2008年6月 5日 (木)

『フロー』:心理学者の説く“仕事の楽しみ”

きょう触れるコンセプトは「フロー」です。
カネやモノの「フロー」(流通)ではなく、
心理学者、チクセントミハイが言及した幸福の心理状態である「フロー」です。

彼がそれを最初に世に広めた1975年の著書
『楽しむということ』(原題:“Beyond Boredom and Anxiety”)の
「第一章:楽しさと内発的動機づけ」は、次のように始まります。

「金銭、権力、名声、それに快楽の追求が支配的な社会にあって、
明確な理由もなく、これらすべてを犠牲にしている人々―――――
例えば、ロック・クライミングに生命を賭ける人々、芸術に生活を献げる人々、
チェスに精力を費やす人々など―――――
がいるということは驚くべきことである。
なぜ、彼らは楽しみの遂行という捉えどころのない経験を得るため、
物的報酬を自らすすんで放棄するのであろうか。・・・・」

◆フロー=没頭している時の“あの空白な感じ”
チクセントミハイの著した要点は次のようなものです。

・人は行為そのものの中に見出した楽しさに動機づけられて行為する時、
 人は自信、満足、他者との連帯を増加させる。
 もしその行為が外からの圧力または報酬によって動機づけられるならば、
 彼は不確実性、欲求不満、および疎外感を経験する。

・人がその行為の中に楽しみを見出し、その楽しみ自体がその行為の
 最大の動機かつ報酬になっている場合を「自己目的的」と呼ぶ。

・そうした自己目的的活動に全人的に没入しているときに
 人が感ずる包括的感覚を「フロー」と呼ぶ。

◆フロー下では外発的動機が弱まる
「フロー」の状態がいかなるものか、
チクセントミハイは自己目的的活動に没頭する人々のインタビューから
巧みな表現で書き表しています。例えば、

ロック・クライマー:
「自分の身のまわりに起こっていること、つまり岩や、手掛かりや、体の正しい位置を探り出す動きに浸りきってしまいます―――すっかり夢中になっているために、自分が自分であるという意識がなくなり、岩の中に溶け込んでしまうのです。・・・・ある意味ではほとんど自我のない状態になって、どういうものか、考えることなしに、また全く何もしていないのに、正しくことが運ばれる、とにかくそうなってしまうのです」。

ダンサー:
「(踊っている最中には)大きなくつろぎと静けさが私を包みます。失敗することなど考えません。それはとても力強く暖かい感じなのです。私は拡がっていって、世界を抱きしめたいんです。優雅で美しい何かを生み出す、巨大な力を感じます」。

チェス・プレイヤー:
「最も報いの多いのは対局であり、知的な卓越性を誰かと戦わせることからくる満足です。私はトロフィーやお金をもらいました。でも、チェス協会への登録料などを考えると、たいていは持ち出しになっているのです」。

こうしたことから、自己目的的活動の特徴をチクセントミハイは、

その活動は絶えず挑戦を提供する
 これらから起こることや起こらないことに対して、退屈や心配を感ずる時間がない。
 このような状況の下では、人は必要とする技能を、それがどのようなものであれ、
 フルに働かせることができ、自分の行為から明瞭なフィードバックを受け取る。
 従って彼は筋の取った因果の体系の中にあり、
 そこで彼が行なうことは現実的で予想可能な結果を伴うことになる。
 その結果、自分は不可知の力によってもてあそばれているのではなく、
 自分自身の運命を支配しているという感じを経験する
 そのとき、もはや物的・金銭的な報酬を主とする外発的動機は
 極めて低い割合の存在になる

***********

◆フローとは「砂場魂」
もちろん、「フロー」に似た概念はほかにもあります。

古くは、荘子が「遊」という概念を使っていました。
また、欲求5段階説・自己実現でおなじみのエイブラハム・マスローは
これを「至高体験」(peak experience)と名づけています。
加えて、トム・ピーターズは、「砂場魂」と呼びました。

