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2010年8月 9日 (月)

部課長の対話力〈2〉~上司は「客観的であれ」に逃げるな


◆部下は「正論」より「熱のある話」を聞きたがっている
世の部長・課長は「部下のマネジメント」という名目の下に学習熱心です。
さまざまに研修・セミナーを受け、ビジネス書を読み、いろいろな知識・技術を吸収しています。

例えば、部課長は管理職に上がったときに「人事考課者研修」を受け、
部下の評価をいかに客観的に公正に行うかを学びます。
そこでは評価者が陥りやすいエラーとして、
「ハロー効果」や「寛大化傾向」「中心化傾向」「理論的錯誤」などがあることを学びます。
また、人事評価制度に基づく客観的な事実のとらえ方や、
査定方法、運用方法、面談方法などをこと細かに勉強します。

また部下とのコミュニケーションを改善しようと「コーチング」を学んだりもします。
そして「答えはあなたの中にある」という奥義を知ります。

私はこれらの学習は必要であり、大事な知識吸収だと思っています。
しかし、少なからずの部課長たちが、その習った知識や技術に“逃げている”のではないかとも感じています。

人事考課者の研修では、部課長は、一にも二にも
「客観的であれ。客観的な事実を把握し、それによって判断し、伝えよ」と教わります。
しかし部課長が客観性に留まっているだけで部下は動くのでしょうか。
上司との面談において、

 部下は、「正論」より「熱のある話」を聞きたがっています。
 部下は、「評価」より「自分の存在意義」を求めています。
 部下は、「データ」より「意味・やりがい」に耳を傾けます。
 部下は、「現実の分析」より「未来の期待」によって動きます。
 部下は、「詰問」より「自問」によって考え始めます。
 部下は、「客観的事実」より「主観的想い」を雑多にぶつけられる中で
       「この上司と一緒にやっていく!」かどうか、肚を決めます。

「客観的に冷静であれ」ということを金科玉条のごとく守っている上司は、
実は、自らの担当事業について熱をもっていない、
主観的な自分の意見を自信を持って部下にぶつけられない、
自部署のやっていることの意味や意義を語れない、
部下の成長イメージを描けない、などの場合が多いのではないでしょうか。
ですから、彼らが唯一頼れるのは「客観的でいる」ことなのです。

コーチングのエッセンスである「答えはあなたの中にある」という問いかけもそうです。
少なからずの上司が、このフレーズに逃げ込んでいます。
「上司が自分の主観的な意見や想いをいたずらに部下に言ってしまわないほうがよい。
彼(彼女)自身が答えを出さなくなってしまう」―――
これを都合のいい理由にしながら、実は、
上司本人は部下にぶつける「コンテンツ(言うべき中身)」を持っていないのです。

もっと困った上司は、部下と一対一面談をするときは
「真正面どうしで座らず、90度の角度をつくるように座るのがよい」というテクニックだけを覚えて、
それを実行することで何か部下マネジメントが上達した気になっていることです。

「どのように話すかという問題が意味を持つのは、何を話すかという問題が解決されてからである」
―――前回紹介したピーター・ドラッカーの言葉を私たちはよくよく肝に銘じなくてはなりません。

公正で透明な人事評価の運用は大事です。
しかし、それは主に「衛生要因」としてはたらくだけで、 「動機づけ要因」としては非力です。
部下が大いに動機づけされるためには、
上司は強い主観を持ち、言うべき中身をどんどん彼らにぶつけなければならないのです。
そこには対話というコミュニケーションがどうしても必要になってくるのです。

◆コミュニケーションの基本要素「3つのC」
部課長が部下に対して行うコミュニケーションを極めて単純な形で言い表すと、
次のようなものになります。

 部課長は、
  〈1〉状況文脈をつかみ、その文脈に乗せて
  〈2〉語るべき内容を持ち、
  〈3〉もろもろの振舞いを通して、
 部下に対し意志疎通を図る。

ここに出てきた3つの要素;
 ・「文脈」(Context)
 ・「語るべき内容」(Contents)
 ・「振舞い」(Conduct)
は、どれを欠いてもコミュニケーションが成り立たない大事な基本要素といえます。
英語表記の頭文字を取って「3つのC」と呼ぶことにします(図1)。

Bkc2a


コミュニケーションは双方向ですから、実際は図2のように、
部課長には部課長の3つのCがあり、部下には部下の3つのCがあり、
これらが相互にやりとりされる形になります。

Bkc2b



〈1〉状況文脈をつかみ、その文脈に乗せて
よいコミュニケーションは自分の言いたいことを一方的に押し放つだけでは成立しません。
文脈をつかむという受信作業、そして文脈に乗せるという発信作業があってこそ
効果的に成立します。ここで言う文脈とは、
上司/部下間に漂う空気とかそれまでのやりとりの過程、両者の関係性、担当事業の進捗する具合、
組織風土、社会情勢など、当事者を取り巻く諸状況を指します。

