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2010年9月

2010年9月30日 (木)

“ありきたり”をありきたりでなくする~柳宗理のケトルから


Ysori f 
今後長い付き合いになりそうな『柳宗理 ステンレスケトル』(つや消し)


我が家ではかれこれ10年以上使ってきた笛吹きケトルがあるのだが、
笛の鳴り具合も悪くなってきたので、いよいよ買い換えることにした。
で、前々から買い換えるならコレ!というものを決めていた。

――― 『柳宗理のケトル』 である。

使い始めてみて、ますますそのよさを実感している。

さて私は、働くうえにおいて、また、よい仕事をするうえにおいて、
「ロールモデル」を持て、「あこがれモデル」を見つけよと、各所で言っている。
模範・理想とすべき人物像、商品・サービスは、
自分と自分の仕事を引き上げてくれる具体的な刺激になるからだ。
で、私が理想とすべき商品のひとつがこの『柳宗理のケトル』である。

ケトル、つまりは“やかん”。
“やかん”などというありきたりな物を---
見るほどに、やっぱり美しいと感じる。
使うほどに、やっぱりいいなと納得できる。
そこまでの完成度に仕上げたのがこの商品なのだ。

奇をてらったデザインにするでもなし、
派手な加工をするのでもなし、
最新のテクノロジーで余分な機能を付けるでもなし、
しかし、基本のこと(沸かしやすい、持ちやすい、注ぎやすい、洗いやすい、安全性)が
見事に深く練られた工業デザイン―――私はここに自分の仕事への模範をみる。

私の仕事は、
「よりよく働くこととは何か」
「仕事を成す・キャリアをつくるとはどういうことか」
「プロフェッショナルであるためにはどうあるべきか」といった
とても基本的で普遍的で、ある種ありきたりな日常のことを扱い、
しかもそれを思索・内省させる教育サービスである。

受ける側からしてみれば、内容は刺激的な新しい知識に満ちておらず、
(自分の意識がさほど高まっていなければ)なんとも地味で退屈である。
受けさせる側(企業側)にしてみても、その教育が
直接的・即効的に業務処理能力の向上につながるわけではないため導入は消極的である。
また、市場には「キャリアデザイン研修」と呼ばれる商品がたくさん出回っていて、
「安かろうそれなりだろう」というものがあったり、
いたずらに理論や科学的ツールを盛り込んで豪華にしたものがあったりと、
商品の出回り数に比べて、ほんとうによいものは少ない。

私はそんな中にあって、『柳宗理のケトル』のように
ありきたりなテーマで、ついありきたりな商品になりがちのものを、そうはさせず、
腹応えのある商品としてズドンと世にぶつけることをしたい。

受けるほどに力を得、
振り返るほどに受けたことの深さを増す―――
そんな「働くとは何か」の教育プログラムをこしらえていきたいと常々思っている。


Ysori igr 
 柳宗理さんの実父は大正・昭和期に民藝運動を興した思想家・柳宗悦です。
 親子二代にわたって「用の美」を追求されているということになります。


 その商品(必ずしも商品とはかぎりませんが)がどれほどの「用の美」を備えているかどうかは、
 その商品がどれほど長く時代を超えて求められ続けるか、が一つの答えになるのではないでしょうか。


 

2010年9月21日 (火)

留め書き〈015〉~「選択の正しさ」について


France02 
南フランスにて(99年)



Tome015 

    「“正しい選択をした”人が幸せになる」のではない。
    「その選択を事後の努力によって“正しいものにした”人が幸せになれる」のだと言いたい。



私たち一人一人は、常に分岐点にいて、
各々の人生・キャリアは、数限りない選択の連続でつくられていく。

そのとき、
それら無数の選択は、厳密に言えば、選択された時点では、
正しいとも、正しくないとも、どちらでもない。

もちろん、より正しいと思うことを事前に選択するのではあるが、
本当の勝負はその後から始まる。
将来のある時点で振り返ってみて、
「あぁ、あのときの選択は決して間違っていなかった」と思えるように、
事後的に状況をつくっていく---それこそが要なのだ。

選択は「点」であるが、
その後の状況創造は「線・面・立体」である。
仮に「点」の打ちどころを間違えたとしても、
「線・面・立体」で修正していくことは十分可能だ。

さらに言えば、
日頃の「線・面・立体」をきちんとつくっていけば、
その先に訪れる次の選択(=点)は、かなり精度の高いところに打つことができる。
意志と努力の人は、そうやって自らの選択の正しさを強め、
中長期に自らを「想い」の方向に着実に進めていく。


France01 
南フランスにて(99年)

 

 

2010年9月20日 (月)

