8) 知の滋養(読書案内) Feed

2008年11月16日 (日)

ピーター・F・ドラッカー『仕事の哲学』

こうしてキャリア教育に関わる仕事をしていると、
よく人から質問されることがあります。

「村山さんは、ご自身のキャリアについて悩まないのですか?」と。
答えはもちろん―――「おおいに悩んでいます!」、です。

自身のキャリアをどうするか、どう拓いていくかは、
生涯にわたって継続する一大問題です。
数学のように一発明解の公式があるわけでもなく、誰しも常に悩みながら、
自分なりの正解(納得のいく状況)をつくり出していくものです。

私は「人財教育コンサルタント」であって、「キャリアコンサルタント」ではないので、
個人のキャリア形成について職業的に相談にのることはありません。
ただ、個人的にはよく相談されることはありますし、
こうしたコラムでもそれに関連したことは書きますので、
そうしたときには古今東西の名著を引き出して、
考えるヒントを差し出してあげるというスタンスをとっています。

さて、そうした名著の中で、私が最もよく引用する一人が、ピーター・ドラッカーです。
彼はご存知のとおり「経営学の父」と呼ばれ、
20世紀の産業・社会に大きな影響を与えた米国の経営学者です。
『現代の経営』『経営者の条件』など、生涯に約30の著作を残しました。
残念ながら、数年前、95歳でこの世を去りました。

私にとって印象深いエピソードは、
彼が最晩年、ある人に「これまでで最高の著作は何ですか?」と質問されたときに
「次に著す一冊だ」と答えたことです。



Photo_2 さて、きょう紹介する滋養本は、
ドラッカー名言集『仕事の哲学』(上田惇生編訳、ダイヤモンド社)です。

彼の著作はもちろん経営なかんずくマネジメント、そして社会生態学がメインテーマですが、
いろいろと読み進めていくと、キャリアや働くことを考える上で、非常に含蓄の深い言葉の数々に出合います。
本書はそんな言葉をていねいに集めてくれています。
この本の中でピンとくる言葉にぶち当たったら、その引用元の著書を本格的に読んでみることがいいと思います。



* * * * *

―――「最初の仕事はくじ引きである。最初から適した仕事につく確率は高くない。しかも、得るべきところを知り、向いた仕事に移れるようになるには数年を要する」。 
<『非営利組織の経営』>

―――「社会は一人ひとりの人間に対し、自分は何か、何になりたいか、何を投じて何を得たいかを問うことを求める。この問いは、役所に入るか、企業に入るか、大学に残るかという俗な問題に見えながら、実はみずからの実存にかかわる問題である」。 
<『断絶の時代』>

誰しも最初の就職先、最初の配属先がそのまま天職になることは極めて稀です。
多くの人間は迷ったまま就職をし、
「この方向でよかったのだろうか」と迷ったまま働き続ける。
そうした意味で、このドラッカーの言葉は、
キャリア路線が定まらない悩めるビジネスパースンたちに安心感を与えてくれます。

ですが、そこで安心しきってもいけない。
彼は私たちに、得るべきところを知り、
数年のうちには向いた仕事を手に入れなさいよと言っています。
そしてその際、
自分は何者でありたいか、何をしたいのかをよく自問自答しなさいとも言っています。


―――「人は精神的、心理的に働くことが必要だから働くだけではない。人は何かを、しかもかなり多くの何かを成し遂げたがる。みずからの得意なことにおいて、何かを成し遂げたがる。能力が働く意欲の基礎となる」。 
<『現代の経営』>

―――「みずからの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。能力は仕事の質を変えるだけでなく、人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味を持つ」。 
<『非営利組織の経営』>

仕事が面白くない、職場がつまらない。
こういうとき、私たちは往々にして仕事をやらされている、
働かされていることに気がつきます。
仕事が面白くないのは会社や環境のせいと思って、ずるずると1年、2年が経っていきます。
これでは、キャリア・人生にとって極めて大事な20代、30代の時間がもったいない。

そこで意識を転換してみてはどうでしょうか。
やらされ感のあるどんなつまらない仕事にも、自分なりの卓越性を求めてみる、
あるいは、何か成し遂げるテーマをその仕事に付加する。
そして、そのために新しい能力を積極的に吸収していく。

このほんの小さな意識転換が、自分の内にある成し遂げたい本能を刺激し、
仕事や職場への向き合い方が変わる。
いま目の前にある、そのなにげない仕事が金色のチャンスに変わる可能性は小さくないのです。


―――「問題の解決によって得られるものは、通常の状態に戻すことだけである。せいぜい、成果をあげる能力に対する妨げを取り除くだけである。成果そのものは、機会の開拓によってのみ得ることができる」。 
<『創造する経営』>

問題解決ばかりに注視するだけで、機会を創造し、
リスクを負って仕掛けることを忘れたマネジメントを
ドラッカーは随所で警告しています。
これはキャリアづくりにおいても同様のことがいえます。

