2013年4月17日 (水)

種籾の準備 ~一粒から生まれる力

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 私は「徴農制」という言葉を、丹羽宇一郎(伊藤忠商事元会長、前中国大使)さんが話題にしているときに初めて知りました。調べてみると、徴農制は過去の人類社会のなかでさまざまに試行されているようです。ただ、体制側の思想的な操作がはたらくことが多く、歴史的に成功した例は少ないようです。
 ですが、「徴」という国民を召し出す制度ではなく、「農」の体験を広く人びとがすることはとても大事なことだと思います。

 「農」の営み───それは、いのちを育み、いのちをいただくことです。
 いのちの不思議さを知り、いのちの尊さを知ることです。
 自然を耕すことは、自分を耕すこと。

 みずからがつくり出す現代文明でありながら、皮肉にもその激流にさらわれ、もはや自分たちがどこにむかうのかをコントロールできなくなった私たちにとって、「農」こそが本来の人間らしさを取り戻すための唯一の矯正機能かもしれません。

 さて、私はこの春から地元の有志が主宰する『田んぼの学校』に入学しました。一から稲作を習おうと思っています。その様子をこのブログでも綴っていきたいと思います。

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 6月の田植えを前に、「種籾(たねもみ)」の準備をします。米は、言うまでもなく普段みているあの米粒が種です。「ご飯茶わんに米粒を残しちゃだめよ」とよく母親に言われました。1粒の米を育てるとそこから何粒くらい収穫できるかご存じですか?───調査によると500粒くらい(多いものでは1000粒)だそうです。1粒の米はそれほどの繁殖力を宿しているのです。ですから1粒の米も残せないという気持ちになりますね。

 種籾は当然、生命力の強いものを選別しなくてはなりません。その方法が「塩水選」です。ある濃度の塩水(水200gに対し塩16g)に種籾を浸して、沈んだものがよい種籾となるそうです。つまり、中身が重く詰まったものが生命力もあるということですね。古人の知恵はシンプルです。

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 そうして選別した種籾を水洗いして水に浸ける。すると数日で発芽するそうです。今回の作業はここまで。種から芽を出すことの観察、実に小学校以来です。

 さぁ、この種籾の選別・発芽から、約半年間の「いのちを育み いのちをいただく」ことの旅が始まります。

2013年4月13日 (土)

親とともに学ぶ「子ども向けキャリア教育」

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大野ダンススクールの生徒たちとともにキャリア教育の講習会
2013年4月7日(日) 恵庭市民会館(北海道)にて



 私にとって2回目となる「子どもたちに向けたキャリア教育授業」を、過日、北海道の地で行うことができました。

 前回、広島県福山市立山野中学校で行った様子をこのブログで伝えたところ(→その模様はこのページ)、
記事をご覧になった大野ダンススクール(北海道・恵庭市)代表の大野正幸さんから、「うちの生徒にも是非受けさせたい」というご連絡がありました。大野さんが要望する理由は次の3点でした。

 1点目として、子どもたちにダンスを教えているが、ダンスがうまくなるためには技術指導だけではなく、精神面の指導まで踏み込まなくてはならない。(私が行った)山野中学校の特別授業には、子どもたちが養うべき心の構え方について重要なことが含まれている。
 2点目に、子どもたちにダンスのみならず、生涯において大切な「働くこと」に関する学びを与えたい。そして3点目に、その「働くこと」に関することを親も同時に学んでほしい。

 私は、一人のダンススクール経営者が、ダンス指導を超えて、子どもたちに人間教育を施したいという意識に共感 し、ボランティア活動として喜んでお引き受けすることにしました。

 当日は、まず、大野ダンススクールのスタジオで生徒さんたちによるダンスの披露がありました。いろいろなジャンルのダンスを元気いっぱいに踊ってくれました。特に男女ペアになって踊るダンスなどは、しっかりと大人っぽい雰囲気を出しながら、華麗なステップで動きまわっている姿が印象的でした。日本人は身体表現が苦手とされますが、子どものころから踊りの訓練を受けることは、その後の生活の多方面にいい影響が出るのではないかと感じました。

 ダンスの実演の後は、スクールで炊き出しのカレーライスをみんなで食べ、いざ、講習会場となる恵庭市民会館・視聴覚室へ。ここからスライドを抜粋して内容を紹介します。

* * * * *

 今回のプログラムで肝になるのが3つのワード─── 「能力・思い・表現」。

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 がつくるキャリア教育プログラムの特長は、 「根っこにある概念を押さえる力を育む」 ことです。キャリア教育のアプローチはさまざまに考えられます。子ども向けのほとんどは具体的・体験的なアプローチを採用しています。1つ1つの具体的な仕事を見せ、体験してもらい、それを通じて働くことに関心をもたせるというものです。

