« 2012年2月 | メイン | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月26日 (月)

新社会人に贈る2012 ~キャリアは航海である


Ys bg


   2012年春、社会人になって職業に就かれるみなさん、おめでとうございます。
   その門出にこの記事を贈ります。


   私たちは一人一人、何かの職業を選び、1年、5年、10年、20年とかけて、職業人生を歩んでいきます。その間、どんな種類の仕事をしたか、どんな経験を重ねたか、どんな役割を果たしたか、どんな成果を残したか、これら全部をひっくるめて「キャリア」と呼びます。キャリアとは簡単に言えば「仕事を通しての生き様」「職業を通じて織っていく人生模様」です。いずれにしてもそれは、みなさんお一人お一人のオリジナルなもので、尊いものです。

   キャリアは航海に喩えることができます。航海に大事なものを考えることによって、この先、自分らしくキャリアを歩んでいくために何が必要か、が見えてきます。

   さて、航海に大事なものは何でしょうか? 
私は次の3つを挙げます───「船・羅針盤(コンパス)・目的地入り地図」
その3つをキャリアに当てはめるとこういうことです。

 

1)知識・能力を存分につけて自分を性能のいい「船」にする
       =「自立」的になる

2)どんな状況でも、自らのぶれない判断を下せる羅針盤を持つ
       =「自律」的になる

3)地図を持ち、職業人として目指すべき「目的地」を描くこと
       =「自導」的になる

 

  では、それぞれについて詳しくみていきましょう。


◆「船を造れ」~まずはきちんと能力・経済力・体力をつける
   まず、航海になくてはならないものは何といっても「船」です。みなさんはこれから大海原に出ようとするときに、手漕ぎのゴムボートがいいですか、それとも馬力の強いエンジンを積んだタンカーがいいですか?───答えはいわずもがなですね。性能がよく、頑丈にできている船がいいに決まっています。
   キャリアにおいて船は誰かが用意してくれるものではありません。船はあなた自身です。これから長く続くキャリアの旅路を渡っていくためにまず大事なことは、自分という船の性能を高め、強いハードウエアを持つことです。すなわち、仕事に関わる知識や技能を積極的に身につけること、ライフステージに従って生活をきちんと維持発展させていくための経済力を保つこと、そして健康管理に気を配るということです。

   知識や技能には、ビジネスマナーやパソコンスキル、語学のように基盤的なものもあれば、職種や業界に特有の専門化したものもあります。また、マネジメント関連やリーダーシップ関連のように横断的で高度なものもあります。さらに、自分という船を特徴づけるためには、行動特性(コンピテンシー)を強めていくことも大切です。例えば、思考の柔軟性がある、交渉力に長けている、チームビルディングがうまい、ストレスマネジメントができる、などです。
   こうして一職業人として、他に依存することなく、能力的にも経済的にも独り立ちすることを「自立」と言います。まずは自分という船体をしっかり造る=自立することが、入社後、数年間の第一のテーマです。


◆「羅針盤を持て」~自らの律で物事を評価・判断する
   入社してしばらくは、処理的な仕事を任されることが多いでしょう。処理的な仕事は、段取りを覚えて、ミスなくきちんと、能率的にこなす業務です。これは真面目さと根気さえあればこなせます。ところが、そのうちに担当する仕事もだんだん難度が上がり、複雑さが増してきます。すると、仕事の現場や事業の世界には「正解がない」問いがたくさんあることに気がつくでしょう。ですから、ある段階からは「正解をつくりだす」ことが求められるようになってきます。そうした仕事をやっていくには、自分自身が物事の評価や解釈をし、選択・判断をし、意思を持つことが不可欠です。

   実はこのことが仕事のなかで最も難しいことなのです。どんな情報、どんな状況に接しても、ぶれない評価や判断ができ、意思を貫ける───これがつまり、「羅針盤」を持つということです(羅針盤はどんな場所に置かれても、常に針が北を指す)。
   羅針盤を持つとは、言いかえると、「自律的」になることです。自律の「律」とは、規範やルールといった意味です。自分の律に照らし合わせて行動を起こす、仕事をつくり出すというのが、入社数年後から求められる第2のテーマです。

   自らの律につき、1つ注意点があります。自律は“我律”であってはいけないということです。自律的な判断というのは、組織や社会の中で正当に受容され、かつ、その人独自の主張やアイデアを含んでいることです。他方、我流は、周囲の意見を軽視したり、意固地に主張したりするときが多く、気分によって移ろいやすいものです。自律的に振舞うとは、俺様流にやることではありません。

