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2012年3月26日 (月)

新社会人に贈る2012 ~キャリアは航海である


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   2012年春、社会人になって職業に就かれるみなさん、おめでとうございます。
   その門出にこの記事を贈ります。


   私たちは一人一人、何かの職業を選び、1年、5年、10年、20年とかけて、職業人生を歩んでいきます。その間、どんな種類の仕事をしたか、どんな経験を重ねたか、どんな役割を果たしたか、どんな成果を残したか、これら全部をひっくるめて「キャリア」と呼びます。キャリアとは簡単に言えば「仕事を通しての生き様」「職業を通じて織っていく人生模様」です。いずれにしてもそれは、みなさんお一人お一人のオリジナルなもので、尊いものです。

   キャリアは航海に喩えることができます。航海に大事なものを考えることによって、この先、自分らしくキャリアを歩んでいくために何が必要か、が見えてきます。

   さて、航海に大事なものは何でしょうか? 
私は次の3つを挙げます───「船・羅針盤(コンパス)・目的地入り地図」
その3つをキャリアに当てはめるとこういうことです。

 

1)知識・能力を存分につけて自分を性能のいい「船」にする
       =「自立」的になる

2)どんな状況でも、自らのぶれない判断を下せる羅針盤を持つ
       =「自律」的になる

3)地図を持ち、職業人として目指すべき「目的地」を描くこと
       =「自導」的になる

 

  では、それぞれについて詳しくみていきましょう。


◆「船を造れ」~まずはきちんと能力・経済力・体力をつける
   まず、航海になくてはならないものは何といっても「船」です。みなさんはこれから大海原に出ようとするときに、手漕ぎのゴムボートがいいですか、それとも馬力の強いエンジンを積んだタンカーがいいですか?───答えはいわずもがなですね。性能がよく、頑丈にできている船がいいに決まっています。
   キャリアにおいて船は誰かが用意してくれるものではありません。船はあなた自身です。これから長く続くキャリアの旅路を渡っていくためにまず大事なことは、自分という船の性能を高め、強いハードウエアを持つことです。すなわち、仕事に関わる知識や技能を積極的に身につけること、ライフステージに従って生活をきちんと維持発展させていくための経済力を保つこと、そして健康管理に気を配るということです。

   知識や技能には、ビジネスマナーやパソコンスキル、語学のように基盤的なものもあれば、職種や業界に特有の専門化したものもあります。また、マネジメント関連やリーダーシップ関連のように横断的で高度なものもあります。さらに、自分という船を特徴づけるためには、行動特性(コンピテンシー)を強めていくことも大切です。例えば、思考の柔軟性がある、交渉力に長けている、チームビルディングがうまい、ストレスマネジメントができる、などです。
   こうして一職業人として、他に依存することなく、能力的にも経済的にも独り立ちすることを「自立」と言います。まずは自分という船体をしっかり造る=自立することが、入社後、数年間の第一のテーマです。


◆「羅針盤を持て」~自らの律で物事を評価・判断する
   入社してしばらくは、処理的な仕事を任されることが多いでしょう。処理的な仕事は、段取りを覚えて、ミスなくきちんと、能率的にこなす業務です。これは真面目さと根気さえあればこなせます。ところが、そのうちに担当する仕事もだんだん難度が上がり、複雑さが増してきます。すると、仕事の現場や事業の世界には「正解がない」問いがたくさんあることに気がつくでしょう。ですから、ある段階からは「正解をつくりだす」ことが求められるようになってきます。そうした仕事をやっていくには、自分自身が物事の評価や解釈をし、選択・判断をし、意思を持つことが不可欠です。

   実はこのことが仕事のなかで最も難しいことなのです。どんな情報、どんな状況に接しても、ぶれない評価や判断ができ、意思を貫ける───これがつまり、「羅針盤」を持つということです(羅針盤はどんな場所に置かれても、常に針が北を指す)。
   羅針盤を持つとは、言いかえると、「自律的」になることです。自律の「律」とは、規範やルールといった意味です。自分の律に照らし合わせて行動を起こす、仕事をつくり出すというのが、入社数年後から求められる第2のテーマです。

   自らの律につき、1つ注意点があります。自律は“我律”であってはいけないということです。自律的な判断というのは、組織や社会の中で正当に受容され、かつ、その人独自の主張やアイデアを含んでいることです。他方、我流は、周囲の意見を軽視したり、意固地に主張したりするときが多く、気分によって移ろいやすいものです。自律的に振舞うとは、俺様流にやることではありません。

   ですから、他者や組織からも信頼される律・羅針盤を醸成するためには、時間も努力も経験も必要です。一番は、社内外問わず、「大きな働き方・生き方」をしている人の姿に触れていくことです。こうした模範とすべき人を「ロールモデル」と言いますが、私たちがそこから学ぶべきは、彼らの具体的な行動の奥にある仕事観や哲学です。羅針盤や律をどうすべきかは、ハウツー的・マニュアル的に学べるものではなく、感化され啓発され、自分で醸成させていくしかないからです。

  また同時に、仕事現場でさまざまな人間関係や意見の対立にもまれたり、経営者・上司からの理不尽な命令や、つじつまの合わない独断を経験したりする中でも、自分の羅針盤づくりは鍛えられます。優れて自律的な人は、こうした多様な意見の中から、「コモンセンス(良識)とは何か?」、「コモングッド(共通善)とは何か?」を自分なりに見出していく人です。

   自分の律・羅針盤をつくるために、個人の習慣としてできることは、例えば次のようなものです。

 

□他論・異論にあえて触れる
    ・図書館に行って普段行かない棚の本を読む
    ・新聞記事を隈なく読む(特に社説)
    ・苦手な分野のドキュメンタリー番組を観る

□そしてそれらの内容を自分なりの角度を入れて考える
    そのときのポイントとして:
   1)YESかNOか(賛同か反対か)を表明する
   2)「なぜなら~だから」と理由づけする
   3)その理由づけの基底にある価値観を考える
   4)自分が当事者なら、どう行動するかを考える
        (=単なる批評に終わらせない)

□「意見を書く・出す」を日課にする
    ・ブログで発信する(ツイッターのようなつぶやきは除く)
    ・会議では必ずアイデアを言う
    ・他者からの反応を注意深く受け止める

□座右の書を持つ
□理想とする人物を持つ
□働く上での信条・モットーを書き出す

 

