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2008年4月25日 (金)

「自立」と「自律」の違い


私は「自律的な働き方とは何か?」「自律と自立の違いは何か?」を説明するのに、

 


3+5=●
●+●=8

 


の2式を用いています。

 


〈閉じた質問・閉じた業務〉

3+5=●は、いわゆる「閉じた質問」です。
誰が答えても、正解は「8」。
閉じた質問において、回答者が要求されることは、

 

  ・きっちり四則演算(というスキル)を習う
  ・速く、正確に答えを出す
  ・そして量をこなす

 

閉じた質問において、回答者は「処理作業」を行い、
個性を求められることはありません。
これは日ごろの業務で言えば、定型の仕事をこつこつやる、
または、過去の方法を踏襲して無難に仕上げる仕事ではないでしょうか。

 


〈開いた質問・開いた業務〉

 

一方、●+●=8は、「開いた質問」です。
答える人によって、「2,6」「4,4」・・・と様々出てくる。
開いた質問において、回答者が要求されることは、

 

  ・四則演算(というスキル)を習得しているのは前提として
  ・与えられたゴール(=8)に対して、自分なりの組み合わせを考える
   (なぜその組み合わせなのかの理由も付けて)

 

開いた質問においては、回答者は「創意工夫+判断作業」を行い、個性が求められる。
これは日ごろの業務で言えば、
やることのミッション・ゴールは決められているが、
そこにどういう方法・過程でたどり着くか、
効率・効果性も合わせて実行する仕事だと思います。

 


〈さらに開いた質問・業務〉

 

さて、●+●=○を、さらに開いた質問と呼びましょう。
この場合、回答者は、右辺(=○:ミッション・ゴール、たどり着く先)
も自分自身で設定する、
そして、それを実現するための左辺(●+●:プロセス、実現方法)も
自分で考えて、実行するという形です。

 

さらに開いた質問において、回答者は「課題発見+目的設定+創造+判断作業」を行い、
より強い個性+やりきる力が求められます。
これは日ごろの業務では、
過去のやり方に安住せず、新しいアプローチで、
新しい商品・サービスを生み出し、新しい顧客をつくりだす仕事だといえます。

 


* * * * * * * *

 


自立と自律の区別は、世の中で明確にされているわけではありませんが、
私は次のように解釈しています。

 


「自立」は、
・self-standing(自力で立つことのできる)
・他に依存しないで、自分でやっていける
・主に経済的自立、技能的自立をいう

 


他方、「自律」は、
・self-directing(自分で方向付けできる)
 つまり、自力で立った後は、自分が決める方向に進んでいけるということ
・“律”とは、規範やルールのこと。

 

つまり、自らの価値観を持って、そしてまた組織全体の価値観との整合性を図りながら、
目的と手段をつくり出し、進んでいける。
そして他にもはたらきかけることができるということ。
したがって、意識的な自律をいう


こんなことから、私は、上の数式をメタファーとして、

 

  ・3+5=●は、自立レベル
  ・●+●=8は、半自律レベル
  ・●+●=○を、自律レベル

 

 

だと研修で説明しています。

 

キャリアとは何か?働くとは何か?仕事とは何か?―――といった曖昧模糊とした問いに対し、
学術的なキャリア論はある種の回答を与えてくれますが、
どうもハラにストンと落ちてこないところがあります。

 


だから私は、何かの比喩を用いて、
「原理・原則をイメージさせる」ことを重要視しています。
この数式を用いた暗喩(メタファー)もそのひとつです。
ちなみに、この数式の暗喩を発展させて
現在、研修で行なっている「レゴブロック」のゲームプログラムが出来上がりました。
それについては、別の機会に詳しく書こうと思います。

 


2008年4月12日 (土)

