1) 仕事/キャリア Feed

2009年7月 7日 (火)

その仕事は作業ですか?稼業ですか?使命ですか?

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「この伝票処理の仕事を明日までに片付けておいてほしい」
「営業という仕事の難しさはここにある」
「課長の仕事はストレスがたまって大変だ」
「彼が生涯にわたって成し遂げた仕事の数々は人びとの心を打つ」
「そんな仕事は、プロの仕事とはいえないよ」
「あの仕事ができるのは、日本に10人といないだろう」――――。

私たちは、このように日ごろ職場で「仕事」という言葉をよく使う。
働くことの根幹をなすのは、この仕事という基本単位だからでしょう。

仕事は短期・単発的にやるものから、長期・生涯をかけてやるものまで幅広い。
また、自分が受け持つ大小さまざまの仕事に対し、動機の持ち具合も異なるものです。
やらされ感があって、いたしかたなくやる仕事もあれば、
自分の内面から情熱が湧き上がって自発的に行なう仕事もある。

そうした要素を考えて、仕事の面積的な広がりを示したものが下図です。
Photo

明日までにやっておいてくれと言われた伝票処理の単発的な仕事は、
言ってみれば「業務」であり、業務の中でも「作業」と呼んでいいものです。
たいていの場合、伝票処理の作業には高い動機はないので、
図の中では左下に置かれることになる。

また、一般的に中長期にわたってやり続け、
生計を立てるためから可能性や夢を実現するためまでの幅広い目的を持つ仕事を「職業」と呼ぶ。

営業の仕事とか、広告制作の仕事、課長の仕事といった場合の仕事は、
職業をより具体的に特定するもので、「職種」「職務」「職位」です。

「生業・稼業」「商売」は、その仕事に愛着や哀愁を漂わせた表現で、
どちらかというと生活のためにという色合いが濃いものです。

さらに仕事の中でも、内面から湧き上がる情熱と中長期の努力によってなされるものは、
「夢/志」「ライフワーク」「使命」あるいは「道」と呼ばれるものでしょう。

そして、その仕事の結果、かたちづくられてくるものを「作品」とか「功績」という。
「彼の偉大な仕事に感銘を受けた」という場合がそれです。

私がよく引用する『3人のレンガ積み』の話をここでも紹介しましょう。

中世ヨーロッパの町。とある建設現場に働く3人の男がいた。
そこを通りかかったある人が彼らに、「何をしているのか」と尋ねた。
すると、1番めの男は「レンガを積んでいる」と言った。
次に、2番めの男は「カネを稼いているのさ」と答えた。
最後、3番めの男が答えて言うに、「町の大聖堂をつくっているんだ!」と。


1番めの男は、永遠に仕事を「作業」として単調に繰り返す生き方です。
2番めの男は、仕事を「稼業」としてとらえる。
彼の頭の中にあるのは常に「もっと割りのいい仕事はないか」でしょう。
そして3番めの男は、仕事を「使命」として感じてやっている。
彼の働く意識は大聖堂建設のため、町のためという大目的に向いていて、
おそらく、そのときたまたまレンガ積みという仕事に就いていただけなのかもしれません。
彼は、その後どんな仕事に就いたとしても、
それが自分の思う大目的の下の仕事であれば、それを楽しむことのできる人間です。

私たちは、初対面の人間に出会ったとき「どんなお仕事をされているのですか?」
よく質問します。
この質問は、その人物を知るためには、とてもよいきっかけを与えてくれる。

なぜなら、仕事は多くの場合、
①自分の能力
②自分の興味・関心
③自分の信ずる価値

を表明・表現する活動だからです。


月々日々、何十年とやっていく仕事を、単なる繰り返しの「作業」ととらえる人は、
おそらく自分自身の能力、興味・関心、価値をさげすんでいる人です。
また、仕事を生活維持のためだけの「稼業」ととらえる人も、
自分の可能性に対して怠慢な人です。

仕事を、希望や夢、志、ラフワーク、道といったものにつなげている人は、幸せな人です。
そうすることによってのみ、自分の能力は大きく開き、
興味・関心は無尽蔵に湧き出し、
自分の発した価値と共鳴してくれる人びとと出会えるからです。

*詳細の議論は、拙著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義』で。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