   ですから、他者や組織からも信頼される律・羅針盤を醸成するためには、時間も努力も経験も必要です。一番は、社内外問わず、「大きな働き方・生き方」をしている人の姿に触れていくことです。こうした模範とすべき人を「ロールモデル」と言いますが、私たちがそこから学ぶべきは、彼らの具体的な行動の奥にある仕事観や哲学です。羅針盤や律をどうすべきかは、ハウツー的・マニュアル的に学べるものではなく、感化され啓発され、自分で醸成させていくしかないからです。

  また同時に、仕事現場でさまざまな人間関係や意見の対立にもまれたり、経営者・上司からの理不尽な命令や、つじつまの合わない独断を経験したりする中でも、自分の羅針盤づくりは鍛えられます。優れて自律的な人は、こうした多様な意見の中から、「コモンセンス(良識)とは何か?」、「コモングッド(共通善)とは何か?」を自分なりに見出していく人です。

   自分の律・羅針盤をつくるために、個人の習慣としてできることは、例えば次のようなものです。

 

□他論・異論にあえて触れる
    ・図書館に行って普段行かない棚の本を読む
    ・新聞記事を隈なく読む(特に社説)
    ・苦手な分野のドキュメンタリー番組を観る

□そしてそれらの内容を自分なりの角度を入れて考える
    そのときのポイントとして:
   1)YESかNOか(賛同か反対か)を表明する
   2)「なぜなら~だから」と理由づけする
   3)その理由づけの基底にある価値観を考える
   4)自分が当事者なら、どう行動するかを考える
        (=単なる批評に終わらせない)

□「意見を書く・出す」を日課にする
    ・ブログで発信する(ツイッターのようなつぶやきは除く)
    ・会議では必ずアイデアを言う
    ・他者からの反応を注意深く受け止める

□座右の書を持つ
□理想とする人物を持つ
□働く上での信条・モットーを書き出す

 

 Ys bg02


◆「地図に目的地を描け」~一職業人として何者でありたいか
   さて、航海において、船を造りました、羅針盤も持ちました。で、どこを目指すのですか?───これが3つめのテーマである「地図を持ち目的地を描く」です。
   実際の航海であれば、どこを目的地にするかというのは当たり前のことです。目的地の定まっていない船にみなさんは乗りますか。ところが、キャリアという航海で、目的地を決めている人は、実は少ないのです。ほとんどいないと言っていいかもしれません。ちなみに、職場に配属された後、先輩社員や上司に、職業人として何を目指しているか、将来的にキャリアをどうしたいかを訊いてみてください。おそらく明快に答えられる人は少ないでしょう。

   会社という組織に入ると、全社事業目標という計画があり、そこから仕事は細かに分業され、各自が果たすべき業務の量や質が決められます。それをきっちりこなしていけば、組織から評価され、昇進があり、給料ももらえます。いわば、働くべき量と質は組織の枠の中で決められ、与えられるものになります。
   そうしたことに毎年毎年慣れていくと、ついぞ、自分が一職業人として何を目指すべきか、仕事を通し社会に何の価値を届けたいか、組織の肩書きをはずして何者でありたいか、などを考えなくなってしまうのです。つまり、悪い意味で会社員という狭い世界に意識が閉じてしまい、個人としてたくましく広い世界に意識を開いていかないのです。目的地を描かない航海とはこういうことです。
   サラリーマンという働き方は、目的地を描かずとも、定年まで勤め上げることができます。それはそれでひとつの姿ではあります。ですが、組織という守られた湾の内で船を漕いでいた人が、いざリタイヤとなって、余生という名の本当の大海原に放り出されたとき、はたして人生の最終目的地を描けるかどうか……これは覚悟しておかねばなりません。

   とはいえ、組織の中にいても、立派に個人として目的地を描き、そこに向かっている人はいます。是非、そうした人を見つけて、よい刺激を受けてください。そうした人は、仕事上の大いなる目的(夢や志)を持っています。その目的を成就するために、会社という組織をよい意味で手段として使い、舞台として踊っています。そして、社内外の多くの人たちと一緒にプロジェクトという名の思い出をたくさんつくっています。おそらくその人は、定年を迎えたときに、「ライフワーク」を見つけていて、定年後も一個人としてそれを楽しむにちがいありません。


◆「内なる声」によって自らを導く
   目的地を描くとは、言いかえれば、抗し難く湧き起こってくる「内なる声・心の叫び」によって自分を導いていくことです。それを私は「自導」と呼んでいます。
   20代は特に目的地を考えずとも、ある程度“勢い”でキャリアを進んでいけるものです。しかし30代に入ると、キャリアが停滞したり、漂流したりすることが起こってきます。このときにうまく「自導」できる人と、できない人の差が出始めます。それは、詰まるところ自身の「内なる声・心の叫び」を聞き取り、勇気をもって行動に移すかどうかの差です。