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◆「地図に目的地を描け」~一職業人として何者でありたいか
   さて、航海において、船を造りました、羅針盤も持ちました。で、どこを目指すのですか?───これが3つめのテーマである「地図を持ち目的地を描く」です。
   実際の航海であれば、どこを目的地にするかというのは当たり前のことです。目的地の定まっていない船にみなさんは乗りますか。ところが、キャリアという航海で、目的地を決めている人は、実は少ないのです。ほとんどいないと言っていいかもしれません。ちなみに、職場に配属された後、先輩社員や上司に、職業人として何を目指しているか、将来的にキャリアをどうしたいかを訊いてみてください。おそらく明快に答えられる人は少ないでしょう。

   会社という組織に入ると、全社事業目標という計画があり、そこから仕事は細かに分業され、各自が果たすべき業務の量や質が決められます。それをきっちりこなしていけば、組織から評価され、昇進があり、給料ももらえます。いわば、働くべき量と質は組織の枠の中で決められ、与えられるものになります。
   そうしたことに毎年毎年慣れていくと、ついぞ、自分が一職業人として何を目指すべきか、仕事を通し社会に何の価値を届けたいか、組織の肩書きをはずして何者でありたいか、などを考えなくなってしまうのです。つまり、悪い意味で会社員という狭い世界に意識が閉じてしまい、個人としてたくましく広い世界に意識を開いていかないのです。目的地を描かない航海とはこういうことです。
   サラリーマンという働き方は、目的地を描かずとも、定年まで勤め上げることができます。それはそれでひとつの姿ではあります。ですが、組織という守られた湾の内で船を漕いでいた人が、いざリタイヤとなって、余生という名の本当の大海原に放り出されたとき、はたして人生の最終目的地を描けるかどうか……これは覚悟しておかねばなりません。

   とはいえ、組織の中にいても、立派に個人として目的地を描き、そこに向かっている人はいます。是非、そうした人を見つけて、よい刺激を受けてください。そうした人は、仕事上の大いなる目的(夢や志)を持っています。その目的を成就するために、会社という組織をよい意味で手段として使い、舞台として踊っています。そして、社内外の多くの人たちと一緒にプロジェクトという名の思い出をたくさんつくっています。おそらくその人は、定年を迎えたときに、「ライフワーク」を見つけていて、定年後も一個人としてそれを楽しむにちがいありません。


◆「内なる声」によって自らを導く
   目的地を描くとは、言いかえれば、抗し難く湧き起こってくる「内なる声・心の叫び」によって自分を導いていくことです。それを私は「自導」と呼んでいます。
   20代は特に目的地を考えずとも、ある程度“勢い”でキャリアを進んでいけるものです。しかし30代に入ると、キャリアが停滞したり、漂流したりすることが起こってきます。このときにうまく「自導」できる人と、できない人の差が出始めます。それは、詰まるところ自身の「内なる声・心の叫び」を聞き取り、勇気をもって行動に移すかどうかの差です。

   1番目の「自立」も大事ですし、2番目の「自律」も大事です。しかし、キャリア・人生の分岐点をつくるという意味では、この3番目の「自導」ができるかどうかが、一番大事なことです。
   この記事を読んでいる方のなかには、最初の就職先が上位に志望した会社ではなく、どちらかというととりあえず入社できた会社という人もいるでしょう。そして一流と言われる企業に就職した人たちをうらやましく思っているかもしれません。最初の就職会社というスタート地点も人生の分岐点であることは確かですが、それよりもはるかに大事な分岐点は、今後のキャリアの途上で「自導的」になれるかということです。

   結局、自導的でない人は、進むべき方向も意味も持っていないので、真の活気が湧いてこない、働く発露がない。逆に自導的な人は、状況がどうであれ方向感と意義を感じながら、地に足をつけて力強く働ける。しんどくても快活になれる。迷いがない。
   第一志望の一流企業に入っても、キャリアを漂流させたり、場合によってはメンタルを病んでしまう人はいます。一方、入社先は必ずしも志望の上位ではなかったが、その後、自分の仕事を通して目的や意味を見出し、溌剌と働き、実績を出してステップアップの転職をかなえる人もいます。

   キャリアは短距離競走ではなく、自分なりの表現で完走を目指すマラソンです。10年20年という時間単位で、自分をどう導いていくかという目線が必要です。ですから、決して焦らず、自分は一職業人として「何者でありたいのか」という“内なる声”に耳を傾ける意識を忘れずに持ってください。


◆「分析」より「想い描く」ことが大事
   さらに加えておくと、その“内なる声”は自己分析によって聞き取れるものではありません。評論家の小林秀雄は『文科の学生諸君へ』の中でこう述べています。───「人間は自己を視る事から決して始めやしない。自己を空想する処から始めるものだ」と。同様に、ウォルト・ディズニーは、「夢見ることができれば、成し遂げることもできる」との名言を残しました。

  自分を使って世の中に何を届けたいのか───それを想うこと、描くこと、願うこと、誓うこと、これが“内なる声”を聞くことです。アタマで分析するのではありません、胸をふくらませ、肚(はら)で決めることです。

   ひとたび、その“内なる声”を聞いて、大いなる目的を持てば、そこからエネルギーが無尽蔵に湧き上がってくるでしょう。そして、その目的地(最初は漠然とした目的方向・目的イメージでもよい)から逆算して、船体はこれで大丈夫か、船体のどこそこを補強する必要があるぞ、とか、もっと精度のいい羅針盤を持ったほうがいいぞとか、自立や自律を補強する意識も生まれてきます。キャリアという航海を力強く進めている人は、そうした「自立・自律・自導」を善循環させている人なのです。

   さて、みなさんの航海はいま始まったばかりです。長い旅路です。航海は決してラクなものではありません。しかし、「しんどいけど面白い」「厳しいけど楽しい」「苦しいけど充実感がある」───それがよい航海です。それぞれが、是非、よい航海をされんことを願っています。いつかどこかでお会いしましょう。  Bon Voyage!



* * * * *
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Ys bg03
東京都青梅市・吉野梅郷にて

 

2011年6月 5日 (日)

仕事の最大の報酬は「次の仕事機会」


Tambo 1105 
  今年も田植えの季節がやってきた。

  うちは東京都ながら隣地が田んぼである。
  5月下旬、朝方からディーゼルエンジンがうなりをあげている。
  仕事部屋の窓から下を見ると、農家の山口さんが耕運機にまたがりひと冬眠った土を掘り起こしている。
  水を張った田んぼには、カエルもツバメも、シラサギもカモも戻ってくる。
  ヤゴやザリガニも育つ。山口さん、今年もありがとう!