 私がとるのはその逆で、観念的・抽象的なアプローチです。私は企業の従業員や公務員に向けてキャリア開発研修を数々行っていますが、大人になってもいっこうに概念化思考、抽象化思考ができず、本質をとらえられない受講者を多くみています。具体的にマニュアル的に指示されなければ動けない働き手が増えていることを目の当たりにするにつけ、多少派手さや分かりやすさはなくなりますが、ものごとの原理原則を考えさせる内容で組み立てたいというのが私の意図です。

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 そして、「能力をたくさん身につけよう」に関しては、レゴブロックを使ったゲームプログラム(約1時間)で理解を深めます。このゲームは企業研修でやっているプログラムを簡素化して子ども向けにアレンジしたものです。

Pht_on01_3  ゲームを簡単に説明すると、最初子どもたちにブロック15個で作品をこしらえてもらいます。次に、ブロックの数を増やして30個で作品づくりしてもらいます。そして最後に文房具(色紙やはさみ、のり、テープ、紙ねんどなど)を4点選ばせて作ってもらいます。子どもたちは、自分の手持ちのブロックや道具が増えると、それによって作ることのできる作品の表現がおどろくほど広がっていくことを体感します。

 そのとき、手に入れたブロックや道具を、自分の能力に置き換えて考えることを促します。「なぜ、能力をたくさん身につけるといいんだろう?」───それに対する答えは、「表現できることが広がるから。表現することがもっと面白くなるから」。それを腹に落として納得することができます。

 そして次に「思いを強くもつこと」の大切さについて。これについては、レゴブロックを使ったゲームの中でも触れるのですが――つまり、自分が3回にわたってこしらえていく作品に何かしら物語を加えていくほど個性の強い、人が注目するものができあがってくるという学び――、さらに言葉を通して考えさせます。
 箴言や名言はまさに生きることの本質をとらえた一文です。それらが含む深遠さを子どもがどこまで汲み取れるかはそれぞれですが、
早くからひとつでも多くの“言葉の宝石”に触れさせることは大人の責務です。その言葉から知恵や力を自分なりに引き出してくる。それこそがまさに抽象的に考える力です。

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 そしてここからが「仕事・働くこと・職業」への展開です。世の中にある商品・サービスは、実は「表現」であること。そしてその表現は「能力」と「思い」の掛け合わせから生まれていることを伝えます。

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 仕事の原形ともいうべき「能力×思い→表現」をさまざまに当てはめて考えさせます。

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 そして商品・サービスという「表現」を“お客さま”と呼ばれる人たちが、さまざまに吟味し評価しているという構図。

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 さらに、「表現」に対するお礼として、お金が生じてくる構図。

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 最後に、やがて自分にやってくる就職。そのとき、自分に問われることが何かを伝えます。
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  このプログラムはおおよそ中学2年生以上を想定してつくっています。やはりある程度、概念化してものを考える力が備わっていないと伝わらない内容になっているからです。今回は受講生のなかに小学生も混じりましたが、彼らのレベルでは、レゴブロックの箇所で、ブロックの数が多ければ表現できる幅が広がるという内容までは理解していたように感じました。ただ、どこまで伝わったか伝わらなかったは外見では簡単に把握できないもので、その学習体験が、その子どものその後の人生のなかで、どう効いてくるかは予測不能です。ともかく、ひとつの種を植えつけておくことが大事なんだろうと思います。

Pht_on02  今回の講習会で有意義だったと思うもう1つの点は、親御さんたちも参観されたということです。親にとって、「働くとは何か・職業選択とは何か」を子どもと対話することは難題です。そんなときに今回のプログラムが一つのヒントになってくれれば嬉しいですし、また、親御さんらも職業をもって働く身ですから、みずからの能力とは何か、思いは何か、表現は何かを自問し、これからの自身の働き方によい影響があれば、さらに意義も増すというものです。

 いずれにせよ、こういう学びの機会を設けた大野さんに敬意を表します。ダンススクールの経営において、受講料(月謝)の分だけダンスを指導していればよしということではなく、持ち出しの費用と手間をかけて、広く子どもたちに、たくましく生きる力を育むための場を提供したいという意志と行動はすばらしいものがあります。

 教育は社会全体でやるべきものです。親や学校とて、教えることに万能ではありません
いろいろな大人が、いろいろな得意分野で子どもたちに良質の学びの場・学びの材料を与える。社会の未来は、そうした私たち大人の取り組みによって決まります。