「Design Thinking」という人財教育 〈下〉


Risona02r 

(→前記事から続く)
米国スタンフォード大学『d.school』の「d」とはデザインのことである。
ビジネス・スクールの「b.school」に対抗するものだ。
ここでは物事をクリエイティビティ、デザインの思考から横断的・統合的にとらえ、
イノベーションを事業の変革・創出、社会起業、行政の世界に展開できる人財をつくりだすことを
目的にしている。

『d.school』のウェブサイトをみると、その先行ぶりに驚かされる。
この『d.school』のコアコンセプトは「Design Thinking」(デザイン思考)である。
以下、そのサイトの「Our Vision」のページの記載を簡単に書き出してみる。


〈私たちのビジョン〉
 ○“We believe great innovators and leaders need to be great design thinkers.”
 (偉大な革新者・指導者は、偉大なデザイン思考者である必要があると私たちは信じる)

 5年前、私たちはスタンフォードのなかに、デザインの場所『d.school』をつくろう
 という夢を持ってスタートした。そして、
 『d.school』は、各学部(エンジニアリング、医学、経営、人文学)で学ぶ学生と教官とを
 つなぐ“ハブ”のようなものになり、
 大きな問題を解決するために「デザイン思考」を学び合い、協働する場所になった。


 ○“We believe design thinking is a catalyst for innovation and bringing new things into the world.”
 (デザイン思考は、イノベーションと新しいことを世の中にもたらす触媒であると私たちは信じる)

 『d.school』は、デザイン思考の“プロセス”を学ばせることに焦点を当てている。
 教室で出される課題を解決するプロセスでは、
 エンジニアリングやデザインの世界から方法論を引き出したり、
 そしてそれらを、人文学から得たアイデアや、社会科学から得た思考道具、さらには
 ビジネスからの洞察と組み合わせたりすることが要求される。
 そのプロセスは、各学問分野から集まったチームメイトたちを
 共通の目的の下につなげる、言わば“糊(のり)”のようなものになるだろう。

 デザイン思考は、行うこと(doing)によって最もよく学ぶことができる。
 デザイン思考のプロセスにおいて大事なことは、
 熱意を持ち、人と協同して、いち早く試作品をつくり、フィードバックを得て、
 また試作を繰り返す―――そういう態度である。
 この『d.school』で重要なことは、
 あなたが「どう行うか」であり、「結果を出すこと」ではない。
 なぜなら私たちは、イノベーターを育てることに主眼を置いており、
 特定のイノベーションを獲得することではないからだ。


 ○“We believe high impact teams work at the intersection of technology, business, and human values.”
 (高い効果をあげるチームは、テクノロジー、ビジネスおよび人間の価値の交差する場で働くと私たちは信じる)

 『d.school』はスタンフォードの諸研究活動を結び付け、
 異なるバックグラウンドをもった人びとによる多様性のあるチームを結成させる。
 私たちのクラスでは、“multidisciplinary”のアプローチが取られており、
 例えば「哲学の観点を取り入れたコンピューター科学」のように
 複数の学問分野をミックスさせた形で鍛錬が行われる。


 ○“We believe collaborative communities create dynamic relationships that lead to breakthroughs.”
 (協働的な集団は、活動的な関係性をつくり、そしてそれがブレイクスルーを導くと私たちは信じる)

 『d.school』は、常にキャンパス内と産業界から横断的に人を集め、
 異なる観点を取り入れている。これこそがこの場を活気づかせている要因である。
 私たちの文化は、平板なアイデアを超えるために、
 (たとえそれが不便なことであっても)素早く徹底的に
 相互で協働的にアイデアを出し合うことにある。
 積極的なコラボレーション―――これが『d.school』のイノベーションを生む文化の基である。


大学教育のみならず、行政も企業現場も、“専門分化”が問題となっている。
スピード化や効率化を求め、すべてを細分的に分業化してきた結果、
全体を見失い、タコツボ化や縦割り化、分断化の弊害が顕著になってきた。
そのため、世は「新しい統合」のあり方に関心を集めている。
その「新しい統合」のあり方は、社会、組織のみならず、一個人にも当てはまる。
一個人が「全人的」に自分の存在を使う、活かすことがますます求められている。

そうした「新しい統合」への教育分野のチャレンジとして、
この『d.school』はとても野心的である。
開設されている科目も面白いものが並んでいる。

 - Design Thinking Bootcamp
 - Entrepreneurial Design For Extreme Affordability
 - Cross-Cultural Design
 - Personal and Interpersonal Dynamics
 - Prototyping Change in Entrepreneurial Firms
 - Transformative Design
 - From Play To Innovation
 - Media + Design
 - Designing Liberation Technologies
 - Designing for Sustainable Abundance
 - Creativity and Innovation