以下は、トム・ピーターズの書き表しです。

 「遊びとは真剣なものだ
 砂場で真剣に遊んでいる四歳の子供を観察してみればわかる。
 私はその真剣さを『砂場魂』と呼びたい。

 ・・・・遊びはすごいパワーを秘めている。
 自分を信じ、肩の力を抜き、誰の中にも眠っている豊かな創造力を解き放てば、
 自分のおそるべき才能を発見するだろう。
 遊びはいい加減にやるものではない。真剣にやるものだ。
 ウソだと思うなら海辺で砂のお城を作っている子供を見てみるといい。
 まさに一心不乱、無我夢中・・・。
 作り、壊し、また作り、また壊し・・・。
 何度でも作り直し、何度でも修正する。ほかの物は目に入らない。
 ぼんやりよそ見をしていれば、お城は波にさらわれてしまう。失敗は気にしない。

 計画はいくら壊してもいい。壊していけないのは夢だけだ
 夢づくりは楽しい。思いっきり楽しもう。
 やってみよう。作ってみよう。気に入らなければ叩き壊そう。そしてもう一度作ろう。
 そうして人間は成長していく。遊びながら・・・」。

  (『セクシープロジェクトで差をつけろ!』より)

また、岡本太郎の本が手元にありますので、
そこからも一節。

 「芸術というのは認められるとか、売れるとか、
 そんなことはどうでもいいんだよ。
 無条件で、自分ひとりで、宇宙にひらけばいいんだ」。

  (『壁を破る言葉』より)

◆成果主義の敗因
つまりチクセントミハイは、
働き手が、自分の仕事を自己目的化でき、その行為の中でフローの状態を獲得するとき、
無限に内発的動機が湧き上がり、よりよき仕事ができるといい、
そうなるともはや仕事(労役)と遊びの区別はなくなるといいます

そして、賞罰、いわゆるアメとムチによる外発的動機づけは、
最終的に人を疲弊させると説きます。
また、物的報酬はゼロサムの配分であって、原資が有限であるため
実施に限界がくることも指摘しています。

いわずもがな、
昨今の成果主義は、もっぱら、この外発的動機を全面的に押し立てて、
定量的な競争を強要したところに問題がありました。

**********

◆やらされ仕事をどう変えるか
誰しも、自分を没入できる楽しみを仕事の中に見出し、
フローを経験したいものですが、
組織から与えられる“やらされ仕事”を、どう自己目的化できるというのでしょうか?

私は、この問題の解決には、
個人の意識を変えることが半分、
組織の意識を変えることが半分、必要だと思います。

○まず、個人の意識について:

どんなやらされ仕事にも、楽しみや喜びは見出しうる、
どんなささいな仕事にも、進化や創意工夫の余地は無限にある
といった仕事意識を各人が立てることでしょう。
それが、プロというものです。

演劇の世界には
「小さな役はない。小さな役者がいるだけだ」
という言葉があるとおりです。

○次に、組織の意識について:
「ジョブ・デザイン」とは職務設計のことですが、
現在の多くの事業組織において、
ジョブ・デザインは単に、業務の分業をどう個人に割り振るかだけの
「ジョブ・ボリューム分け」と「ジョブ・レベル分け」になっている感があります。

「ジョブ<ジョイ>デザイン」はどう可能なのか?
「ジョブ<バリュー>デザイン」はどう可能なのか?
「ジョブ<クリエイション>デザイン」はどう可能なのか?
「ジョブ<イノベーション>デザイン」はどう可能なのか?・・・
その仕事・業務にまつわる心的・価値的な考慮がほとんど放置されている状況のような気がします。

おそらくこれは組織文化という中長期の辛抱強い習慣づけのプロセスによってのみ
可能になる問題ではないかと思います。

「仕事とは、上からの押し付けではなく、自分に対してのチャレンジ」
一社員が平然と言ってのけるシスコの組織風土。

「いろいろと失敗しなければ、そもそもその製品技術に出くわすこともなかった」
積極的失敗を奨励する3Mの企業文化。

「他人のもの真似はしたくない」というホンダのものづくり精神。
「カイゼン、カイゼンまたカイゼン」といったトヨタの現場思想。

こうした個と組織の善循環が始まれば、
仕事でフロー経験をする人の割合が増えてくるでしょう。
もはやそうなれば、内発的動機を主とし、外発的動機を従とする
健全なモチベーション構造の組織がみえてきます。
(現実は、さほど単純で簡単ではないことは承知していますが)