基本は「展職」!場合により「転職」・結果として「天職」


◆職人の手と道具
私はかつて勤めた出版社で、

デザイン雑誌の編集をやっていたときがあります。

取材の中でも、

伝統工芸家や職人さんの取材はとても面白かったものです。


取材時に私が毎回、目を引かれたのは、

彼らの手と道具です。


長年の間、力と根気を入れて使った手や指は、

道具に沿うように曲がってしまいます。

また、道具も、彼らの指の形に合うように

すり減って変形してしまいます。


時が経つにつれ、互いが一体感を得るように馴染みあった手と道具は、

それだけで味わい深い誌面用の絵(写真)になります。


真新しい道具が手に馴染まず、なにか違和感がありながらも、

使い込んでいくうちに手に馴染んでいく、

もしくは手が道具に馴染んでいくという関係は、

職と自分との関係にも当てはまると思います


つまり、

仕事人生の途上で出合う雇用組織・職・仕事で、

あらかじめ自分に100%フィットしたものなどありえない


仕事内容が期待と違っていた、

人間関係が予想以上に難しい、

自分の能力とのマッチング具合がよくない――――など、

どこかしらに違和感は生じるものです。


ただ、そうしたときに職業人としての自分がやらねばならない対応は、

自分の行動傾向をその職・仕事に合うように少し変えてやる、

もしくは

自分の能力を継ぎ足したり、改善したりすることです。


または、その職・仕事の環境を自分向きに変えてやる、

あるいは、

些細な違和感を乗り越えられるよう

雇用組織との間で大きな目的を共有するという努力も必要です。


* * * * * * * * * *

◆最初の仕事はくじ引きである 

ピーター・ドラッカーもこう言っています。


「最初の仕事はくじ引きである。

最初から適した仕事につく確率は高くない。

得るべきところを知り、

向いた仕事に移れるようになるには数年を要する」と。



私は職業人の最も重要な能力の一つは、

「状況対応力/状況創造力」だと思っています。


ドラッカーの言うとおり、

最初の仕事はくじ引きなんだから、

「はずれ」が出ることもあると楽観的に構える。

でもその「はずれ」は、自分の状況対応、状況創造によって

人為的に「当たり」に変えることができる


結論的に言えば、

キャリアづくりとは、職業選択というくじ引き後の

職と自分の馴染み化(状況対応/状況創造)のプロセスなのだと思います。


そして結局、その馴染み化をうまくやれるかどうかは、

「自律マインド」です。

(“自律マインド”に関しては、詳細を次の機会に書きます)


努めて自律的であろうとする人は、

多少の職場の違和感、不満、不足、不遇をその場で乗り越えていける。


自律的になることがしんどそうで逃げる人は、

違和感、不満、不足、不遇を嫌って、すぐに居場所を変える。

(そして漂流回路に陥るリスクを自ら大きくする)


* * * * * * * * * *

◆3つの「テンショク」

目の前の職・仕事と自分が馴染み合うように状況を変えていく

その自律的な営みを、私は、「展職」と名づけています。


「展職」の「展」は、

“展(の)べる” とか“展(の)ばす”と訓読みし、

広げる、進める、変えるといった意味を含んでいます。


どんな職業・仕事も、展べる余地は無限にあります

ただ、それをやるかやらないかは、すべて働き手本人の問題です。

「小さな役はない。小さな役者がいるだけだ」――――

とは、演劇の世界の言葉ですが、

それと同様に、


「つまらない仕事はない。

仕事をつまらなくしている人間がいるだけだ」ともいえます。

したがって、

長きにわたる仕事人生において、基本は「展職」です。

そして場合により、「転職」が必要かもしれません。

(私も、実際、4回もしました!)

しかし、転職は、あくまで手段です

自分の目的観や方向性がある程度みえているなら、その選択肢は有効でしょう。

しかし、安易な動機でそのハイリスクのカードを切ると、

ますます状況を悪化させることがあります。注意してください。


まさに、転職が「転ぶ職替え」になります。

転びはじめると、それが“転びグセ”になることも往々にしてあります。


ですから基本は、ある忍耐さを持って、

「展職」に取り組んでみることです。


そうこうしているうちに、結果として、

「天職」、あるいは、

生涯を通じてやり続けたいライフワークのようなものがみえてきます。

(それは、「展職」についてくるごほうびみたいなものかもしれません


私が、研修などで受講者のみなさんに言っていることは次のようなものです。


職・仕事との向き合いで、決して短気を起こさないこと。

キャリアは、短距離競争ではなく、

いろいろガマンの要るマラソンだから


2008年3月17日 (月)

きちんと働くマインド・観を持った人が、強くて安定する

福澤諭吉の言葉に次のようなものがあります。

「思想の深遠なるは哲学者のごとく、

心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、

之に加ふるに、小俗吏の才能を以てし、

之に加ふるに土百姓の身体を以てして、

始めて実業社会の大人たるべし」。

よき職業人の要件として、

福澤は、思想、心術、才能、身体の4つをあげているわけですが、

ここで興味深いことは、思想や心術をまず先に置き、

才能をようやく3番目に置いていることです。

私も、その順序におおいに賛同します。

なぜなら、各々の働き手が持つ知識や才能の数々は、

その人の奥底に横たわる働くマインド・観の地固めをしてこそ、

質の高い業務成果およびその再現性へと結びつくと考えているからです。

そして、マインド・観をきちんと持った人が、

いろいろな人生の波に遭遇しつつも、結果的に、

自分自身の満足・納得のいく仕事人生を形成していくことができるからです。

“マインド・観を腹に据えた人”は、ゆらぎつつも安定する。

“知識でっかち”“技能でっかち”の人は、

翻弄され、いつまでも不安定でいる。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

しかし、現実の職業人教育をみると、

知識の注入や技能の習得といった「HOW」ばかりを覚えこませる

プログラムばかりです。

そして、働き手側も、「HOW」の習得に躍起になっている。

だから、書店に行っても、

そうした効率的・功利的な「HOW」の本が溢れているし、売れもする。

「HOW」を身につけることは確かに必要です。

しかし、自分で「WHAT」を考え(=目的を定める)、

自分で「WHY」を考える(=意義を見出す)ことは、もっと必要です。

たまたま良書に出会い、

あるいは、たまたま影響力のある上司に出会い、

自分の働くマインド・観を醸成できた人は幸せです。

しかし、世の中でそうした人はどちらかといえば少数派であり、

ほとんどの職業人はマインド・観を漠然と放置したまま、

日々の業務処理に忙殺されていっているのが現状です。

だからこそ、本ブログのこのカテゴリーでは、

みなさんと一緒に、

働く「マインド・観」をみつめていきたいと思います。

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