2009年5月13日 (水)

醸造する仕事

Mtfuji
(*沖縄・那覇行きの機中より写す)


1785年、ドイツの大詩人フリードリヒ・シラーが『歓喜に寄せて』と題した詩を書き起こす。
1793年、23歳のベートーヴェンは、その詩に出会い、そこに曲をつけようと思いつく。
1824年、『ベートーヴェン交響曲第9番』初演。
(ベートヴェン54歳、着想から完成まで31年の熟成期間を要した


日本でもお馴染みベートーヴェン第九の合唱曲『歓びの歌』は、
シラーの詩を元にしている。

23歳のベートーヴェンはすでに音楽家として頭角を現し始めていたが、
やはり巨人シラーの詩には、まだ自分自身の器が追い付いていないとみたのだろうか、
それに曲をつけられず、年月が過ぎていった。

結局、楽曲化まで30年以上を要するわけだが、
ベートーヴェンはその間、そのことを忘れていたわけではないだろう。
むしろ、常に頭の中にあって、
シラーの詩のレベルにまで自分を高めていこうと闘っていたのだと思う。

『英雄』を書き、『運命』を書き、『田園』を書き、
やがて耳も悪くなり、世間ではピークを過ぎたと口々に言われ、
そんな中、ベートーヴェンは満を持して、
自身最後の交響曲として、『歓喜に寄せて』に旋律を与えた。

私は、こうした生涯を懸けた仕事に感銘を受けると同時に、
自分にとってはそれが何かを問うている。
何十年とかけてまで乗り越えていきたいと思える仕事テーマを持った人は、幸せな働き人である。
それは苦闘でもあるが、それこそ真の仕事の喜びでもあるはずだ。


一角の仕事人であろうとすれば、
「時間×忍耐×創造性」によってのみ成し得る仕事に取り組むべきだと思う。

いまのビジネス現場は、なにかと効率・スピードを求める仕事術ばかりを強要する。
すばやく機転を利かせて、キレのある処理をすることが「優れた仕事」だと奨励する。

「優れた仕事」というのは、「鋭の力」によってなされるばかりではない。
むしろ「鈍の力」によってこそ、偉業・大作・名品は生まれる。


科学の発見、研究論文、事業の構築、絵画、建築、工芸、音楽などにおいて
後世の人間に影響を与えるものは、すべて
つくり手の生涯を懸けた「時間×忍耐×創造性」によってなされたものだ。

誰が、効率的にスピーディーに作ったワインやチーズを美味しいと思うだろうか?
「即席でない仕事」「熟成・醸造の仕事」は、カッコイイ!
さて、あなたのライフワークテーマは何だろうか?


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□日々、業務を処理することだけで忙しくしていないだろうか?
□おぼろげながらでも、ライフワークとしたいテーマ・方向性を持っているか?
□そのテーマ・方向性に関する本や人びとと出会って、熱を保持・増大させているか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□「鋭の力」と同様、「鈍の力」を育む観点を持っているだろうか?
□事業の目線を未来に開き、それに携わる従業員の成長も同時に考えてやっているだろうか?
□大きな仕事、優れた仕事、ライフワークといったことについて、自身の言葉でみなに語っているだろうか?


*詳細の議論は
拙著
『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』にて

2009年5月12日 (火)

“気”を旋律として起こす

Yoyomacd 私なりに「作曲」の定義をしてみると、
「“気”を旋律・詞として起こすこと」。

そして、それが楽器・肉声によって音に変換されたものを「音楽」と呼ぶ。

流行歌のほとんどは、恋愛ソング(恋唄)ですが、
これは男女間の恋心や失恋感情、嫉妬といった“気”を旋律・詞に起こしている。

童謡は、子供の好奇心という“気”を具体的にとらえて、唱として表現している。

モーツァルトの楽曲は、
自然界の躍動の“気(精霊と言ってもいい)”を旋律として表現している。

ベートーヴェンの楽曲は、
人間の苦悶や創造性、生きる歓びといった“気(魂のほとばしりと言ってもいい)”に
旋律を与え、可聴化している。

だから、作曲する者にとって、まずもって大事なのは“気”を感じること。
どんな“気”をモチーフにするかによって、その曲の性質もスケールも決まる。
(さらには、旋律化・歌詞化の技術によって、その曲の巧拙が決まる)

