留め書き〈005〉 ~天職について
人はほんとうに「よい仕事」をやりきったとき、
自然と何か哲学的・宗教的な経験をしてしまうものである。
「天職」とは、“天から授けられる仕事”ということのほかに
“天とつながることのできた仕事”という解釈もできる。
「天職」とは、具体的な職業・職種を言うのではない。
「ああ、この仕事でほんとうによかったな」と心底思えたときが
天職を得たときである。天職とはひとつの「境地」である。
世の中にはまさに天から授かったような仕事を嬉々としてやっている人がいます。
私たちはそうした天職を得た人を半ばうらやましげに見つめます。
そこには、天職はある意味、運命的・受動的な授かりものという認識があるからでしょう。
しかし私は、天職をもっと主体的・能動的なものとして考えたい。
ほんとうに苦労をして、失敗をして、人から軽んじられたり無視されたり、
でも、その分野の高みや深みを真剣に追究して仕事をやりきったとき
(そして人から「ありがとう」とでも言われればなおさら)
人は何か “大いなるもの” とつながる感覚を得ます。
私はそうした感覚が得られた仕事であれば、
それを大いに「天職」と呼ぼうではないか、という考えです。
天職はどこからか降ってくるものではなく、
意志(想いとか執念とか、そんなようなもの)を持ってじっとその道を継続していけば、
おのずとつかめるものだと思っています。