現状自分はこうだから、ああだからと弱点やハンディキャップの面ばかりを気にして、
それを克服してからでないと何もできないかのように気構える人は多いものです。
確かに弱み克服のための努力は大事ですし、
不足・不備の状況を補い、改善するのも大事です。

しかし、その意識のみにとらわれていたら、
人生300年あっても何か手ごたえのあることを成し遂げることはできないでしょう。
何かを成し遂げるには、チャンスを見つけ出し、
多少の欠陥があってもそこに飛び込むことでしか可能になりません。

そのチャンスを成就する過程で、
自分の弱みも克服できたり、不足分を補うこともできたりします。
私個人もサラリーマンから独立する際は、足りないものだらけでした。
しかし、今では、自分が見出した機会から得たもので、
おつりがくるくらい成長させてもらっています。


―――「今さら自分を変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。自分の得意とする仕事のやり方を向上させることに、力を入れるべきである」。 
<『明日を支配するもの』>

自分は自分でいいと腹を据えれば随分のことがラクになるものです。
自分の「得意」を、自分の「想い」に乗せていくこと---
力強くキャリアをひらいていくための公式はそれに尽きると思います。

2008年9月 5日 (金)

トム・ピーターズ『セクシープロジェクトで差をつけろ!』

私がトム・ピーターズにキャッチコピーを付けるとすればこんな感じでしょうか―――
「イケてる切れ者オヤジ」。
「イカしたビジネスコンサルタント」(“イカれた”もちょっと入ってる)。
「ナックルボーラー的著述家兼スライドプレゼンター」。


トム・ピーターズを有名にしたのは、言うまでもなく
1982年刊行の『エクセレント・カンパニー』
(原題“In Search of Excellence”:ロバート・ウォーターマンとの共著)ですが、
あのときのピーターズは、お行儀のよい本を書きました。

その後、ピーターズは『経営破壊』、『経営創造』と著述を重ねていきますが、
そうするうちにだんだんと彼自身のキャラクターが色を増してきます。
そして、彼のキャラのキレとコク・奔放さ加減が、『起死回生』であらわになり、
今回紹介する『セクシープロジェクトで差をつけろ!』(TBSブリタニカ刊)で
いよいよバクハツした感じです。

Prj *注)
『セクシープロジェクトで差をつけろ!』は、3部作の一冊であり、
他に『ブランド人になれ!』、『知能販のプロになれ! 』があります。
どれもピーターズ節全開!といったものです。

ピーターズのイカしたキャラクターは、
翻訳による影響も大きいと思います。
『起死回生』から、翻訳者が仁平和夫さんに替わり、
日本語版はとても特徴的な文面で刊行されることとなりました。
しかし、私は原本も取り寄せて読んでみましたが、
ナルホド、仁平さんの訳は
ピーターズのキャラをよく滲み出していると思います。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、『セクシープロジェクトで差をつけろ!』の内容を紹介しましょう。
本書の原題は“The Project 50”です。
ここを「セクシープロジェクト」としたのは、翻訳者・編集者の妙技だと思います。

ピーターズの著書は、毎回、何かしらの予見性を中心軸にしています。
本書は「プロジェクト」が軸です。
これからの仕事はプロジェクトが中心になるぞ。
ルーチンワークに埋没してる場合じゃない
魅惑的なプロジェクトにアタマとカラダを突っ込め。
生き様とはあなたが生涯関わったプロジェクトのことだ。
すごいプロジェクトとは、そう、あなたがいま、始めるものだ。

一社懸命でもない、
一職懸命でもない、
一プロジェクト懸命(そしてそれをいくつも経験し歩いていく)の時代だ―――
とピーターズは訴えています。
確かに、私たちのキャリアをかたちづくる重要な基本単位は
ますますプロジェクトになるような気がします。

幸せのキャリア(職業人生)とは、どこか適当に会社に入って、
無難に日々の業務を処理し、無事に定年を迎えることでしょうか。
そうではなく、「マイ・プロジェクトX」と呼べるような、強烈な仕事体験を
いくつもし、そのたびごとに忘れえぬ思い出とメンバー人脈が築かれる
そんな「快活に生きた時間の蓄積」をいうのではないでしょうか。

ピーターズのテンションは冒頭からアクセル全開です。
「はじめに」のパートでは次のようにけしかけます――――

 「偉大なる広告マンのデービッド・オグルビーは、
 すばらしい広告は『人を唖然とさせる』と言っている。
 ABCテレビのニュース番組『ナイトライン』のキャスター、テッド・コッペルは、
 すばらしいニュース・ストーリーは『おたま落とし』だと言っている。
 (キッチンで料理をしていた人が思わず“おたま”を落として
 テレビの前に駆けつけるという意味だ)
 いいことを言うぜ。
 すごいプロジェクト、カッコいいプロジェクトは、
 アップルのiMac、ロッキードのSR71、ジレットのセンサーのように、
 そしていまあなたが考えている研修制度のように、
 人を唖然とさせるもの、人の手からおたまを落とさせるものでなければならない」。

