引っ掛かりやすいような流行語・バズワードもあまり用いません。それでも、あえて私の本やネット上の記事を探し当て、それを読んで、少なからずの共感を覚え、問い合わせのメールを入れる。これは言ってみればかなりのフィルターを越えてきている状態です。で、そこまで越えてきていただいた担当者の方もまた、働くことやキャリア、人財育成についての「想い・観」を強くもっています。そして互いの想いが響き合う形になっているんだと思います。
 私の売っている研修プログラムがキャリア教育・就労意識醸成の内容のものだけに、この「想い・観」の部分の共鳴はことさら大事ともいえます。


 大きな企業になればなるほど、「研修をなぜ、あえて個人事業者に委託するのか? 大手でほかにいいところがあるだろう」といった上司からの質問もあるでしょう。そんなときに、ご担当者はおそらく「この人のこの研修プログラムを社員に受けさせたい」という意思判断で、ある種のリスクを負いながら、組織に承認を取り付けてくれているのだと思います。それは本当に私にとって有難いことだと感じています。
 人財育成担当者は、研修選びにおいて、 “目利き”でなければいけないわけですが、その目を利かせる際に重要になってくることは、結局、いかにみずからが人の教育に関し「想い」を持ち、「観(人財観・教育観など)」を醸成しているかです。この点の想いや観が弱いままだと、担当者は本当の意味で研修商品を吟味できないと思いますし、大事な社員に自信をもって研修を提供できないと思います。

 昨年、私はある大手総合商社の入社4年目の研修(キャリア開発研修的なもの)を初めてお受けいたしました。2日間研修を4班に分けて実施したのですが、初回の第1班を終えて、受講者の事後評価は驚くほど悪いスコアが出てしまいました。それほど低い評価はこれまでもらったことがなかったので、私は正直、戸惑ってしまいました。
 ですが、先方のご担当の方々はむしろ冷静な様子で、「いや、研修内容はこれでいいんです。内容を変える必要はありません」ときっぱり。「うちの社員はクセが強いので、響くところがたぶん特殊なんでしょう。内容の届け方だけの問題だと思いますから」と、その後、いろいろなアイデアを双方で出し合い、やり方を少し変えました。で、その後の班は見違えるほどに高評価に転じたのでした。
 私はこのときほど、研修講師と受講者の間にいる人財育成担当者の存在がいかに重要であるかを感じたことはありません。担当者にとって、
 

 ○私はこの研修コンテンツ・プログラムをあまたある中から選定した。
 ○うちの社員の傾向性はどんなで、
 ○今回の研修を通し、どういうメッセージを受け取ってほしいか。
 ○そのためにはどういうやり方が有効か。

ということが明快に押さえられている状態において、研修はすばらしいものになります。担当者の「想い・観」が据わっていればいるほど、研修講師はそれに乗せられる形になります。研修講師も社員受講者も、よい意味で、担当者の掌(たなごころ)にある状態は理想ともいえます。
 大企業という組織で、人事・人財育成に関わる仕事というのは、ある一時期に任される業務であることも多いのが実情です。ジョブローテーション制度の中で、担当者は移り変わっていきます。そうした中で、人の教育に関し、「想い・観」を据えた“目利き”である担当者がどれだけいるでしょうか。
 幸い、個人事業体として職人的にやっている私にお声掛けいただく担当の方々は、ほとんどが「想い・観」の強い人たちです。

 ものの売り買いにおいては、どこか双方がにらみ合い、損得上の駆け引きとか、化かし合いがあるものです。ところが、私の携わっている研修サービスにおいては、買う方と売る方のそうしたギトギトした交渉はほとんどありません。サービスの最終ユーザである受講者に対し、講師も担当者も、どんなよい“学びの場”を提供することができるのか。その一点に向けて、「想い・観」でつながる関係のように思います。

 私のキャリアの流れの中で、自然のうちにたどりついた人財教育・研修サービスの世界ですが、本当に気持ちのよい有難い世界に来たものだと感じています。今後もよい担当者、よい受講者と出会っていきたいと思います。そのためには自身の発信内容・発信力こそが肝腎なのでしょう。環境という外側からの反応は、すべて自分の内にある「想い・観」に応じて表れるものですから。

 

 

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