The21 7月10日発売のビジネス雑誌
『THE21』2009年8月号(PHP研究所)の
特集〈第2部〉:
「達人が指南するスピード・コミュニケーション術」で出ています。

2009年5月13日 (水)

醸造する仕事

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(*沖縄・那覇行きの機中より写す)


1785年、ドイツの大詩人フリードリヒ・シラーが『歓喜に寄せて』と題した詩を書き起こす。
1793年、23歳のベートーヴェンは、その詩に出会い、そこに曲をつけようと思いつく。
1824年、『ベートーヴェン交響曲第9番』初演。
(ベートヴェン54歳、着想から完成まで31年の熟成期間を要した


日本でもお馴染みベートーヴェン第九の合唱曲『歓びの歌』は、
シラーの詩を元にしている。

23歳のベートーヴェンはすでに音楽家として頭角を現し始めていたが、
やはり巨人シラーの詩には、まだ自分自身の器が追い付いていないとみたのだろうか、
それに曲をつけられず、年月が過ぎていった。

結局、楽曲化まで30年以上を要するわけだが、
ベートーヴェンはその間、そのことを忘れていたわけではないだろう。
むしろ、常に頭の中にあって、
シラーの詩のレベルにまで自分を高めていこうと闘っていたのだと思う。

『英雄』を書き、『運命』を書き、『田園』を書き、
やがて耳も悪くなり、世間ではピークを過ぎたと口々に言われ、
そんな中、ベートーヴェンは満を持して、
自身最後の交響曲として、『歓喜に寄せて』に旋律を与えた。

私は、こうした生涯を懸けた仕事に感銘を受けると同時に、
自分にとってはそれが何かを問うている。
何十年とかけてまで乗り越えていきたいと思える仕事テーマを持った人は、幸せな働き人である。
それは苦闘でもあるが、それこそ真の仕事の喜びでもあるはずだ。


一角の仕事人であろうとすれば、
「時間×忍耐×創造性」によってのみ成し得る仕事に取り組むべきだと思う。

いまのビジネス現場は、なにかと効率・スピードを求める仕事術ばかりを強要する。
すばやく機転を利かせて、キレのある処理をすることが「優れた仕事」だと奨励する。

「優れた仕事」というのは、「鋭の力」によってなされるばかりではない。
むしろ「鈍の力」によってこそ、偉業・大作・名品は生まれる。


科学の発見、研究論文、事業の構築、絵画、建築、工芸、音楽などにおいて
後世の人間に影響を与えるものは、すべて
つくり手の生涯を懸けた「時間×忍耐×創造性」によってなされたものだ。

誰が、効率的にスピーディーに作ったワインやチーズを美味しいと思うだろうか?
「即席でない仕事」「熟成・醸造の仕事」は、カッコイイ!
さて、あなたのライフワークテーマは何だろうか?


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□日々、業務を処理することだけで忙しくしていないだろうか?
□おぼろげながらでも、ライフワークとしたいテーマ・方向性を持っているか?
□そのテーマ・方向性に関する本や人びとと出会って、熱を保持・増大させているか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□「鋭の力」と同様、「鈍の力」を育む観点を持っているだろうか?
□事業の目線を未来に開き、それに携わる従業員の成長も同時に考えてやっているだろうか?
□大きな仕事、優れた仕事、ライフワークといったことについて、自身の言葉でみなに語っているだろうか?


*詳細の議論は
拙著
『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』にて

2009年5月 7日 (木)

構え・撃て!狙え!

Sakuragi

きょうも拙著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』から
1キーワードを紹介します。

* * * * * * * * *

「構え・狙え・撃て!」 ―――ではない。

「構え・撃て!狙え!」 ―――である。

米国の人気経営コンサルタント、トム・ピーターズは、
「Ready-Fire-Aim」ドクトリンを提唱しています。
つまり、ともかく「撃て!」と。撃った後に狙えばいいのだと。

彼はこうも言います。

---「ころべ、まえに、はやく」。


私は自身が行う「プロフェッショナルシップ研修」
(=一個のプロであるための基盤意識醸成プログラム)において、
「働く目的をつかむ・働きがいの創造」のパートで、このピーターズの考え方を紹介しています。

つまり、「構え」(=基盤能力・基盤意識をある程度つくっ)たら、
ともかく「撃て!」(=自分試しをせよ・行動で仕掛けてみよ)ということ。
そして結果・反応をみて、修正をかける。そして再度「撃て!」。
そうする繰り返しの中で、
働く目的という「狙う的」が、次第に確実に見えてくる
―――ということです。