2013年4月 5日 (金)

社内に「働くことの思索の場」を恒常的につくる


 いまでは日本人もよく口にする英単語─── 「ワンダフル(wonderful)」。

 

 “wonder”は「あれ何だろう・不思議だ・知りたい・驚き」という心の働きを表わし、“ful”はそれが満ちた状態。そう、この世の中は不思議さに溢れ、知りたいと思うことに満ちています。そして人間の好奇心、解明能力もまた無限です。

 
 私は今年初めから、本居宣長の国学、柳田国男の民俗学、白川静の漢字学、南方熊楠の博物学、梅原猛の日本学などにかかわる本をあらためて眺めています。一個人の探究心が(必ずしも大学などの権威的研究機関に依らない形で)独特の知的世界を創造することをみるにつけ、まさに知の巨人たちの生涯を懸けた仕事に「ワンダフル!」と称賛を送りたい気持ちです。

 
 私も創業まる10年を経て、「働くこと・仕事・キャリア」にかかわる教育コンテンツがある程度溜まってきました。もちろん、「働くことは何か?」という大きな問いに対し、いまだ“wonder”は尽きることがありません。ただ同時に、これまでに考えてきた範囲でそれを体系的に整理することはとても有意義なことです。先の知の巨人たちに比べればささやかな知的創造世界ですが、これも自己訓練のひとつとして課しています。

 
 ───それでまとめたのが『働くこと原論』です。
    
(→ここをクリックいただければ、PDFファイルで一覧いただけます

 
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 現状、次の5つのジャンルに分け、全体で39のユニットで構成しています。


  1)仕事・キャリア 
Work and Career
  
2)知識・能力  Knowledge and Ability
  
3)マインド・価値観   Mind and Values
  4)個人と組織・人とのつながり 
         
Individual and Organization / Human Relations
  5)仕事の幸福論   
Happiness in Working Life

 
* * * * *

 
 さて、きょうはさらに昨年から導入が多くなっている新しいタイプの研修プログラムを紹介します。それは私が「連続講座型」と呼んでいる企業内研修・セミナーです。お客様企業の要望に沿って、上の『働くこと原論』の中からコンテンツを選び出し、それを自在に組み合わせて構成するプログラムです。たとえば、次の図のようなものです。

 
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 これは次のようなお客様の声に応えて生まれたものでした。
 


・社員の働く意識を日常的に活性化させたい。
・部署や年齢を越え、「仕事・キャリア」についてあらためて考え
 討論する場を設けたい。
・日ごろの業務に忙殺される中で、いったん立ち止まって仕事の根本を見つめなおす、
 自分を見つめなおす機会を与えたい。
・「グローバル人材」育成が急務だが、言語(英語)能力にも増して大事なことは、
 普遍的な考え方で「働くこと」の哲学をもつこと。
 そのために仕事にまつわる基礎概念をきちんと築かせる教育が必要ではないか。
・1日研修や2日研修のような単発的な形ではなく、
 期間継続的に行われる形態はないか。
 また節目研修のようにある年次社員を一斉に集めてやる形ではなく、
 興味をもった社員たちが「学びの座・思索の場」として寄ってくる形はないか……

 
 この連続講座型のプログラムは、「半日(3時間半)×3回」や「2時間×6回」など柔軟的に構成し実施します。実施間隔も週ごとや隔週ごと、月ごとなどさまざまに対応します。
 また、こうした連続ものにすることで、ある受講期間が生まれます。1日研修や2日間研修ですと、時間的には講師と受講生、受講生同士の接触は点になります。ところが全体で2~3カ月の長さになれば、1つの学習目的下にさまざまな交流ができます。例えば、メールマガジンやメーリングリストといったツールでコミュニケーションを図れば、より効果的な学習体験が可能になります。またそこにトップからのメッセージも流すこともできます。こうすることで、学びの場が時間的にも空間的にも厚みを増すわけです。

 
 いずれにせよ、社内のどこかに恒常的に「働くこと・仕事・キャリア」を考える場が設けられていて、そこで学んだ人たちが社内のあちこちで、思索・共有したことを語りかけていく。そして上司も真正面から仕事観のレベルで対話ができる。また経営層もそうした学びの場にメッセージを送り続ける。こうした日常的な取り組みが組織の風土や文化に影響を与え、「うちの会社は普段から働くことに対し意識の高い会社なんだ」と社員1人1人が感じはじめる。
 私はこうした働くことに対しての思索や哲学の習慣が、静かだけれどもしっかりと底流に流れる会社が、ほんとうに成熟した会社なのだと思います。その流れの上に、組織としての技術力があり、資金力があり、信用があり、ということになれば、それはもう鬼に金棒です。