図2を見てわかるとおり、部課長と部下が同じ状況におかれていたとしても、
部課長には部課長の文脈があり、部下には部下の文脈があり、
双方の文脈はまったく同じではありません。
なぜなら両者には問題意識の差や情報感度の差などがあり、部課長側が感じ取る文脈と、
部下側が感じ取る文脈にはズレが出て、それぞれのものになるからです。

部下とのコミュニケーションに優れた上司は、
部下が感じ取っている文脈がどんなものであるのかまでをも含んで文脈を読み取り、
やりとりをします。いずれにしても、
部課長として部下に「何を・どう語る」のかは、こうした文脈の上にしっかり乗っていなくてはなりません。

〈2〉語るべき内容を持ち
コミュニケーションの核となるのは、何と言っても「語るべき内容・伝えるべき中身」です。
部下を動かしたり、部課長が信頼されたりするのは、
最終的にはその部課長から「何が語られたか」なのです。

ビジネス現場にはあらかじめの正解値がない問いばかりです。
そんな中で、対話力のある部課長とは、どんどん自分の考えることを部下にぶつけます。
そして、部下はそれに刺激を受け、自分なりに考えることを始めます。
部課長の「語るべき内容」の量と質に応じて、部下は何らかの反応を示すものです。
そして部下からの反応と、部課長の考えとを戦わせながら、
第三の答えを未知の中につくりだしていく、これがよい対話がなされている姿です。

〈3〉もろもろの振舞いを通して
コミュニケーションにおいて、語るべき内容は発信者側のいろいろな行為によって相手に伝えられます。
相手と直接対面しながら口頭で話しをする、これは最もわかりやすい行為の形ですが、
対面せずとも言いたいことを伝える形もあります。
手紙やメールがそれです。

また、話しをしたり、文面で伝えたりといった言語的な形もあれば、
無言でつくる顔の表情や真剣になって取り組む背中など、
非言語的な形でこちらの気持ちが伝えられることもあります。
そのようにコミュニケーションは発信者自身の心情や人柄、人格までもが滲み込んだ
振舞いによって届けられるのです。

◆対話とは「正・反・合」の共創作業である
コミュニケーションの中で、最も建設的で、しかしながら最も根気を要する形が「対話」です。
対話を本記事なりに定義すれば、
「考えていることを真摯に開き合い、
互いが当初よりも高い次元の考えにたどりつこうとする語り合い」となるでしょうか。

ジャーナリストの立花隆氏は次のように書いています。―――
  「会話というのは、それ自体が一つのダイナミックな過程であり、
  対話者同士のインターアクションによって展開していくものである。
  弁証法(ディアレクティケー。もともと対話術の意味)的に会話をうまく展開させられれば、
  それはインターアクティブであることによってより高次元の認識に達することができる過程となる」。
   (『二十歳のころ』より)

ここで出てきた「弁証法的な発展」とは簡単には次のようなことです。
一方に〈正〉という考えがあって、他方に〈反〉という考えがある。
その双方が議論を重ねて、〈合〉という「第三の知」を新しく生みだすこと(図3)。


Bkc2c


上司と部下との対話もまさに「正・反・合」の共創です。
別に表現すれば、「1+1=3」です。

つまり、上司が「1」という自分の考えを差し出し、
部下も「1」という考えを差し出す、あるいは上司が部下の「1」を引き出して傾聴する。
そして新しい気づきである「3」を互いが得る。

対話とは単に双方が気休めで座談しているものではありません。
高次元の結実を求める意志的な協働なのです。
そしてこの協働によって生み出される「第三の知」こそ、
組織文化の源となり、環境変化に対応していくための推進力になるのです。

◆互いの「べき・はず論」を超えて「共有目的」を置く
対話が重要な作業であるのは誰しも感じることなのですが、
上司と部下において、なかなかこれができません。それはなぜでしょうか?―――
それは図2でみたとおり、
上司には上司の文脈があって、上司はそこに乗ってコミュニケーションをしようとし、
一方、部下には部下の文脈があって、部下はそこに乗ってコミュニケーションしようとするからです。

たいてい両者の文脈にはズレが生じていて、
そのズレが大きければ大きいほど対話はかみ合わなくなります。
上司も部下もそれぞれが自分の「べき論・はず論」を前面に立てていて、
歯車が共創回路に入らないのです。

では、どうすれば対話がかみ合い共創回路に入りやすくなるのか。
―――それには「共有目的」(Common Purpose)を設定することが必要です。

会社という全体組織にしろ、部課という小単位の組織にしろ、
それはいろいろな背景をもち、いろいろな考えや性格をもった人びとが、
たまたま居合わせるようになったモザイク的な集団です。
そんな人びとの集団の中で、雑談を超え、会議を超え、命令を超え、
対話が起きるためには目的が欠かせません。
同じ目的を見晴らし、その目的実現のために組織はどうあるべきか、
各人は何をすべきかと考えるとき、対話は起こりやすくなります。
つまり、図4のように、上司も部下も互いの文脈の中に、共有する目的を置ければいいわけです。

Bkc2d


ここでさらに重要なことを言います。―――「目的」とは何でしょうか?