 「すごいプロジェクトとは、同僚の心をかきたて、強い連帯感を生み出し、
 お客さんのあいだで評判になるもの。すべてを燃焼し尽くせるもの。
 刺激的で、熱くて、カッコよくて、セクシーなもの」。

 「すごいプロジェクトとは、誰もが羨望の目で見つめるもの。
 重要な問題に取り組み、それをみごとに解決して、
 参加者が10年後も覚えているもの」。

 「すごいプロジェクトとは、目にも止まらぬ速さで突っ走るもの。
 はじめ馬鹿にしていた人に『私が間違っていた』と言わせるもの」。

 「すごいプロジェクトとは、人格と個性を表現するもの
 ものすごいプレッシャーがかかるが、
 血と汗を流したあとに脳天を貫く歓喜が待っているもの。

 
ハンパな気持ちじゃ、やり遂げられないもの」。

 「もちろんどんなに頑張っても、超人的な努力をしても、実現できない夢はある。
 しかし、夢を描き、その夢を実現するために、
 持てる限りの智力、体力、気力を振り絞らない限り、人間が鍛えられず、
 絶望の味も歓喜の味も知らず、心も生活も豊かにならぬまま
 人生を終えることになる。
 要するに、やってみなければ、できるかどうかはわからない。な、そうだろ?」

・・・とまぁ、こんな感じです。
で、この後、本文で、「ものすごいプロジェクト」を実現するためのヒントを
50項目挙げ、読者の働く気持ちに火を着けます。
一種のハウツー本の体裁ではありますが、
読了後は、具体的なノウハウというよりも、
熱き血潮が自分の中で蘇ってくるというエナジー本の類でないかと思います。

以下、私が付箋を付けたところの一部を引用しましょう。

○#4
 あなたの辞書から「小さい」という言葉を末梢しよう。
 「小さい」問題はない。
 目に見えるところが「小さい」だけで、背後に大きな問題が隠れている
 針小を棒大にしろってのか? まあ、そうだ。
 ・・・・
 創造力と忍耐力さえあれば、社内規定の書き直しという「小さな」仕事を
 企業文化を根底から変え、
 最高に楽しい職場をつくるという大仕事の第一歩にすることもできる。
 そんな大風呂敷を広げていいのかって? いいとも。

 ディズニーランドからポスト・イットにいたるまで、
 感嘆すべきものの大半は、
 ひとりの人間のちょっとしたイライラに端を発している
 (ウォルト・ディズニーは、孫を連れて行けることろが欲しかった。
 3Mのアート・フライは、聖歌集にはさんでおく“栞(しおり)”が
 すぐに落ちてしまうことに苛立った)。

 要は心構えである
 もっと大きな網、もっと深い網、もっとヘンテコな網を投げてやろうと
 いつも考えているかどうかの問題である。

○#21
 すごい! きれい! 革命的! インパクト! 熱狂的ファン!
 この五つの言葉を書いたカードをつくろう。

 そして、いま進めているプロジェクトから生まれるものは、どこがすごいのか、
 どうきれいなのか、どこが革命的なのか、インパクトがどれだけあるか、
 ファンがどれだけ熱狂するかを多きな紙に書いて、壁に張り出そう。
 ・・・・
 私の友人のひとり(女性)は、自分が入れ込んでいるプロジェクトについて、
 こう語ってくれた。「私はこのプロジェクトをすっごくカッコよくて、
 自分でもおかしくなっちゃうくらいに世間の常識からかけ離れたものにしたいの。
 そのことを一日に何回も自分に言い聞かせている」。

 そうか。先の五つに、「自分でもおかしくなっちゃう」という尺度を
 加えたほうがいいかもしれない。

○#34
 遊びはいい加減にやるものではない。真剣にやるものだ
 ウソだと思うなら海辺で砂のお城を作っている子供を見てみるといい。
 まさに一心不乱、無我夢中・・・。作り、壊し、また作り、また壊し・・・。
 何度でも作り直し、何度でも修正する。ほかの物は目に入らない。
 ぼんやりよそ見をしていれば、お城は波にさらわれてしまう。
 失敗は気にしない。計画はいくら壊してもいい。壊していけないのは夢だけだ。

○#36
 芸術家に聞いてみればわかる。
 完成の一歩手前でも、ダメだと思ったら作品を破り捨てる。
 それをできる者だけが、すごい作品を作れる。

 プロジェクトが5分の2まで進行したところで、あまりさえないことに気がつく。
 悪くはない結果が出ているのだが、息を呑むようなすごさがない。
 それでも我執から離れ、ポイと丸めて捨てちゃおう
 (いまいちしびれないことは、あなた自身が一番よく知っている)。

 捨てるに忍びない気持ちはよーくわかる。
 しかし、不思議なことに、その未練を断ち切れば、ほっとする。
 すっきりする。さっぱりする。
 そして一から出直すエネルギーがふつふつと湧いてくる。