一方、その曲を聴く者にとって、「私はその曲が好きだ」という場合、
そのサビの部分のメロディが気にいってるとか、
そこの歌詞のワンフレーズがぐっとくるとか、具体的には、そういうことになるのでしょうが、
根本的には、その曲が汲み取った“気”に感応しているのだと思う。

私が最近、仕事をしながら聴くBGMとして流すことが多くなったのが、この2枚。
・『The Cello Suites Inspired by Bach』/YO-YO MA
・『月夜浜』/Acoustic Parsha


この2枚は、その曲が表現しようとする“気”がとてもよい。
(ただし、これは私がよいと感応しているのであって、万人が感応するわけではなさそう)

20世紀を代表するチェリスト・指揮者であったロストロポーヴィチが
いみじくも「バッハの音楽は、森・草木を観るようだ」と表現したように
バッハは、この宇宙・自然が遍在して持つ叡智を楽譜化するという創造を行ったと私は感じている。
そして、YO-YO MA氏の演奏によって、それが耳に届けられる。

この曲をBGMにして仕事をするとき(今もまさにスピーカーから流れている!)、
私は、森の中で、創造の神の“気”にチューニングするかのごとく、頭をはたらかせることができる。

Tukyocd 2枚目の『月夜浜』もまた、沖縄の“気”を素晴らしくとらえているように感じます。

こうした音楽を生み出してくれたアーティストの方々に敬服と感謝(合掌)

2009年5月11日 (月)

職業人としての成長:「個として強くなる」

Utree02 

私は、職業人としての成長の一つで、あまり語られないが重要なものとして

「個として強くなる」

ということを常に強調しています。
(最新著
『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』では、
そのテーマをまるごと一章に立てたほど)

福沢諭吉の『学問のすすめ』は、実際、読んでみれば、学問のすすめというより
「独立自尊のすすめ」と言ったほうがいいくらいのもので、
それだけ、日本人という民族は、古来、一個人にしろ、一国家にしろ
「個として立つ」ことを苦手としてきている。

平成のビジネス社会にあって、「個として強くなる」とは具体的にどういうことか―――
それはさまざまに指摘することができるでしょうが、
例えば、私は次のように考える。

(会社名・役職を取り外し)一職業人として、自分が何者であるかを語ることができる
□日々に出くわすさまざまな情報・状況に対し、「自分はこう思う・自分はこうする」と押し出すことができる。
 それにつき他と論議ができる。そして建設的に持論を修正できる。
□どのように振られた仕事であっても、それを「自分の仕事」に変換して、主体的に実行できる
□自身の信念のもとにリスクを背負うことを厭わない
□反骨心や負けじ魂が強い
□我を狭く閉じて突っ張るのではなく、我を突き抜けたところで全体性を感じている
□自身を懸けることのできる大きな仕事テーマをもっている
□一人でいる時間を設け、大事に使っている
□独自性追求の心を失わない
 (そして、同様に独自性を追求している他人に対し、リスペクトできる)
独自であるがゆえの孤独を知っている。そしてそのために、真の友・同志を持つ


さて、このうち、最後の2項目に関わる「独自性・孤独」についてさらに書きます。
私がここで引用したいフレーズはこれです。

Only is not lonely.

「Only is not lonely.」とは、糸井重里さんが主宰するウェブサイト
『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページに掲げられているコピーです。

「オンリー(独自・唯一)であることは、必ずしもロンリー(孤独)ではない」―――
このメッセージには、噛みしめるほどに味わい深いものがあります。
糸井さんはこう書いている。

「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。 (中略)

「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。


―――糸井重里 「ダーリンコラム」(2000-11-06)より


個性のない人びとが群れ合って、尖がった個性や出るクイを批評し、つぶす
ということが組織や社会では往々にして起こる。
しかし同時に、「オンリーな人」たちが、深いところでつながって互いを理解し合い、
協力し合うということもまた起こっている。

逆説的だが、オンリーな存在として一人光を放てば放つほど、
真の友人や同志ネットワークを得ることができる。
独自性を追求する人の孤独は、決して孤立を意味しないのです。

「孤独を知る」ことは、職業人としての成熟とともに深くなる。
自分がどれほどの孤独を知り得ているかは、
「Only is not lonely.」という言葉を、どれだけ味わい深く咀嚼できるかで判定できるでしょう。

能力的な伸長・習熟のみが職業人の成長ではない。
一個のプロフェッショナルとして屹立できるか―――これも見逃してはいけない観点だと思います。


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□「個として強くなる」という成長意識を抱いているだろうか?
□具体的にどうなることが「個として強くなる」ことだろうか?
□自分を貫き、独自性を高めていくことで孤独を感じたことはあるか?
□孤独を突き抜けたところで、同様の孤独を感じ持っているタレントと出会ったことがあるか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□人財育成において「一個の職業人として強くさせる」という観点を持っているか?
□「個として強い」人財を、異端児として問題児扱いしていないだろうか?
□経営者や上司はある種の孤独を感じている人間であるが、
 その次元から、組織内にいる孤独者の琴線に触れるようなメッセージを発しているだろうか?