  大地は耕作者にさまざまなものを与える。

  春には耕作する喜び、そして耕作の技術。
  夏には収穫という希望。
  秋には収穫物を食すること。
  冬には安らかな休息。
  そして、忘れてならないのは、―――果実の中に忍び入れられた“種”。
  この種によって、耕作者は来年もまた耕作が可能になる。



* * * * *

仕事をしたとき、それがもたらす報酬とは何でしょうか?
「報酬」という言葉を辞書で調べてみると「労働に対する謝礼のお金や品物」と出てくる。
確かに、報酬の第一義はカネやモノです。
しかし、仕事が、それを成し遂げた者に対して与えてくれるのは、
そうした目に見えるものだけではなさそうです。
仕事を成し遂げることによって、私たちは能力も上がるし、充実感も得る。
それと同時に、いろいろな人とのネットワークも広がる。
そして、また次の仕事チャンスを得ることにもつながる。
そう考えると、よい仕事の報酬には、目に見えないさまざまなものもありそうです。
きょうは、仕事の報酬にどのようなものがあるか考えてみたいと思います。

◆目に見える報酬
【1:金銭】
金銭的な報酬としては、給料・ボーナスがあります。
会社によってはストックオプションという株の購入権利もあるでしょう。
働く者にとって、お金は生活するために不可欠なものであり、
報酬として最重要なもののひとつにちがいありません。

【2:昇進/昇格・名誉】
よい仕事をすれば、組織の中ではそれ相応の職位や立場が与えられます。
職位が上がれば、自動的に仕事の権限が増し、仕事の範囲や自由度が広がるでしょうし、
昇給もあるので結果的には金銭報酬にも反映されます。
また、きわだった仕事成果を出せば表彰されたり、名誉を与えられたりします。

【3:仕事そのもの(行為・成果物)】
モノづくりにせよ、サービスにせよ、自分がいま行っている仕事という行為自体、
あるいはみずからが生み出した成果物は、かけがえのない報酬です。
プロスポーツ選手は、その試合に選出されてプレーできること自体がすでに報酬ですし、
自分の趣味を仕事にして生計を立てられる人は、その仕事自体がすでに報酬です。
また、私はいま、この原稿を一行一行書いていますが、
この原稿がネットに上がって読まれたり、印刷されて一冊の本となったりすることは
とても張合いの得られる報酬です。

【4:人脈・他からの信頼・他からの感謝】
ひとつの仕事を終えた後には、協力し合った社内外の人たちのネットワークができます。
もし、あなたがよい仕事をすれば、彼らからの信頼も得るでしょう。
現在のビジネス社会では、たいていの仕事は自分単独でできない場合が多いですから、
こうした人のネットワークは貴重な財産になります。
また、よい仕事は他から感謝されます。
お客様から発せられる「ありがとう」の言葉はうれしいものです。


Seven housyu 



◆目に見えない報酬

さて、以上の報酬は、自分の外側にあって目に見えやすいものです。
しかし、報酬には目に見えにくい、自分の内面に蓄積されるものもあります。

【5:能力習得・成長感・自信】
仕事は「学習の場」でもあります。
ひとつの仕事を達成するには、実に多くのことを学ばなくてはなりませんが、
達成の後には能力を体得した自分ができあがります。
また、よい仕事をして自分を振り返ると「ああ、大人になったな」とか「一皮むけたな」
といった精神的成長を感じることができます。
その仕事が困難であればあるほど、充実感や自信も大きくなる。
こうした気持ちに値段がつけられるわけではありませんが、大変貴重なものです。
会社とは、給料をもらいながらこうした能力と成長を身につけられるわけですから、
実にありがたい場所なのかもしれません。

【6:安心感・深い休息・希望・思い出】
人はこの世で何もしていないと不安になる。
人は、社会と何らかの形でつながり、帰属し、貢献をしたいと願うものです。
米国の心理学者エイブラハム・マズローが「社会的欲求」という言葉で表現したとおりです。
仕事をする―――たとえそれがよい成果をもたらしても、もたらさなくても、
人は、仕事をすること自体で安心感を得ることができます。
また、よい仕事をした後の休息は心地よいものです。
そして、よい仕事は未来には希望を与え、過去には思い出を残してくれます。

【7:機会】
さて、仕事の報酬として6つを挙げましたが、忘れてはならない報酬がもう1つあります。
―――それは「次の仕事の機会」です。

次の仕事の機会という報酬は、
上の2~6番めの報酬(つまり金銭を除く報酬)が組み合わさって生まれ出てくるものです。
機会は非常に大事です。
なぜなら、次の仕事を得れば、またそこからさまざまな報酬が得られるからです。
そうしてまた、次の機会が得られる……。つまり、機会という報酬は、
未来の自分をつくってくれる拡大再生産回路の“元手”あるいは“種”になるものです。
「よい仕事」は、次の「よい仕事」を生み出す仕組みを本質的に内在しています。

報酬としてのお金は生活維持のためには大事です。
しかし、金のみあっても能力や成長、人脈を“買う”ことはできませんし、
ましてや次のよい仕事機会を買うこともできません。
そうした意味で、金は1回きりのものです。

◆年収額を追うと「わるい回路」に入る
「年収アップの転職を実現する!」―――人材紹介会社の広告コピーには、
こうした文字がよく目に付きます。
給料がなかなか上がっていかない時代にあって、確かに年収アップは魅惑的です。

ですが、現職を「給料が安いからダメだ」とか、
「年収を上げるためにここいらで転職でも」とか、そういった金銭的な単一尺度で、
長く付き合う仕事と会社を評価するのは賢明ではありません。

もし、あなたが金銭報酬的のみにほだされて、ある職を選び、
その職を実際行なってみた結果、面白みもなく、自分に何の能力向上もさせず、
ましてや次の挑戦機会も与えなかったとしたら、それは「わるい仕事」です。
「わるい仕事」は労役であり、それこそ、その我慢料として、
報酬はせめていい金額をもらわねばやってられない、という「わるい回路」に陥ります。