目的は「目標」とは違います。
図4において、「共有目的」の箇所を「共有目標」と置き換えてはいけないのです。
共有目標の下には対話は起きません。下手をすると分裂すら起きます。

目的と目標の違いは、端的には「目的=目標+意味」によって表わされます。
つまり、目標とは単純に目指すべき方向や状態を言います。
目的はそこに意味や意義が付加されたものです。

目標はある種、冷徹なもので、定量・定性的に表わされ、ひたすらそれを達成することが求められます。
ですから、上司と部下が「共有目標」を間に置いてコミュニケーションをするとどうなるか?
―――両者の関心は、もっぱらそれを達成する手段や方法論に偏り、
最終的にはその目標が「できる・できない」について神経を尖らせ合うという結果を招きがちです。
そこにはもちろん対話は生まれません。
最悪の場合、「給料をもらいたんなら、つべこべ言わず目標をクリアしろ!」と、
上司が一喝して終わりということにもなりかねません。

一方、上司と部下が「共有目的」を間に置いてコミュニケーションをするとどうなるか。―――
両者の関心は
「なぜ、我々はこの目標を成し遂げる必要があるのか?」
「我が社・我が部が行う事業の意義は何なのか?」
「その意義に照らし合わせてみて、現状の目標が適切なのか?」
「この目標を達成することは自分自身のキャリアにとってどんな意味があるのか?」
といった観点になる。そこには、意味創出のための対話が必然的に起こってきます。

共有目的とは、分かち合える理念やビジョンと言い換えてもいいでしょう。
いずれにしても、このことを部下とともに語らおうとすれば、
部課長はしっかりとした「観」を自身の中に打ち立てておく必要があります。
なぜなら、目的は意味論・価値論をベースに語られるものだからです。

◆部課長の対話こそ組織の自律的成長の起点
このように対話を行うことは、部課長にさまざまなことを要求してきます。
文脈を読むこと、語るべき内容を持つこと、
そのために観(仕事観、人財観、キャリア観、組織観、社会観)をつくること、
そして部下と目的を共有し、さまざまな振舞いを通して語ること―――
さて、こうした対話の起こせるベースをきちんとつくっている部課長が、
あなたの組織にどれくらいいるでしょうか?

指示・命令がうまくできる部課長がいるかもしれません。
客観的で冷静に部下を評価できる部課長がいるかもしれません。
気さくに冗談を飛ばして人気のある部課長がいるかもしれません。
しかし、腹応えのある対話のできる部課長は少ないものです。

しかし、この対話のできる部課長こそ、組織を自律的にさせるために不可欠な存在なのです。
なぜなら、対話とは上司の「1」と部下の「1」をぶつけ合って、
「3」を生み出す作業だと書きましたが、この「1+1=3」こそ、
その組織の自律的な成長プロセスにほかならないからです。

日ごろの職場で、主観的な想いぶつけながら部下に思索・啓発を促し、
部下とともに目的を語り、対話の中から進むべき解を探り出していく部課長が
1人1人増えていくことこそ、個と組織が強くなる確実な道のりなのです。



2010年8月 4日 (水)

部課長の対話力〈1〉~上司の対話が個と組織を強くする

Bukachobk 
きょう版元さんから8月11日発売の新著が届いた。

『個と組織を強くする部課長の対話力』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン、1500円+税)

今回の表紙は装丁デザイナー・中村勝紀さんのこだわりもあり、
銀の特殊紙に黒のシルク印刷をかけるという手の込んだもの。
質感がとてもよい。
今後、書籍販売の主戦場は電子出版に移っていくことは確実だが、
どこまでいってもこうした手触り・目触りのある実物の本というものはなくならない。
書籍とは本来、
「情報の中身(コンテンツ)×デザイン×製本」で完成するパッケージ商品なのだ。


 

◆いま職場に「対話」があるだろうか!?
世の部課長(組織でいわゆるミドルマネジメントにあたる人びと)に対し、次の問いを発したいと思います。

□日本の働く現場では多くが疲れている。
確かにマクロの眼で見ると「経済のグローバル化」や「企業の利益至上主義」
「成果主義」が要因となって労働者を消耗させ、
職場のギスギス化を促進させているように説明がつく。
しかしその前に、ミクロの眼で見て、
部長や課長は職場で1人1人の働き手に語りかけることをしているだろうか?

□「大学新卒入社者は最初の3年で3割が辞める」、
「離職理由の4割が能力適性と配属とのミスマッチであるらしい」といった調査データを眺めて、
「我慢をしなくなった若者を扱うのは難しい時代だな」と静観することは簡単である。
しかし部長や課長は、
ある日突然「会社を辞めたいんですが」と言ってきた社員に、
それまでの日頃、彼(彼女)とどんなコミュニケーションを交わしていたのだろう?