Utree01_2
平成のビジネスパーソンたちよ、
仕事・キャリアに行き詰ったら、書を持って森に出よう! (長野県諏訪郡原村にて)

2009年5月 7日 (木)

構え・撃て!狙え!

Sakuragi

きょうも拙著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』から
1キーワードを紹介します。

* * * * * * * * *

「構え・狙え・撃て!」 ―――ではない。

「構え・撃て!狙え!」 ―――である。

米国の人気経営コンサルタント、トム・ピーターズは、
「Ready-Fire-Aim」ドクトリンを提唱しています。
つまり、ともかく「撃て!」と。撃った後に狙えばいいのだと。

彼はこうも言います。

---「ころべ、まえに、はやく」。


私は自身が行う「プロフェッショナルシップ研修」
(=一個のプロであるための基盤意識醸成プログラム)において、
「働く目的をつかむ・働きがいの創造」のパートで、このピーターズの考え方を紹介しています。

つまり、「構え」(=基盤能力・基盤意識をある程度つくっ)たら、
ともかく「撃て!」(=自分試しをせよ・行動で仕掛けてみよ)ということ。
そして結果・反応をみて、修正をかける。そして再度「撃て!」。
そうする繰り返しの中で、
働く目的という「狙う的」が、次第に確実に見えてくる
―――ということです。

いまのサラリーマン諸氏(私の大事な研修のお客様であるのですが)をみていると、
みずからの人生・キャリアについて、
事業計画のように事前計画を練り、諸分析をやり、効率的に資源を投入し、
最大の効果をあげなければならないように考えている人がとても多い。
困ったことに、人事関係者までもが、
そういうことが「自律的キャリア形成」なのだと思い込んでいる。

だから、キャリアデザイン研修といえば、
手の込んだ自己分析をやらせて、
「10年後のあなたはどうありたいか?」のキャリア設計表を書かせる。
そして、それで何かいい研修をやったような気になる。

その点、私は、 “人生・キャリア「行き当たりばっ旅」論者” です。

「プランド・ハプンスタンス理論」(Planned Happenstance Theory)提唱者の
ジョン・クランボルツ教授(米スタンフォード大学)が言うように:

「キャリアは予測できるものだという迷信に苦しむ人は少なくありません。
“唯一無二の正しい仕事”を見つけなくてはならないと考え、
それをあらかじめ知る術があるはずだと考えるから、
先が見えないことへの不安にうちのめされてしまうのです」。

                                    ―――『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)

どれだけていねいに5年後・10年後のキャリア設計図を練ってみたところで、
どれだけ精緻な自己の性格診断をしたところで、
どれだけ希望どおりの会社に入ったところで、
その後、はたして自分の望みの仕事に出合い、満足のいく職業人生を送れるかどうか、
それはまったくわからないのです。

人生とは奥深きかな、
初速度と打ち出し角度の数値さえ与えれば、
着地場所と着地時間が確実に算出できる物理運動とは違うからです。

仮に、万が一、すべてのことが想定どおりにいったとして、
「そんな想定の範囲内」の人生などどこが面白か、です。

私はキャリア設計すること、自己分析することが無意味だと言っているのではありません。
ときに結果が予測できない未知の世界に身を投じ、
揺らぎながら、もがきながら状況をつくり出していく、
そうしたたくましさこそ、
机上の設計や自己分析よりもはるかに大事だといいたいのです。

小賢しく効率的に振舞おうとするから、かえって不安になって縮こまる。
まずはいいから「撃ってみろ!」。
そうすれば「狙う的」は行動の後に見えてくる!―――
従業員・部下にこう勇気づけるのが、経営者・上司の真の助言というものです。

人生・キャリアの選択に“あらかじめの正解値”などない
その後の奮闘でそれを「正解」にできるかどうか
―――それがあなたの人生力・キャリア力です。


【すべてのビジネスパーソンへの問い】
□5年後・10年後の姿が思い描けないことを「悪いこと・情けないこと」だと感じてしまっていないか?
□おぼろげながらでも「想い」を抱き、行動で仕掛けているか?
□過去3年間を振り返ってみて、未知の中から自分の道筋ができてきたなと思えるか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
□自己分析やキャリア設計をやらせることがキャリア形成支援だと思っていないだろうか?
□行動で仕掛けることを奨励しているだろうか?
□みずからが積極的に未知に飛び込み、状況をつくりだすことを背中で示しているだろうか?