2013年4月 4日 (木)

人財育成担当者は「想い・観」をもって研修を選定しているか

 独立して11年目を迎えました。私はみずからの事業に対し、量的な拡大・成功を目指すのではなく、あくまで等身大で、ひとつの道を追求していきたい。そんな職人的な生業を志向し、個人事業で相変わらずやっています。

 そんな個人事業に、今では、大きな企業もお客様として研修を発注いただくようになりました。「営業はどのようにしているのですか?」とよく訊かれます。ですが実際、営業はやったことがありません。本を出す、雑誌に寄稿する、そしてこのようにブログに書く(そしてその記事をいろいろなウェブサイトで転載していただく)───これが結局、営業といえば営業になっています。
 研修や講演の新規の依頼はほとんどメールでいただきます。ご相談の方は、私の著書や記事を読んでくださっており、「この村山というコンサルタントはなかなか面白いことを書いている。ならば少し相談してみるか」というような感じではないでしょうか。


 そういった場合、最初に商談に訪れても、先方にどこかすでに共感する下地ができていて、人の教育に関し、話がとてもしっくり絡み合います。
 私は書きものを通して、働くことやキャリア、人財育成についての「想い・観」を伝えています。広告的な内容や宣伝色の強い表現はほとんどしません。また、ネット検索に引っ掛かりやすいような流行語・バズワードもあまり用いません。それでも、あえて私の本やネット上の記事を探し当て、それを読んで、少なからずの共感を覚え、問い合わせのメールを入れる。これは言ってみればかなりのフィルターを越えてきている状態です。で、そこまで越えてきていただいた担当者の方もまた、働くことやキャリア、人財育成についての「想い・観」を強くもっています。そして互いの想いが響き合う形になっているんだと思います。
 私の売っている研修プログラムがキャリア教育・就労意識醸成の内容のものだけに、この「想い・観」の部分の共鳴はことさら大事ともいえます。


 大きな企業になればなるほど、「研修をなぜ、あえて個人事業者に委託するのか? 大手でほかにいいところがあるだろう」といった上司からの質問もあるでしょう。そんなときに、ご担当者はおそらく「この人のこの研修プログラムを社員に受けさせたい」という意思判断で、ある種のリスクを負いながら、組織に承認を取り付けてくれているのだと思います。それは本当に私にとって有難いことだと感じています。
 人財育成担当者は、研修選びにおいて、 “目利き”でなければいけないわけですが、その目を利かせる際に重要になってくることは、結局、いかにみずからが人の教育に関し「想い」を持ち、「観(人財観・教育観など)」を醸成しているかです。この点の想いや観が弱いままだと、担当者は本当の意味で研修商品を吟味できないと思いますし、大事な社員に自信をもって研修を提供できないと思います。

 昨年、私はある大手総合商社の入社4年目の研修(キャリア開発研修的なもの)を初めてお受けいたしました。2日間研修を4班に分けて実施したのですが、初回の第1班を終えて、受講者の事後評価は驚くほど悪いスコアが出てしまいました。それほど低い評価はこれまでもらったことがなかったので、私は正直、戸惑ってしまいました。
 ですが、先方のご担当の方々はむしろ冷静な様子で、「いや、研修内容はこれでいいんです。内容を変える必要はありません」ときっぱり。「うちの社員はクセが強いので、響くところがたぶん特殊なんでしょう。内容の届け方だけの問題だと思いますから」と、その後、いろいろなアイデアを双方で出し合い、やり方を少し変えました。で、その後の班は見違えるほどに高評価に転じたのでした。
 私はこのときほど、研修講師と受講者の間にいる人財育成担当者の存在がいかに重要であるかを感じたことはありません。担当者にとって、
 

 ○私はこの研修コンテンツ・プログラムをあまたある中から選定した。
 ○うちの社員の傾向性はどんなで、
 ○今回の研修を通し、どういうメッセージを受け取ってほしいか。
 ○そのためにはどういうやり方が有効か。

ということが明快に押さえられている状態において、研修はすばらしいものになります。担当者の「想い・観」が据わっていればいるほど、研修講師はそれに乗せられる形になります。研修講師も社員受講者も、よい意味で、担当者の掌(たなごころ)にある状態は理想ともいえます。
 大企業という組織で、人事・人財育成に関わる仕事というのは、ある一時期に任される業務であることも多いのが実情です。ジョブローテーション制度の中で、担当者は移り変わっていきます。そうした中で、人の教育に関し、「想い・観」を据えた“目利き”である担当者がどれだけいるでしょうか。
 幸い、個人事業体として職人的にやっている私にお声掛けいただく担当の方々は、ほとんどが「想い・観」の強い人たちです。