   1番目の「自立」も大事ですし、2番目の「自律」も大事です。しかし、キャリア・人生の分岐点をつくるという意味では、この3番目の「自導」ができるかどうかが、一番大事なことです。
   この記事を読んでいる方のなかには、最初の就職先が上位に志望した会社ではなく、どちらかというととりあえず入社できた会社という人もいるでしょう。そして一流と言われる企業に就職した人たちをうらやましく思っているかもしれません。最初の就職会社というスタート地点も人生の分岐点であることは確かですが、それよりもはるかに大事な分岐点は、今後のキャリアの途上で「自導的」になれるかということです。

   結局、自導的でない人は、進むべき方向も意味も持っていないので、真の活気が湧いてこない、働く発露がない。逆に自導的な人は、状況がどうであれ方向感と意義を感じながら、地に足をつけて力強く働ける。しんどくても快活になれる。迷いがない。
   第一志望の一流企業に入っても、キャリアを漂流させたり、場合によってはメンタルを病んでしまう人はいます。一方、入社先は必ずしも志望の上位ではなかったが、その後、自分の仕事を通して目的や意味を見出し、溌剌と働き、実績を出してステップアップの転職をかなえる人もいます。

   キャリアは短距離競走ではなく、自分なりの表現で完走を目指すマラソンです。10年20年という時間単位で、自分をどう導いていくかという目線が必要です。ですから、決して焦らず、自分は一職業人として「何者でありたいのか」という“内なる声”に耳を傾ける意識を忘れずに持ってください。


◆「分析」より「想い描く」ことが大事
   さらに加えておくと、その“内なる声”は自己分析によって聞き取れるものではありません。評論家の小林秀雄は『文科の学生諸君へ』の中でこう述べています。───「人間は自己を視る事から決して始めやしない。自己を空想する処から始めるものだ」と。同様に、ウォルト・ディズニーは、「夢見ることができれば、成し遂げることもできる」との名言を残しました。

  自分を使って世の中に何を届けたいのか───それを想うこと、描くこと、願うこと、誓うこと、これが“内なる声”を聞くことです。アタマで分析するのではありません、胸をふくらませ、肚(はら)で決めることです。

   ひとたび、その“内なる声”を聞いて、大いなる目的を持てば、そこからエネルギーが無尽蔵に湧き上がってくるでしょう。そして、その目的地(最初は漠然とした目的方向・目的イメージでもよい)から逆算して、船体はこれで大丈夫か、船体のどこそこを補強する必要があるぞ、とか、もっと精度のいい羅針盤を持ったほうがいいぞとか、自立や自律を補強する意識も生まれてきます。キャリアという航海を力強く進めている人は、そうした「自立・自律・自導」を善循環させている人なのです。

   さて、みなさんの航海はいま始まったばかりです。長い旅路です。航海は決してラクなものではありません。しかし、「しんどいけど面白い」「厳しいけど楽しい」「苦しいけど充実感がある」───それがよい航海です。それぞれが、是非、よい航海をされんことを願っています。いつかどこかでお会いしましょう。  Bon Voyage!



* * * * *
【関連記事】

〇新社会人に贈る2015 ~働くという「鐘」「山」はとてつもなく大きい

〇新社会人に贈る2014 ~仕事は「正解のない問い」に自分なりの答えをつくり出す営み

〇新社会人に贈る2013 ~自分の物語を編んでいこう

〇新社会人に贈る2012 ~キャリアは航海である

〇新社会人に贈る2011~人は仕事によってつくられる

〇新社会人に贈る2010 ~力強い仕事人生を歩むために





Ys bg03
東京都青梅市・吉野梅郷にて

 

2012年3月17日 (土)

「消費されない記事」を目指して~ブログ4周年


Miyako03r
沖縄・宮古島「砂山ビーチ」にて
この砂山ビーチへのアプローチ道は、来るたびに、どこか「坂の上の雲」を連想させるので好きな景色のひとつです

 

「私の人生は、現在を超越することであり、
一段一段と前進することでなければならない、

と、そんなふうに考えていた。

音楽がひとつひとつのテーマを順に、
ひとつひとつのテンポを順に片づけ、
演奏し終え、完成させ、前進していくように、

けっして倦まず、けっして眠らず、
つねに醒めて、つねに完全に沈着に、
人生の階段をひとつずつ通りすぎ、前進していくべきである」。

                                                ───ヘルマン・ヘッセ 『人は成熟するにつれ若くなる』




2008年3月9日、このブログの第一稿を沖縄の地で書き始めてから丸4年が経ちました。

これまでに積み重ねることができた記事は、245本。

これは自分自身の「シュヴァルの理想宮」プロジェクトだと宣言しましたが、
石ころを拾い集めて、あの城を造ってしまったシュヴァルから比べれば、
まだまだ労働量の微々たるものだなぁと思ってしまいます。