□世の中は戦略ブーム、知識ブーム、変革ブーム、制度ブームである……
しかし、組織を本当に変えるために、
そもそも経営者と働き手、上司と部下の間にどれだけの対話があっただろうか?

□「近頃の若者は○○できない」「最近の新入社員は○○が弱い」といった
イマドキの若者論はいつの時代にも年長世代の口から漏れてくる。
しかし、同時に耳を澄ませば、こんなことも漏れ聞こえてきはしないだろうか?―――
「いまどきの部課長は保身に走っている」「いまどきの上司の背中は貧相だ」
「最近の中間管理職はトップからの命令と数値目標を現場に下すだけの伝書鳩管理職だ。
みずからの言葉で真正面から何かを語ってくれたためしがない」。

□部課長たちは研修やセミナーでコミュニケーション術の習得に熱心である。
しかし、ピーター・ドラッカーはこう言っている。
―――「どのように話すかという問題が意味を持つのは、何を話すかという問題が
解決されてからである」
(『プロフェッショナルの条件』より)と。
そう、術・スキルをうんぬんする前に、
部課長たちは「語るべき何か」をどれほど豊かに内面に湛えているだろうか?

□確かに部課長は日頃の職場で、業務指示や目標徹底など通知すべきことは多く抱えている。
しかしそれら命令や情報とは別に、
「仕事とは何か? よりよく働くこととは何か?」のような誰もが抱く根っこの問いに対して、
どれだけ多くのことを肉声で語っているか、あるいは、語れるだろうか? 
そしてそもそも、部長や課長は一職業人として、
語ることのベースとなる「観」をどれだけ堅固に持っているのだろうか?

* * *

……私もサラリーマンを辞めたときは、ある大きな企業の中間管理職をやっていました。
中間管理職というのは、組織の中で実に雑多な情報が行き交うポジションであり、
またそれらを適切に処理し、部署を動かさなくてはならない役目にあります。
したがって、部課長は日々大量のコミュニケーションを行っています。
書類のやりとり、電話・メールのやりとり、会議での発表や討論、取引契約の交渉、
接客での説明やプレゼンテーション、仕事合間の世間話など。

さて、そこで振り返ってみるとどうでしょう、その中で「対話」という形式を使った
コミュニケーションがどれくらいあるか?―――ほとんどないことに気がつくでしょう。

社内で行われるほとんどは、 「指示・命令系」 もしくは
「議事系(会議・討議)」 のコミュニケーションです。
あと 「渉外系(商談・折衝)」 「雑談系」 があって、
そして稀に 「対話系」 が混じってくるという具合です。
部長・課長が自分の部下に対して、思索や啓発を促す対話を行ったのはいつのことでしょうか? 
一週間前? 半年前? 一年前? それともその類のことはやったことがない? 
もっとも、対話であると思っていたものは、一方的なお説教であったり、
単なるガス抜きの談話であったりする可能性もあります。


◆対話とは「1+1=3」の共創作業である
いま組織内で対話が決定的に欠乏しています。
そして何についての対話が欠乏しているかといえば
「仕事とは何か?」という万人の働き手が持つ大きな問いに対する対話です。

「仕事とは何か?」という問いには、
 働く目的とは何か? 
 企業も個人も結局は利益・給料のために働くのか? 
 どうすれば働きがいが見出せるのか? 
 同じ仕事をやっても労役と感じる人間と朗働と感じる人間と差が出るのはなぜか? 
 仕事の最良の報酬とは何か? 
 会社と個人は主従関係なのか? 
 自律的に働くとは具体的にどういうことか? などさまざまな内容を含みます。

もちろんこうした問いに決まり切った正解値はありません。
変化が激しく、常に数値目標が覆いかぶさるビジネス社会にあって私たちがしなければならないのは、
こうした問いに対し、動機の湧いてくる解釈、状況を切り拓く自律性、
変化に押し流されないための観をつくり出していくことです。
そして、それは対話によってこそ可能になるのです。

対話とは、双方が真摯に心を開き、
意見や観を交換し、「1+1=3」という新しい次元にたどり着こうとする共創作業です。
その意味で、漫然と話を交わす会話とは異なります。

対話とは、上司は経験から獲得した「1」を差し出し、
部下は未熟ではあるが熱のある「1」を差し出し、
そこから「3」を生み出す意欲的なチャレンジです。

組織はいくら立派な戦略を立てても、その戦略意義を対話を通して
一人一人の働き手に咀嚼させないかぎり、その戦略は有効に実行されません。
そればかりか逆に、ますます現場を疲弊させることを招きます。
また、組織がいくら立派な理念を標榜したとしても、
その理念を対話を通して一人一人の働き手に共感してもらわなければ、
単なるお題目に終わってしまうでしょう。
さらに、組織はとても立派な制度改革をやりますが、
その導入目的を対話を通して一人一人の働き手に納得してもらわなければ、
「仏作って魂入れず」となり制度だけが空回りします。