各科目のカリキュラム概要はウェブサイトに上がっているので
興味のある読者の方は見ていただきたいのだが、
全体に共通する特徴は、先ほどのビジョンのところにあったとおり
“multidisciplinary”(複合的な分野の鍛錬)であること、
そして米西海岸シリコンバレー地域特有のベンチャー精神が脈打つこと、
さらにはそのベンチャー精神の向けどころがソーシャルビジネスであることだ。

例えば私が最も感心したのは、
2番目の「Entrepreneurial Design For Extreme Affordability」である。
うまく訳せないのだが「極めて資金的に可能な起業のデザイン」というような科目である。

同科目の導入部分には次のような一文がある。
 「農業用の灌漑網を整備するには何十万ドルも費用がかかる。
 送電線を張り巡らせるには何百万ドルもの資金が要る。
 しかし、30ドル以下の送水ポンプや電灯を供給することで
 貧困への問題を再考できるとすれば、それは極めて“値ごろ感のある”ものだ」。

発展途上国の貧困問題を考えると、その解決のための方策の規模が大き過ぎて、
誰しも気が遠くなり、現実味のある思考と行動が鈍る。
しかし、この科目は、そうした貧困を救うための起業は十分に可能であり、
しかも莫大な資金でなく30ドル以下のモノからでも始められることを学ぶものである。

これまでに実際、このクラスでは、
簡単に安く作ることのできる農業用の送水ポンプや
太陽電池を用いたLED電灯をメーカーと一緒に開発して現地に普及させている。
科目の案内にはこうある―――

 What's our mission?  To treat the poor as customers, not as charity recipients.
  (私たちのミッション;それは貧困の人びとを施しを受ける人としてではなく、
  お客様としてとらえること)

貧困に陥る地域の人々にも購入することのできる“値ごろのモノ”を供給し、
彼らの自立的生活を助けるビジネスをデザインする。
それがこの「Entrepreneurial Design For Extreme Affordability」という科目だ。

* * * * *

私はかれこれ16年前に「情報デザイン・情報の視覚化」を学びに米国に留学した。
当時、出版社に勤め、私費留学したいので休職させてほしいと会社に要請したのだが、
会社の人間は誰しも「情報のデザイン???を勉強しに???」のような感じだった。
私は情報のネット流通や電子書籍の時代を見越してその勉強が必要だと直感したのだが、
国内にはそれに適合する科目を設置する教育機関はなかった。
米国にはすでにいくつかの大学が取り組んでいて、その中から結局私はシカゴにある
イリノイ工科大学のInstitute of Designのマスターコースに入学した。

いまでは「情報デザイン」と検索すればいろいろと出てくるし
美術系大学ではそのコースや科目を設置するようにもなった。
また「図で考える」というような本もさまざまに刊行されている。

時代の変化、時代の要請に教育があっぷあっぷで後追いしているのが日本の現状だ。
それこそ日本の教育界には、横断的統合的にデザイン・シンキングをして、
時代が要請する教育プログラムをいち早くプロデュースできる人間が求められている。
米国がその点でいつも先進的活動的でいられるのはなぜか?―――
私は(自身の留学時代の観察も含めて)次の4要因が揃っているからだと思う。

 〈1〉教育を柔軟的かつ革新的に創造できる「学びの作り手」たちがいる
 〈2〉アクティブな「学び手」がいる
 〈3〉教育プログラム・サービスを支える「パートナー企業」がいる
 〈4〉多様な修学経験をキャリア価値として評価する「文化」がある

まず1番目、「学びの作り手」とは教育者、教授たちに限らない。
米国の特に大学院の現場では、産業界のリーダー(CEOたち)や
行政からのプロフェッショナルらがどんどん入ってきて教育サービスの作り手に回る。
『d.school』の場合、「デザイン・シンキングの学校を作ろう!」と提唱したのは、
米国で最も有名なデザインファームのひとつIDEO社の創業者デイビッド・ケリー氏だったし、
巨額の創設資金を提供したのが元SAP CEOのハッソ・プラトナー氏だ。
私には、学外からのこうした人物たちが純粋な熱意を持って、
アイデアを出し、カネも出し、手も出しながら、
理想の学び舎をつくろうとしている光景が容易に想像できる。

そして2番目、アメリカ人は良くも悪くも、キャリアパスが短期で変わることが多い。
それは社会全体が終身雇用を前提にしていないこともあるのだが、
その分、就職と修学を交互に繰り返すという行動習慣も生まれる。
次の職を見つけるまで、また大学に戻って何かを学ぼうというのはごく普通の感覚だ。
その意味で、米国の大学は再就職意欲に燃える人たちが集うアクティブな場なのである。
日本などは、いったん会社に入り定年まで安定的に雇われてしまうと、
ついぞ大学には縁がなくなる。
これはある意味、日本の大学を弱くする一因でもある。