量を目的にはしないのですが、
1000本くらいまでは書くのがいいだろうと思っています。

「百里を行く者は九十を半ばとす」ということわざがありますが、
1000本をひとまずの区切りとすれば、900本で半分の道のり。
半分もまだまだ遠い先ですが、1本1本を楽しみながら、生み落としていくつもりです。


○「消費されない記事」を
私が意識しているのは、「消費されない記事」を書くこと。
かつて、ビジネス雑誌の記者だったころ、
表層の出来事を追い、流行の情報を書いて給料をもらっていましたが、
(そうしたコンテンツに需要はあるし、世の中に必要なものではありますが)
7年間もやれば、それは卒業ということで、
もっと自分のなかに積み上がっていく内容、
世の中がどう変わろうと読まれ続ける内容を目指して、ものを書くスタンスを変えました。

「100年後の人にも読んでもらえる記事」
───それをいつも気に留めています。

また、これに呼応して記事のタイトルづけも、
旬のワードを入れたり、クリックを誘う刺激的な表現はできるだけ避けながら、
正面から真面目に言葉を選ぶようにしています。

○「悩んでいる人・想いのある人に響くように」
知人からよく指摘を受けるのは、
内容が「真面目すぎる」「かたい」「説教臭い」「教条的」「観念的」といった点です。
確かに、そうかもしれません。

すごく大事なことを、さっと明るく、軽やかに、書いてしまえる
うらやましい人が世の中にはたくさんいます。
そういった人の文章を私も一生懸命勉強して取り入れようとしているのですが、
いかんせん、やはり「文は人なり」で、どうしたって人間性が出てしまいます。

文体や文章の雰囲気は、もうこれが自分の“地”なんだから、
このまま押すしかないと思っています。

そして、内容面。
これも、あるタイミングから自分のなかで割り切りができたのですが、
多少、教条的だろうが、観念的だろうが、
多くの読者に読まれるように、へんに中途半端な調整はやめようということです。

このブログは、読まれる数を追っているものではなく、
世の中には少数かもしれないけれど、
こういうことに悩んでいる、停滞している、弱っている、
あるいは、
こういう想いを持っている、目指している、問題意識がある、という人たちの心に
響く何かが届けられればいい、という肚構えで書いています。


Miyako01
宮古島「与那覇前浜ビーチ」


○創造したコンテンツを自分のなかに囲わない
これもよく仕事仲間から言われることですが、
そんなにコンテンツを気前よくアップしたら真似されるじゃないか、
商売上、得策にならないよ、ということです。


私の働く信条は、40歳のときに大きく変わりました。
「40以上の寿命は天からの授かりものと思って、
以降はもっと世のため人のためにこのアタマとカラダを使いたい」と。

確かに、自分の重要な表現やアイデアは著作権などで守るべきは守らねばなりませんが、
こと、文章や考え方に関しては、
それをすべてお金につなげようとしたり、顧客の中だけに閉じようとしないことです。

自分の文章や考え方が、たとえ真似されようとも、
それが広がっていくことが意味のあることだと思えるようになりました。
(その前に、真似されるに値する、優れたものを書き出せるかどうかですが)

また、真似ではなくとも、それがいろいろな人のヒントとなって、
いろいろな考え方がつくり出されることこそ本望です。

考えてみれば、私の考えやアイデアだって、
すべては過去・現在のいろいろな人の考えを吸収しているからこそ湧き起こるものです。
考え、整理したものは、どんどん世の中に放出する。

それが過去・現在の賢人たちへの恩返しになるし、未来への貢物になる───
それがいまの私の信条です。

 

「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっているが、
私はその浜辺で貝殻を拾い集めているに過ぎない」。

                                                                               ───アイザック・ニュートン

 

本ブログは5年目に入ります。
今後ともご愛読よろしくお願い申し上げます。

肌寒い3月の沖縄・宮古島にて


サイン

 

Miyako02r
宮古島「東平安名崎」
このブログもひとつの灯台でありたいと志しつつ


2012年3月14日 (水)