いまのサラリーマン諸氏(私の大事な研修のお客様であるのですが)をみていると、
みずからの人生・キャリアについて、
事業計画のように事前計画を練り、諸分析をやり、効率的に資源を投入し、
最大の効果をあげなければならないように考えている人がとても多い。
困ったことに、人事関係者までもが、
そういうことが「自律的キャリア形成」なのだと思い込んでいる。

だから、キャリアデザイン研修といえば、
手の込んだ自己分析をやらせて、
「10年後のあなたはどうありたいか?」のキャリア設計表を書かせる。
そして、それで何かいい研修をやったような気になる。

その点、私は、 “人生・キャリア「行き当たりばっ旅」論者” です。

「プランド・ハプンスタンス理論」(Planned Happenstance Theory)提唱者の
ジョン・クランボルツ教授(米スタンフォード大学)が言うように:

「キャリアは予測できるものだという迷信に苦しむ人は少なくありません。
“唯一無二の正しい仕事”を見つけなくてはならないと考え、
それをあらかじめ知る術があるはずだと考えるから、
先が見えないことへの不安にうちのめされてしまうのです」。

                                    ―――『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)

どれだけていねいに5年後・10年後のキャリア設計図を練ってみたところで、
どれだけ精緻な自己の性格診断をしたところで、
どれだけ希望どおりの会社に入ったところで、
その後、はたして自分の望みの仕事に出合い、満足のいく職業人生を送れるかどうか、
それはまったくわからないのです。

人生とは奥深きかな、
初速度と打ち出し角度の数値さえ与えれば、
着地場所と着地時間が確実に算出できる物理運動とは違うからです。

仮に、万が一、すべてのことが想定どおりにいったとして、
「そんな想定の範囲内」の人生などどこが面白か、です。

私はキャリア設計すること、自己分析することが無意味だと言っているのではありません。
ときに結果が予測できない未知の世界に身を投じ、
揺らぎながら、もがきながら状況をつくり出していく、
そうしたたくましさこそ、
机上の設計や自己分析よりもはるかに大事だといいたいのです。

小賢しく効率的に振舞おうとするから、かえって不安になって縮こまる。
まずはいいから「撃ってみろ!」。
そうすれば「狙う的」は行動の後に見えてくる!―――
従業員・部下にこう勇気づけるのが、経営者・上司の真の助言というものです。

人生・キャリアの選択に“あらかじめの正解値”などない
その後の奮闘でそれを「正解」にできるかどうか
―――それがあなたの人生力・キャリア力です。


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□5年後・10年後の姿が思い描けないことを「悪いこと・情けないこと」だと感じてしまっていないか?
□おぼろげながらでも「想い」を抱き、行動で仕掛けているか?
□過去3年間を振り返ってみて、未知の中から自分の道筋ができてきたなと思えるか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□自己分析やキャリア設計をやらせることがキャリア形成支援だと思っていないだろうか?
□行動で仕掛けることを奨励しているだろうか?
□みずからが積極的に未知に飛び込み、状況をつくりだすことを背中で示しているだろうか?

2009年4月26日 (日)

「目標」と「目的」の違い

Koinobori 来月刊行になる拙著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』からいくつかのキーワードを抜き出してこのブログでも紹介します。

きょうは、「目標」と「目的」の違い。

さて、日ごろの仕事現場でも、よく口にする目標と目的、両者の違いは何だろうか――――?

まず、目標とは単に目指すべき方向や状態をいう。
そして、目的はそこに意味や意義が付加されたものだ。

それを簡単に表せば:

目的=目標+意味   となる。


ここで、次の有名なビジネス訓話「三人のレンガ積み」を引用したい。

中世のとある町の建築現場で三人の男がレンガを積んでいた。
そこを通りかかった人が、男たちに「何をしているのか?」とたずねた。


一人めの男は「レンガを積んでいる」と答えた。
二人めの男は「食うために働いているのさ」と言った。
三番めの男は明るく顔を上げてこう答えた。
「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」と。


