本を著すことについて
【軽井沢発】
軽井沢で仕事キャンプを張って4日目。
2日目から雨、雨、雨。きょうも雨。
観光で来たのなら空をうらめしく思うところでしょうが、
私の場合、集中仕事なので、外への誘惑がなくむしろ踏ん切りがつきます。
窓を少し開けると、雨しずくが葉っぱやら地面に当たる音、
そしてときどき聞こえる野鳥の声が、心地よく仕事への集中力を増してくれます。
さて、今年の秋か冬ごろに1冊本を出せればと思い、まとまった読書をしています。
まず、本を書くには、切り口が必要ですが、
その切り口のスタートは、自分自身に「よい問い」を発することです。
書き手にとって、「よい問い」をすることが、本づくりの3分の1。
そして、「よい答え」を持つことが3分の1。
最後に、「よく書き上げる」ことが3分の1だと思います。
(出版社さんにとっては、並行して、よいパッケージに作りこむ、
よいマーケティング&セールスをするという仕事があります)
で、その「よい問い」を発するために、
現状のことをさまざまな視点から見つめなくてはなりません。
そのために、INPUTのための読書をします。
(もちろん、INPUTは読書だけでなく、仕事現場での直接的な情報感受・獲得が欠かせませんが)
ここ1週間で読んだ本といえば、
『なぜ社員はやる気をなくしているのか』、『「雇用断層」の研究』、
『人間らしい「働き方」・「働かせ方」』、『他人を見下す若者たち』、『オレ様化するこどもたち』、
『働きすぎの時代』、『職場はなぜ壊れるのか』、『不機嫌な職場-なぜ社員同士で協力できないのか』、
『その上司、大迷惑です。困った上司とかしこく付き合う傾向と対策』、
『ギスギスした職場はなぜ変わらないのか』などなど。
・・・いや、ほんとうに、いまの職場は壊れかけています。
ヒトも壊れかけています。
その嫌な流れが拡大することはあれ、健全なほうに転換していかない要因は何なのか?
もちろん、企業側(雇用側)の問題もあるでしょうし、
働き手側(上司にも、部下にも)の問題もあるでしょう。
社会や家庭にも問題となるものもあるでしょう。
私は、これらの問題の要因を論(あげつら)うだけの本にはしたくない。
その一番根っこにあるところの要因は何かを特定した上で、
この嫌な流れが改善に向かうためには何が必要なのかこそを書きたいと思っています。
そのための「よい問い」を見つけることが、現時点で最重要のことです。
* * * * *
さて、そんな中、腹応えのある本を読んでいます。
「よい問い」があり、「よい答え」が展開され、
「よく書き上げ」られている著作です。
ロバート・B・ライシュ著『暴走する資本主義』 (東洋経済新報社)がそれです。
「1970年代以降、資本主義が暴走を始めたのはなぜか?」
―――著者はこの「問い」を置くことからスタートしています。
この問いは、読み進めていくと解るのですが、
表面的な問いではありません。人間の根本を見つめようとする問いです。
その意味で、「よい問い」なのです。
そして、「よい答え」が解き明かされていきます。
著者は、資本主義を暴走させたのは、
強欲な企業・経営者、巨額の資金を運用する数々のファンドやマネーディーラーたち
ではない(根本的な意味で)と言います。
それは、「消費者」「投資家」として力を持った私たち一人一人なのだ―――
一人一人の力は小さいかもしれないが、
「もっと安いものを!」「もっとリターンの高い投資を!」という欲望が束となって
巨大な力を生み、資本主義の箍(たが)をはずすほどのプレッシャーをかけている。
しかし、その「消費者・投資家」としての欲望が増せば増すほど、
「労働者」「市民」としての私たち一人一人は、逆に富を享受できない方向へと
押しやられていく皮肉な現象を起こしている。
これがライシュ氏の答えです。
まえがきにこうあります。
「私たちは、“消費者”や“投資家”だけでいられるのではない。
日々の生活の糧を得るために汗する“労働者”でもあり、そして、
よりよき社会を作っていく責務を担う“市民”でもある。
現在進行している超資本主義では、
市民や労働者がないがしろにされ、民主主義が機能しなくなっていることが問題である。
私たちは、この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、
民主主義をより強いものにしていかなくてはならない。
個別の企業をやり玉に上げるような運動で満足するのではなく、
現在の資本主義のルールそのものを変えていく必要がある。
そして“消費者としての私たち”、“投資家としての私たち”の利益が減ずることになろうとも、
それを決断していかねばならない。
その方法でしか、真の一歩を踏み出すことはできない」。
この「よい問い」に対する「よい答え」を、
300ページ超にわたり事実を積み上げながら「書き上げて」いきます。
文章というのはいやおうなしにその人の人格やら思考の性質を顕してしまうもので、
ここにはロバート・ライシュという人物の高いレベルの良識さ・明晰さと、
そしてこのことを社会に発せずにはいられないという使命にも似た強い意志を感じることができます。
その意味で、「よく書き上げられた」本です。
実際のところ、ライシュ氏は、ハーバード大学の教授であり、
クリントン政権下では労働長官を務めた人物です。さらには、
ウォールストリートジャーナル誌で「最も影響力のある経営思想家20人」の1人に選ばれるほどですから、
よい本を著して、こういった論点を世に問うというのは、
当たり前といえば、当たり前なのですが、
日本において、こうした立場にある人が、どれだけこうした論議を押し出せるのか
と考えてみると、非常に残念に思います。
(本書についての感想は改めてアップしたいと思います)
* * * * *
私が起業したとき以来の問題意識は、
一人一人の働き手の「仕事観・働き観」をしっかりまっとうにつくることが
個々人のよりよいキャリア・人生をつくることにつながる、
そしてそれは、よりよい組織・社会をつくることにつながる―――
というものです。
その点で、今のこの暴走する資本主義の進路コースを修正し、
世界が継続的に維持発展できるようにするためには、
一人一人の欲望に関する意識を変えねばならないというライシュ氏の主張には
私は大いに賛同します。
次に著す本は、この本のように、
大きな「よい問い」を発し、
根っこに横たわる「よい答え」を見出し、
力強く説得力をもって「書き上げる」ことを自分に課したいと思います。