私たちは、金銭的報酬以外に吟味すべきことがたくさんあります。
そして優先順位を付けねばなりません。
第一に考えるべきは、何といっても「仕事そのもの」です。
そして、その周辺にはどんな「機会」があるかです。
特に20代、30代前半は能力や人脈を蓄積することが決定的に重要になる時期です。
より多くの「よい仕事機会」(=チャレンジングなプロジェクト)に加わっていくことが、
確実なキャリアの発展回路をつくりだします。

もちろん、不当に安い給料で我慢することはありません。
労働者の権利として正当な報酬は手にすべきです。
(従業員の経済的幸福を考えない会社、私欲に走る経営者は、早晩消えていきますが)

真に満足でき、自分を開いてくれる職業人生のために、
「先に年収額ありき」のキャリアではなく、
「よい仕事機会」に恵まれるキャリアを意識してください。
よい仕事機会には、よい人たちも集まってきます。
そして価値ある仲間と、価値ある仕事をさせてもらい、さまざまに成長していく。
そして気づいたら納得のいく年収が得られていた―――それで十分ではありませんか。


2011年3月29日 (火)

新社会人に贈る2011~人は仕事によってつくられる


Sakura04

 この4月から社会人となられるみなさんおめでとうございます。厳しい就職戦を乗り越えてひと安心したのも束の間、晴れの門出の直前に未曾有の大震災が起こりました。会社によっては入社式を自粛するところもあります。ほんとうに大変な時期のスタートとなりましたが、こういう時こそ、日本はみなさんの若い息吹を必要としています。きょうは餞(はなむけ)として次の3点をお話ししたいと思います。


 1)仕事は「機会(チャンス)」に満ちている
 2)大きな生き方・生き様に触れよ
 3)50歳になったとき「自分は何によって憶えられたいか」



◆「仕事」とは何か 
 
 みなさんは厳しい就職戦を乗り越え、晴れて仕事の舞台を得ることができました。新入社員研修を終えると、配属があり、そこからはいよいよ大切な仕事を任されることになります。そしてその仕事の成果でもって生計を立て、仕事の経験によってさまざまなことを学び成長していくことになります。社会人になるとは、言いかえれば仕事ともに人生を進めていくことでもあるのです。

 さて、職場に配属されればすぐに気づくでしょうが、私たちは日ごろ、「仕事」という言葉をよく使います。―――「この伝票処理の仕事を明日までに片付けておいてほしい」、「営業という仕事の難しさはここにある」、「課長の仕事はストレスがたまって大変だ」、「彼が生涯にわたって成し遂げた仕事の数々は人びとの心を打つ」。「そんな仕事はプロの仕事とは言えないよ」、「あの仕事ができるのは日本に10人といないだろう」。

 「仕事」という言葉は、意味的に大きな広がりをもっています。仕事は短期・単発的にやるものから、長期・生涯をかけてやるものまで幅広い。また、自分が受け持つ大小さまざまの仕事に対し、動機の持ち具合もいろいろあります。例えば、やらされ感があったりいたしかたなくやったりする仕事もあれば、自分の内面から情熱が湧き上がって自発的に行なう仕事もあります。そうした要素を考えて、仕事の面積的な広がりを示すと次のような図になります。

Sigoto hirogari

 明日までにやっておいてくれと言われた伝票処理の単発的な仕事は、言ってみれば「業務」であり、業務の中でも「作業」と呼んでいいものです。たいていの場合、伝票処理の作業には高い動機はないので、図の中では左下に置かれることになります。また、一般的に中長期にわたってやり続け、生計を立てるためから、可能性や夢を実現するためまでの幅広い目的を持つ仕事を「職業」と呼びます。

 営業の仕事とか、広告制作の仕事、課長の仕事といった場合の仕事は、職業をより具体的に特定するもので、「職種」「職務」「職位」でしょう。「生業・稼業」や「商売」は、その仕事に愛着や哀愁を漂わせた表現で、どちらかというと生活のためにという色合いが濃いものです。

 さらに仕事の中でも、内面から湧き上がる情熱と中長期の努力によってなされるものは、「夢/志」や「ライフワーク」「使命」あるいは「道」と呼ばれるものです。そして、その仕事の結果、かたちづくられてくるものを「作品」とか「功績」という。「彼の偉大な仕事に感銘を受けた」という場合がそれです。

 

◆その仕事は作業ですか? 稼業ですか? 使命ですか?

 ここで、訓話としてよく使われる『3人のレンガ積み』を紹介しましょう。

―――中世ヨーロッパのとある町。建設現場で働く3人の男がいた。そこを通りかかったある人が、彼らに「何をしているのか」と尋ねた。すると1番めの男は「レンガを積んでいる」と言った。次に2番めの男は「カネを稼いているのさ」と答えた。最後に3番めの男が答えて言うに、「町の大聖堂をつくっているんだ!」と。


 1番めの男は、永遠に仕事を「作業」として単調に繰り返す生き方です。2番めの男は、仕事を「稼業」としてとらえる。彼の頭の中にあるのは常に「もっと割りのいい仕事はないか」でしょう。そして3番めの男は、仕事を「使命」として感じてやっています。彼の働く意識は、大聖堂建設のため町のためという大目的に向いていて、その答えた一言に快活な精神の様子が表れています。

 日々月々やっていく仕事を、単なる繰り返しの「作業」ととらえるのか、給料をもらうためだけの「稼業」ととらえるのか、それとも、夢や志といったものにつなげていくのか―――各人のこの意識の違いは目には見えませんが、5年、10年、20年経つと、はっきりと人生模様そして人間性として外見に表れる形で差がついてきます。コワイものですよ。

 どうかみなさんは、みずからの仕事を大きな目的・意義につなげる意識を持ち続けてください。そうすれば仕事というのは、生活の糧を稼ぐ「収入機会」であるばかりでなく、自分の可能性を開いてくれる「成長機会」となり、何かを成し遂げることによって味わう「感動機会」となり、さまざまな人と出会える「触発機会」となり、学校では教われないことを身につける「学習機会」となり、社会の役に立てる「貢献機会」となり、あわよくば一攫千金を手にすることもある「財成機会」となります。

 仕事は、実に機会(チャンス)に溢れているのです。このような機会の固まりを、お金(給料)をもらいながら得られるのですから、会社とはなんとも有難い場所ではありませんか。