言葉という感性の「メッシュ」


Ksmesh


中学校のときのことだ。

詳しくは思い出せないのだが、何か作文の宿題が出されていたと記憶する。
冬の夕暮れ。
部活を終えての帰り道。
田んぼのなかの無舗装の一本道を歩いていくときの、
空の色の変化をその作文で描写したいと思っていた。

私は西の空の夕焼け色も素晴らしいと思うが、
それ以上に、
すでに闇が覆いかぶさりはじめている中天から東にかけての
無限のグラデーションで広がっていく紫から紺、黒の世界が好きだ。

で、その色をうまく表したいのだが、自分の知っている語彙は、紫、紺、黒しかない。
しかし、目に映っているのは、紫ではあるが紫ではない。
紺といえば紺だが、紺では物足りない。
黒なんだけれど、単純に黒と書いては気持ちが落ち着かない。

多分、紫、紺、黒と書いて作文しても、人には通じるだろうとは思った。
しかし、何だか自分の気が済まない。
「このモヤモヤした表現欲求を鎮めてくれる言葉はないのか」───
そんな思いにかられていたのだろう。
私は、翌日、市の図書館に行って「色の事典」を手にしていた。

「日本の伝統色」の事典だったと思うが、そこには目くるめく言葉の世界があった。

私が言いたかったのは、
二藍(ふたあい)であり、
瑠璃紺(るりこん)であり、
鉄紺色(てっこんいろ)であり、
褐色(かちいろ)であったのだ。

私はこうした語彙を手にしたとき、
胸のつかえが下りたというか、
ピンボケ景色を見ていたのが、
すっとレンズの焦点が合って画像がシャープに見えたというか、そんな気分だった。

* * * * *

松居直さんは、児童文学者、絵本編集者、元福音館書店社長として知られる方だ。
著書『絵本のよろこび』に次のような素敵なくだりがある。

まったくの個人的な体験ですが、十歳のころ、ちょうど梅雨のさなかで、学校から帰宅しても外へ出られず、縁側に座ってただぼんやりとガラス戸越しに庭を見るともなしに眺めていました。放心状態でした。外には見えるか見えないかほどの霧雨、小糠雨が降っていました。そのとき背後から不意に母のひとり言が聞こえました。

「絹漉しの雨やネ」

母の声にびっくりすると同時に、我にかえった私は「キヌゴシノアメか?」と思いました。私は“絹漉し”という言葉は意識して聴いた覚えがありません。わが家では父親の好みで、豆腐は木綿漉ししか食べません。しかし私には眼の前の雨の降る様と“絹漉し”という言葉がぴたっと結びついて、その言葉が感じとれたのです。


……「絹漉しの雨」。
松居さんもこの後に言及されているが、この表現は一般的ではなく、辞書にも載っていない。
おそらくお母様の独自の言い回しだったのだろう。
けれど、多感な少年は何ともすばらしい言葉を授かったものだし、
こうした「絹漉しの雨」が降るたびに、それを言葉で噛みしめられる感性も得た。

私たちは一人一人同じ景色を見ていても、感じ方はそれぞれに異なる。
その差は、持っている言葉の差でもある。

雨を見るとき、
「大雨」「小雨」「通り雨」「夕立」「冷たい雨」「どしゃ降り」───
程度の語彙しか持ち合わせていない人は、
景色を受け取る感性のメッシュ(網の目)もその程度に粗い。

他方、自分のなかに、
  「霧雨(きりさめ)」
  「小糠雨(こぬかあめ)」
  「時雨(しぐれ)」
  「涙雨(なみだあめ)」
  「五月雨(さみだれ)」
  「狐の嫁入り(きつねのよめいり)」
  「氷雨(ひさめ)」
  「翠雨(すいう)」
  「卯の花腐し(うのはなくたし)」
  「地雨(じあめ)」
  「外待雨(ほまちあめ)」
  「篠突く雨(しのつくあめ)」……
などの語彙を持っている人は、

感性のメッシュが細かで、その分、豊かに景色を受け取ることができる。

ただし、これらの語彙を受験勉強のように覚えれば感性が鋭敏になるということでもない。
実際、言葉を持たなかった古代人の感性が鈍いかといえば、まったくその逆である。

結局のところ、見えているものを、
もっと感じ入りたい、もっとシャープに像を結んで外に押し出したい、
そういった詩心が溢れてくると、
人はいやがうえにも言葉という道具を探したくなる。

古代人のなかには、
言葉がなく、自分の詩心を表現できずに苦悶した人もたくさんいたにちがいない。
そういった意味で、現代の私たちは何とも幸せだ。
日本語という美しい道具があり、
自分の表現を分かち合えるメディアを持っているのだから。


 

過去の記事を一覧する

Related Site

Link