○#42-a
 週刊「最優秀ドジ賞」を制定しよう
 黄金のドジ杯を作り、受賞者が1週間、
 その栄光のカップを手元に置いておくというのはどうだろう。

 星に手を伸ばしている人の話を広めよう
 (たとえ、その人がいつも失敗しときに大きな失敗をするとしても)。
 自分は、すごいプロジェクトには挫折がつきものであることをわかっていて、
 挫折を歓迎し、その名誉を表彰し、
 挫折した人をいつくしむ人間であることを、
 明確な形で、満天下に知らせよう。

===========
【発展学習】
トム・ピーターズは講演の名手としても知られています。
そのパワーポイント・スライドが俊逸です。
下のサイトでは彼の最新の講演のスライドデータを無料でダウンロードできます。
(もちろん英語です)
私はここでよくインスパイアされます。
http://www.tompeters.com/index.php

2008年6月22日 (日)

本田宗一郎『夢を力に~私の履歴書』

Photo 私は大学生に向けて研修・講義を行なうこともあります。
「何がやりたいのかわからない」「何を仕事として選んだらよいかわからない」・・・
これは就職活動を前にした多くの学生の悩みです。
(もちろん、私も就職学年のころはそうでした)

よほど強烈な体験や特定の人からの大きな影響がないかぎり、
その歳でやりたいことが具体的にみえている人は数少ないものです。
自分のやりたいこと、夢/志、天職は、
動きながらもがきながらつくりだしていくものだから心配するものではない
と私は彼らに言っていますが、
むしろ彼らをみていて感じる問題は、
そうした霧中の道のりを前進していく「エネルギー」が決定的に不足していることです。
どうも若いのにしぼんでいるのが多い。
(むしろ私のほうが活力がある)

そうしたとき、私は滋養強壮のための読書として、偉人たちの自伝とか歴史小説を勧めています。
例えば、きょう取り上げる本田宗一郎『夢を力に~私の履歴書』(日本経済新聞社)とか、
司馬遼太郎『竜馬がゆく』、吉川英治『三国志』などです。

こうした本には、情熱の力とか、気宇壮大な腹構え、血湧き肉踊る人生の展開、
えもしれぬ人間力を持った者同士のつながり、生涯を賭した使命観などがテンコ盛りで、
最良の人生の教科書たりえるものです。

よく、「いい教師、いい上司に出会えなくて」とか
「自分の周囲には影響を与えてくれる大した人物がいない」と愚痴をこぼす人がいますが、
それなら、こういう読書を通じて出会っていけばいいのです。
私自身を考えてみても、
私の人生観を形作ってくれた半分は、
こうした偉人たちとの間接的な出会いによるものだからです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて、本の紹介に移りましょう。
本田宗一郎(1906-1991)はご存知、本田技研工業(以下、ホンダ)の創業者です。
実際、本田は創業から25年間、社長として陣頭に立ち、
ホンダを国際的な一大自動車メーカーに育て上げましたが、
本田は経営者というよりは、生涯、純粋な「モノづくり小僧」だったように思います。

ただ、単なる小僧ではなく、まっとうな思想と壮大なビジョンを持ち、
芯の強いヒューマニストであったがゆえに、
大勢の人が慕い、経営者として支え上げていたのではないでしょうか。
(実際の経営に関しては、副社長の藤澤武夫の手腕が決定的に大きかった)

で、この『夢を力に』には、本田のジェットコースター的人生がまとめられています。
半端なフィクションを読むより
はるかに面白い人生展開、企業展開が、繰り広げられています。
こういう物語を読むと、小ぢんまり、小ざかしくまとまろうとしている
自分の人生が恥ずかしく思えます。

そして本田語録には、とても魅力的なものが多い。
働くこと、生きることの真髄を真正面からズドンと突いてくるのですが、
なぜか説教じみてもいないし、難解でもない。
内容的には訓示、格言なんだけれども、そこには堅苦しいストイシズムが全くない・・・
底抜けに明るく強いメッセージ、それが本田の言葉の魅力です。

以下に語録をいくつか挙げますが、
これらは本書を読んで、本田宗一郎の生き様やらキャラクターやらを知ってから読むと
さらに味わいの出る、説得力の出るものになります。

 ・「初めて見る自動車。それは感激の一語だった。停車すると油がしたたり落ちる。この油のにおいがなんともいえなかった。私は鼻を地面にくっつけ、クンクンと犬よろしくかいだり、手にその油をこってりとまぶして、オイルのにおいを胸いっぱい吸い込んだ。そして僕もいつかは自動車を作ってみたいな、と子供心にもあこがれた」。

 ・「すぐこわれるような粗悪な製品を作る人は、その人柄がどうあろうとも、技術者としては人格劣等であると断ぜざるを得ません」。

 ・「個性の入らぬ技術は価値の低い乏しいものであります」。

 ・「創意発明は天来の奇想によるものでなく、せっぱつまった、苦しまぎれの知恵であると信じているが、能率も生活を楽しむための知恵の結晶である」。

 ・「技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ」。

 ・「私はいつも、会社のためばかりに働くな、ということを言っている。君達も、おそらく会社のために働いてやろう、などといった、殊勝な心がけで入社したのではないだろう。自分はこうなりたいという希望に燃えて入ってきたんだろうと思う。自分のために働くことが絶対条件だ。一生懸命働いていることが、同時に会社にプラスとなり、会社をよくする」。