◆なぜ部課長は対話を起こさないのか
そうした対話の重要性は経営者も管理職もたぶん感じていることでしょう。
しかし、現場の部課長たちは「仕事・働くこと」といった重い直球のテーマについて、
どことなく対話を避けている、もっと厳しく言えば逃げてはいないでしょうか。
それはなぜでしょう。

○「そんなテーマの対話などよそよそしくてできない・気恥ずかしい」
……上司というものは、業務の指示・命令なら部下の心理にズカズカと強気で
入り込んでいくのに、こうしたことになるととたんに引っ込み思案になってしまう。
それは都合のいい臆病ではありませんか。
確かに最初は照れくさい部分があるでしょう。
しかし、働くことを上司と部下が真正面から論議することは当然のことといった雰囲気で
勇気をもって始めてください。
対話が習慣・文化となれば、もはやよそよそしいものでなくなるのです。

○「忙しくて時間がない」
……部下との対話は彼らの動機付けであり、育成であり、組織の文化づくりであり、
活性化であり、これらは中間管理職としての業務そのものです。
業務そのものが忙しくてできませんというのはどういうことでしょうか。

○「対話するエネルギーが湧かない」
……世の部課長が疲れていることは知っています。
対話には相当のエネルギーが要るのでこれ以上しんどいことをやりたくないのは当然でしょう。
ですが考えてみてください。対話のない冷めた組織を率いていくのと、
対話によって活性化した組織を率いていくのと、
結果的にどちらが使うエネルギーの量と質が自分にとってよいものなのかを。

○「どう対話していいか方法がわからない」
……おそらく方法がわからないのではなく、語るべき何かを持っていないのでしょう。

○「何を語っていいかがわからない」
……おそらくご自身の内に
仕事・働くことに関する確固とした観や哲学が打ち立てられていないのでしょう。

○「堅苦しい対話ではなく、酒の席でいつも気持ちを聞いてやってるので大丈夫」
……飲みュニケーションはときに有効です。
が、酒の力を借りなければ本音が言い合えない組織は問題ですし、
部下のすべてが酒席を好むわけではありません。

○「コーチングを勉強して、それをうまくやれればと思っている」
……コーチングはときに大事な技術です。
しかし、「答えは君の中にある」という投げかけに頼って逃げようとしていませんか? 
コーチングは部下の持つ「1」を掘り起こしてあげる手伝いです。
対話は「1+1=3」の共創作業です。
コミュニケーションの種類が違います。
上司が自分の「1」をぶつけられなくてどうするんです。
上司がぶつけないかぎり、「3」は生み出されないのです。

○「経営者が魅力的な戦略もビジョンも出さないから、対話の材料がない」
……経営者がダメだからと理由づけしているあなたの下には、
たぶん「うちの部長・課長がダメだから」とやる気を起こさない部下が何人もいることでしょう。

部課長たちがこうして部下との対話を逡巡している間に、
職場のギスギス化はどんどん進んでいます。
「仕事・働くこととは何か?」という根っこにある大きな問いを上司も部下も放置すればするほど、
職場は「所詮、カネ稼ぎのための辛抱場所」という殺伐とした空気が濃くなっていきます。
ギスギス化の要因を成果主義の導入や経済のグローバル化による利益主義と
片付けることは簡単です。
しかしマクロからああだこうだ言うだけでは事態は改善に向かいません。
ミクロ、つまり一人一人に語りかけることからのアプローチが絶対的に必要なのです。

◆部課長の対話する力――それは組織にとって重大な分岐点である
企業を強くする源は何でしょうか? 
技術力、資本力、事業理念、経営者の指導力、組織風土、優秀な人財を集めること……
それはさまざまに考えることができますが、
私は「部課長の対話力」を無視してはならないと思っています。

企業を強くするものを源まで突き詰めていくと、
「働くことは厳しいけど奥が深い。もっと働くことにチャレンジしよう」という
個々の働き手のアクティブな就労意識と、
「この事業を通し社会で求められる存在になる」という組織の理念意志が相互に絡み合う状態です。
この個と組織の有機的反応を促進するのが、ほかならぬ「対話」です。

部課長がよき対話を起こしている組織は、
仕事の厳しさを個人の成長と組織の発展に変えていくことができます。
逆に対話をなくした組織は、個がどんどん心に余裕を失くし、
自分のことで精一杯になります。結果、組織は砂漠化し弱体化します。
その分岐点に存在するのは間違いなく部課長なのです。

「仕事とは何か?」を部下と真正面から対話すること―――
部課長はこれを腫れものに触るような感じで避けるのではなく、
勇気をもって仕掛けねばなりません。
個と組織を強くするための「部課長の対話力」―――このテーマにつき
以降数回にわたって考察していきます。


2010年5月21日 (金)

上司をマネジメントする〈6〉~「聞き上手」は3つの力

Ryomazo1r
高知県・桂浜にて
不思議なもので、ここから望む太平洋には血を騒ぎ立たせる何かがあるように思える



◆上司の中にヒントを聞く ~「観察力」「読解力」「設問力」
部下にとって、上司とのコミュニケーションは「聞くこと」が基本です。
十分に「聞く」ことなしに、事を早急に片付けようと、
上司を説き伏せようとか、考えを改めさせてやろうなどと挑んではいけません。
結果的に遠回りになったり、事がねじれたりすることが往々にして起こりえます。