そして3番目、企業の協力だ。
先ほど紹介した貧困国を救うための送水ポンプやLED電灯のプロジェクトには
協力企業が付いている。
米国が新種の教育プログラムを立ち上げることを積極的にできるのは、
産学が活発に結びついていることによる。
もちろん企業側は事業の種を見つけることを目的としているのだが、
将来的に儲けられそうかどうかは別にして、
そういうことを面白がる、社会的使命と感じるという企業・経営者が多い。

最後に4番目、これは2番目とも関連するのだが、
キャリアに意欲的なアメリカ人は生涯のうちで就職と修学とを往復する。
途中途中でどんな修学経験をしたかというのは、
職務履歴と同様に自分のキャリア価値を表す重要な事項になる。
どんなにマイナーでどんなにヘンテコな学問でもそれを修学すれば、
それはひとつの立派な個性・自律性として評価しようとする社会全体の文化がある。
当然、再就職の際に、人材採用側もそうした評価眼で見てくれる。
(特定の大学・学位・資格に人気が集中し、そこに評価する眼も集中する―――
そんなところが日本にはないだろうか)

私もいま教育ビジネスに身を置いている。
もちろん時代の要請を感知し、先取りするようなプログラム開発をやりたいと思っている。
(いまだ発展途上ではあるが)キャリア教育プログラムを
『プロフェッショナルシップ研修』として開発したのは、
私なりの「理の人・目の人・愛の人」育成への解のひとつである。
いずれにせよ、商品・サービスというものは、「よい顧客」によって鍛えられる。
今後もよい顧客企業・受講者と結びつきながら、よいものを提供していく決意である。


【関連読書】
デザイン思考が世界を変える』ティム・ブラウン著(千葉敏生訳)早川書房

 




Risona03 
「リゾナーレ」は、オリベッティ社のタイプライターのデザインなどで知られる
イタリア人建築家マリオ・ベリーニ氏の設計によるものです。

開業時(たぶん20年ほど前)、なにかの建築誌で
「建築が実際に出来上がってみてどう思うか」との問いに、ベリーニ氏は
「まだ終わっていないよ。蔦(ツタ)が伸びるまではね」というような答え方をしていた記事を思い出します。
確かに建ったばかりのころはコンクリートの寒々しい印象があったのですが、
今では柱や壁面に蔦が不規則に伸び、味わい深い趣きを与えるようになりました。
静的な建造物に、「蔦が織りなす自然のリズムの生長」という面積・時間を取り込んで作品とする
ベリーニ氏の
企てに、今さらながらいたく感心します。

読書や散歩をしていて発想が湧きやすい場所というものがありますが、私にとってここはその一つです。

開業のころからたびたび訪れていますが、一時期は閑散とした状況になったものです。
ですが最近は、経営が星野リゾートに変わり、その再生によって見事に活気が戻りました。
経営の力というものをまざまざと見たという感じです。

そして軽井沢の「丸山珈琲」も小淵沢に進出 (Welcome!)




「Design Thinking」という人財教育 〈上〉


Risona01 
リゾナーレ(山梨県・小淵沢町)にて



先日「こうきしん」さんのブログを拝見していたら、
今年から桑沢デザイン研究所が新しいコースを開校したという記事に遭遇した。
そのコースの名は、
『STRAMD スーパー戦略デザイン経営専攻』。
グラフィックデザイン界では大御所的な存在の中西元男さんや内田繁さんが
中心となって開設したという。

触れこみとしては、デザイン学校がつくったニュービジネススクールだ。
ビジネス・経営の教育は何もMBAを与える経営学大学院に限ったことではない。
アート・デザインの分野から経営を学ばせることもおおいにありである。
経営学の教育にどっぷり浸かった人間たちがマネジメントを占有するのではなく、
アート・デザインをバックグランドにした人間たちがマネジメント層に進出してくることで、
ビジネス・経営は新しい展開をみせるだろうし、現況の偏った流れを修正できる可能性も出てくる。

ダニエル・ピンクは、2005年に出した著書
『ハイコンセプト~「新しいこと」を考え出す人の時代』
(原題:“A Whole New Mind”)でまさにそのことを論じていて、今後、
アートやデザインの感覚・能力を持った者こそがビジネス現場で重要な役割を演じると主張する。