◆フローな仕事人=「遊ぶように働く人」
チクセントミハイは言います。

 「(外発的動機という)人間の生物学的性向を利用する
 社会的に条件づけられた刺激/反応のパタンに従っている限り、
 我々は外から統制される。
 我々は身体の命令からも独立し、
 心の中に起こることについて責任を負うことを学ばねばならない」
と。

私たちは、努めて
外発的動機に生物的に振り回されず、
自主・自律的に、
みずからが仕事の中に内発的動機をつくりだせる働き手になりたいものです。

その究極の姿は、「遊ぶように働く人」です。
たぶん可能だと思います。

*参考文献
・M・チクセントミハイ『楽しむということ』(今村浩明訳)思索社
・M・チクセントミハイ『フロー体験喜びの現象学』(今村浩明訳)世界思想社

2008年6月 4日 (水)

『アクティブ・ノンアクション』:不毛な忙しさ

このブログでも以前に紹介した本
『リーダーシップの旅 見えないものを見る』
(野田智義・金井壽宏著、 光文社新書)の中で、
気になる言葉を見つけました。

それは、『アクティブ・ノンアクション』(active non-action)です。
行動的な不行動、不毛な忙しさ、
多忙ではあるが目的を伴う意識的行動をとっていないこと、
の意味を含んでいます。

このコンセプトは、もともとは、
哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカが言及した『busy idleness』
(あくせくしながらも結果として何もしないこと:怠惰な多忙
を起点にしているのだそうです。

セネカが約2000年前の人物だということを考えると、
人類の“不毛な忙しさ”問題は、古今東西を貫く一大問題なのかもしれません。

確かに私たちのビジネス生活は
多忙さに追い立てられ、それが止むことがありません。
でも、1日、1ヶ月、1年、3年を振り返ったとき、
何か本当に意義のあることを成しえているのか・・・・?

忙しく立ち振る舞っているだけで、
何か仕事をやって気にはなっているが、
世の中にとってどうでもいいようなことを
単に処理していただけではないか。。。。

私が4年前にサラリーマンを辞めて、独立を決心したのも
実はこの“不毛な多忙さ”生活に辟易したからです。

最後に勤めた会社は、国内では最大規模のIT会社で
そこで管理職をしていましたが、
雑多な指示与え、決済メールの山、
会議のハシゴ、
上部への根回し・プレゼン、
予算管理、労務管理、等々で、
きょうもアウトルックのスケジュールには、
部下からどんどん予定がほうり込まれてゆく。
根本的に意義ある事業を企画して、創造したりする時間が捻出できず、
大会社という機関車を止めずに走ることだけの
管理業務に振り回される日々。

「これでは自分の人生時間がもったいない」
と内なる叫びがこだまし、今日に至っているわけです。

独立後の仕事の日々も、忙しいことにかわりはありませんが、
不毛でないところが、重要な変換点だと思います。

自分が描いた目的のもとに、忙しいのか
(目的=目標+意義・意味)
それとも、
ただ他者に使われるままに忙しいのかでは
中長期のキャリアにおいては、天地雲泥の差ができてきます

金井教授は、冒頭の本の中で、さらに
「忙しいから絵が描けないのではなく、描けないから忙しいだけだ」
とのフレーズを紹介しています。

また、関連するコンセプトとして、
ノーベル経済学者ハーバード・A・サイモンの
『計画のグレシャムの法則』もあげられます。

これはご存知「悪貨は良貨を駆逐する」という
有名なグレシャムの法則をサイモンが応用したもので、
「ルーチンな仕事はノン・ルーチン(創造的)な仕事を駆逐する」
というものです。

“忙しさ”―――-これは、けっこうな問題です。

2008年5月27日 (火)