 ものの売り買いにおいては、どこか双方がにらみ合い、損得上の駆け引きとか、化かし合いがあるものです。ところが、私の携わっている研修サービスにおいては、買う方と売る方のそうしたギトギトした交渉はほとんどありません。サービスの最終ユーザである受講者に対し、講師も担当者も、どんなよい“学びの場”を提供することができるのか。その一点に向けて、「想い・観」でつながる関係のように思います。

 私のキャリアの流れの中で、自然のうちにたどりついた人財教育・研修サービスの世界ですが、本当に気持ちのよい有難い世界に来たものだと感じています。今後もよい担当者、よい受講者と出会っていきたいと思います。そのためには自身の発信内容・発信力こそが肝腎なのでしょう。環境という外側からの反応は、すべて自分の内にある「想い・観」に応じて表れるものですから。

 

 

2013年3月24日 (日)

新社会人に贈る2013 ~自分の物語を編んでいこう

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2013年春、社会に出て新しく職業に就くみなさんおめでとうございます。
その門出を祝して次の3つのことを書きます。


 1)「楽しい」仕事があるわけではない。
   仕事に「楽しさ」を見出せる人間がいるだけだ
 2)10年経ってわかる答え
 3)将来が見えないことを不安がる必要はない。

   大事なのは“心のベクトル”を持ち、機会をつくり出すこと

◆そうじ仕事はつまらないものですか?
 私は企業内研修の実施を仕事にしていますが、そのプログラムのひとつとして、入社3年目~5年目の若年層社員を対象にした『プロフェッショナルシップ研修』というのがあります。「プロフェッショナルシップ」とは私の造語で、一個のプロであるために醸成すべき基盤意識をいいます。そんな種類の研修ですから、受講者の働く意識の持ちようをよく観察することができます。入社3年目ともなると、自分の仕事にモチベーションを高く持ってぐんぐん成長している人とそうでない人の差がはっきりと出てきます。
 仕事への意欲が上がらない人の多くは、仕事のつまらなさ、きつさ、やらされ感、未来への閉そく感を口にします。「能力適性と配属のミスマッチ」という便利な言葉で、「ここは自分のいる場所じゃない!」「(いまの仕事が面白くないのは)会社や上司の人の活かし方に問題があるからだ」と決めつけにかかる人もいます。
 もちろん会社もせっかく採った人財ですから、ジョブローテーションという配置換えの制度を用いて、働き手の心機を一転させることもするでしょう。また、そうした制度がない会社においては、転職というカードを切る人もいます。事実、それによってよい効果が得られるときもあります。ただし、それらは対症療法的な処置であることを認識しておく必要があります。

 では根本の解決は何か? それは自分の心持ちをきちんとつくることです。私が、特に新入社員に伝えたいメッセージは次のようなことです。

  あらかじめ「楽しい」仕事があるのではない。
  仕事に「楽しさ」を見出せる人間がいるだけだ。


 極端な例ですが、あなたがもし、そうじ係のような仕事を1年間任されたとしましょう。その任務をどうとらえてやり抜くか。それはあなたの心持ちによって決まります。確かにふつうに考えれば、そうじの仕事は単調でつまらないように思えます。しかし、この一見つまらないそうじの仕事も、心持ちひとつによって劇的に変わるものなのです。昨今話題になっている
『新幹線お掃除の天使たち』(遠藤功著、あさ出版)という本を読んでみてください。
 この本は、新幹線車両の清掃会社である鉄道整備株式会社の清掃員の仕事の様子をまとめたものです。7分間という停車時間内で車両をピカピカにする清掃員たちは、まさにそうじを究めたプロフェッショナルです。
 たいていの人が好きにはなれない清掃の仕事。労働環境も決してラクなものではありません。しかし、そんな仕事の中にも無限の可能性があり、自分に喜びと誇りを与えてくれるものであることを彼らは教えてくれています。

◆日本一の下足番になれ
 会社に入り、どこか受け身の姿勢で、何か「楽しい仕事」「やりがいのある仕事」「成長できる仕事」に出合うことを期待するならば、それは期待はずれに終わるでしょう。どんな仕事を任されるにせよ、そこに楽しさを見出し、やりがいを見出し、成長機会を見出していくのは、ほかならぬ自分自身の能動的な働きかけなのです。私が新社会人に向けよく贈る言葉が、次の小林一三(阪急グループ創設者)の言葉です。