彼の論点を少しだけ引き出すと、
「情報の時代」はすでに「コンセプトの時代」に入っており、
この時代には左脳主導ではなく、右脳主導の資質を身につけることが重要である。
それを「6つの感性」としてまとめると;

 1)機能だけなく「デザイン」
 2)論議よりは「物語」
 3)個別よりも「全体の調和」
 4)論理ではなく「共感」
 5)まじめだけでなく「遊び心」
 6)モノよりも「生きがい」

……確かに、これらは経済・経営・商学系の教育では直接教えない要素ばかりだ。
その一方、これらはアート・デザイン系の教育とは直接的に馴染みやすいものである。

デザインとは、狭義には「意匠」(=装飾的考案)であるが、
いまではその意味が相当に広がりをみせている。
ちなみに1989年「デザインイヤー基本構想」に記された定義は次のようなものである。

 「 『デザイン』とは、人間の創造力、構想力をもって生活、産業、環境に働きかけ、
 その改善を図る営みと要約できます。
 つまり、人間の幸せという大きな目的のもとに、想像力、構想力を駆使し、
 私たちの周囲に働きかけ、
 様々な関係を調整する行為を総称して『デザイン』と呼んでいます。
 従って、『デザイン』は、私たちの日常生活を支える基本的な思想であると同時に、
 生活を基軸として技術、産業、地域、社会、国際社会を結ぶ重要なきずなとしての役割を
 果たすことが期待されているといえましょう」 
                        (「89年デザインイヤー基本構想」デザインイヤー・フォーラム事務局編)

デザインを上のような営みととらえれば、
デザインはもはやデザイナー、アーティスト、建築家だけの専門作業ではない。
1人1人のビジネスパーソン、1人1人の経営者、1社1社の企業が行うべき創造的挑戦である。

そうした流れも踏まえ、いよいよデザイン学校の中にビジネススクールができた。
(中西元男さんと桑沢デザイン研究所には賞賛を送りたいと思います)
中西さんは、開校記念のシンポジウムで「4つの人」を挙げた。


 市場のメカニズム
   ↑
 ・「数の人」 (売上、利益、規模メリット…)
 ・「理の人」 (理念、政策方針、行動指針…)
 ・「目の人」 (美、文化、感性価値…)
 ・「愛の人」 (人間愛、地球愛…ユニバーサル、エコロジー、サステナブルデザイン…)
   ↓
 社会のメカニズム


現状、ビジネス・経営は「数の人」が支配する世界となっている。
それに対し、中西さんは、本課程で「理の人・目の人・愛の人」を育て、
ビジネス界に輩出していきたい旨を語っている。
カリキュラムをみると、その強い狙いと意志をもって開校したことがよく伝わってくる。

私個人は、たまたま、2つの大学院(ビジネススクールとデザインスクール)を
経験しているので複眼的に見られるのだが、
現状のMBA教育は「数の人」養成のための偏りのあるプログラムだと思う。

リーマンショックの原因となったマネー資本主義の暴走や環境問題の深刻化を考えるにつけ、
誰しもが、このまま「数の人」にグローバル経済のマネジメントを任せていいのか、
という疑心暗鬼がある。
だからそのカウンター勢力として「理の人・目の人・愛の人」の台頭が
ビジネス・経営をどう変えていくことができるのか、私たちが期待を抱くのはその点だ。

しかし、ことはそう簡単ではないかもしれない。
ビジネスは基本的に「陣取り合戦」であり、
そこを貫くのは経済原理(損か得か)である。
ここで皆は、生きるか・生き残れないかの戦いをやっている。

一方、アート・デザインは「表現活動」であり、
そこにあるのは個々の主観的な美の価値である。
美しいか・美しくないかが問われるものの、
美しくなくとも生き残ることはできる(むしろ美しさ追求は生き残りに負担をかける)。

強力で明快な経済原理に比べ、個々の主観的な美的価値はいかにも脆弱であいまいだ。
「美でメシが食えるか」と言われてしまえば黙することしかできない。
しかし、私たちは美(善を行うことも美に含まれる)を取り戻さねばならない時に来ている。

もとより中西さんは「4つの人」として区分けしたが、
これは一人の人間が内包する4要素でもある。
数の価値に偏重した私たち現代人の一人一人が、その内に、
理の価値、美の価値、愛の価値を増幅させ、
トータルなバランスを取ることができるのか、それが問われていると言ってもよい。

ふり返ってみれば、松下幸之助や本田宗一郎など超一級の経営者は、
数の人であるのみならず、理の人、美の人、愛の人であった。
私たちの理想は、一人の人間が、その内で数・理・美・愛の価値を統合させながら、
「善」を行う志向と能力を備えた人である。
そんな人を育む教育とはとても難しいものだ。