このとき、三人の男たちにとって目標は共通である。
つまり、一日に何個のレンガを積むとか、工期までに自分の担当箇所を仕上げるとか。

しかし、目的は三人ともばらばらである。

一人めの男は、目的を持っていない。
二人めの男は、生活費を稼ぐのが目的である。
三番めの男は、歴史の一部に自分が関わり、世の役に立つことが目的となっている。

目標は他人から与えられることが十分ありえる。
しかし、目的は他人から与えられません。意味は自分で見出すものだからだ

何十年と続く職業人生にあって、他人の命令・目標に働かされるのか、
自分の見出した意味・目的に生きるのか
―――この差は大きい。

仕事の意味はどこからか降ってくるものではなく、
自分が意志を持って、目の前の仕事からつくり出すものだ。

もちろんその意志を起こすには、それなりのエネルギーが要る。
しかし、それをしないで鈍よりと重く生きていくことのほうが、もっとエネルギーを奪い取られる。
―――さて、あなたはどちらの選択肢を選びますか? という話だ。

ところで、先の三人の男のその後を、私が想像するに、

一人めの男は、違う建築現場で相変わらずレンガを積んでいた。
二人めの男は、今度はレンガ積みではなく、木材切りの現場で
「カネを稼ぐためには何でもやるさ」といってノコギリを手にして働いていた。
そして三人めの男は、その真摯な働きぶりから町役場に職を得て、
「今、水道計画を練っている。あの山に水道橋を造って、町が水で困らないようにしたい!」といって働いていた。



【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□他からの目標をこなすことだけに忙しくしていないだろうか?
□目標に自分なりの意味を加えている(=目的をつくり出すことをしている)だろうか?
□その目的は、パンを得るレベルのことだろうか、
それとも町の大聖堂をつくるレベルのことだろうか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□働き手に、もっぱら「目標」だけを課していないか?
□組織が持つ事業の意味と、働き手が持つ仕事の意味を重ね合わせることの支援をしているだろうか?
□あなたの組織の目的は、パンを得るレベルのことだろうか、
それとも町の大聖堂をつくるレベルのことだろうか?


拙著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』には、
このほかに79個のキーワードが用意されています。
乞うご期待!

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東京では町の景色からこうした鯉のぼりが消えていっている。
これはご近所宅の鯉のぼり。健やかな景色のご提供に感謝!

2009年4月 5日 (日)

進入学に贈る ~ 「一日即一生」

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(都立武蔵野公園にて)


学校においては進入学、
企業や官庁においては新期の季節がやってきた。
4月1日や4月の第一月曜日というのは、多くの人にとって心機一転の一日です。

私は「新生」「蘇生」という言葉が好きですが、
まさに桜満開の4月はスタート、リ・スタートにふさわしい季節です。
ビジネス生活にせよ、私生活にせよ、
ややもすると惰性に流されがちになる日々において、こうした区切りの日をもって
新生・蘇生していくことは大事なことだと思います。

* * * * *

とまぁ、新入学・新期に寄せて、そういうことをやんわり書いておいて、、、
でも、新生・蘇生の区切りは、
1月元旦とか4月という年2回だけではダメなんだろうと思う。

突き詰めたいのは「日々新たなり」ということです。

私も会社員をやっていたころは、
多少の変化・刺激はあれどルーチンに回っていく日が大半で、
リフレッシュスタートの機会といえば年に数回で十分でした。

ところが、独立して事業を始めると、そんな悠長な意識ではいられなくなった。
日日(にちにち)を新たにし、日日に蘇ること―――
これが大事なんだなと思う、というか、
自分の仕事に没頭してその深みを追求し、独り、市場と向き合っていると
必然的にそうなっていくというのがほんとうのところです。

独立してもう7年目になりますが、
日々新たに蘇る感じでやっているので、正直なところ老いていく感じがない。

ものごとを熱中してやっている人がフケにくいというのは
他人ごととして知っていますが、
たぶんこういうことなんだろうなという自覚ができるようになりました。

「一瞬も一生も美しく」。

これは、資生堂の企業メッセージです。

これにあやかって言うなら、「一瞬も一生も若く強く」です。
一瞬一瞬、そして一日一日を若く強く生きる人は、一生を通じて若く強い。

一生は漠然と遠くない。それは、一瞬、一日にある。
つまり、 「一日即一生」 。

だから、一瞬、一日を若く強く打ちこめる「何か」を手にした者は、最高の幸福者だと思う。

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(きょうの一日が終わって、また明日の一日は新しい:多摩川にて)

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