  「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみよ。
  そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ」。

 豊臣秀吉が織田信長の下足番からのし上がり、ついには天下を取った話は有名です。小林は著書『私の行き方』の中でこう書いています。

「太閤(秀吉)が草履を温めていたというのは決して上手に信長に取り入って天下を取ろうなどという考えから技巧をこらしてやったことではあるまい。技巧というよりは草履取りという自分の仕事にベストを尽くしたのだ。
厩(うまや)廻りとなったら、厩廻りとしての仕事にベストを尽くす、薪炭奉公となったらその職責にベストを尽くす。どんな小さな仕事でもつまらぬと思われる仕事でも、決してそれだけで孤立しているものじゃない。必ずそれ以上の大きな仕事としっかり結びついているものだ。
仮令(たとえ)つまらぬと思われる仕事でも完全にやり遂げようとベストを尽くすと、必ず現在の仕事の中に次の仕事の芽が培われてくるものだ。そして次の仕事との関係や道筋が自然と啓(ひら)けてくる」。

 
つまるところ、下足番のまま成り下がるのも、それを究めて次の大きなステップに自分を押し上げていくのも、その分岐は本人の心持ちと行動の中にあります。
 ですからまず3年間は、与えられた仕事に正面から向き合い、その仕事を自分なりに進化させる、掘り起こすことをやってください。そこを仕事の内容がつまらないからといって、すぐに居場所を変えようとしないことです。そこで逃げグセをつけてしまうと、それは一生ついて回ることになります。“一所”懸命でもがいてみて、何かをつかみとる経験をしてみてください。そこから次の展開が必ずみえるはずです。

 
そもそも20代というのは自分の職業能力がどうあって、何に向いているかなどは分からないものです。いろいろと業務を経験する中で顕在化してくるのが職業能力です。むしろ想定外の仕事を任され、そこでもがくほうが未知の能力と出合えることが多いのです。
 1点目の私からのメッセージは、繰り返しになりますがこうです。───楽しい仕事があるわけではない。仕事を楽しくできる人間がいるだけです。言い方を変えれば、つまらない仕事はない。仕事をつまらなくしている人間がいるだけです。

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◆就職〈職に就く〉チャンスは今後無限にある

 みなさんの中には、今回入社する会社が必ずしも第一志望ではなく、下位の志望であったり、あるいは「とにかく採ってくれた会社」であったりするかもしれません。しかし、だからといって、引け目を感じることも、第一志望で入った人たちをうらやむこともありません。ほんとうの勝負は、ここから5年、10年、20年の期間をかけてやっていくものです。

 私の経験を少しお話ししましょう。私は学生時代、テレビのドキュメンタリー番組に興味があり、就職第一志望はNHK(日本放送協会)でした。民間放送局にはまったく関心はなく、NHKが
ダメなら、もうあとはどこでもよいというくらいダントツにあこがれていました。相当に入社対策の勉強もしましたが、あえなく敗退。内定をもらっていたメーカーに就職しました。
 就職したのはプラスという文具・オフィス用品のメーカーです。NHKへの敗北感が残る中での旅立ちでした。プラスへの就職面接は、たまたま友人がこの会社の説明会に行くからというので私もついていったという成り行きでした。

 申し訳なくもそんなたまたま入った会社で、私は大きな出会いをします。文具の商品開発本部に配属され、今泉公二商品開発本部長(現、プラス代表取締役社長)と、岩田彰一郎商品開発部長(現、アスクル代表取締役社長)のもとで、マーケティングや工業デザインといった分野のことを徹底的に教わることになりました。
 映像ジャーナリズムの世界を夢みていた大学生が、いざ、モノづくりの現場で、商品戦略やらマーケティングやらデザインの世界に身を浸したわけですが、存外、自分の能力もそこに向いてい
たんだなと感じるようになりました。さきほども指摘したように、人間の潜在能力は仕事という器によって予想外の発達をみせることがあります。その意味においては、「自分はこの職種・業界でなければならない」と決めつけてかかることは、かえって自分の可能性を閉じることにもなります。

 仕事の中に楽しさをつくり出すメーカーでの3年間が過ぎたころ、私は転職機会に恵まれ、出版社に移りました。印刷・活字メディアで情報をつくるという第2のキャリアをスタートさせました。
 なぜ転職をしたかですが、それはやはり「世の中を変えていくにはメディアの力が要る。ジャーナリズムの世界で働くという初志をかなえたい」という強い気持ちが残っていたからです。そして何よりも、日経BPという会社の転職面接に受かってしまったからです。
 結果的に私は、日経BPで7年間、米国への私費留学をはさんで、ベネッセコーポレーションで5年間、記者・編集者として働くことになります。日経BPもベネッセも人気企業ですので、新卒で入社しようと思えばかなりの狭き門でしょう。おそらく私も新卒で挑戦していれば受からなかったと思います。ですが中途採用から入ることは、それよりもずっと容易になることが起こります。それまでの仕事実績や経験が、自分という人財の価値を上げてくれているからです。