 ・「ホンダは、夢と若さを持ち、理論と時間とアイデアを尊重する会社だ。とくに若さとは、困難に立ち向かう意欲、枠にとらわれずに新しい価値を生む知恵であると思う」。

 ・「“惚れて通えば千里も一里”という諺がある。それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ち込めるようになったら、こんな楽しい人生はないんじゃないかな。
そうなるには、一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。石は石でいいんですよ。ダイヤはダイヤでいいんです。そして監督者は部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。
そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。
企業という船にさ 宝である人間を乗せてさ
舵を取るもの 櫓を漕ぐもの 順風満帆 大海原を 和気あいあいと
一つ目的に向かう こんな愉快な航海はないと思うよ」。



いまの働く自分が、どこか縮こまっていると感じている人は、
是非、この本をお勧めします。
自分の心の枠がはずれ、グイグイ、エネルギーをもらえると思います。

なお、本田宗一郎、ホンダを通じて、もっと元気になりたい人は
以下の資料、書籍もあわせて読むといいでしょう。

ホンダ社史『語り継ぎたいこと チャレンジの50年』
 (これはWEB上で公開されている同社の歴史ドキュメントです。痛快な企業物語です)
○『私の手が語る―思想・技術・生き方』本田宗一郎著
○『スピードに生きる』本田宗一郎著
○『松明は自分の手で』藤澤武夫著

2008年6月15日 (日)

神谷美恵子『生きがいについて』

Photo このブログは「職・仕事を思索する」ことをメインテーマにしています。
その中で、「働きがい」はどうしてもはずすことのできない重大なテーマですが、
「働きがい」を考えるには、
そのもうひとつ奥にある「生きがい」を考えねばなりません。

きょうは、その「生きがい」を真正面からみつめた名著
神谷美恵子の『生きがいについて』(みすず書房)を紹介します。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

神谷美恵子(1914-1979)は、
生涯をハンセン病患者の治療に捧げたことで知られる精神科医です。
彼女は、ハンセン病の治療施設で数多くの患者と接し、
その病ゆえに絶望に打ちひしがれて生きる意欲をなくしている人々をみる一方、
それとは逆に、何らかの目的や望みをもって積極的に生きようとする人々をみた。

この本の冒頭部分で彼女はこのように書いています。

「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえ
むつかしいかもしれないが、世のなかには、
毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとが
あちこちにいる。・・・・(中略)
いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。
ひとたび生きがいをうしなったら、
どんなふうにしてまた新しい生きがいをみいだすのだろうか。・・・・(中略)
同じ条件のなかにいてもあるひとは生きがいが感じられなくて悩み、
あるひとは生きるよろこびにあふれている。このちがいはどこから来るのであろうか」・・・

精神科医である神谷が、
「生きがい」という茫漠としながら、しかし極めて重大なテーマについて著すことの
動機を語った部分です。

私がこの本を他の人に薦めたい理由は、神谷美恵子という一人間が、
・張り詰めた臨床の場で全身全霊で受け止めた情報を
・哲学や科学の世界からの英知をたくみに組み合わせつつ
・慈しみ溢れる人間性で包み込んで

書き出した一冊であるからです。

「生きがい」などという甚大なテーマは、
“何が”書かれたかは、確かに大事ではありますが、それ以上に
“どんな人物”が書いたかが、決定的に重要です。
要領よく世間を成り上がった者が、「生きがい」「働きがい」について語ったところで、
何の説得力も出ませんし、
また、象牙の塔にこもった学者などが
学術的な理論のみできれいに語った「生きがい論」等もどこかパワー不足に陥ります。
その点、この本は書くにふさわしい人が、書くべき内容を、ずっしり書いたものです。

「キレのある本」、「面白い本」、「情報が濃密な本」など本にはいろいろな特徴が出ますが、
この本は、「強く賢い母性の本」であると思います。
そして「じーんと迫ってくる本」であるとも思います。
正直、地味で、読み解くのに力が要りますが、
自分が真剣に読み解こうとぶつかった分だけ、何かしらを与えてくれる本でもあります。
(名著とはそういうものです)

サクサク読めるお手軽な世渡りハウツー本が巷には溢れていますが、
こういった本を、突っ掛かり突っ掛かり、
著者の思想の壁をよじ登りながら読んでいくことが、実は
「生きる・働く」に悩む人に本当に必要な作業ではないでしょうか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

神谷は、現代人が雑多な用事に忙しくし、
本当に大事なことを考え抱こうとする暇(いとま)を持たないことを危惧した。
そして、そんな中で生きがいの重要性やその難しさを述べる。