上司のことをよく「聞く」ことで、その言動や素振り・習慣の中に
最適方法や近道、説得へのヒントが見えてきます。
部下は「聞き上手」でなくてはならないのです。

さて、私がここで使っている「聞く」ということは、非常に広い意味で使っています。
上司の傾向性を「察する」、上司の仕事のクセを「観る」、上司の判断を「推測する」など、
五感六感をフルにはたらかせて、上司を「感じ取る」ことを言っています。
上司マネジメントにおいて、聞き上手であるためには、
次の三つの力が重要です。それはつまり、

 ・「観察力」
 ・「読解力」
 ・「設問力」  
 です。


◆観察力を磨いて上司に「チューニング」する
部下は、上司の仕事スタイルや行動特性・志向性などがどういう特徴をもっているのか、
それを日ごろから観察して、把握しておく必要があります。
これは、部下が上司にいわば「チューニング」を施すために重要なことです。

上司へのチューニングがずれていると、
簡単に承認されるはずの案件もされずじまいに終わったり、
いい企画案も差し戻しを受けたり、
コミュニケーションで誤解を生じさせてしまうことが多くなったりします。
上司は無意識ですが、自分の波長に合うスタイル・方法で接してこられることを
要求しているのです。
そのために、部下は「観察力」を磨かねばなりません。

 ・上司の状態のいいとき・悪いときのしぐさを探る
 ・上司の強み・弱みを察する
 ・どんな仕事スタイルを好むか
  (データ重視か、感覚・ひらめき重視か、政治力重視かなど)
 ・どんなコミュニケーションスタイルを好むか
  (文書派か、口頭派かなど)
 ・どんなワークスタイルを好むか
  (研究調査系か、体育会系か)
 ・上司の価値観、仕事美学・人生美学、ポリシーを聞き出す
 ・部下が何をすれば喜ぶか、頼もしく思うかを常に考える
 ・上司はどんな行動に対して嫌悪感を抱くかを感じ取る
 ・上司という人間を複眼で観る
  (部下の眼、上司の上司の眼、友人の眼、親の眼など立場を変えて観る)

これら観察を行うのは、上司に媚びたり、妥協をするためのものではありません。
上司の波長に近い形でコミュニケーションを行うことで、
自分をより受け入れてもらいやすくするためのものなのです。


◆読解力は上司のあいまいな点と点をつなぐこと
上司の発言や行動の中には、いろいろな信号やヒントが隠れています。
上司と真っ向から対立して、自分の意見を押し通すというのは、
譲れない一大事のときは別にして、できるだけ避けたいものです。

したがって、日ごろ多くの業務の中では、
上司のベクトル(意思の力と方向)を利用しながら、
自分の思うベクトルに近づける形で着地するほうが現実策です。
そのために、上司を「読み解く」力が求められます。
これも上司へのチューニングのひとつですが、先の観察に比べ、
もう一歩踏み込んで神経と頭を使わなければなりません。具体的には、

 ・上司の発言の中に説得点・着地点を見出す
 ・上司の命令の行間を読む
 ・上司の判断を推測する
 ・上司の行動を先回りして考える

上司とて管理・監督の神様ではありません。
自分の担当事業について、どんな選択がありうるのか、
またどの選択肢が正解値なのかが明確にわかっていないときも多いのです。

部下の前で話したり、命令したりするときも、
実は自分でもあいまいなまま口に出していることがあります。
そんなときの上司の心境はどうかといえば、
「俺はこの方向で何とかいきたいと思っている。が、まだ確信はない。
この意をくみとって、部下たちから何か妙案が出てくればいいのだが……」です。

上司という生き物は勝手なもので、自分はおぼろげながらでも「点」を言えばいい、
その後、その点をクリアにして、「線」でつないで持ってくるのが
部下の仕事だと思っています。
そして実際、上司から信頼を受ける有能な部下とは、それをこなす人なのです。


◆設問力で上司と本質を共有する
聞くことにおいて、もっとも難しいのが「問いを立てる」ということです。
ここでいう「問い」とは漫然と質問をすることや、
日常業務の作業について事細かに指示を仰ぐ、確認するということではありません。

現在進行している担当事業について、自分なりの観察や読解を経て、
なんらかの仮説を立て、結論を固めるために、その本質を問うという行為をいいます。
具体的には例えば、

 ・その事業、そのプロジェクト、そのアクションの目的を問いなおす
 ・WHY(なぜそうなのか)を共有する
 ・優先順位を確認する
 ・リスクを洗い出す
 ・方法論、手段の選択肢を提案する

などのようなことを行うことです。上司とのやりとりの際には、

 ・「目的や意義を自分ではこうとらえていますが、部長はいかがお考えでしょうか」
 ・「リスクを洗い出してみましたが、他に重大なモレはないでしょうか」
 ・「この方法はコストが問題になりますが、部長の知恵をお借りできませんでしょうか」