 社会人の先輩の一部には、仕事がつまらなくなると「仕事は仕事、趣味は趣味」と割り切り、「趣味で人生楽しめばいいや」という人がいます。しかしこれは少し残念な姿勢です。趣味を楽しむことが悪いというのではありません(私も自分の趣味を大いに楽しんでいます)。仕事という大切な機会を十全に生かそうとしない姿勢が残念なのです。

 作家の村上龍さんは著書『無趣味のすすめ』でこう言っています―――

 「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。


 みなさんはもう社会人になった。これ以降、あなたを職業人としてしつけ、鍛えてくれるのは親でも学校の先生でもありません。それは仕事です。仕事が、あるいは仕事に関わる上司や仲間やお客様が、あなたを成長させてくれるのです。どれだけ成長できるかは、どれだけ仕事に強く当たっていくかで決まります。是非、こぢんまりとまとまることなく、仕事にぶつかっていってください。「仕事とは人格の陶冶である」と心得てください。


◆生き方・働き方は人からしか学べない ~大きな生き方に触れよう

 突然ですが、ひとつ質問をします―――「あなたの尊敬する人は誰ですか?」。

 さて、みなさんは誰をあげたでしょうか。日本人の場合、この質問に対する答えは決まっています。答えの第1位は、ダントツで「両親(父・母)」です。これは近年変わりがありません。ちなみに、1位に遠く離された格好で、「先生」とか「兄弟」とか「イチロー」などが続きます。

 「なんだ、親子関係がギスギスしているような風潮で、安心できる結果じゃないか」と、一部の大人たちはうれしがっています。しかし私はその逆です。多くの子ども・若者が判を押したように「尊敬する人は両親」と答えるのは、あまり感心しませんし、その流れは変わった方がいいとさえ思っています。

 私は何も親を尊敬するな、と言っているのではありません。もし、これが「あなたが一番感謝したい人は誰ですか?」―――「両親です」であるならば、これはもう諸手を挙げて感心したい。親というものは、尊敬の対象というより、感謝の対象のほうがより自然な感じがするのは私だけでしょうか。

 少し厳しい言い方になりますが、いまの日本の子どもや若者はあまりに多くの人を見ていませんし、多くの人の生き方に触れていません。ですから、尊敬する人は?という問いに対して、頭が回らず誰も彼もが「両親」と紋切りに答えてしまうのではないでしょうか。「一番に尊敬できるのは両親です」と答えておけば、周りから感心されるばかりなので、とりあえず無難にそう答えておくか、というような心理もはたらいているかもしれません。

 私が大学生や若年社員向けの講義や研修で言うことは「今一度、野口英世やヘレンケラーやガンジーなどの自伝や物語を読んでみなさい」です。もちろん、ここで言う野口英世やヘレンケラーなどは象徴的な人物をあげているだけで、古今東西、第一級の人物、スケールの大きな生き方をした人間、その世界の開拓者・変革者なら誰でもいいわけです。

 そうした偉人たちについて、小学校の学級文庫(マンガか何かで書かれた本)で読んだ時は、その人の生涯のあらすじを追うのに精いっぱいだったと思います。ですが、ある程度大人になってから、活字の本で改めて読んでみると、そこには新しい発見、啓発、刺激、思索の素がたくさん詰まっているはずです。

Sakura01  それら偉人たちの生き方・生き様に触れると、まず、自分の人生や思考がいかにちっぽけであるかに気がつきます。同時に、自分の恵まれた日常環境に有難さの念がわく。そして、「こんな生ぬるい自分じゃいけないぞ」というエネルギーが起こってくる。

 私は仕事柄、「どうすれば自分のやりたいことが見つかりますか?」「夢や志を持つにはどうすればよいですか?」といった質問をよく受けます。私の返答はこうです―――「大きな生き方をしている人に一人でも多く触れてください」。ここで言う「触れる」とは、直接的な出会いもそうですが、読書を通しての出会いも含みます。図書館などに行けば、私たちは時空を超えて、さまざまな人と出会うことができます。

 そうやって多様な人物、多様な生き方を摂取し続けていると、具体的に「ああ、こんな生き方をしてみたいな」という模範(専門用語では「ロールモデル」と言います)に必ず出会えます。そして、その方向に行動を起こし、もがいていけば、だんだん道が見えてきます。そして自分と同じ方向に動いている人たちが周りに寄ってきて、彼らからもまた刺激を受けます。そうしてますます方向性と理想像がはっきりしてくる―――これが私の主張する「自分のやりたいこと・なりたいもの」が見えてくるプロセスです。

 私個人が書物で出会ったロールモデルはそれこそ挙げればきりがないのですが、そのひとつに、大学のときに読んだ『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)の中の坂本龍馬があります。私はこの龍馬の姿を見て、2つのことを意志として強く持ちました。1つは、狭い視界の中で生きない。世界が見える位置に自分を投げ出すこと。もう1つは、どうせやる仕事なら、自分の一挙手一投足が世の中に何か響くような仕事をやる。このときの意志が、自分としては、その後の米国留学、メディア会社(出版社でのビジネスジャーナリスト)への就職につながっていきました。

 冷めた人間の声として、小説の中の坂本龍馬などは、過剰に演出されたキャラクターであり、それを真に受けて尊敬する、模範にするなどは滑稽だ、というものがあるかもしれません。しかし、どの部分が演出であり、どこまでが架空であるかは本質的な問題ではない。そのモデルによって、自分が感化を受け、意志を持ち、自分の人生のコースがよりよい方向へ変われば、それは自分にとって「勝ち」なのです。他人がどうこう言おうが、自分は重大な出会いをしたのだ!―――ただそれだけです。

 ともかく最初のローギアを入れるところが、一番難しい。しかし方法論としては極めて単純で、「第一級の人物の本を読もう!」なのです。「何を、どう生きたか」というサンプルを多く見た人は、自分が「何を、どう生きるか」という発想が豊富に湧き、強い意志を持てる。だから是非とも人との出会いには敏感に貪欲になってほしいと思います。

◆50歳になったとき「自分は何によって憶えられたいか」

 いざ仕事を始めてみればわかりますが、本当にビジネス現場の時間はせわしなく流れていきます。日々の業務をこなすことに追われていると、1年、3年、5年、10年があっという間に消えてしまうものです。そんななかで、私が重要だと思うのは、漫然と日々を過ごさないということです。そのためにお勧めしたいのが「30年の計」を立てることです。