 「日常の生活は多くの用事でみちているし、その用事を次々と、
 着実にかたづけて行くためには、「常識」とか「実際的思考力」などという名の、
 多分に反射的、機械的な知能の処理能力さえあればすむ。
 あまりにゆたかな想像力やあくことなき探究心やきびしい内省の類は、
 むしろ邪魔になるくらいであろう」。

 「人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、
 人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない。
 しかし、ひとの心の世界はそれぞれちがうものであるから、
 たったひとりのひとにさえ、
 生きがいを与えるということは、なかなかできるものではない」。

 「生きがいというものは、まったく個性的なものである。
 借りものやひとまねでは生きがいたりえない」。

神谷は、生きがいを理解していくために、生きがいに似たものとして、
よろこびや充実感、使命感などのようなものの考察から始めていく。
そして、生きがいを生きがいたらしめるもの、よろこびをよろこびたらしめるものとして、
苦労や苦難、障壁など「負の力」を指摘している。

 「さまざまの感情の起伏や体験の変化を含んでこそ生の充実感はある。
 ただ、呼吸しているだけでなく、生の内容がゆたかに充実しているという感じ、
 これが生きがい感の重要な一面ではないか。
 ルソーは『エミール』の初めのほうでいっている。
 “もっとも多く生きたひとは、もっとも長生をしたひとではなく、
 生をもっとも多く感じたひとである“と。
 ・・・・あまりにもするすると過ぎてしまう時間は、
 意識的にほとんど跡をのこさない」。

 「人間が真にものを考えるようになるのも、自己にめざめるのも、
 苦悩を通してはじめて真剣に行なわれる。・・・苦しむことによって
 ひとは初めて人間らしくなるのである」。

 「ベルグソンはよろこびには未来にむかうものがふくまれているとみた。
 たしかによろこびは明るい光のように暗い未知の行手をも照らし、
 希望と信頼にみちた心で未来へ向かわせる。
 ・・・・(中略)よろこびというものの、もう一つきわだった特徴は、
 ウィリアム・ジェイムズも気づいたように、
 それがふしぎに利他的な気分を生みやすい点である。
 生きがいを感じているひとは他人に対してうらみやねたみを感じにくく、
 寛容でありやすい」。

 「使命感というものは多くの場合、はじめは漠然としたもので、
 それが具体的な形をとるまでには年月を要することが少なくない。
 ・・・(使命感とは)「自分との約束」をみたすものであったのだ。
 もしその約束を守らなかったならば、
 たとえ世にもてはやされても、自己にあわせる顔がなくなり、
 自分の存在の意味を見うしなったであろう」。

ひとたび生きがいを見出し、そのよろこびを獲得した人は、
静かであれ、急激であれ、心の世界の変革が起こる。
それは多分に宗教的体験に似ている
そのとき人は、深い次元で平安となり、利他的となり、「おおいなるもの」の存在を感じる。
神谷はそのあたりを例えばこのように記しています。

 「小さな自我に固執していては精神的エネルギーを分散し、
 消耗するほかなかったものが、
 自己を超えるものに身を投げ出すことによって初めて
 建設的に力を使うことができるようになる。
 これはより高い次元での自力と他力の統合であるといえる」。

 「変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、
 多かれ少なかれ使命感を伴っている。
 つまり生かされていることへの責任感である」。

“シューキョー(宗教)”なるものが、ネガティブにとらえられている昨今、
私個人も、小生意気で不遜だった20代のころは、
「我々は生かされている」とか「摂理に通じる感覚」とか、
そんな言い回しがどうも抹香臭くて、素直に納得できない時期がありました。
(若い読者の中には、そう思われる方が多いかもしれません)

もちろんここで言っている宗教とは、
特定の形をもった宗教(教義、組織)ではなく、
万人が共通に感受しうる宗教的体験を指します。
(*「5段階欲求説」で有名なエイブラハム・マスローも、このあたりを
「至高体験」(peak experience)と名づけています)

そんなことを充分知っているのでしょう、神谷は慎重に言葉を選びながら、
古人の叡智を引用しながら、あるいは実験結果のような具体的な証拠を示しながら
この本の最終部分のペンを進めています。

生きがいのたどり着く先は、
利他的な使命観であり、おおいなるものと自己とが統合される体験である。
その体験は、人に心的な変革をもたらし、
人は真の心の平安を得ることができる。
真の平安とは、苦労や苦難がなくなることではなく、
たとえどんな苦労や苦難に直面しても、自分を能動的に支配し進んでいけるという
心的状態である――――私がこの本から得た結論はこうまとめられるでしょう。

神谷もこう言っています。
 「結局、人間のほんとうの幸福を知っているひとは、
 世にときめいているひとや、いわゆる幸福な人種ではない。
 かえって不幸なひと、悩んでいるひと、貧しいひとのほうが、
 人間らしい、そぼくな心を持ち、
 人間の持ちうる、朽ちぬよろこびを知っていることが多いのだ」。

2008年5月23日 (金)