2009年5月 5日 (火)

血肉になる読書法:私の場合

Dokusyo1

世間では5月の連休真っ只中。

私は自営業なので、あえて人が混む日に出かけずとも
オフシーズンや平日を選んで、仕事の調整をして出かければいいと思っています。
1月末の沖縄や、5月連休後の信州の山などは、
静かな海や山に身を置けるので、とても気分よく仕事ができる。旅費も安い。
だからそういうとき、私はまとまった仕事を持って、東京を離れます。

ですから、私のGWは毎年、近所の公園でピクニックランチと読書と決め込んでいる。
(天気が良ければ毎日でも)
私にとって公園は、自分のオフィスの延長スペースだと思っていて、
そこにキャンプ用のテーブルとイスを出し、
本を読んだり企画書を書くことを普通にやっています。

5月のこのころの風は、木陰にいるとほんとうに心地よく、
持参したワインとチーズとパンと読書がはずむ。
(もちろんアイデアもはずむ!)

さて、きょうは読書法の話です。

先日、とあるところで話をした際、
私の読書法について聞かせてほしいと手が挙がったので、手短に紹介しました。
そのときの内容を整理して書きます。

私が紹介する読書法は、テーマとしては「血肉になる読書法」についてです。
(速読法とか多読法とかいったものではなく)

読んだ本の内容を、いかに自分の思考の養分・思想の血肉としていくか―――
それについて私は3段階の作業が必要だと考えます。

■作業1:「読む」
まず、「読む」こと。
これは当然の行為ですが、必ず、自分が気づきを得た箇所、重要だと思える箇所には
マーカーを引くなり、付箋を貼るなりしてチェックをして読んでいく。

■作業2:「書き留める」
読み終わり、自分がチェックした箇所を
メモ帳に書き留めるか、パソコンに文字入力して保存する。

ちなみに私は、マーカーを引いた箇所を3つの重要度レベルに分け、
・レベル高:メモ帳に書き留め+パソコンに入力(私はエクセルに放り込んでいる)
・レベル中:パソコンに入力
・レベル低:マーカー引きのまま

■作業3:「引用する」
仕事の企画書であれ、プライベートのブログであれ、自分の表現する文章において、
自分の考えを補強したり、読み手により深い理解を促したりするために
過去の作業2で書き留めた中から一文を引用する―――これが決定的に重要です。

読んだ本を自分の血肉とするためには、
読むだけでは不十分で、重要個所を書き留めなければなりません。
でも、書き留めただけでは、まだ不十分です。
それを自分の書く文章の中で引用して初めて血肉になります。

例えば、私は今度の本(『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』)の中で
哲学者アンリ・ベルグソンの

“生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある”
                                                                         ―――『創造的進化』より

を引用しました。
この一文を引用することで、私は、

1) この一文の深意をつかもうと、その前後を再度しっかり読む
2) この一文を強く記憶する(単に書き留めるよりも)
3) 自分の(未熟な)思考レベルをベルグソンのレベルに少しでも近づけることができる
4) そしてこの一文は、以降、私の思想の血肉となる


Dokusyo2 このように引用という作業には、多くの思考鍛錬効果があるのです。

ですから私は、思考力を鍛えたいのであれば、多読ではなく、一冊の深読を強く勧めます
深読は、引用する作業によってなされます。
言い換えると、単なるインプットだけの読書は浅いレベルにとどまり、
アウトプットとして用いて深いレベルのものが獲得できるということです。

また、深読(シンドク)とは、次のシンドクにもつながっている。
・身読:身をもって読む
・心読:心で読む



本を読み、
重要個所を書き留め、
引用する。


この作業は、ピーター・ドラッカーの言う「知識労働者」であれば、
すべての人が習慣化すべきことがらです。
陸上競技選手でいう日々のランニングであり、
野球選手でいうバットの素振りです。


Dokusyo3
読みっぱなしにせず、重要個所を「書き留める」習慣をつける。
思考深い人というのは、概して「メモ魔」です!

過去の記事を一覧する

Related Site

Link