 
就職のチャンスは、新卒のときだけに限りません。今後一生、いつでも職に就くチャンスがあるのです。「職に就く」とは何も社外への転職だけを言うのではなく、同じ会社内で魅力的なプロジェクトに参画するというのも広い意味で就職チャンスです。そのときに、自分が選んでもらえるかは、ひとえに、あなたが日々月々、積み重ねていく能力や経験といった内的資産です。ですから、今回、第一志望の会社に入れなかった人も、今後、そのリベンジチャンスはいくらでも手にできると考えていいでしょう。
 ただ、そのリベンジ先は多くの場合、以前のものとは違ったところになるかもしれません。というのも、社会の中で何年も働いていると、いろいろに企業のこと、業界のことがわかってきて、いかに大学生のころに得ていた情報が狭くて偏っていたか気づくからです。また、能力のつき具合に応じて自分の志向も変わってくるからです。

◆12年の時を越えて出した答え
 35歳になったときでした。私はベネッセで書籍とビデオのセット商品を担当することになりました。その中のひとつは天文学をテーマにしたもので、ハワイ島・マウナケア山にある「すばる天文台」を取材し、その映像で構成しようという企画
した。どこに制作を依頼するか検討した結果、科学番組の制作技術で定評のあるNHKの関連会社に決めました。加えて映像の案内役としてNHKの解説委員を登場させることにしました。
 制作関連者が一堂に会する第1回目の会議の場。私はコンテンツ商品の発行元の代表として参加しました。プロジェクトの中ではプロデューサーという立場になります。そしてテーブルをはさんで対面には、NHK関連会社側のディレクターやカメラマン、そしてテレビでお馴染みの解説委員のYさんがいらっしゃいました。ざっくばらんに企画会議を進める中、私はかつてNHKに入りたかったんだよなぁ、こういう願いのかない方もあるんだなぁと、不思議な気持ちに包まれていました。
 この企画は半年後、無事商品となって書店に並びました。そして彼らとの共同制作で確信できたことは、「自分は映像メディア向きの人間ではなかった。私は活字メディア向きの人間だった」ということです。第一志望NHKへの入社試験に敗れて、実に12年が経っていました。12年越しに得た答え。それは負けを取り戻せたとかいう次元ではなく、腹から納得できる答えが出せたという感動に近いものでした。

 
人生・キャリアには、唯一無二の“正解値”がある算数問題ではありません。自分なりに“納得できる答え”をつくり出せるかという価値実現の問題です。それはいわば絵を描くことであり、自分の模様を編んでいく創造作業です。短期にはそうやすやすと出来上がるものではありません。
 どうか5年、10年、20年の時間単位を持ち、短期のことに焦らず腐らず、足下のことを一つ一つ大事にしながら歩んでいってください。そうすれば将来のどこかの時点で、必ず自分の来た道を悠然と振り返られる状態になるはずです。そのときの充実感こそ、あなたのキャリア上の勝利ということになります。これが2点目のメッセージです。


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◆不確実性の人生にあって「心のベクトル」を持て

 人生・キャリアは紆余曲折を経ながら、自分の生きざま・働きざまを表現していく意志・行動の蓄積です。その過程においては、さまざまに偶発の出来事が起こってきます。たとえば突然会社から異動を命じられるとか、担当事業で事故が起こったとか、“できちゃった婚”をすることになったとか。このように偶発が左右する人生にあって、しかも変化の激しい時代にあって、さらに職業上の興味や能力が明確に定まっていない20代前半にあって、5年後や10年後の自分を想像することは難しいものです。
 ですから、「
将来が見えない」・「なりたいものがわからない」ということに落ち込む必要はまったくありません。私自身も20代前半はわかりませんでした。

