春の草々に想う ~生命の息吹と働きがいの創造
沖縄に仕事場を移した春キャンプから東京に戻り、
いつもどおりの都会の生活が始まった。
多摩川沿いのサクラ並木も花を散らした後は、
おどろくほど速く木々たちが新緑葉を広げ、
いまでは空を充分に隠すほど、生い茂る姿になった。
私は東京の調布市に住んでいますが、
調布は都心・新宿にこんなに近いにもかかわらず、
田畑が住宅地のそこかしこにあるのがいいところです。
で、昼前、コンビニに買い物にいく途中、
いつもの田んぼの脇を通りました。
すると、ついこないだまで、枯れ藁の冬のさみしい平地だった景色が
一変しているのに気がつきました。
一面、雑草やら、オオバコ、タンポポ、ポピーなど名前を知っている花々やら、
ともかく草々で覆い尽くされています。
蝶も舞い、ツバメも飛び交い、
まぁ、本当に生命の息吹く季節なのだなぁと
ふと立ち尽くして見入ってしまいました。
◆生命の本質は「息吹き生成しようとする意志・努力」
かくも短い間に、緑に覆われた景色を見て、
私はホイットマンの『草の葉』の詩を思い出します。
見えない芽の群、数かぎりなく、うまく隠され、
雪や氷の下に、暗黙の下に、
四角や丸のどんな小さなところにも、
萌え出ようと、精妙で、繊細なレース網状をなし、
極微のすがたで、生まれないままの、
子宮のなかの赤んぼたちのよう、
潜伏し、抱きしめられ、密生し、眠っている、
数億万もの、幾兆万もの待ち受けている芽また芽の群、
(大地のうえ、大海のなか――全宇宙――九天の星々に、)
ゆっくり追い迫り、着実に前へ進み、
果てしもなく現れ出てきて、
絶えまもなくもっと多く、
永久にさらに多くの芽がと、
背後で待っていて。
――――『対訳 ホイットマン詩集』(木島始編:岩波文庫)より
“生命”とは、とてつもなく不可思議なもので、
そのエネルギーは、この広漠たる宇宙空間にあまねく潜在しており、
何処何時でも、その息吹く機会を待っている、否、欲している。
いかなる環境であれ、環境に抵抗し、環境に順応しながら、
息吹き、生成しようとする意志・努力――――
これが生命の本質でないかと私は思います。
フランスの哲学者・ベルグソンは、これを
「生命には、物質の下る坂を
さかのぼろうとする努力がある」と言いました。
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◆生命の発露をなくす現代ビジネス社会
さて私は、日々、企業のキャリア研修で演台に立ちますが、
そこで感じることは、少なからずの人が
働くこと、生活することに疲れている、重い感じを引きずっている、
あるいはまた、
給料もらって働くって所詮こんなもんさと冷めている―――
ということです。
そこには、生命の“発露”がない。
何か現代ビジネス人は、生命力豊かに生きているのではなく、
生命力をしぼませて生きながらえている
―――そんな印象です。
(もちろん、溌剌と活き活き働いている少数の人たちもいますが)
私の行なうキャリア教育プログラムは、一種、独特なアプローチで、
「働くとは何か?」「よりよく働くためにどうすればよいか?」
といったことをテクニック論ではなく、
心持ちレベルでたくましく醸成しようとするものですが、
今の私のプログラム開発上、最大の課題は、
「働きがいの創造」を各自にどうさせればよいかということです。
私は、一人一人の働き手が、
生命の息吹きを取り戻し、よりよく働くためには、
「働きがい」を自分の内に創造することが唯一根本の手立てだと
確信するからです。
「働きがい」は、抗し難い情熱です。
どんな小さな隙間からも、噴き出してくるマグマです。
困難そうであろうが、
多くのリスクや面倒さ、手間がかかりそうであろうが、
無視されようが、見返りがなかろうが、いじわるされようが、
やむにやまれぬ想いがふつふつ湧いてきて、やらずにはおられない何か
―――それが「働きがい(のある仕事)」です。
“魂の叫び”といってもいいでしょう。
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◆働きがいは無尽蔵のエネルギーを湧かせる
私個人はおかげさまで、自分なりの働きがいを具体的なレベルでこしらえ、
イメージできる状態になりました。
それが、独立開業という決断を促しもしました。
働きがいの下に身を置くとき、
智慧と力が無尽蔵に湧いてくるのが実感できます。
きょうの田んぼに見た、あの萌え出でる一面の草のように。
まずもってサラリーマン時代と、朝がまったく違います。
以前は本当に朝起きるのが辛かった。
今では、「きょうも1日、未知の1ページを描くことができる!」と
さっそうと起床することができます。
朝風呂の中では、アイデアやらイメージやらが湧いてきて、
忘れないうちに、脱衣所に置いてあるメモ帳に書き込むことが普通です。
きょうのこのブログにしても、日曜の夕方から深夜にかけて
風呂もまだ入らずに書いています。
だれが読んでくれるとも知れない、原稿料が出るわけでもない、
でも、書かずにはおられない。
その湧出するエネルギーはどこからやってくるのか?
・・・それは「働きがい」(そう働く意味・意義)です。
働きがいをより強く、より具体的に創造できたことで、
私はより快活に、より健康になりました。
大企業のサラリーマンを辞めて、以前より苦労や不安定さは増しましたが、
働きがいの下で働くことで、
それらを乗り越える勇気やら面白みを充分に湧かせることが
できるようになっています。
そういった意味で、私は齢40も半ばになりますが、
萌え出でるエネルギーで青春の真っ盛りにいます。
生命は本来的に「最大限に生き切ろう」とする意欲を持っています。
もし私たちが、なんとなく生き切っていない、
半端にしか生きていないような気がする、と感じているなら、
それは生命本来の性質を十全に謳歌していないということです。
それでは、この奇跡の確率で生まれ出た人の生がもったない。
働きがいにせよ、生きがいにせよ、
この「かい(甲斐)」を創造できるかどうかは、
その人の人生にとって、最重要の分岐点になると思います。
働きがい・生きがい・夢/志の創造については、
別の機会に詳しく書くつもりです。