ソロー『森の生活』ほか


【信州・小淵沢発】

新緑萌え出ずる5月、初夏キャンプで小淵沢に来ています。

仕事キャンプでは企画練りとか原稿執筆の仕事が主になるのですが、

そのために本をどっさり持ってきて、

森の中で読むことが多くなります。


私の場合、もちろん、経営関連やら人事・組織関連やらの本・雑誌を

読むことは多いのですが、山にこもる場合は、

古典書とか、他の分野の名著を読むようにしています。

きょうはその中から、これまでに何度も読み返してきた本を紹介しましょう。

いずれも、山・田舎を創造的な拠点して

いい仕事を成した(成されている)人たちの名著です。

07006

1●ソロー『森の生活~ウォールデン』(佐渡谷重信訳、講談社)


ヘンリー・D・ソロー(1817-1862)は米国の思想家で、

エマソンやホイットマンらとともに、19世紀半ばに起こった

いわゆる「アメリカ・ルネッサンス」の中心人物の1人です。

この著書は、彼の2年3ヶ月におよぶ森(コンコードのウォールデン湖畔)での

一人暮らしの記録をまとめたものです。

当時、急速に進む科学技術と資本主義経済が

人々の暮らしを劇的に即物的・快楽的な性質に変えつつある中にあって、

人間が獲得する真の安堵や幸福は何か、その答えを求めるために彼は山にこもり、

彼独自の見事な文体で考えを著しています。


ソローは決して

俗世をすてて山にこもったという批評家・厭世家ではありません。

山にこもるからこそ、人間本来が持つ霊感が呼び覚まされ、

急速に変わりゆく都市の文明を

客観的に英知をもって見つめることができるのだと考えた人です。


むしろソローは骨太な啓蒙家、実践家です。

2年間の山生活を終えた後は、街を拠点に積極的に講演活動などをしています。

そして、有名な税の不払いによる拘置事件。

これは後に、ガンジーのインド独立運動や、

キング牧師の市民権運動などに思想的な影響を与えました。


山にこもる生活=のんびりスローライフではまったくないのです。

彼は、山に入って、闘っていたのです。


この本で私の好きな箇所のひとつは、「住んだ場所とその目的」の章にある

“朝”について書き記したところです。


「私が玄関と窓をことごとく開けたまま坐っていると、

東雲(しののめ)きたる頃、目にとめることのできない、

ましてや、その姿すら想像できない一匹の蚊が、

かすかに戦慄(わなな)きながら、私の部屋の中を飛んでいく。

(中略)

それはまさしく、ホメーロスの鎮魂歌(レクイエム)であった。

蚊みずからが己の怒りと放浪をうたいながら、

空を切り、天を駆け巡る<オデュッセイアー>であり、

<イーリアス>それ自身であった」。


・・・・この一節はまだまだ続くのですが、

ソローは、日の出が夜の闇を破り、曙の下に目覚める瞬間こそが

最も崇高な時であることをうたっています。


「工場のベルによってではなく、

天体の音楽の調べと大気を満たす香りにつつまれ、

新たに貯えられてきた活力と精神が心のうちから高められたときに

やがて目覚めてゆく。

前の晩に眠りについた時よりも、

さらに高い生活へと目覚めてゆく。

・・・・

ヴェーダの経典には『すべての知恵は朝に目覚める』とある。

詩歌も芸術も、人間の最も美しく、記念すべき活動は

この朝の刻限に始まる」。


この本のあとがき部分で、翻訳者の佐渡谷氏が紹介しているように

ホイットマンは「ソローはとらえどころのない驚くべき男であるが、

彼は土着の力の一つ、つまり、一つの真実、一つの運動、

一つの激動を代表している。(略)

ソローはエマソンの人格的偉大さややさしさをもっていないが、

一つの力だ」だと評しています。


まさにこの本を読むと、確実に一つの力を感じます。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
AM・リンドバーグ『海からの贈物』(吉田健一訳、新潮文庫)