 ピーター・ドラッカーの次の言葉を紹介しましょう―――

  「私が一三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。
  教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。
  誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。
  『今答えられるとは思わない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、
  人生を無駄にしたことになるよ』」。
                               (『プロフェッショナルの条件』より)

 これはズシンとくるエピソードです。漫然と生きることを自省させてくれる問いかけです。これと同様のことを内村鑑三も言っています―――

    「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、
  この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、
  これらに私が何も残さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。
  何を置いて逝こう、金か、事業か、思想か。
  誰にも遺すことのできる最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯であると思います」。
  
                               (『後世への最大遺物』より)


 強く優れた組織は、必ずと言っていいほど、長期の理念やビジョンの下に進んでいます。個人のキャリア・人生についても同じことが言えます。「50歳までに何か自分の存在意義を残したい」というのはある種の理念であり、ビジョンです。こうした長期の想いを描いた人とそうでない人の差は、1年1年の単位でははっきり見えないかもしれませんが、10年、20年、30年の単位ではきちんと表れてきます。

 変化の激しい時代ですから、20代、30代、40代は実にいろいろなことが起こるでしょう。成功もあれば失敗もある、順風も吹けば逆風も吹く、漂流や停滞する時期が幾度となく訪れる。若いころは悩みや迷いがつきものです。しかし、「50歳の時点で納得したキャリア・人生を送っているかどうかが本当の勝負だ」と腹を据えていれば、短期の波風など楽観的に見つめられるようになります。ですからどうか、長期のどっしりとした想いをもって仕事に向かってください。

 少子高齢化や人口動態の変化を受けて、メディアは「縮むニッポン」というフレーズを使いはじめました。考えてみれば、大人がこうした悲観を含んだ表現を使うことは、これからを担って立つみなさんには失礼な話であると思います。みなさんはどうかこうした悲観の言葉に飲み込まれないでいただきたい。どうか「縮んでたまるか」という気概をもって、だらしのない大人たちを目覚めさせてください。

 では、みなさんが50歳になったときにまたお会いしましょう。そこで「自分が憶えられる何か」が見つかっていますように(祈)。



* * * * *
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2010年12月15日 (水)

ライフワークとは「醸造する仕事」である


Daikucd 

2010年も師走半ば、街のあちこちでは目からクリスマスのイルミネーション、
耳からはベートーヴェンの『第九』の季節になった。
私もこのころは仕事をしながらBGMとして第九を繰り返し流している。
(だからそれにつられて、文章も気宇壮大になる)
さて、きょうはその『第九』の話から始めたい。


◆ライフワークとは「醸造する」仕事である

第九の合唱曲『歓びの歌』は、ドイツの大詩人フリードリヒ・シラーの詩を元にしている。
シラーが『歓喜に寄せて』と題した詩を書き起こしたのは1785年。
若き23歳のベートーヴェンは1793年にその詩に出会い、そこに曲をつけようと思いつく。
当時すでに音楽家として頭角を現し始めていたベートーヴェンであったが、
やはり巨人シラーの詩には、まだ自分自身の器が追い付いていないと思ったのだろうか、
それに曲をつけられず、年月が過ぎていった。

……『ベートーヴェン交響曲第9番』初演は1824年。
つまり着想から完成までに30年以上の熟成期間を要しているのである。
ベートーヴェンは30年間、常にそのことを頭の中に持っていて、
シラーの詩のレベルにまで自分を高めていこうと闘っていたのだと思う。
『英雄』を書き、『運命』を書き、『田園』を書き、やがて耳も悪くなり、
世間ではピークを過ぎたと口々に言われ、そんな中、
ベートーヴェンは満を持して、自身最後の交響曲として『歓喜に寄せて』に旋律を与えた。

私は、こうした生涯を懸けた仕事に感銘を受けると同時に、
自分にとってはそれが何かを問うている。
何十年とかけてまで乗り越えていきたいと思える仕事テーマを持った人は、
幸せな働き人である。
それは苦闘ともいえるが、それこそ真の仕事の喜びでもあるはずだ。

一角の仕事人であれば
「時間×忍耐×創造性」によってのみ成し得る仕事に取り組むべきである。

昨今の仕事現場では、スピーディーに効率的に仕事をこなすことが
スマートでカッコイイらしいが、
「即席×効率でない仕事」「熟成・醸造の仕事」は、それ以上にカッコイイ。
スピーディーに効率的につくられたワインやチーズがおいしいだろうか。
少なくともその類を私は食べたいとは思わないし、それをつくる側にもなりたくない。


◆ライフワークとは「何によって憶えられたいか」ということ
ビジネス現場で、私たちは日々せわしなく働いている。
1年タームの目標管理は、半年ごととなり、四半期ごととなり、
そして週ごとの報告があり、毎朝のミーティングがあり……。
気がつけば、この会社に入って3年、5年、10年か、となる。
私は30代半ばを過ぎたあたりから、
次に紹介するピーター・ドラッカーと内村鑑三の言葉を、
毎年、年初にダイヤリー手帳の1ページめに書くことを勧めている。

 「私が十三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。
 教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。
 誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。
 『今答えられるとは思わない。でも、五十歳になっても答えられなければ、
 人生を無駄にしたことになるよ』」。

                  ---(ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』より)


 「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、

 このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も残さずには死んでしまいたくない、
 との希望が起こってくる。何を置いて逝こう、金か、事業か、思想か。
 誰にも遺すことのできる最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯であると思います」。

                                      ---(内村鑑三『後世への最大遺物』より)



◆ライフワークとは「無尽蔵に湧出するオイルの燃焼」である
ドラッカーと内村は奇しくも人生50年目を重要な時点ととらえた。
しかし、使命に目覚めた人間の力は想像を超える。
50を超えてもまだまだ生涯を賭した仕事をやるリスタートは可能なのだ。

もともと商人であった伊能忠敬が、測量技術・天文観測の勉学を始めたのは51歳である。
そして全国の測量の旅に出たのが56歳。以降、死ぬ間際の72歳まで測量を続けた。
彼の正確な計測は、『大日本沿海輿地全図』として結実する。
おそらく伊能忠敬の腹の底からは止処もなくオイルが湧き出してきて
それが赫赫と燃え盛っていたに違いない。