この桑沢デザイン研究所の『STRAMD スーパー戦略デザイン経営専攻』には先行例がある。
米国スタンフォード大学の『d.school』である。
(国内では東京大学に『i.school』というのが開設された)
次回記事はこの『d.school』について詳しく書こうと思う。

 

2010年9月15日 (水)

ノーマン・カズンズ『人間の選択』


Shigakg03 
志賀高原(長野県)にて



その道の「よき職業人」になるためには、

その道の「よきロールモデル」を持つことが欠かせない。

私は20代後半から30代初めにかけてビジネス誌の編集部で
記者・編集者として精力的に仕事をした。
雑誌名や自分の名刺には「日経」の冠が付いていたので、
取材のアポイントはどんな企業でも簡単に取れ、
日経のビジネスジャーナリストとして、半ばもてはやされ、日々面白く記事を書いていた。

記事の企画を立て、取材をし、締め切りまでに原稿を書く。
そのことにおいては、私はそこそこうまくできた記者であったと思う。
しかし、ただそれだけであった。
日々、月々、社会の表層に浮き立つ波(ときに泡)を追って、
それを経済・経営の切り口から読者に受けるように面白く書く。
それはそれで熱中できる仕事だったのだが、
5年経ったある日、過去の自分の記事をいろいろと見直してみた。
……バブルが起こればバブルを助長するような記事を書き、
バブルがはじければ誰が悪いんだと犯人探しの記事を書く。
ヒット商品が出れば、後付け分析のような形で賞賛記事を書き、
倒産会社が出れば、後付け分析で「失敗の研究」記事を書く。

あぁ、自分が夢中になってやってきたことはこんなことだったのか。
“情報狩り”の仕事が、「いい/わるい」という問題ではない。
ただ、私はそれ以上そうした狩りを仕事として続けたくなかった。
私は一角(ひとかど)のジャーナリストになる前にキャリアのコースを変えた。

結局その出版社には7年間勤めたのだが、考えてみれば、当時、
ジャーナリストとして「よきロールモデル」のような存在を持っていなかった。
きょう紹介するノーマン・カズンズという人物を知ったのはそれから随分後のことになる。
彼を早くから知っていれば彼をロールモデルとして、
もっとジャーナリズムの道で精進のしようがあったのではないかといまでも思う。

* * * *
H-option
さて、それでは今回の本;

ノーマン・カズンズ『人間の選択~自伝的覚え書き』
(原題:“Human Options”)
松田銑訳、角川選書、1981年



ノーマン・カズンズ(Norman Cousins、1915-1990年)は

米国でもっとも著名なジャーナリストの一人である。
1934年に『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙に入社した後、
1939年、文学評論誌『サタデー・レビュー』に移り、
1942年から1971年まで約30年間編集長を務めた。
彼の手腕により、同誌は米国内で最良の書評欄を誇る総合雑誌へと成長し、
発行部数は2万部から65万部までに飛躍した。

カズンズは「ペンの人」であると同時に、行動の人でもあった。
ケネディ大統領やローマ法王ヨハネス23世の依頼で
フルシチョフをモスクワに訪ね東西間の意志疎通を助けたり、
広島の原爆乙女たちやナチの生体実験に供されたポーランドの女性たちを
治療のためにアメリカに招いたり、
世界連邦協会の会長として国連強化運動の先頭に立つなど、
反戦平和主義者、コスモポリタン(世界市民)として生涯さまざまに駆け回った。
広島市特別名誉市民。「アルバート・シュバイツァー賞」受賞。

本書は、題名のとおり、人類がこのかけがえのない地球上で生き残るために
どのような選択をするか、もっと厳密に言えば、
どのような選択を生み出していこうとするのか、を問うものである。
カズンズの言葉の底流にあるのは、
力強い楽観主義と人間の英知を最終的に信頼する心である。
世を覆うペシミズム(悲観主義)、シニシズム(冷笑主義)の風潮を徹底的に嫌った。


 ○「進歩は、進歩が可能であるという考えから始まる。シニシズムは、退却と敗北が不可避であるという考えから始まる」。

 ○「要するに、自由の大きな問題は、自分自身を歴史的な意味で軽視する個人である。
自由の敵は誰か。それは世界征服のイデオロギーと核兵器で武装した全体主義の大国だけではない。敵は大勢の人たちである。それは、世界について考えることがあるとすれば、自分の生きている間、世界が無事にこわれずにいてくれることだけというような人たちである。敵はまた、自分自身が無力であることを信ずるだけでなく、さらにその考えを宗教のように信仰する人である。……そういう人は良心を呼び覚ます人ではなくて、良心の鎮痛剤を売る薬剤師である」。