 ただ、だからといって、漫然と多忙に過ごしていればよいというものではありません。私からのアドバイスは、何か「この方向ではがんばるぞ」のような“心のベクトル”だけは持つことです。私の場合ですと、20代のころは「自分なりに“新しい発想”を世の中にぶつけることをしぶとくやるぞ」と思っていましたし、30代のころは「人の向上意欲を刺激することに自分の能力を使いたい」でした。これが私の心のベクトルであり、言い方を変えれば、「働く上で中心にある価値軸」でした。
 将来の姿は必ずしもうまくイメージできないけれど、こうした心のベクトルを持ち、その方向に行動を仕掛けていくと、次第に道筋が見えてきます。そして同じような価値軸を持った人が寄ってきます。そうした人たちと交流しているうちに、ますます自分のベクトルが強く明確になってきます。「ロールモデル」(模範的存在)となる人との出会いもあるでしょう。そしてついにベクトルの先に目指したいイメージが現れてくる。これがキャリアをたくましく拓いている人の想いを実現するプロセスです。
 ですから大事なことは、小さくてもおぼろげでもいいですから「心のベクトル」を持つことです。そして行動で仕掛けていくことです。行動で仕掛けるとは、自発的に「やってみる・提案してみる・形にしてみる・変えてみる・発信してみる・呼びかけてみる」、そして「人に会いにいく」などです。行動で仕掛けることによって、機会(チャンス)が生まれます。機会に乗って行動すれば、またさらに次の機会が生まれます。この機会の拡大再生産が起こればしめたものです。

  機会がないから動けないのではありません。
  動かないから機会が生まれてこないのです。

  先が見えないから動けないのではありません。
  動かないから先が見えてこないのです。


 私は結局41歳のとき、サラリーマン生活にピリオドを打ち、教育の仕事で独立しました。いまではこれが天職だと思っています。考えてみれば、20代のとき、あるいは30代半ばのとき、自分が将来教育の分野で独立し、メシを食っているなんてことは想像だにしませんでした。
 
心のベクトルに従って、機会をみずからつくり、その機会によってみずからを変えてった結果、現在の納得の仕事人生があります。メーカーで働いたことも、出版社で働いたことも、いまとなっては過去のすべてのことが、この教育の仕事をするための必然だったように思えます。

 「人生何事も将来を見据えて計画的に」という助言には確かに一理があります。しかし、実際のところ、偶発の影響が免れない人生にあって、計画より大事なものがあります。それは想いと行動です。さしたる想いもないのに、無難なところに着地点を置き、そこにこぢんまりと計画的に想定内の範囲で進めていく人生の何が面白いかです。むしろ、想いを大きく持ち、行動で仕掛けて、3年後の自分がどう化けているか、5年後の見える景色はどうなっているかというくらいのほうが、将来が楽しみではありませんか。

 きょう最後のメッセージです。みなさんは、会社で働き始めるにしたがって、組織の中での自分の存在が非力であり、自分が何をやりたいのかがよくわからなくなる時期がおそらく来ると思います。そうしたとき、いたずらに自信をなくす必要はありませんし、将来が見えないことにおびえる必要もありません。
 ともかく、小さくてもいいですから心のベクトル=想いを持つことから始めてください。そして、日々の業務の中で、そのベクトルに沿った行動を一つ一つ重ねていってください。それさえ持続していけば、あとは楽観的に構えてよしです。いろいろな機会がおのずとやってくるでしょう。そうして、あるタイミングで(それは30代かもしれないし40代かもしれませんが)、ふと「あ、自分はこの方向でいいんだな」と思えるときが来るはずです。
 どんな将来になるのかを不安がるのではなく、不確実性を友としながら、想いを軸に将来をつくり上げていく、どんな人生展開になるのかを楽しみに待つというおおらかさとしなやかさを持ってください。このことを3点目としてお伝えしたいと思います。

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 「人生最大のエンターテインメントは何か?」と問われれば、私は「みずからの仕事だ」と答えます。働くことは潜在的にそれくらい面白みや感動の得られるものです。
 拙著
『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』の中で私は、「仕事は梵鐘である」と書きました。お寺の鐘は、小さな棒っきれでたたけば小さな音しか鳴りませんが、丸太でどんとたたけばゴォーンと鳴り響く。それと同じように、仕事が与えてくれるものは、すべて自分の当たり方次第です。小さな音しか鳴らないことを「鐘が悪い」と文句をつけるのは筋違いです。あなたのたたき方が不十分なのです。
 縁があってお世話になる会社です。どうか会社という梵鐘を最大限鳴り響かせるような働きぶりで、納得のいくすばらしいキャリアを拓いていかれんことをお祈りいたします。ではまた、どこかでお会いしましょう!




【過去の記事】Sakura_spring01r
○新社会人に贈る2012 ~キャリアは航海である
○新社会人に贈る2011 ~人は仕事によってつくられる
○新社会人に贈る2010 ~力強い仕事人生を歩むために






*写真:昭和記念公園(東京・立川市)にて

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