ライフワークに没入することは、仕事中毒とはまったく別のものである。
仕事中毒は病的な摩耗だ。虚脱がずるずると後を引いて人生を暗くする。
しかしライフワークは、健全な献身活動であって、
後から後から、エネルギーが湧いてくるのである。
ライフワークに勤しむ人は、日に日に新しい感覚でいられる。
そしてライフワークに心身を投げ出す人は、たいてい「ピンピンコロリ」である。

……ライフワークは確かにスバラシイ、しかし自分はサラリーマンの身で
目の前には組織から命ぜられた仕事が山積している。
そんなものを探し出す頭も体も余裕がない。―――たいていの会社人間はこういうだろう。
そんな人のために、フェルディナン・シュヴァルという男を次に紹介しよう。


◆ライフワークとは「~馬鹿」と呼ばれること
フェルディナン・シュヴァルは、フランス南部の片田舎村オートリーヴで
1867年から29年間、この地域の郵便配達員をした男である。
彼の仕事は、来る日も来る日も、16km離れた郵便局まで徒歩で行き、
村の住人宛ての郵便物を受け取って、配達をすることだった。

毎日、往復32kmを歩き続けたその13年目、その小さな出来事は起こった。
彼は、ソロバン玉が重なったような奇妙な形をした石につまずいたのだ。
彼はなぜかその石に取りつかれた。
そして、その日以降、配達の途中で変わった石に目をつけ、
仕事が終わると石を拾いにいき、自宅の庭先に積み上げるという行為を続ける。

彼は結局、33年間、ひたすら石を積み続け、
独特の形をした建造物(宮殿)をこしらえて、この世を去った。
彼には建築の知識はまったくなかったが、
配達物の中に時おり交じってくる絵葉書などに印刷されたさまざまな建築物を見て、
見よう見まねで造ったのだ。
――――今日、これは「シュヴァルの理想宮」と呼ばれ、観光スポットにもなっている。
(参考文献:岡谷公二著『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』)

私は、この話を知ったとき、「塵も積もれば山となる」という言葉を超えて、
シュヴァルの「愚直力」に大きな感銘を受けた。
そんなものは単なるパラノイア(偏執病)男の仕業さ、というような分析もあるようだが、
たとえそうだったとしても、没頭できるライフワークを見つけたシュヴァルは
間違いなく幸福者だったと思う。
冷めた他人がどうこう評価する問題ではない。

「~馬鹿」として活き活きと生きること、
これができるかどうかは好奇心と意志の問題だ。

サラリーマンで忙しくしているから難しいという問題ではない。


◆ライフワークとは「恩返し」
男子フィギュアスケートの高橋大輔選手は、
今年のハンクーバー冬季五輪で銅メダルを獲得した後、将来のことについて
―――「スケートアカデミーみたいなものを作ってみたい。
僕はコーディネーターで、スピン、ジャンプとかそれぞれを教える専門家をそろえて……」
と語っていた。
結局、今期も現役続行ということでこの計画はしばらく置くことになりそうだが、
彼は将来必ずやると思う。

また同じように、2年前、
プロ野球の読売巨人軍、米大リーグ・パイレーツで活躍した桑田真澄選手も
引退表明時のコメントは次のようなものだった。
―――「(選手として)燃え尽きた。ここまでよく頑張ってこられたな、という感じ。
思い残すことはない。小さい頃から野球にはいっぱい幸せをもらった。
何かの形で恩返しできたらと思う」。
その後、彼は野球指導者として精力的に動いていると聞く。

人は誰しも若い頃は自分のこと、自分の生活で精一杯で、
自分を最大化させることにエネルギーを集中する。
しかし、人は自らの仕事をよく成熟化させてくると、
他者のことを気にかけ、他者の才能を最大化することにエネルギーを使いたい
と思うようになる。

働く動機の成熟化の先には「教える・育む」という行為がある。
教える・育むとは、「内発的動機×利他的動機」の最たるものだ。

高橋選手や桑田選手も、ひとつのキャリアステージを戦い抜け、
その先に見えてきたものが「次代の才能を育む」という仕事であるのだろう。
GE(ゼネラル・エレクトリック)のCEOとして名高いジャック・ウェルチも
自分に残された最後の仕事は人財教育だとして、
企業内大学の教壇に自らが頻繁に立っていた。
プロ野球の監督を長きにわたってやられてこられた野村克也さんも
「人を残すのが一番大事な仕事」と語っている。

また、女優のオードリー・ヘップバーンのように
晩年をユニセフの親善大使として働き、
貧困国・内戦国の遺児を訪ね回るという形の「育む」もあるし、
大原孝四郎・孫三郎・総一郎の三代親子のように、
倉敷という文化の町を「育む」という形のライフワークもある。

いずれにせよ、こうした「内発×利他」の次元に動機のベースを置く仕事は、
ライフワークたるにふさわしい。
こうした人々に限らず、一般の私たち一人一人も例外ではない。
それぞれの仕事の道を自分なりに進んでいき、その分野の奥深さを知り、
いろいろな人に助けてもらったことへの感謝の念が湧いてきたなら、
今度はその恩返しとして、
その経験知や仕事の喜びを後進世代に教えることに時間と労力を使う
―――それは立派なライフワークになりうるのだ。


◆ライフワークとは「働く・遊ぶを超えて面白いもの」
娯楽は英語で「pastime」。その語のとおり「時間を過ごす(パスする)」という意味だ。
労働史の中で娯楽というものが生まれてきた背景は、産業革命以降、
工場の生産ラインで働く労働者たちが、その単一的な作業から心身を回復させるために
気晴らしの時間を過ごす必要があったことである。
いわば労役の裏返しとして「pastime」はあった。

現代でもその構図は変わっていない。
目の前の仕事を労役と感じている人ほど、娯楽が必要になる。
そしてカラダが疲れていればいるほど、
その娯楽は受動的に楽しませてくれる時間つぶしのものになる。
「やれやれ、せめてリタイヤ後は趣味でも見つけて穏やかに暮らしたい」
そう願う人はたくさんいるだろう。

しかし、「毎日が休日というのは、一つの地獄の定義である」と誰かが言ったように、
毎日をpastimeしている暮らしは、耐えられないばかりか、
やがてその人間をおかしくしてしまうだろう。
運動をしない肉体がだらけきってしまい、予期せぬ障害・病状を生むのと同じように。
心理学者のフロイトだったと記憶するが、健康に長生きする秘訣の1つに
「朝起きたとき、さぁやるぞという仕事があること」をあげていた。