 ○「我々アメリカ人は、必要な物はみな持っているが、一番大切な物を欠いている。それは、考える時間と考える習慣である。思考は人間の歴史の基本的なエネルギーである。文明を組み立てるのは、機械ではなくて、思考である」。

 ○「権力と無神経と無知とが一つになると、人類の運命はいつも危機に瀕する」

 ○「我々は破壊性よりも、むしろ感覚麻痺を特色とする時代に生きている。人々は不合理なものと妥協する癖がついてしまった」。


カズンズは、歴史を成り行きやあきらめや鈍感で形成させるな、
思考や意志で形成していけ、と強く叫ぶ。
その思考や意志は少数のリーダーだけが持てばよいのではなくて、
地球上に生きる1人1人の人間が待たねばならない。そうすることで、
人類自らの歴史の運命をつくる選択肢は、人類自らがつくり出せるのだと言う。
そしてそれには忍耐を伴う。

 ○「新しい選択を創造し、その選択を行う能力こそ、人間の独自性の主要な一つである」。

 ○「大局から見れば、歴史の動きは将来も常に人間の願望に結びついているであろう。大きな原動力となるのは、我々の夢であって、我々の予言ではない。夢は人間を動かす。本当にいい夢ならば、偶然とパラドックスに打ち勝つことができ、その終局の成果は、心に詩を持たない人々の現実的な計画よりも、はるかにゆるぎないものであろう」。

 ○「歴史は冷厳な事実だけによって作られるものではない。むしろ感知できない、無形のものによって作られる」。

 ○「もし万一核戦争が起こるとしたら、それが不可避だからではなく、十分な数の人々がそれを避ける努力を払わなかったから起こるのである。その時になって嘆かれるのは、歴史の非情さではなくて、我々が一つしかない命につけた値段の安さであろう」。

 ○「人の命を支える品物や、人生を高貴にし、拡大しようとする企てにくらべて、銃はずっと手っ取り早く目的を達成することができる」。 「英知の発揮は、力の発揮ほど手っ取り早くはいかない」。


カズンズは、2つの世界大戦の時代を生きている。
彼は反戦主義者であり、戦勝国アメリカを賛美しなかった。
義援金を募り、広島の原爆乙女たちを治療のために訪米させたことは冒頭に述べたが、
彼は終戦4年後に広島を訪れ、被災地・被爆者を取材し、
『サタデー・レビュー』誌にルポルタージュ「4年後の広島」を掲載した。
その取材の際の写真が本書にも何枚か掲載されている。
彼は人間に視点を置く、コスモポリタンであった。

 ○「国家に属していれば、国家という代弁者がいてくれる。宗教に属していれば、宗教という代弁者がいてくれる。経済的、社会的体制に属していれば、経済的、社会的体制という代弁者がいてくれる。しかし人類に属しているという点では、人間の代弁者はいない」。

 ○「歴史家たちが何と言おうと、人間の時代はこれまで一つしかなかった。それは原始人の時代である。もし文明人の時代が訪れるとしたら、その始まりのしるしは、自分が全世界の人類の一員であり、その人類は、世界的に何が必要であるかを知り、その必要を充たす世界的制度を作りたいという願望と、それを実現する能力を持っているという政治的、思想的、精神的自覚であろう」。

 ○「宇宙の他の場所に生命が存在する可能性の話になると、我々は目を輝かすが、地上の生命の持つ可能性の話になると、目隠しをする」。

 ○「生命が貴重なのは、それが完全性に達し得るからではなく、人類が完全性という観念を理解できるからである」。

 ○「自分の道徳的能力を完全に発揮し切らない人は、心の安らかさを得ることはできない」。


『サタデー・レビュー』誌は、元々、
『サタデー・レビュー・オブ・リタラチュア』といい、文学評論誌であった。
したがって、カズンズの評論も文学に向けたものが多い。

 ○「我々は、人々が自分自身になることを恐れ、心の奥底の感情の純粋さよりも、ドライな、派手な外見を好むらしい時代に生きている。技巧的であることが持てはやされ、素直な感情は嫌がられる。善意の人と呼ばれるほど、沽券にかかわることはないというように見える。今日の文学には、人間本来の善性に関するテーマが驚くほど欠けており、人間がまじり合って生きる上の、もっとも力強い事実に何らのドラマティックな力も認めてはいない。現代の価値は見せかけだけのたくましさ、野放図な暴力、安っぽい感情に傾いているが、そのくせ我々は、若者たちが人をいじめ殺しておいて、面白いからやったとか、別に悪いと思わずにやったとか告白すると、ショックを受ける」。