というふうに、必ず自分で考えた土台案を基に問いかけをすることです。
手ぶらで訪れて、漫然と聞いてはだめです。

その問いが本質に近いものであればあるほど、上司はどきっとさせられるでしょうし、
「なかなかこいつは、深いところまで考えているな」と
あなたへの評価を新たにするでしょう。
また、あいまいだった上司自身の腹をその質問で固めることができれば、
組織全体にも好影響となります。

……こう書いてくると、
「何をそこまで部下が大人にやらねばならないのだ。
上司は高い給料をもらっているではないか(怒)」と思ってはいけません。

上司は欠点だらけ(そしてあなたも欠点だらけ)です。
しかし、上司は貴重な「資源」なのです。資源に怒ってもしょうがありません。
むしろ、その資源を活かすことにアタマとエネルギーを使ってください。
そのために、聞き上手になることです。できる部下は、「柔よく剛を制す」の精神です。

Ryomazo2r
―――「生きるも死ぬも、物の一表現にすぎぬ。
いちいちかかずらわっておれるものか。
人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよいとおれは思うようになった」。
                           (司馬遼太郎『竜馬がゆく』より)


 

2010年5月12日 (水)

上司をマネジメントする〈5〉~「Big Picture」を共有せよ

Kalta 
『紋かるた・希少家紋』(北星社製造)で遊ぶ。
日本古来からの意匠はいまなお、腕組みしてうなるほど新しい。
 


――――“One world under the sun.”
        (世界はひとつ。みんな同じ太陽の下)

むかしどこかで、こんな広告コピーを見た記憶があります。
世界のいろいろな地域では、いまだに他国との戦争や国内紛争が絶えませんが、
そんなときこの一行はとても考えさせられるものがあります。
もしいま、巨大な隕石が地球に衝突確実という出来事でも起これば、
我々は「一地球人」として戦争をやっている間ではなくなるでしょう。

◆上司と部下はキツネとタヌキ?
上司と部下という二者の関係はとても不安定です。
そもそも上司と部下は、たまたま同じ会社に入って、
会社の配属によってたまたま引き合わされただけの関係です。
多くの場合、上司は部下を選んだわけでもありませんし、
部下は上司を選んだわけでもありません。

上司と部下は互いに不完全な人間同士ですから、
職場で四六時中、一緒にいると、互いの欠点がいやおうなしに見えてきます。
“Familiarity Breeds Contempt”―――親しみは侮蔑を生む、
そんな英語のことわざもあります。

部下にとって上司の返答は「このあいだ言ったことと違うじゃないですか」と
文句も言いたくなるような一貫性のないときも多いですし、
「問答無用」とばかりに理不尽な業務を押し付けてくるときもあります。

また、上司は上司で、部下の進捗が思うようにいっていないと
「なんでこんな簡単なことが・・・」のように小言をもらしたり、
部下があれこれぐずると「これは全社方針だから」と印籠の一言を出したりします。
そして、険悪なムードが過熱すると、「言った」「言わない」の感情論争に。

上司も部下も、いとも簡単に感情の溝にはまりこんで建設的な関係を築けない。
「所詮、給料をもらうためには仕方ないさ」と
キツネとタヌキの化かし合いで適当に距離を保つ、
職場ではそんな関係状況も多く見受けられるものです。

◆二点より三点が安定する
基本的には不安定であり、冷めた関係になりやすい上司/部下関係を、
安定的かつ友好的なテンションで維持していくにはどうすればよいか、
これはずっと以前から会社組織における重要なテーマのひとつであり続けてきました。

そのテーマに対する解のひとつが、
上司と部下とで「第三点を共有する」ことです。

上司と部下という二点で感情的に閉じていると、
何かと硬直化して前に進んでいこうとするエネルギーがうまく出てきません。
そんなとき、互いが共同して見つめられる第三点を設定して、
そこに意識を開いていくわけです。

第三点としてお互いが見つめなくてはならないのは、
まず何よりも顧客であり、そして取引先であり、社会です。
上司と部下は、これらの前ではある意味パートナーです。
顧客が欲しがっているものは何か、
取引先といい条件で契約を結ぶにはどういう交渉が考えられるか、
社会にとっていい商品・サービスとは何か、など、
これらの解決や創造に向かって両者が外にエネルギーを放出するとき、
両者の関係は協創的になり、友好的にならざるをえません。

Bigpict


◆同じものをともに「見晴らす」
もし、部下であるあなたが上司との間で、
「言った」「言わない」の感情論争に陥りそうになったら、
あるいは、
数値目標を「達成しろ」「できない」の感情論争に陥りそうになったら、
上司とともに、いま一度、遠くの第三点を見つめ直すよう視点を変えてください。