これからの大事な人財要件3<自律した強い個>

要件3【自律した強い個」のマインド】=


私は人財をみるとき3つの層に分けてみるようにしています。


【第1層】どんな「知識・技能(スキル)」を持っているか

【第2層】どんな「行動特性・態度・習慣」で行動しているか

【第3層】どんな「観・マインド」で、自らのあるべき仕事・人生を考えているか


つまり上から順に、have要素、do要素、be要素で人財をみるわけです。

これまで、人事の世界では、主に人財をhave要素、do要素の2つで

事細かに要件を出してとらえてきました。

しかし、これからは、第3層の「be」要素にもしかるべき視線を入れて、

その人財をとらえ、育成する必要がある、それが今回のこの記事の中心軸です。


で、働き手に、よき人財として、第3層(be要素)に何を求めるか――――

1つは先に言及した「賢慮・美徳」性、

そしてもう1つは、「自律マインド×個として強いこと」です。


よき人財というものは、

組織に雇われていようがいまいが、

チームで仕事をしていようがいまいが、

自分が平社員であろうと、管理職・経営者であろうと、

結局のところ、


・一人で考える時間をつくり

・一人で決断し

・一人で率先し

・一人で組織と向き合い、一人で顧客あるいは社会と向き合い

・一人で自らの仕事をつくりだし

・一人で責任を負う覚悟をし

・一人で仕事の完成を目指す  働き手です。


仕事を真に極めていくことは、必然的に「孤独」という状態を引き込んでいきます。

また「孤独」でなければ本当の深い仕事はできません。

(注:「孤独」であって、「孤立」ではありません)


真のプロフェッショナル、真の経営者を見つめれば、それは実に孤独なものです。


ゲーテは、

「何か意味あることは、

孤独のなかでしか創られないことを私は痛感した」と言い、

また、ソローは、

「ものを考える人間、働いている人間はどこにいようとも孤独である」

と言いました。


この孤独に耐え、孤独を基盤とし

(哲学者・池田晶子の言う“「零地点の孤独」を知る”)、

孤独を楽しみにさえする。

そして、外にはそんな孤独をみせずに、

周囲と調和をはかり、周囲を動かして、仕事を成していく――――

これが自律した「個として強い」人財です。


しかし、それとは逆に、人事担当者の若手・中間管理職をみる目には心配事が多い。


・業務命令の意図を理解し、それをソツなくこなすことはできる。

だが、仕事をつくりだすことができない。

・事業や組織への不満や批評を口にすることは多い。

だが、それを変えようとする意気はない

・3人寄っても文殊の知恵が出ない。誰もが周囲の出方をうかがって、

自分の意見を言わない。無難で平板な論議しかできない。

・経営からの情報・意思を単に現場に下ろすだけの

“伝言型”中間管理職が多い。そして、

自らの意見を上に返すこともなく、また、自らそしゃく・増幅して

下に伝えるわけでもない。

・「その仕事において、そう行動する理由はなぜだ?なぜだ?なぜだ?」・・・

と問うていけば、結局、「組織がそう求めたから」という答えしか出てこない。

・現状の事業・仕事のやり方・あり方は明らかに組織都合のものである。

決して顧客目線にはなっていない。しかし、それを変えることは面倒だし、

失職のおそれすらあるので容認してしまう。

・(本人の意識は薄いが)組織外の場に出ると、

やたら「●●会社の●●(役職)でござい」というオーラで立ち振る舞う。

また、他の人間をみる場合に、何よりも会社名や役職で判断し、

その尺度から離れられない


・・・このように働き手が「個として弱い」がゆえに起こってくる症状は

さまざまあります。


私は、企業や地方自治体の従業員・職員に対し、

自律マインド醸成のための研修を行なっていますが、

多くが「個として強くなっていない(=個として弱いままの)」現状を感じます。


私は研修の中で、

・「で、あなた自身はどう考えますか?」、

・「組織や経営者の考え方の受け売りではなく、

この事業に関するあなたの意見・判断は何ですか?その根拠はなんですか?」、

・「あなた自身が、顧客と世間の前に出て全説明ができますか?」、

・「あなたは何者ですか?名刺なしに語ることができますか?」、

・「明日から一個のプロフェッショナルとして、自営で生きていくことができますか?」、

などの目線から問いを発し、各自の「個としてひ弱な」就労意識にカツを入れます。


アランの『幸福論』#89に、次のような一節があります。


「古代の賢者は、難破から逃れて、すっぱだかで陸に上がり、

『私は自分の全財産を身につけている』と言った」。


こうした「個」として毅然とした人財こそが、これからの時代に大事な人財です。



*********

<補足>


雇用組織にぶら下がるでもなく、雇用組織の威を借りるでもなく、

他者や世間の流れに付和雷同することなく、

一個の職業人として悠然と仕事を成していく―――――

そんな「個として強い」働き手は、充分に「孤独感」を味わいます


ですが、それは決して「孤立感」ではありません


世の中には、「個として強く」働くがゆえに、

その孤独感を理解している人たちがたくさんいます。


で、そうした人たちは、心の深い次元でつながります


糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページにあるあの名文句:

Only is not lonely.  が示すとおり、

能あり志ある「個」は、共振し、連帯し合い、コスモスを形成します


また、古今東西の偉人の書物に触れるとき、

それを“身読・心読”(身で読み・心で読むこと)できるがゆえに、

時空を超えてピーンとつながることができます。

決して孤独ではないのです。




*参考文献

野中郁次郎・紺野登『美徳の経営』、NTT出版、2007

アラン『幸福論』(白井健三郎訳)、集英社文庫

2008年5月26日 (月)

これからの大事な人財要件2<賢慮・美徳性>

【信州・蓼科発】

5日間の「信州キャンプ」も最終日。

きょう、八ヶ岳西麓はよく晴れました。これぞ高原の爽快な初夏の気候です。

こういう日は、オープンエアの臨時仕事デスクをこしらえます。

木陰にキャンプ用のテーブルとイスを出し、

ノートPCに向かって原稿を書くもよし、

本を読むもよし、

昼寝をするもよし。

02004_2
*ピクニック感覚で外に繰り出し、仕事をする。それもアリです。

おにぎりやお茶、お菓子も持っていけば、けっこう楽しい仕事になりますよ。

近くの公園で一度試してみるのをおススメします。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

さて前回から、私が思うこれからの時代の大事な人財要件3つを紹介しています。

それら3つとは、

1)「コンセプト創造」性

2)「賢慮・美徳」性

3)「自律した強い個」のマインド   です。

今回は、2番目について触れます。


=要件2【賢慮・美徳性】=

人財要件として、そもそも、賢慮とか美徳性などという言葉を持ち込むことに

何か違和感を持つ人もいるでしょう。


しかし私は、あえていま、

1人1人の働き手(一般従業員、管理職層、経営者)

「賢慮・美徳」性を問いたいと思っています。


なぜならひとつには、それをあえて指摘せねばならないほど、

働く上での倫理・道徳が世の中あげて壊れかけている状況があること。

これはネガティブサイドの観点。


もうひとつには、ポジティブサイドの観点として、

結局、よりよく働く、真に優れた仕事を究めるということは

賢慮・美徳を元とする「道」を志向することにつながってくるからです。


ところで、

“暗黙知”や“形式知”を世に広めた

『知識創造企業』、『知識創造の経営』などの著作で知られる

一橋大学の野中郁次郎名誉教授の近著タイトルは、『美徳の経営』です。

教授が経営の核心を“知識”から“美徳”へと

踏み込んでいった点は注目に値します。


その著書によれば、

・経営はすでに「質の時代」に入っている。「量の時代」のピークは過ぎた。

・グローバルに経営の知のあり様が変化している。

 米国式経営や戦略に限界がみえ、そこにはより深い批判的視点が起きている。

企業倫理やCSR、さらには、芸術的なリーダーやデザインへの関心などは

その表れである。

・新たな時代に求められる経営の資質は「美徳」である。

 美徳とは、「共通善」(common good)を志向する卓越性の追求である

この美徳を実践に結びつけるための知が「賢慮」である

 賢慮は論理分析的なノウハウではない。

理想と現実の矛盾を超えて実践するための高質な暗黙知である。


この本は、美徳や賢慮といったものを

主に経営者やリーダーに求める角度で書かれているわけですが、

私はすべての働き手に求めていいものであると思います。

なぜなら、働く上での賢慮・美徳性といったものは、

いきなり身につくものではなく、

職業人になると同時に(もっといえば、生まれたときから)

その涵養が行わなければならないものですし、

また、昨今の企業や官公庁などの不祥事をみても、

それらは一介の社員・職員が倫理観なく起こしたもの、

あるいは、たとえ「悪いとは知りつつ」も、

経営者の暴走や組織の慣行を容認して結果的に加担したものが多いからです。


これからの時代の、真に優れた人財を考えるとき、

業務処理能力が高く、量的な成果をあげることに長けている、

という単線的な評価ではいけないと思います。


その組織・事業にとっての「共通善」とは何か?