 ○「現代の重大な病弊の一つは、ソフィストケーション(技巧化)が常識よりも尊重されるらしいことである。言葉は本来の率直な意味を失って、飴細工のよういへし曲げられる。観念の細工の方がまともな内容よりも重大なことであるらしい」。

 ○「言葉は単なる手段ではなくて、環境である。それは社会の哲学的、政治的条件付けの不可欠の一部である。言葉には崇高にする力、非難する力、増大させる力、迷わせる力、賛美する力、貶(おとし)める力があるが、人の態度はそういう力と結びついている。否定的な言葉は、人が初めて話すことを覚える時から、人間の潜在意識を毒する。偏見が社会の血流に溶け込んで循環する」。

 ○「小説というものは、創意と精神の養分を吸いつくす貪欲な胎児である。しかし一方で、それは養分を供給し補充してくれる。そういう風にして、小説を書くことは、作家自身にとって成長と変化の過程となる」。

 ○「わたしはこの頃、速読と速解を信用しなくなった。巧みな人物描写を熟読し、名文をゆっくりと味わうことほどの心の楽しみは稀である。『絶対にものを学ぶことのない人々がいる……それは何でもすぐに理解しすぎるからである』とアレグザンダー・ポープ(1688-1744年。イギリスの詩人・批評家)が言った」。 

 ○「書物はいまだに、人間の知っている最良のポータブルな大学である」。

 ○「書物にどんな限界があるにせよ、それにはすばらしい防音装置が備わっており、しかも心の耳にははっきりと聞きとれる。ただし、いい書物の効能は、その無音という性質を、はるかに越えるものである。いい書物は共有の体験であるが、同時にすこぶる個人的な体験でもある。それは実りの多い孤独を与えてくれる--時には群衆の真ん中で」。

 ○「医学の助けを借りないで、簡単に寿命を延ばす方法がある。それは“書物”という名の方法である。それによれば、我々は一回の人生の中で数百回の人生を生きることができる」。

 ○「すべての人が金持ちになる幸運に恵まれるとは限らない。しかし言葉については、誰しも貧乏人になる要はないし、誰しも力のこもった、美しい言葉を使うという名声を奪われる要はない」。

 ○「もし我々が偉大な詩を望むのなら、偉大な読者が必要である」。 


その世界を離れると、その世界のことが客観的によくみえることがある。
私もいまとなってはメディア(特に出版)界のことがよく観察できる。
日本にはそれこそ多くのジャーナリスト、記者、編集者、評論家がいて、
さまざまにメディア・コンテンツをつくっている。
しかし、カズンズ級の人物がこの国のメディア界にどれほどいる(いた)だろうか。

大衆の好みを取りいって、おもしろおかしく、ベストセラーをつくるプロはいる。
また、テレビのニュースバラエティ番組などで
骨の抜けた当たり障りのないコメントをするタレント的なプロもいる。

しかし、深く高い言葉を持ち、
大きな良識・良心をもって創造、発信しているメディアのプロフェッショナルとなると、
残念ながら出会うのに苦労をする。
強い志を持ち、とてもよい記事を書くジャーナリストや、よい本を出す編集者は
確かに少なからずいる。しかし、そうしてつくられた意欲作は、
地味で真面目でつまらないということで読まれないのだ。

まさにカズンズの指摘したように、
「ソフィストケート(技巧化)された飴細工」を大衆は好むのであり、
質素な外見の「まともな内容」のものは素通りされる。

私たちがこの国で、カズンズ級のメディア人を持とうとすればどうすればいいのか?
―――それはカズンズがすでに教えてくれた。
「もし我々が偉大な詩を望むのなら、偉大な読者が必要である」と。

そう、偉大なメディア人を欲するのであれば、
視聴者・購買者である私たち1人1人が、
強くじっくりとよい本、よい記事、よい書き手・作り手を求めていくことだ。

私はもはやジャーナリストとしての道を歩んでいないが、
ものを書いて何かを世に訴えるという意味では、カズンズと同じ仕事に就いている。
だから私のロールモデルの一人として、ノーマン・カズンズを加えたいと思う。
彼の生き様・働き様を模範とするに遅すぎることはないのである。


Shigakg02 

Shigakg01 
志賀高原の一沼(上)と四十八池(下)。
私は登山よりも山歩きを好みます。
登山となると登頂という至上目的が課されるので一心不乱に登ることになりますが、
山歩きは、言ってみれば“逍遥”なのでいろいろと考え事
(深刻な考え事ではなく、夢の大風呂敷を広げる楽しい空想)ができるからです。
もちろん、登山にはそれとは別のすばらしい楽しみがあります。

 

 

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