第三点とは、ビジョンであり、大局観です。
理想イメージを描いた 「Big Picture」 (1枚の大きな絵)と言ってもいいでしょう。

そこからの逆算で、中期の事業目標があり、短期の業務目標があるわけです。
上司と部下は「Big Picture」を共同して描き、見晴らすことが大事です。
Big Pictureを描くのは上司がやるべきと思って、任せっきりにしてはいけません。
部下もおおいに手助けしてあげてください。
それは上司への簡単な問いかけでいいと思います。

・「部長、この商品でお客さんの何が変わるのでしょうか?
 その原点を考えてみたいのですが」
・「この我々のサービスは自社や業界や社会にどんな貢献や意義があるのか、
 そこをもう一度議論しませんか」
・「例えば、5年後の事業をどうしていたいか、
 メンバー間で理想イメージを共有しましょう」
・「うちのやっている事業に元気の出るキャッチフレーズを付けましょう」などです。

上司/部下関係を建設的に保ち、強い組織力を形成しているところは、
必ず当事者たちが担当仕事の意義や貢献を、第三点として共有しています。
その様子は次のコピーのように言えるかもしれません。

――――“One team under the vision.”
        (チームはひとつ。みんなそのビジョンの下)



Kalta02 
三つ持ち合い一重亀甲(みっつもちあいひとえきっこう)
……呪文のようだが、どこか、読み上げ音もデザイン的ではある


 

2010年5月 4日 (火)

上司をマネジメントする〈4〉~上司の発言を「ろ過」する

Iz niji01
 (伊豆・修善寺にて1)


◆あの人の話は正論だが聞き入れたくないという心情
私たちは他人の発言に対し、
「あいつの言っていることは正論だが、あの言い方が気に入らない(だから受け入れない)」とか、
「よりによってあんな人間からそれを言われたくない(だから無視してしまえ)」など
の反応を起こすときがあります。

人は往々にして、好意を持っている人の発言はまるまる聞き入れやすいのですが、
多少なりとも嫌悪感を持っている人や、まったく見ず知らずの人の発言に対しては、
たとえ言っていることが正しいと思われても、その「言い方」や
「誰が(目上か目下か、男か女か、どんな社会的立場の人間か、風貌はどうかなど)言ったか」を
問題にしてしまい、素直にそれを受け入れることができない場合があります。

◆心にフィルターを入れよう
単なる世間づきあいの関係であれば、他人の発言は受け流すこともできますが、
これが上司/部下の関係ともなると話が違ってきます。
部下にとって上司の発言や命令は、ほぼ全面的に受け入れなければならないものです。

上司との相性がよく、良好な関係下であれば問題はないのですが、
もし、自分が上司と反りが合っていない、
もしくは上司に対して違和感や嫌悪感、不信感を抱いている場合には、
上司の発言や命令がいちいち気に障るというストレスが生じます。

上司の発言や命令が皮肉交じりであったり、慇懃無礼であったりし、
なおかつ正論であればあるほど、部下にとっては受け入れがたいストレスとなります。

そんなとき、心の中に「フィルター」を入れましょう。

「誰が」「どういうふうに」言ったかを除去し、
「何を」言ったかだけを濾過するフィルターを自分の中に組み込むのです。

「何を」言われたかだけを淡々と受け入れ、淡々と処理し、行動する。
ただ、それだけです。

◆上司の発言・命令を3つに濾過する
このことを下の図を使っておさらいしましょう。
上司の発言・命令は、3つの構成要素から成っています。
それを優先順位の高いものから並べてみます。

 
〈1〉「何を」言ったか・・・「内容」の要素
 〈2〉「誰が」言ったか・・・「発信者」の要素
 〈3〉「どう」言ったか・・・「態度・方法」の要素

Zyosi roka 

上司から何か発信があったとき、部下である私たちはまずそれを受信します。
そして意識的にフィルターを設けて、その発信を三つの要素に濾過して分離します。

まず上司が 「どう」言ったか について。
もし上司が嫌ったらしく言ったとか、冷たく言ったなどであれば、
それはフィルターでろ過して取り除いてしまい受容しないようにします。

次に、 「誰が」言ったか は、
課長の発言か社長の発言かで重要度は異なってきますから、
ケースバイケースで受容を決めます。

そして 「何を」言ったか については、これはもっとも重要な事項ですので、
これを純粋に聞き入れ、評価した上で、それに合わせて行動します。

悪い部下の例は、自分も感情的になって、
上司の発言のすべてをシャットアウトしてしまうことです。
組織で働く人間である以上、部下は上司の発言・指示の「何を」の部分だけは
(最終的にそれに従うかどうかは別にして)受け付けをしなければなりません。
ですからシャットアウトではなく、フィルタリングを心がけてください。

上司の発言をフィルターにかける―――
実践はそう簡単ではありませんが、
このことで、上司ストレスはかなり減じるはずです。
自分を守るために、感情の襞(ひだ)に上司の毒気を触れさせぬことです。


*本シリーズ記事の詳細議論は、拙著『上司をマネジメント』を参照ください。


Iz niji02 
  (伊豆・修善寺にて2)

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