顧客との間の「共通善」とは何か?

社会との間の「共通善」とは何か? ということに照らして、

仕事の目標や目的を考えることができ、日々の業務の営みに卓越性を求める

―――――つまり働く地盤に、賢慮・美徳性を敷いているか、

そんな目線も同時に必要なのではないでしょうか。


ひょっとすると、これからの時代の「人財に優れた組織」というのは、

「ハイ・パフォーマー」(high performer)を

どれだけ抱えているかということよりも、

組織員をあまねく

「バーチュアス・ワーカー」(virtuous worker:徳心ある働き手)として

押し上げ、

「共通善」の元に求心力を保持している組織ではないかと思います。

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2008年5月25日 (日)

これからの大事な人財要件1<コンセプト創造性>


【信州・蓼科発】

初夏の仕事キャンプ4日目。

蓼科地方は昨日の午後から雨。きょうもたっぷり降りました。

観光であれば恨めしい雨なんですが、

私の場合、部屋の中で雨音を聞きながらの執筆仕事もまたいいものです。

新緑も5月の慈雨を受けて、つやつやしています。

そして、仕事合間に露天温泉に浸かりに行く。

仕事は天候にかかわらず順調です。


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*部屋の窓からは緑がまぶしい。今日は奥蓼科温泉に:「渋辰野館」の湯はいいです!

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、本日の話題。

きょうから3回シリーズで、これからの時代の働き手に求められる大事な要素について書いていきます。


組織人事の分野では、「人財要件」(あるいは「人財スペック」)という語がよく使われます。

人財の採用・登用にあたって、どんな要件を満たすことを求めるか、ということです。

この人財要件とは、主に、能力・資質面のことを考えるわけですが、

近年はその分類がどんどん細分化しています。


例えば技術系の職種であれば、どんな種類の技術的技能・資格・知識を、

どのレベルまで有しているか、

管理職であれば、PL/BSは読めるか、

コミュニケーション能力、リーダーシップ能力はどの程度か、

また職能等級を1段階上げるには、どの能力をどの程度まで上げる必要があるか、

など、ともかく人事担当者は細かなマトリックス表をつくって

人財の要件管理を行なうわけです。


これはこれでなくせないものであると思いますが、

ただ、この流れのみで人財をとらえていくと、見失うものがあると私は感じています。


要件を細分化するだけではみえてこないもの

人財を見つめるにあたって、

もっと大きなゆるいくくりで

大元のところの要件を考える必要があるのではないかと思います。


そこで、私が考えるこれからの時代の大事な人財要件を3つ述べます。

これは私が日ごろ企業研修を行なって、

今の働き手(一般従業員、管理職、経営者のすべてを含む)の中で

脆弱化しているなと感じるものでもあります。


その大事な人財要件3つを先に紹介すると

1)「コンセプト創造」性

2)「賢慮・美徳」性

3)「自律した強い個」のマインド


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


要件1【コンセプト創造性】=


◆モノづくりの真面目さだけではダメな時代

この「コンセプト」という語は「概念」という訳語では狭くてしっくりこないので

そのまま英単語を用います。


ともかく、日本人はこの「コンセプト」の創造が下手な民族かもしれません。

乱暴な言い方を許していただければ、

日本人は古来より「モノづくりの民」です。

民族のコンピテンシーは繊細で器用な手先にある。

一方、アングロサクソン人は「コンセプトづくりの民」かもしれません。

新しい概念をつくって、仕組み化する、

そしてその胴元になって自らを潤すことに長けている。


日本人は一生懸命、「優秀なゲームプレイヤー」になろうとするが、

アングロサクソン人は、努めて、

「ゲームプロデューサー/オーナー」になろうとする。


これからの時代は、情報化社会から一歩進んで「コンセプチュアル社会」に移る。

また、「ハード/ソフトづくり」を超えて、

「コンテクスト(文脈)づくり」をうまく成し遂げた者

優位に立つビジネス世界となる。

そんな状況にあって、

個々の働き手に求められる人財要件のひとつは「コンセプト創造性」です。


自分が携わる分野の商品・サービスにおいて

・新しい概念を顧客に提案し

・それをビジネスモデルとして仕組み化し

・その仕組みや枠組みを他との競争の中で常に再構築していくこと


日々の業務で言えば、

・常に「サムシング・ニュー」を仕事に付加すること

 (=同じパターンの繰り返し業務で安穏としない)