加速度的に変化する科学文明・都市文明から一歩身を離し、

自然の中の簡素な小屋で豊潤な思索の生活を行なう。

それを山で行なったのはソローですが、一方、島で行なったのは、

このアン・モロー・リンドバーグ(1906-2001)です。


この名を聞いてピンとくる人は少ないでしょうが、

あの大西洋単独横断飛行をしたチャールズ・リンドバーグの夫人です。

彼女自身も女性飛行家の草分けとして活躍し、

その後作家活動や社会活動に人生を捧げた凡ならざる人です。


この本は、彼女が一人、ある離島の浜辺の小屋に2週間滞在し、

リンドバーグ夫人であるということ、母親であること、職業人であることを

離れて、一女性、一人間として思索したことを書き綴っています。


「やどかりが住んでいた貝殻は簡単なものであり、

無駄なものは何もなくて、そして美しい。

大きさは私の親指くらいしかないが、

その構造は細部に至るまで一つの完璧な調和をなしている。

・・・・・

浜辺での生活で第一に覚えることは、

不必要なものを捨てるということである。

どれだけ少ないものでやって行けるかで、

どれだけ多くでではない。

・・・私は貝殻も同様の、屋根と壁だけの家に住んでいる。

・・・私の家は美しいのである。

そこには殆ど何も置いてないが、

その中を風と日光と松の木の匂いが通り抜ける。

屋根の、荒削りのままになっている梁には蜘蛛の巣が張り廻らされていて、

私はそれを見上げて初めて蜘蛛の巣は美しいものだと思う」。


ここからはLean but Rich」(質素だが豊か)ともいうべき

成熟した精神をもつ者の観がみてとれます。

また、この本から得るべきメッセージは、「独りになる」ことの重要さです。


「我々が一人でいる時というのは、

我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。

或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、

芸術は創造するために、

文筆家は考えを練るために、

音楽家は作曲するために、

そして聖職者は祈るために一人にならなければならない」。

その他にも、

「女はいつも自分をこぼしている。

子供、男、また社会を養うものとして、女の本能の凡(すべ)てが女に

自分を与えることを強いる。・・・・

与えるのが女の役目であるならば、

同時に、女は満たされることが必要である。

しかし、それにはどうすればよいのか」。―――――と、

また別の大きな問題に思索をめぐらせていきます。


この本は文庫本にして120ページ、文字級数も大きめで

分量はさほどのものではありませんが、内容はとても濃く、

広い世界の思索に読者を誘ってくれます。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ヘルマン・ヘッセ『庭仕事の愉しみ』

V・ミヒュエルス編、岡田朝雄訳、草思社)


ヘッセ(1877-1962)は、言わずと知れたドイツの詩人・作家であり、

1946年にノーベル文学賞を受賞しています。


「土と植物を相手にする仕事は、

瞑想するのと同じように、魂を解放させてくれるのです」と、

ヘッセは後半生を自分の庭で過ごし、

庭という自然・小宇宙を通して、人間と人生を見詰めることをしました。


この本は植物や自然、庭に関するヘッセの遺稿や書簡を整理したものです。

ですから、多くの文章は、自分の庭の四季の出来事を書いています。

しかし、そのところどころで力強いメッセージが行間からふつふつと湧いています。


「私は木を尊敬する。

木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。

そのような木は孤独な人間に似ている。

何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、

ベートーヴェンやニーチェのような

偉大な、孤独な人間に似ている。

その梢には世界がざわめき、

その根は無限の中に安らっている。

しかし、木は無限の中に紛れ込んでしまうのではなく、

その命の全力をもってただひとつのことだけを成就しようとしている。

それは独自の法則、

彼らの中に宿っている法則を実現すること、

彼らの本来の姿を完成すること、

自分みずからを表現することだ。

・・・・

木は、私たちよりも長い一生をもっているように、

長い、息の長い、悠々とした考えをもっている。

木は私たちよりも賢い。

私たちが木の語ることに耳を傾けないうちは。

しかし木に傾聴することを学べば、そのときこそ私たちの短小で、

あわただしく、こどもじみて性急な考えが

無類のよろこばしさを獲得する」。


この本は、どのページのどの小片をつまみ読んでも

楽しく深い思索ができる本です。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

加島祥造『LIFE』 PARCO出版)


加島さんは、翻訳家、詩人、墨彩画家、タオイストと多面でご活躍されている方です。

現在は、長野県伊那谷に独居中とのことです。

私は、朝日新聞の紙面で、彼のライフスタイルが紹介された記事を読み、

以降、何冊かの著書を拝見させてもらっています。


私自身、西洋思想よりも東洋思想を軸にものを考えることをしていますので、

タオイズム(老荘思想)もまた馴染みやすいものです。


加島さんのいいなぁと思うところは、

何か目にやさしい明るさや、痛快さがあるところです。

まぁ、老荘思想やら老子道徳経やらというと、

何か抹香臭~い、薄暗~いイメージがあるわけですが、

不思議と加島さんの本からは、それが伝わってこないんですね。


たぶんそれは、加島さんの人柄と、

英米文学の翻訳家として培われた文章技法によるものだと思いますが、

いずれにしても最新著の『求めない』もベストセラー中で、

多くの現代人の心をつかんでいるようです。


「花は 虫のために咲く

虫は喜び 花の願いに報いる

人はたヾ 見ているだけだ」


「ひと粒ひと粒が 幾百年と生きて 巨木になる力を

なかに宿して ただ小さく ころがっている」

「草木の 行き先は大地 水の行き先は海

いずれも 静かな ところだ」


「高い山の 美しさは 深い谷が つくる」


この本はこうした詩を加島さんが筆でしたためたものをまとめてあります。

それらは額装して部屋のあちこちに掛けたいようなものです。

わずかな単語で綴られたそれらの一句一句は

Less is More」(より少ないことは、より多いこと)を感じさせます。


山の中の滔々とした時間に身を浸しながら、

一句一句味わって詠んでいくことで、

身体の芯からエネルギーが湧き起こってくる感じがします。

人生には、こうした漢方のような薬膳本が大事だと思います。



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