作家の村上龍さんは『無趣味のすすめ』で次のように書いている。

 「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、
 人生を揺るがすような出会いも発見もない。
 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。
 真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、
 常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。 

私は趣味を否定するわけではない。私もいろいろ趣味を楽しむほうだ。
しかし、快活で健やかな人生の基本はやはり「よく働き・よく遊ぶ」である。
そして、ライフワークは(私自身それを見出しているのでよくわかるのだが)、
働くよりも面白く、遊ぶよりも面白いものなのだ。
ライフワークとは、働くと遊ぶを超えたところで統合された夢中活動と言ってもいい。
真剣にやる「道楽」かもしれない。


◆ライフワークとの出合いはすでに始まっている
ライフワークはひとつの「天職」だと言ってもよい。
天職は漫然と働いていて、ある時、偶然に出合えるものではない。
それを欲する意志のもとに動いていると、
いつか知らずのうちにその門を通り過ぎていて、気がついたときには
「ああ、これが天職だったのか」と認識するものにちがいない。

だから少なくとも、天職・ライフワークを見出そうとすれば、
それを欲するところから始まる。
その欲するスタートは、20代だろうが30代だろうが、50代だろうが、
早すぎることもないし、遅すぎることもない。

欲する意識を持ってアンテナを立てておけば、
ある日、何かヘンテコな石につまずいて、
それが大きなものにつながっていくようなことが起きる。

  



2010年6月 9日 (水)

目標に働かされるキャリア vs 目的に生きるキャリア



  「目標」と「目的」の違いは何でしょうか?
  私は次のような定義をしています。

Mvsm01 


  ここで「3人のレンガ積みの話」を紹介しましょう。

Mvsm02 


  さて、彼ら3人それぞれの「目標」・「目的」は何でしょう?

  目標とは、簡単に言えば「成すべき状態」のことです。
  それらはたいてい、定量・定性的に表わされます。
  ですから、レンガ積みとして雇われている3人の男の目標は同じです。

  それに対し、目的とは、そこに「意味」の加わったものです。
  3人は同じ作業をしていますが、そこに見出している意味は違います。
  目的が天と地ほど異なっています。

Mvsm03 


  目標をもつことは働く上で必要なことです。
  しかし、中長期のキャリアにおいて、しばしば「目標疲れ」することが起こります。
  それはたぶん、その目標が他から与えられたものだからです。
  もし、その目標に自分なりの意味を付加して、目的にまで昇華させたなら、
  「目標疲れ」は起きません(もしくは、ぐんと軽減されるはずです)。
  むしろ、大きな意味を付加すれば付加するほど、大きなエネルギーが湧いてきます。


Mvsm04 

  中長期のキャリアで、
  最大の防御(=疲弊から身を守ること)であり、かつ、
  最大の攻撃(=意気盛んに働くこと)は、 「目的」を持つことなのです。

  いまスライドに2つの働き様A、Bを示しました。

Mvsm05 

  働き様Aは、いまやっていることが目標に向かっている形。
  この場合、目標達成が最終ゴールとなり、
  目標が達成されたか達成されなかったか、のみが関心事になります。

  一方、働き様Bは、いまやっていることが目標に向かいつつ、もうひとつその先に目的がある形。
  この場合、最大関心事は目的の完遂、言い換えれば、意味の充足であり、
  目標達成はそのための手段・プロセスとしてみなされるにすぎません。

  ---さて、あなたはどちらの働き様でしょうか?


  で、働き様Bの形をもっと掘り下げて考えてみましょう。
  目的は、現実の自分にいろいろなものを向けてきます。
  ひとつには、「意味・意義」を還元します。
  「いま自分のやっていることは何のためなのか?」それを問うてきます。

  もうひとつには、「やり方」を問うてきます。
  「目的を成就するためにそんなやり方でいいのか?」
  「原点となる目的を忘れるな。いまの方向は修正したほうがいいんじゃないか」など。

  そして、現実の自分に「エネルギー」を充填してくれます。
  人間は意味からエネルギーを湧かせる動物だからです。

   「人間とは意味を求める存在である。
   意味を探し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、そのとき人間は幸福になる。
   彼は同時に、その一方で、苦悩に耐える力を持った者になる」。

                             ―――ヴィクトール・フランクル『意味への意志』より
             (フランクルはナチス軍下の捕虜収容所を生き延びたオーストリアのユダヤ人精神科医)


  目的をもった人間の働き様はこんなような形になります。

Mvsm06


  ―――そうです、円環の形です。


  さてさらに、その働き様に時間軸を加えてみてみます。
  働き様Aは、毎期毎期、会社からの目標をクリアすべく働きます。
  上司と面談をして目標を設定し、期末ごとにそれができたかできなかったかの査定があり、
  賞与が決まり、年収が決まり、それを繰り返していくキャリアの形になります。

  キャリアステージのレベルは年次とともに多少は上がっていくかもしれません。
  「係長になれた」「課長になれた」「部長になれた」・・・しかし組織の役職によるキャリアステージは
  会社を辞めてしまえば消失してしまう時限のものです。

  ……そして、定年を迎える。
  何かしら業務上の目標があったことが当たり前だったサラリーマン生活から一転、
  自分自身の今後の人生の目標・目的はまるっきり白紙の状態です。
  はてさて、それを、自分で設定しなければならないのですが・・・

Mvsm07 


  一方、働き様Bはどうでしょうか。
  Bは、いまやっていること→目標→目的が円環になっていますから、
  それがどんどんスパイラル状に膨らんでいき、
  働きがいやら朗働感やらが増幅されるキャリアになります。

  そして、時間の経過とともにライフワークのようなものが見えてきて、
  しっかりとした意味の下、定年後にやりたい選択肢もちゃんと創造できているはずです。

Mvsm08


  事業組織で働いて給料を得る以上、
  組織からの目標は一つの契約であって、受け入れるのが当然のものです。
  目標があるからこそ成長できることも多々あります。
  ですから私のように自営業であっても、きちんと目標を立てて自らを律しています。

  問題は、何十年と続く職業人生にあって、
  他人の命令・目標に働かされ続けるのか、
  それとも自分なりの意味・目的にまで昇華させて、そこに生きるのか―――この一点です。
  この目に見えない一点の差が、40歳、50歳になったとき、とんでもなく大きな差になっているものです。



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