・常に未来に仮説を抱き、そこに道筋をつけようと行動する

 (=過去の成功分析、後学問で仕事・事業がわかったような気にならない)

・人が普通考えないような角度でものを考える

・新しいキーワードをつくって人々を引き寄せる

・自分が担当業務の場からいなくなっても、業務が回るような仕組みを考える

・自分のアイデアを他者に発信する習慣を持つ

 (他者からのフィードバックを得たら、その後、修正アイデアを再発信する)

・新しいことを面白がる

などなど、さまざまあるでしょう。


ダニエル・ピンク氏が著した

『ハイ・コンセプト~「新しいこと」を考え出す人の時代』

(大前研一訳、三笠書房、2005年)は、まさにこれらのことを指摘した意欲作でした。


◆「答えのない時代」にどんなヒトが求められるのか?

ピンク氏は、

「これからは、創意や共感、

そして総括的展望を持つことによって社会が築かれる時代、

すなわち『コンセプトの時代』になる。

・・・・・・

『ハイ・コンセプト』とは、パターンやチャンスを見出す能力、

芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、

人を納得させる話のできる能力、

一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力

などだ。

・・・・

個人、家族、組織を問わず、

仕事上の成功においてもプライベートの充足においても、

まったく『新しい全体思考』が必要とされている」

と書いています。


この本の訳者である大前研一氏は、まえがきで次のように補足しています。

「要するに、これからは創造性があり、反復性がないこと、

つまりイノベーションとか、クリエイティブ、プロデュース、

といったキーワードに代表される能力が必要になっていくということである。

・・・・

『答えのない時代』のいま、世の中に出たら、知識を持っているよりも

多くの人の意見を聞いて自分の考えをまとめる能力、

あるいは壁にぶつかったら、

それを突破するアイデアと勇気を持った人のほうが貴重なのであると。


パソコンOS、インターネット、ネット通販、検索エンジン、Web2.0・・・

アメリカの国力は、こうした新しいコンセプトを次々に生み出し、

それを具現化し続けるところで維持されています。


一方、生真面目なモノづくりのみをコンピテンシーとする我が国は、

すでに黄色信号です。

(国レベルだけの話ではなく、個々の会社、個々の働き手においても)


日本民族は概して、コンセプト創造を得意としません。

しかし、まったくその能力がないかといわれれば、否です。


◆ニッポン人だって、すごいコンセプトを生み出してきた

商品先物取引というコンセプトは、大阪のコメ市場が世界の発端であるいいます。

千利休は類稀なるコンセプト創造者でした。

茶道というコンセプトを打ちたて、今日に続く美の様式を打ち立てました。


いわずもがな、ソニーは「音楽を持ち歩く」というコンセプトを

「ウォークマン」というハードに具現化させ、

現代人のライフスタイルをつくりました。

(ただ、その後、アップルにお株を奪われてしまっていますが・・・

それも、その後のコンセプト展開を怠けたということでしょうか)


また、任天堂の「Wii」の成功は、

家庭用ゲーム機のコンセプトを再構築したことにあります。

(かつての「ファミコン」は借り物のコンセプトの上の製品でした)


日本は、もはや「優れたモノづくり力」×「追従・模倣力」で

やっていく国ではなくなっている。

これからは、「優れたモノづくり力」×「コンセプト創造力」でやっていくしかない。

しかし、それが掛け合わさったとき、ものすごい力が出せると思います。


さて、次回は、冒頭にあげた3つの人財要件のうち、

残りの2つ、「賢慮・美徳」「自律した強い個」について書くことにします。

02003b
*滞在宿の大きな窓のところの

一角を仕事テーブルとして使わ

せていただく

なお、信州キャンプの模様は間近に特集記事としてアップの予定です。

過去の記事を一覧する

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